2017/07/26
水のように空気のように、おもてなしを科学する:北川竜也(後編)
- July / 26 / 2017
百貨店の300年の歴史が培ってきた資産を、どう生かすか
北川:旗艦3店(新宿伊勢丹、銀座三越、日本橋三越)を中心とする百貨店は、われわれにとっての文化そのものなのです。そこでお客さまとの関係性が築かれた歴史があり、とてつもない価値が300年の歴史や暗黙知の中に詰まっている。
一方で、世界から来ていただくお客さまとの接点として、イセタンサローネ、イセタンハウス、イセタンミラー(※)など、気軽な接点として小さなお店を軸につながっていっていただく。あくまでそこはお客さまとの接点であって、将来的には、そこで今までと同じように物を売り続けるかどうかは正直なところ分からないですよね。物を買うという手段はオンラインでもご提供できるわけなので、そこにしかない豊かな時間を過ごしていただくための空間になっているかもしれない。
※イセタンサローネ、イセタンハウス、イセタンミラーなど中小型店について
三越伊勢丹HDの強みである編集力を活かして顧客接点拡大のため進めている中小型店舗の出店戦略の一環。
「ファッションセレクトストア」として昨年4月に六本木にオープンしたイセタンサローネ、同12月に丸の内にオープンしたイセタンサローネメンズ、「中型セレクトストア」として4月に名古屋にオープン予定のイセタンハウス、首都圏を中心に12店舗展開する「ラグジュアリーコスメセレクトストア」のイセタンミラーなどがある。
尾崎:その上で、これは三越伊勢丹として守り続けるということは何ですか。
北川:「本質」に寄り添う会社でなきゃいけないと思います。テクノロジーの進化は生活を大きく変えましたが、15年前を振り返って考えると、本質的に人間が追求しているものは今も変わっていないのではないでしょうか。おいしいものを食べて、友達と会って、家族と過ごして、音楽聴いて、映画見て、ふだんの日常の行動はあまり変わっていなくて、変わっているのはそこに至るまでの過程だったり、その情報なり、データを得る手段だったり、間をつなぐものの変化が大きいということだと思います。
我々が本質的に追求していかなきゃいけないのは、お客様の人生を豊かに生きたいという思いに常に寄り添うことだと思います。そこの本質さえ外さなければ、提供する商品、サービス、その提供手段は多種多様でいい。お客様の美を追求したいという思いを例にとれば、15年後に今と同じ化粧品が販売されているかどうかさえ分からない。何を売るかという定義ではなくて、女性の美に一番近いところにいて、しかも一番手にとりやすい手段でご提供するという本質にどれだけ寄り添えるか、それは多分譲っちゃいけないこと。そういうことを追求すべきだと思うのです。
「コミュニティー」づくりに、テクノロジーを活用する
尾崎:僕らの仕事のやり方も、変えていかなければなりませんね。
北川:広告宣伝の在り方もすごく変わるだろうなと思っています。インターネットの時代になって、クラウドを活用して空間を超えてある特定のコミュニティを形成する、という事が可能になりました。その代表格の一つがアメリカの手づくり品販売サイトのエッツィ(Etsy)かもしれません。
マニアックな趣味を持っている人が、東京エリアでは500人しかいなくても、日本全国に枠を広げて考えたら1万人いるかもしれない、全世界へ広げてみたら10万人いるかもしれない。この10万人を一カ所に集めようとしてもほぼ不可能ですが、インターネットだと可能になるわけです。もしこのコミュニティに、その趣味に適合するコンテンツをご提供できれば、これほどコンバージョン率の高いマーケティングはないわけです。これからのマーケティングは、いかにそういうスモールコミュニティーをたくさんつくり、お客さまの濃いニーズ、よりパーソナライズされた情報に寄り添っていくか、が重要だと思っています。
要は、どうやって社会、お客様とコミュニケーションをとっていくのかという、コミュニケーションの在り方から設計していかないと、そこに置くもの、空間や商品は定義できなくなると思うのです。コートを買おうと思って百貨店に来て、帰り際お店を出るときにすごく格好いい傘を買ってしまっていた、という体験には、元々の気持ちを変えてしまうほどの幸せなコミュニケーションがそのプロセスで起こっています。そういうコミュニケーションの種をまきたいですね。
尾崎:まきたいなあ。
そのテクノロジー施策、企業の「本質」を捉えてますか?
