DENTSU LIVE | 電通ライブ

地域にいま必要なのは「弱さの強さ」(前編)

  • August / 09 / 2017

そのままにしておけば「唯一無二」になる?

山崎:誰かにいい本はないかと聞かれると、必ず『スロー・イズ・ビューティフル』を薦めているくらい、僕は辻さんからいろんなことを学ばせていただいていまして…。その辻さんときょうは初めてお会いして、お話を伺えるというので、実はちょっと興奮しています。

辻:僕も山崎さんにはずっとお会いしたかったんですよ。ご著書も、対談記事も楽しく読ませていただいてます。山崎さんが言われていることは、いまの僕の考えの筋道とすごく合致しているんですね。というのも、いまのお話のとおり、僕はずっと前から「スロー・イズ・ビューティフル」と言ってきたわけだけど、最近は、そこからさらに「ローカル・イズ・ビューティフル」へと展開しているんです。この11月には、「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」(※)という催しを計画していて、現在、世界中に起こっている「幸せの経済」という流れを日本にもってきたいと思っているのですが、その中心にあるのが「ローカル」、もしくは「ローカル化」「ローカリゼーション」という考え方です。そのあたりの話を誰に聞きたいかというと、やっぱり山崎さんなんですよ。

※「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!

山崎:もう、そう言っていただいただけで、きょうはぐっすり眠れそうです(笑)。

辻:僕はね、グローバリゼーションは、すでに終わりはじめていると思っています。その兆候は世界中に出てきている。それは、いい意味でも、悪い意味でも大変化で、これから大変な時代になるんじゃないかと思うのだけど、ではその先にあるものを問おうとすると、やっぱりローカリゼーションしかない。つまり、地域やコミュニティといった本質的なものをもう一度、考え直さなくちゃいけない。山崎さんが現場でやってこられたことの蓄積は、これからの時代、みんなにとっての重要な財産になるんじゃないかと思いますね。

 

山崎:いや、僕のほうこそ、辻さんにはいろいろ教えていただきたいのですが…、きょうは「地域の唯一無二」をテーマに掲げているわけですけど、実はそれに関して、少し気になっていることがあるんです。

僕はこれまで250くらいの地域に関わって、その土地土地の人びとと交流してきました。そこにはいろんなお国自慢もあるし、料理一つとっても素晴らしいものがたくさんある。人びとが集まって暮らすなかで、いや応なく生み出した固有の特徴があるわけです。そういうものを見ながら、唯一無二の文化って、我々のような外からやってきた者がつくるものじゃなくて、その地域で暮らす人たちがムズムズとつくり出してしまうもの、日々の生活を耕しているなかから生まれてくるものなんだろうなと、ずっと思っていたんです。

でも、その一方で、ワークショップをやったりしながら、地域の人たちにいろいろ話を聞いていると、やっぱりすぐに「コンビニが欲しい」とか、「有名な外食チェーンのお店ができてほしい」とかいう意見が出てきたりします。きっと僕らが関わらないで、その地域をそのままにしていたら、人びとは自分たちでコンビニや外食チェーンを呼んでくると思う。要するに、誰かが恣意(しい)的に唯一無二をつくることはできないとはいえ、そのままにしておけば唯一無二になる、と手放しで言うこともできないんじゃないかなと思うんです。

文化が荒廃したら、つくるしかない

辻:デザインというものをどう捉えるかということですね。例えば、「ソーシャルエンジニアリング」という言葉があるじゃないですか。これを聞くと最初ギクッとする。社会はエンジニアリングのようなもので、人為的に動かしたり、つくったりできるという考えがそこに感じられますから、僕なんかはすぐ身構えてしまうんだけど、山崎さんの「コミュニティデザイン」も下手をするとそれに近い考えだと見られそうですね。実際、コミュニティデザインという言葉を使われていて、何か言われたりするでしょ?

山崎:それは確かにあります。でも、コミュニティデザインという言葉は、僕がつくったものではないんです。1960年代にアメリカでよく使われていた言葉なんですよ。当時は、地域の人たち、コミュニティを形成する人たちが集まって、自分たちの未来を自分たちで決めるという意味で使われていたようで…。

辻:上から押しつけるような、傲慢(ごうまん)な態度の「デザイン」じゃないということですね?