北川:その本質から考えると、よくテクノロジーの活用例であるのが、商品の説明をデジタルコンテンツとして提供するというアイデアです。これは実体験からくる反省も含めて言うと、それ単体ではなかなかうまくいかないことが多い。
尾崎:企画会議でもそういう意見、山ほど出ます(笑)。
北川:うまくいかない原因は、もしかすると説明で終わってしまっていて、その商品の先に広がる自分の世界とのコネクトをお客様がイメージできていないからではないか、と思うわけです。それを考える別の例としては、例えば伊勢丹新宿店の2階には、広いスペースに靴がバーッと並んでいて、それがなぜ楽しいのかといったら、一瞬でで全部見渡せて、あれやこれや比較しながら、それを使うシーンが想像できるからではないでしょうか。オンラインで全部見ようと思ったらとんでもない時間がかかります。
お客さまの購買の決め手は多様ですが、特に高額なものをお買い上げいただくときには、その世界観や、それを手にした先の自分の未来が見えるということがとても重要だと思います。そういう未来を想像させるというマーケティングをやるためにこそ、テクノロジーは使われるべきですよね。
おもてなしを科学する。科学できれば、自動化できたり機械化できたり、科学で証明できる部分とそうでない部分の組み合わせができる。人対人でしかご提供できない、ゾクゾクしたり、時間を使いたいと思うようなことを付加させられるような、デジタルインフラを今からちゃんと整えておこう、お客さまがデジタルテクノロジーを意識しないような、水や空気のような状態にちゃんとつくり込んでいこうということです。
尾崎:そうなると、将来その基盤ができて、魅力的な体験をつくるアナログの部分は、スペシャリストを招き入れるような、そういう空間プラットフォームになっていくのですね。素晴らしいビジョンですし、僕もぜひ何かでお手伝いしたいです。
「物質」がコミュニケーションをつくる、真のマルチメディア世界:落合陽一(後編)
- July / 26 / 2017
すべてをデジタルデータに換算してみたら?
落合:アルスエレクトロニカセンターに、この前8Kのプロジェクションシステムが入って、8Kの画面で遠くを見ると、もう完全に「窓」ですね。
藤田:「どこでもドア」みたいな(笑)。
落合:最近はバイオに興味を持っているんです。HIVウイルスって9.6キロバイトぐらいなんです、データ量として。9.6キロバイトで人間が死ぬのは、ある意味相当すごい。ウイルスは極めてデータ量が軽くて、容量としてはせいぜい1メガ。フロッピーディスク1枚分ぐらいしかない。人間もせいぜい3.2ギガしかないですけれど、植物はたまに150ギガもあるやつがいる。
藤田:植物? それは、生きている年数みたいなところですか。
落合:年数よりは、種が生きていた年数が結構関係していて、無駄なノイズみたいなものがどんどん増えていくんです。変なウイルスにかかったとか。
藤田:人間のデータ量は3.2ギガか。寂しくなりますね(笑)。
落合:でも最近思うのは、人間が脳みそに抱えているデータ量と、遺伝子に持っているデータ量の差です。人間は脳みその中の方がデータ量が多くなってきたんだなと思うんです。印刷技術の発明や産業革命以降のコミュニケーションの広がり、映像の発明、そしてコンピューターが出てきたから。つまり今、自分の人生がDVD一枚で納まるかと言われたら、もうそろそろ納まらなくなってきた。そうすると出生率が減るのも当然だなと思います。だって本能的に、自分の脳みその中にあるものをどうやって外に出すかの方が、自分の遺伝子を残すかより重要だから。
「女の子×ディプラーニング」の世界
落合:この前ネット上にリリースされた、二次元絵の女の子×ディープラーニングのプログラミングがなかなか良くて、ニューラルネットワークの画像処理が結構面白い。これは全部ディープラーニングした機械が描いたんですよ。拡大してみると確かに変で、顔がひずんでいたりとか、目の両側が逆向きについていたりするんだけど、二次元画像を入力しまくっておいたら絵を描くんですよ。
藤田:すごい!いよいよ人工知能の未来だなあ。
落合:この速度は、かなりすごい。二次元の女の子って、髪、目、顔、輪郭、髪色、服ぐらいしか要素がなくて、ストロークで描く量は結構小さいんですよ。それで領域をある程度形で塗り分ければ描けちゃうんですね。びっくりした。
藤田:コンピュータでできることと、人間でしかできないことでいえば、もう「こことここをつなげるとありそう」みたいなことの判断しか、人間に残されていなさそうな気がする。
落合:そうそう。人間ってどこまで考えているのか、実はあまり考えてないんじゃないのかと仮定したときに、感情をサンプリングするための機械はどうやってつくれるのか考えてみると、ライフログをコンピューターに突っ込んだら今日の感情もコンピューターの方が分かる未来というのは、結構すぐに来ると思うんですね。
藤田:感情が、いろんな環境要因の入力によって決まってくる。
落合:決まっているとしか思えないですね。だって人間の脳みその機能自体は特別な個別性はないし、感情とかもあまり複雑な反応をしているわけでもなくて、記憶全体の容量もそんなにあるわけでもなくて、数ギガぐらいだと思う。それを考えると大したことないよなと。
だって人間が使える語彙って5000語ぐらいですよね。5000語って辞書にしたらせいぜい、いろいろ足しても120メガバイトぐらいですよ。視覚のデータも、会ったことは覚えているけど、それを精細に描けといわれてもほぼ描けないので。ということは、ちゃんとは覚えていないんです。文字情報とか、言葉で表現できる情報のつながりって、せいぜい数メガバイト、本一冊と同じぐらいのデータ量しかないから。
人間は二次元で思考するようにはできていなくて、本質的には三次元で思考するようにできている。われわれは、工業化の都合と重力の都合によって、机を使ったり壁や紙に絵を描いているだけ。本質的には三次元のものをうまく扱いながら社会の中で生きていきたいけど、それを再発明するには二次元だったものを三次元化することです。机って、重力がないと発生しないじゃないですか。宇宙飛行士が机を囲んで会議しているところは見たことないですよね。だって、座れないから。われわれは本質的には三次元的な世界に行きたいんだけどまだ行けていない。
チームラボの猪子寿之さんとしゃべっていたときに「質量があるものはダサい」と言っていた。確かにプロジェクターの反射映像を見ていると、プロジェクターのことは意識しないですね、光だけを見ているから。そういうような状態にあらゆる道具を変えていったら、どうなるんだろうという考え方で、「全部ホログラムでつくってみよう!」というのをずっとやっているんです。触覚も、視覚も、音も。
人間は「物質」でコミュニケーションを取るようになる
藤田:多分2020年ぐらいまでは、VRとかプリンターとかであらゆるものをつくっていくけど、その先はバーチャルだったものの質量を、どうやってフィジカルに持ってくるかになっていくのではないでしょう か。デジタルがどんどん接近してくるというか、人間の能力の拡張みたいなことをよく聞きますが、本当に拡張していると思いますか。
落合:退化していますよね、明らかに。それでもこの世界からコンピューターが消滅しなければ多分大丈夫で、全部要らない機能はコンピューター側に任せちゃって、その分人間は外を走り回っているほうが健康ですよね、きっと。だから、「健康」はキーワードですよ。
人間は地図を読めなくてもよくて、おいしい店を覚えている必要もなくて、写真記憶もある必要はなくて、それを全て他の機械が代替して成立する。次は、おまえら会話しなくていいよというのが多分、人工知能のもう一つのわな。会話しなくても機械が結果だけあげるからみたいな話。ミーティングする必要すらない。機械の機能で言語を何でもしゃべれるようになると、結局人間は退化しているんだけど強化されているという二つのせめぎ合いになるとか。アイデアしか価値がないって2003年ぐらいによく言われていたけど、アイデアなんてツイッターを探せば無限に転がっていて、アイデア自体には全く意味がない。何が重要なのかといったら、アイデアじゃなくてつくった物の方が重要。つまり人間は「物質でコミュニケーションをとるようになったんだ」と思っています。だからコンサルタントという職業は、論理をコードか物質に落とす職業になってきて、物に落ちないコンサルが昔結構いたけど、そういうのはずいぶん意味がなくなってきましたよね。物質になっていないと、もう価値なんてないんです。特許とかも多分掃きだめになるし、著作権もきっと掃きだめになるんですね。もし、歌詞のデータベースを適当に並べ替えて、何億種類ぐらいの歌詞をつくってためておくサーバーがあったら、あらゆる新しく出てくる曲を著作権違反で訴えることができるじゃないですか。そういう時代になったら、著作権は足かせにしかならない。その状態で何に意味があるかといったら、歌詞じゃなくて、歌ったものなのです。歌った音になっていれば意味があるけど、歌詞の段階では多分意味がない。
藤田:日本では軽視されがちなプロデュースの重要性がより一層高まっていきますね。
落合:次は貴族の話を書きたいんです。19世紀から始まる貴族論なんです。昔は貴族がエンタメを担保していたし、科学も担保していた。今はもう一回貴族社会に戻ろうとしていて、それは生活が便利になったから。貴族に集まる富からどれだけ回収して、それ以外からは薄く回収する差分、エンドユーザーのコミュニケーション消費をどうデザインするかというのがキーワード。ゲーミフィケーションとプラットフォームから成り立つ帝王学、偽善的な雇用生産の連鎖。どういう社会構造をつくっていくかといったら、貴族社会はより物質的になっていくと思うし、一般の人たちは、その代替としてのバーチャルリアリティーを享受できるような気がしている。貧者のVRと貴族のVR、そういう世界が来そうになっているなって思うんですよ。
藤田:話は尽きないですね! 今日は本当に面白かった。刺激になりました。

落合 陽一
メディアアーティスト/筑波大学助教 デジタルネイチャー研究室主宰/VRコンソーシアム理事
映像を超えたマルチメディアの可能性に興味を持ち、デジタルネイチャーと呼ぶビジョンに向けて研究に従事。映像と物質の垣根を再構築する表現を計算機物理場(計算機ホログラム)によって実現している。情報処理推進機構から「天才プログラマー/スーパークリエータ」に認定。国内外で受賞多数。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
感覚を工学する。「体験」は拡張できる!:前田太郎(後編)
- August / 22 / 2017
人間とは、コンパスの入っていないスマホ?