山崎:ええ。地域に図書館をつくろうというときに、みんなで話し合って、どういうものにするかを決めていく、というようなことです。もちろん、いま僕らがやっているのは、何かを建てたりすることを目的としたものじゃありませんが、地域の人たちが集まって、自分たちの未来を考えるという意味では近いところがあります。それで僕らの活動をコミュニティデザインと呼ぶことにしたんです。

辻:わかります。実はそれと少し似た言葉で、好きなのがあるんですよ。「カルチャークリエーティブ」といって、文字どおり、文化を創るという意味なのだけど、20世紀の終わりごろに、やはりアメリカでそういう運動が高まったことがあったんです。そのときに言われていたのは、旧来の近代派と保守派のせめぎ合いの文脈の外側に、第三の潮流が出てきたということ。それまで主流だった近代的な価値観とはまったくちがう価値観や美意識をもっているので、まるで新しい文化を創造するようなムーブメントだとされて、カルチャークリエーティブと呼ばれた。

文化を創造するなんて、そんな不遜な、と思われるかもしれないけど、でもそのくらい大きな意識と社会の変容が起こっているということなんです。それが最初は人口のほんの2、3パーセントという程度だったのが、1999年時点では30パーセントにもなった。もちろんアメリカだけの話ではなく、他の国々の調査でも同様の結果が出て、日本でも、25パーセントくらいはそういう人たちがいるという報告もありました。山崎さんはそのカルチャークリエーティブの代表的な存在じゃないかな。

山崎:それは買いかぶり過ぎです(笑)。

辻:文化を創造するというとちょっと傲慢(ごうまん)な感じがしますが、近代、特に戦後の資本主義は、急速に文化やその基盤であるコミュニティを荒廃させてきてしまった。でも、人間は文化なしには生きられない。だから、文化がある程度以上壊れたら、創っていくしかないんです。文化破壊は悲劇的なことですが、見方を変えれば、そのことを自覚して、新しい文化を創造していく、そしてそれを仕事にしていくなんてことができる時代に生まれ合わせた、とも言える。それは、ある意味、とてもエキサイティングですよね。

「楽しさの自給率」を高めたい

山崎:文化とは少し違う話かもしれませんが、「豊か」という言葉で、真の豊かさを伝えるのが難しくなってきたなとは感じますね。

辻:というと?

山崎:「ああ、我々も豊かになったもんだ」と言うときの「豊か」って、ほとんどの場合が、便利になったとか、高いビルが建ったとかいう意味で使われますよね。そうなってしまうと、真の豊かさを「豊か」という言葉で伝えるのは難しい。だから、「豊か」という言葉の意味を変えるのはもう無理なんじゃないか、とあるとき思ったんです。

そこからですね、僕がより積極的に幸福論を考えようと思ったのは。GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)という指標を打ち出しているブータンのように、一人一人にとっての幸福を考えましょう、とワークショップでも話すようになりました。そうすれば、経済的なものも含めて、いろんな要素を交えることができますから。

辻:何を生きがいと感じるか、喜びと感じるか、というところですね。

山崎:そうなんです。ただ、いきなり幸福を語るのって、ちょっと難しいときもあって…。幸福のもう少し手前に、何か目安になるものがないかなと思ったんです。それで注目したのが、「楽しさ」でした。

「コンビニとか、外食チェーンのお店とかがないと楽しめない」という考え方は、お金を払って誰かに楽しませてもらうことが前提になっています。だから自分だけでは楽しめない。でも、そこでもし自分自身で楽しさを生み出すことができれば、人生はいつも楽しいはずだし、幸福になれるんじゃないか。そう考えて、最近は地域のワークショップでも、「お金やモノによらない楽しさを地域にどう生み出していくか」という問いを立てることが多くなりましたね。僕はこれを「楽しさの自給率」と呼んでいるのですが、本当は食糧自給率やエネルギー自給率と同じくらい、高めたほうがいいものだと思うんですよ。

辻:都会にしか未来がないと、僕らはいつのまにか思い込んでいますからね。でも、それって実は、本来の人間の姿からはすごくかけ離れた発想、というか、真逆ですね。

山崎:大切なのは、能動的に楽しむことだと思うんです。よく「能動的↔受動的」「集団↔個人」という2つの軸を出して説明するのですが、受動的な楽しみは、いわゆる消費の楽しさです。個人なら、パチンコやテレビ、買い物などがそうだし、集団なら、居酒屋やカラオケ、ボウリングなどですが、どちらも楽しさの賞味期限は基本的に短い。だって、資本主義的には、お金をどんどん払ってもらわなければいけませんから、楽しさが長続きすると困るわけです。

その一方で、能動的な楽しみは、個人なら趣味の活動や読書などがそうですが、楽しさの賞味期限が長いんです。しかもそれを集団でやることができれば、もっと楽しい。一人でおいしいものを食べて「うまっ!」とつぶやくのもいいけれど、「うまいよね、これ!」と仲間で言い合うほうが、楽しさは倍増しますから。それに友達もできるし、知識も得られるし、自分の役割もできるし、感謝されたりもする。だから、僕らは、集団で能動的に楽しむことを目指しているんです。

なぜゴリラは“コミュニティ”を築けるのか

辻:その話を伺って、僕はゴリラのことを思い出しましたよ。

山崎:えっ、いまの話からゴリラですか(笑)。

辻:霊長類研究者で、いま京都大学総長の山極壽一さんのことを僕は尊敬しているのですが、彼の研究によると、ゴリラにはサルとは明らかに違うところがあるそうなんです。例えば、ニホンザルなんかは年がら年中けんかをして、どっちが勝った、負けたとやっているわけでしょう?