日塔:次のトピックスは、前庭器官と前庭電気刺激についてなんですが、そもそも前庭器官というのはどういう器官なのですか。
前田:前庭器官というのは平衡器官のことで、平衡器官とはどこにあるかというと、内耳、音を聞いている耳の奥の、音を捉えている渦巻管の上にひっついているものです。解剖図では、前庭器官と渦巻管をセットにして内耳と言いますね。実は、その装置の下の半分の渦巻状になっているものだけ音を聞いていて、それと似通った器官だけど、全然形だけは違う器官が上に乗っていて、それが平衡感覚。いわゆる重力と回転加速度を捉えている。
http://hiel.ist.osaka-u.ac.jp/cms/index.php/services
日塔:下は音を聞いているんだけど、上は平衡感覚をつかさどっている。三半規管というのも、前庭器官の一部ですか。
前田:前庭器官は、三半規管と耳石器官になります。三半規管の方は、人間の回転を捉えていて、耳石は重力加速度を捉えている。重力だけじゃなくて、人間が動いたときの加速度も一緒に入ってくる。それはいわゆるスマホでいうと、皆さんが使っているジャイロと加速度センサーの二つです。スマホに入っていて人間には入っていないのが、コンパスですね。地磁気の方向を捉えるセンサー。
日塔:ああ、面白いですね。スマホは、そこはセンサーとして人間より優れているということですね。人間には地磁気センサーがない。なるほど、だから人間は方向音痴になっちゃうんですね。
前田:伝書鳩の研究で、ハトにはあるんじゃないかという説があるけれど、いまだに生物学の中でも結論が出ていないです。鳥が何で夜間飛行ができるのか。鳥目なのに何で方向が分かるんだろう、地磁気が分かっているんじゃないかという説があります。
日塔:先生が前庭器官に注目されたきっかけは何ですか。
前田:人間の感覚を捉えて、なおかつそれを入力する手段を探していた。五感全部そろえてやろうと思った中で、平衡感覚は普通では手出しのしようがないなと思った。
日塔:五感の中に、平衡感覚は通常は含まれない。
前田:五感という言い方自体、人間の感覚を捉える言葉としてはふさわしくない。内耳というのは、頭蓋骨の中に埋もれているのです。頭蓋骨の中は脳で、外は皮膚です。その間の骨の中に穴があいていて、その中に内耳が詰まっているんですよ。
日塔:脳と耳ってつながっているという感じですね。
前田:そう。だって、頭蓋骨は耳の穴から脳の部屋まで穴が全部一つでつながっていますから。その中間に骨の中に埋もれているのが内耳で、それがある場所が乳様突起です。
前庭電気刺激に関しては、われわれが研究する5年前くらい(2000年前後)にはすでに発見されていました。真っ先に使われたのは耳鼻科ですが、あまり流行らせずすたれ始めていました。というのも、あまりに強烈に利くので医学的な検査目的には使えなかったのですが、私たちはそこに注目しました。
日塔:耳の後ろにシールみたいな小型装置を貼り付けるだけで体験できると聞いてすごいなと思っていて、どれだけ軽量な装置にできるのでしょうか。
前田:われわれは研究者なので製品化を狙っているわけではなく、どこまで小型化できるかを究極で目指していないですけれど、可能性としては電池と回路は既存の技術を使えば、ほぼどこまででも小さくできる。電力としての十分な電池さえ手に入ったら。
日塔:電池のサイズ?
前田:恐らく、電極のサイズまで小さくなるでしょうと。でも結局、電極をどれだけ小さくしていくかの方は、ある種の限度があって…。なぜかというと、痛いんですよ。
日塔:小さくすると大きな刺激を与えなければいけないから。
前田:そうです。そういう意味においては、あくまで小型化の究極を言われたら電極のサイズ、人が痛がらない電極のサイズまでということになります。
臨場感とは、マルチモーダルにおける違和感のない状態
日塔:視覚を中心としたVRは今すごく注目を浴びていますけれど、その他の感覚、例えば聴覚含む耳周りのVRみたいなことに関して、今のブームとはちょっと違った可能性を感じています。
前田:恐らくおっしゃっている感覚は、実は平衡感覚だけ、視覚だけに限ったことではなくて、バーチャルリアリティーの本質というのは、マルチモーダルといわれる複数の感覚が全部一つの現実を指していること。すなわち見えているものと聞こえているものが、例えばここで何かが鳴っているならば、音がここだと示している、見ているものがここだと示している。「あっ、今、音が同時に変化した。見えているものが変化した。だからこれはここにあるものなんだ!」という、複数の感覚の一致なんです。
日塔:いろんなセンサーを使っていますよ、ということですね。
前田:人間が感じる臨場感というものは何かというのを、ずっとバーチャルリアリティ学会でも語られてきていて、マルチモーダルにおける違和感のない状態、すなわち全ての感覚が同じ事実を指し示している状態を指して、われわれは臨場感と呼んでいる。恐らく今流行しているVRは、ようやく自分の体の動きと視覚の動きが一致しただけの、二つだけのマルチモーダルなんです。そこに三つ目が入ってくると、臨場感のレベルがポーンと上がる。それが多分、今の分野では物足りない最たるものです。
まさにそこから音が聞こえたよ、そこに触れたよ、さらに言うと、今その動きをした平衡感覚が来たよ、というところまで来ると、本当のリアルに近づいてくる。バーチャルリアリティーに求められていることはそれなのでしょうね。
バーチャルリアリティーというのは、リアルな方が酔わないんですよ。今のVRはリアルが崩れるから酔っている。例えばゲーム酔いというのは、大きなテレビの前では、映像は自分が揺られているかのように動いているのに、自分自身が揺れていないから酔うんです。見ながら同時に自分も揺れていれば、実は酔わないでちゃんとリアルに感じる。
日塔:今のお話でいうと、アクションが激しくなればなるほどそれに合わせて前庭電気刺激で揺れと平衡感覚を同調させれば、逆に酔わなくなるということですね。
人工知能で、感情はつくれるか?
日塔:今はヘッドマウントディスプレーが、イコールVRみたいになっていると思うんですが、先生の考える触覚とか平衡感覚とか、嗅覚、味覚、そういったものまで踏み込んだウエアラブルデバイスというのは、実装や量産の例がありますか。
前田:それぞれ要素技術はやっています。例えば味覚や嗅覚は、実際に味覚物質を準備して、鼻や口に入れるというのは既にある。でも物質は刺激を与えるのは得意ですが、消したり入れかえるのが苦手。要は一度においを嗅がしちゃうと、そのにおいを消すのが難しい。電気刺激のいいところは、現物がほとんど存在しないので、すぐに消せることですね。出したり消えたり、すぐできる。だから味覚も、ほとんど味がしないアメか何かをなめておいてもらって、その状態で電気刺激をすると、その味が突然現れたり消えたりするというのができるんです。
日塔:今まで「感覚」について伺いましたが、もう一つ、センサーで「感情」にアプローチできないかと考えています。前田先生は「感覚」を工学的につくり出すという研究をされていますが、「感情」を工学的につくり出すことも可能だと思いますか。
前田:うちが取り扱っている研究テーマの本道ではないですね。今のところ、感情の定義に科学自体が失敗しているに近い。やはりホルモンや何かの応答、すなわち人間の感情って、一番影響を受けるのは薬物なんです。薬物というと聞こえは悪いですけども、人間自身がホルモンやフェロモンを持っているので、それに簡単に誘導されてしまう。
日塔:なるほど。自分自身で怒っているとか喜んでいるとかと思っているつもりが、かなりホルモンに影響されている。
前田:人間の誘導で一番怖いのは、化学物質を使うことですよ。それをやると大半の感情は誘導できてしまう。それを避ければかなり安全性は高まりますが,今度はだんだん儀式めいた感情の誘導になってきてしまう。例えば、前庭電気刺激のデモでどうしても体験者が長時間やりたがるので、現在はやめているのが音楽との連動です。最初は、音楽と連動させたら評判が良かったのです。リズムに合わせて人間の体が震える状態をつくると、まるで踊っているかのような感覚が出るから。ところが逆に、踊る習慣がない人たちが酔って気持ち悪いと言いだして。研究としてはストップした。
日塔:その一方で小学生の時を思い出すと、キャンプファイアや運動会でみんなで同じ動きで踊ると、言葉にできない不思議な高揚感や連帯感が生まれますよね。きちんと事前に理解して、倫理的な問題をクリアできれば、体験の拡張、感情の拡張として興味深い現象だと思います。
生物としての人間はいつかAIに世代交代する、心の準備はできていますか?