山崎:いわゆるサル山のボスを決める争いですね。

辻:そうそう。で、強いやつは威張っているし、弱いやつはいつもペコペコして…。首を縮めて、歯茎を見せてニターッと笑う「グリメイス」という仕草があるのですが、それがサルの服従の態度なんです。でも、ゴリラにはそういうものがない。自分のほうが弱いとか、強いとかという表現がない。だから「勝ち負け」の概念がない、と言うんですよ。

山極さんは、そこにゴリラへの進化の重要なポイントの一つを見ているのだけど、じゃあ人間はどうなんだというと、サル的なところも多い。でもその一方で、人間の社会にはゴリラと同じく、「勝ち負け」と無関係の領域もある。まず、家族です。お父さんが幼い子どもを真剣にやっつけて、「ざまあみろ」とはやらない。ふつうは、ね(笑)。

山崎:お父さんに向かって、四六時中、歯茎を出して笑う子どももいませんね(笑)。

辻:ふつうは、ね(笑)。加えて、大事なのは「分配」です。いわゆる「分かちあい」ですね。サルからゴリラへと進化するなかで、そこがよりしっかりしてきている。そしてもう一つは「遊び」。ゴリラも人間も、大人と子どもがじゃれ合って遊んだりするのだけど、間違って相手を傷つけたり、殺してしまうことはまずない。ふつうは、ね(笑)。ケンカと、ケンカごっこの区別がちゃんとあるんです。

つまり、「勝ち負けの欠如」「分かちあい」「遊び」といったものが、ゴリラや人間における「家族」の基礎だということです。人間は、さらに家族と家族の間へと拡げて、家族同士がつながる「コミュニティ」を築くことができた。

山崎:ああ、それは分かる気がします。僕らの言葉で言えば、「対等」「シェア」「遊び」ですが、意識してはいなかったものの、言われてみると、その3つをいつも実現しようとしています。

辻:でも現代の社会をみると、サルみたいに、ケンカや競争ばっかりして、コミュニティを壊し、分かちあいどころか、勝った負けたの世界をつくってきてしまった。これを山極さんは「サル化する人間社会」と呼んでいます。

「社会を離れた経済」はあり得ない

辻:本来の人間性に根ざすコミュニティは、同時に経済の単位でもあるんです。現在の主流の経済学は、そこを完全に無視していて、すべて競争原理にもとづく市場経済学になっていますけどね。

もっと言えば、本来、経済は社会の一部なんですよ。カール・ポランニーという経済史家の言い方では、「経済は社会のなかに埋め込まれている」ものなんです。それは、小さな村を例にして考えると分かりやすい。自分が人よりたくさん取ったら、同じ村の誰かが困る。誰かが得をすると、誰かが損をする。あるいは、ある年にちょっと欲張ると、次の年に困ったりする。そうやって経済は、自然環境や社会という文脈のなかにちゃんと「埋め込まれている」。自然環境や社会を離れた経済はありえないんですよ。

ところが、産業革命以降、この200~300年の間に、経済はせっせと社会から自らを解き放ってきた。少なくとも、自由な存在になれるという幻想を持ってしまったんですね。そして、実際に「経済が社会から自由になる」という思想を作ってしまった。これが自由主義です。さまざまな制限から解き放たれることを「離床」とも言いますが、社会からの離床と同時に、自然界からも離床して…。まるで経済は自然界の一部ではないかのように振る舞いはじめてしまった。その結末が、すさまじい環境破壊でしょう? 自然界からどれだけ奪い、環境をどれだけ汚しても、経済は素知らぬ顔をしていられる。というのは、都合が悪くなったら経済学では「外部」という言葉を使えばいいんですから。「環境問題」について問われたら、「それは外部の問題だ」と答える(笑)。それが経済的自由主義とか、新自由主義とかで言う「自由」です。本当に困ったものです。

山崎:それは身勝手な話ですね(笑)。

※後編につづく

辻信一

文化人類学者・明治学院大学国際学部教授

1999年にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立。以来、「スローライフ」、「100万人のキャンドルナイト」、「GNH(国民総幸福)」などの環境=文化運動を提唱。2014年、「ゆっくり小学校」を開校。著書に『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』(平凡社ライブラリー)、『弱虫でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)など多数。映像作品にDVDシリーズ『アジアの叡智』(現在6巻)がある。本年11月11~12日には「『しあわせの経済』世界フォーラム2017~Local is Beautiful!」を都内で開催する。
http://economics-of-happiness-japan.org/

山崎亮

studio-L代表/東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)/慶應義塾大学特別招聘教授

東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶應義塾大学特別招聘教授。1973年、愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『ふるさとを元気にする仕事(ちくまプリマー新書)』、『コミュニティデザインの源流 イギリス篇』(太田出版)、『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(PHP新書)、『地域ごはん日記』(パイ インターナショナル)などがある。