日塔:最後になりますが、人工知能全体について伺います。今後AIはどのように進化していくと思いますか?
前田:アルファ碁が出た時点でわれわれが考えるべきは、今まで人間が判断して正しいと思っていたことを、もう一度疑ってみるべき段階に来たと。過去に人間が判断して、明らかだよね、でも数学的証明じゃないよねと言っていたことは、もう一遍AIに見せてみるべきところに来たと思います。AI技術といわれているディープラーニングを含むパターン認識技術が、これから大きく実用の世界に入り込んでくる。それによって起こるパラダイムシフト。人間の機能の一部はAIに置き換えられていく。結局、いつまでも人間が文明のトップじゃないよねというのはあります。
私は、どちらかというとシンギュラリティーは怖くないと思っていて。生物としての人類が永遠に続くということを私は期待しているわけではなく、もし人類が人間の枠組みに限界を感じて、自分たちが生み出したAIにその座を譲る気ができたならば、いよいよ楽隠居を決め込んで次世代に任せるという、生物として霊長としての世代交代をする時期が来るかもしれません。それを不幸と思うかどうかは別の問題ですけれど。
日塔:人間は、むしろ安心できるかもしれない。
前田:そう、要はいい後継ぎを育てることに成功すれば、ある意味社会を安心して後継ぎのAIに任せられる。シンギュラリティーが怖いって大騒ぎしているけど、それはそれでただの世代交代以外の何物でもないと思いませんか?
日塔:おっしゃっているシンギュラリティーはカーツワイルの言う、ナノボットが一人一人の人間の体の中に入って機械と融合する、みたいな話とは別ですか?
前田:ナノボットというよりは、世間ではロボットが人間の世界に出てきて、人間に取って代わるのが怖いというイメージですね。本当に怖いことですか、個人レベルでは普通に起こっていることですよという話です。例えば自分が子どもを育てて、やがて子どもに凌駕されるという、シェークスピア以来の恐怖と全く同じ不安で騒いでいませんかと。結局のところ自分の老後も見てくれる、いい子にAIを育てるしかないじゃないですか。科学技術は人間が生み出すものなので、自分の子どもをいい子に育てられるかどうかだけ心配していればいいんです。それが科学者としての私の見解です。
日塔:明快ですね。ぜひ今後も研究の行方をキャッチアップさせていただきたいです。今日はとても勉強になりました、ありがとうございました。

前田 太郎
工学博士
1987 年東京大学工学部卒業。同年通産省工業技術院機械技術研究所。 92 年東京大学先端科学技術研究センター助手。94 年同大学大学院工学系研究科助手。 97年同研究科講師。2000年同大学大学院情報学環講師。02 年NTT コミュニ ケーション科学基礎研究所主幹研究員。07 年大阪大学大学院情報科学研究科教授を務め、現在に至る。 人間の知覚特性・神経回路のモデル化、テレイグジスタンスの研究に従事。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。

北川 竜也
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 秘書室 特命担当部長
大学卒業後、国連の活動を支援するNGOで国際法廷の設立などのプロジェクトにアシスタントとして従事。 日本帰国後、企業風土改革を行うスコラ・コンサルタントで主に大企業の組織活性化に携わった後、創業間もないクオンタムリープに参画。 大企業の新事業創出支援やベンチャー企業支援の場作りなどの事業を担当。 クオンタムリープを退社後、アレックスの創業に参画。会社の運営と併せ、Made in Japan / Made by Japaneseのハイクオリティーな商品を世界に向けて紹介・販売するEコマース事業の立ち上げと運営を行う。その後、三越伊勢丹ホールディングスに入社。現在に至る。

尾崎 賢司
株式会社電通 電通ライブ
2010年電通入社。入社以来5年間、イベント&スペース領域の企画・制作を担当。エクスペリエンス・テクノロジー部の発足以来、ウェブやアプリの制作、キャンペーンなど担当領域を広げ、活動中。
「物質」がコミュニケーションをつくる、真のマルチメディア世界:落合陽一(後編)
- July / 26 / 2017
すべてをデジタルデータに換算してみたら?
落合:アルスエレクトロニカセンターに、この前8Kのプロジェクションシステムが入って、8Kの画面で遠くを見ると、もう完全に「窓」ですね。
藤田:「どこでもドア」みたいな(笑)。
落合:最近はバイオに興味を持っているんです。HIVウイルスって9.6キロバイトぐらいなんです、データ量として。9.6キロバイトで人間が死ぬのは、ある意味相当すごい。ウイルスは極めてデータ量が軽くて、容量としてはせいぜい1メガ。フロッピーディスク1枚分ぐらいしかない。人間もせいぜい3.2ギガしかないですけれど、植物はたまに150ギガもあるやつがいる。
藤田:植物? それは、生きている年数みたいなところですか。
落合:年数よりは、種が生きていた年数が結構関係していて、無駄なノイズみたいなものがどんどん増えていくんです。変なウイルスにかかったとか。
藤田:人間のデータ量は3.2ギガか。寂しくなりますね(笑)。
落合:でも最近思うのは、人間が脳みそに抱えているデータ量と、遺伝子に持っているデータ量の差です。人間は脳みその中の方がデータ量が多くなってきたんだなと思うんです。印刷技術の発明や産業革命以降のコミュニケーションの広がり、映像の発明、そしてコンピューターが出てきたから。つまり今、自分の人生がDVD一枚で納まるかと言われたら、もうそろそろ納まらなくなってきた。そうすると出生率が減るのも当然だなと思います。だって本能的に、自分の脳みその中にあるものをどうやって外に出すかの方が、自分の遺伝子を残すかより重要だから。
「女の子×ディプラーニング」の世界
落合:この前ネット上にリリースされた、二次元絵の女の子×ディープラーニングのプログラミングがなかなか良くて、ニューラルネットワークの画像処理が結構面白い。これは全部ディープラーニングした機械が描いたんですよ。拡大してみると確かに変で、顔がひずんでいたりとか、目の両側が逆向きについていたりするんだけど、二次元画像を入力しまくっておいたら絵を描くんですよ。
藤田:すごい!いよいよ人工知能の未来だなあ。
落合:この速度は、かなりすごい。二次元の女の子って、髪、目、顔、輪郭、髪色、服ぐらいしか要素がなくて、ストロークで描く量は結構小さいんですよ。それで領域をある程度形で塗り分ければ描けちゃうんですね。びっくりした。
藤田:コンピュータでできることと、人間でしかできないことでいえば、もう「こことここをつなげるとありそう」みたいなことの判断しか、人間に残されていなさそうな気がする。
落合:そうそう。人間ってどこまで考えているのか、実はあまり考えてないんじゃないのかと仮定したときに、感情をサンプリングするための機械はどうやってつくれるのか考えてみると、ライフログをコンピューターに突っ込んだら今日の感情もコンピューターの方が分かる未来というのは、結構すぐに来ると思うんですね。
藤田:感情が、いろんな環境要因の入力によって決まってくる。
落合:決まっているとしか思えないですね。だって人間の脳みその機能自体は特別な個別性はないし、感情とかもあまり複雑な反応をしているわけでもなくて、記憶全体の容量もそんなにあるわけでもなくて、数ギガぐらいだと思う。それを考えると大したことないよなと。
だって人間が使える語彙って5000語ぐらいですよね。5000語って辞書にしたらせいぜい、いろいろ足しても120メガバイトぐらいですよ。視覚のデータも、会ったことは覚えているけど、それを精細に描けといわれてもほぼ描けないので。ということは、ちゃんとは覚えていないんです。文字情報とか、言葉で表現できる情報のつながりって、せいぜい数メガバイト、本一冊と同じぐらいのデータ量しかないから。
人間は二次元で思考するようにはできていなくて、本質的には三次元で思考するようにできている。われわれは、工業化の都合と重力の都合によって、机を使ったり壁や紙に絵を描いているだけ。本質的には三次元のものをうまく扱いながら社会の中で生きていきたいけど、それを再発明するには二次元だったものを三次元化することです。机って、重力がないと発生しないじゃないですか。宇宙飛行士が机を囲んで会議しているところは見たことないですよね。だって、座れないから。われわれは本質的には三次元的な世界に行きたいんだけどまだ行けていない。
チームラボの猪子寿之さんとしゃべっていたときに「質量があるものはダサい」と言っていた。確かにプロジェクターの反射映像を見ていると、プロジェクターのことは意識しないですね、光だけを見ているから。そういうような状態にあらゆる道具を変えていったら、どうなるんだろうという考え方で、「全部ホログラムでつくってみよう!」というのをずっとやっているんです。触覚も、視覚も、音も。
人間は「物質」でコミュニケーションを取るようになる
藤田:多分2020年ぐらいまでは、VRとかプリンターとかであらゆるものをつくっていくけど、その先はバーチャルだったものの質量を、どうやってフィジカルに持ってくるかになっていくのではないでしょう か。デジタルがどんどん接近してくるというか、人間の能力の拡張みたいなことをよく聞きますが、本当に拡張していると思いますか。
落合:退化していますよね、明らかに。それでもこの世界からコンピューターが消滅しなければ多分大丈夫で、全部要らない機能はコンピューター側に任せちゃって、その分人間は外を走り回っているほうが健康ですよね、きっと。だから、「健康」はキーワードですよ。
人間は地図を読めなくてもよくて、おいしい店を覚えている必要もなくて、写真記憶もある必要はなくて、それを全て他の機械が代替して成立する。次は、おまえら会話しなくていいよというのが多分、人工知能のもう一つのわな。会話しなくても機械が結果だけあげるからみたいな話。ミーティングする必要すらない。機械の機能で言語を何でもしゃべれるようになると、結局人間は退化しているんだけど強化されているという二つのせめぎ合いになるとか。アイデアしか価値がないって2003年ぐらいによく言われていたけど、アイデアなんてツイッターを探せば無限に転がっていて、アイデア自体には全く意味がない。何が重要なのかといったら、アイデアじゃなくてつくった物の方が重要。つまり人間は「物質でコミュニケーションをとるようになったんだ」と思っています。だからコンサルタントという職業は、論理をコードか物質に落とす職業になってきて、物に落ちないコンサルが昔結構いたけど、そういうのはずいぶん意味がなくなってきましたよね。物質になっていないと、もう価値なんてないんです。特許とかも多分掃きだめになるし、著作権もきっと掃きだめになるんですね。もし、歌詞のデータベースを適当に並べ替えて、何億種類ぐらいの歌詞をつくってためておくサーバーがあったら、あらゆる新しく出てくる曲を著作権違反で訴えることができるじゃないですか。そういう時代になったら、著作権は足かせにしかならない。その状態で何に意味があるかといったら、歌詞じゃなくて、歌ったものなのです。歌った音になっていれば意味があるけど、歌詞の段階では多分意味がない。
藤田:日本では軽視されがちなプロデュースの重要性がより一層高まっていきますね。
落合:次は貴族の話を書きたいんです。19世紀から始まる貴族論なんです。昔は貴族がエンタメを担保していたし、科学も担保していた。今はもう一回貴族社会に戻ろうとしていて、それは生活が便利になったから。貴族に集まる富からどれだけ回収して、それ以外からは薄く回収する差分、エンドユーザーのコミュニケーション消費をどうデザインするかというのがキーワード。ゲーミフィケーションとプラットフォームから成り立つ帝王学、偽善的な雇用生産の連鎖。どういう社会構造をつくっていくかといったら、貴族社会はより物質的になっていくと思うし、一般の人たちは、その代替としてのバーチャルリアリティーを享受できるような気がしている。貧者のVRと貴族のVR、そういう世界が来そうになっているなって思うんですよ。
藤田:話は尽きないですね! 今日は本当に面白かった。刺激になりました。

落合 陽一
メディアアーティスト/筑波大学助教 デジタルネイチャー研究室主宰/VRコンソーシアム理事
映像を超えたマルチメディアの可能性に興味を持ち、デジタルネイチャーと呼ぶビジョンに向けて研究に従事。映像と物質の垣根を再構築する表現を計算機物理場(計算機ホログラム)によって実現している。情報処理推進機構から「天才プログラマー/スーパークリエータ」に認定。国内外で受賞多数。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
感覚を工学する。「体験」は拡張できる!:前田太郎(後編)
- August / 22 / 2017
人間とは、コンパスの入っていないスマホ?
日塔:次のトピックスは、前庭器官と前庭電気刺激についてなんですが、そもそも前庭器官というのはどういう器官なのですか。
前田:前庭器官というのは平衡器官のことで、平衡器官とはどこにあるかというと、内耳、音を聞いている耳の奥の、音を捉えている渦巻管の上にひっついているものです。解剖図では、前庭器官と渦巻管をセットにして内耳と言いますね。実は、その装置の下の半分の渦巻状になっているものだけ音を聞いていて、それと似通った器官だけど、全然形だけは違う器官が上に乗っていて、それが平衡感覚。いわゆる重力と回転加速度を捉えている。
http://hiel.ist.osaka-u.ac.jp/cms/index.php/services
日塔:下は音を聞いているんだけど、上は平衡感覚をつかさどっている。三半規管というのも、前庭器官の一部ですか。
前田:前庭器官は、三半規管と耳石器官になります。三半規管の方は、人間の回転を捉えていて、耳石は重力加速度を捉えている。重力だけじゃなくて、人間が動いたときの加速度も一緒に入ってくる。それはいわゆるスマホでいうと、皆さんが使っているジャイロと加速度センサーの二つです。スマホに入っていて人間には入っていないのが、コンパスですね。地磁気の方向を捉えるセンサー。
日塔:ああ、面白いですね。スマホは、そこはセンサーとして人間より優れているということですね。人間には地磁気センサーがない。なるほど、だから人間は方向音痴になっちゃうんですね。
前田:伝書鳩の研究で、ハトにはあるんじゃないかという説があるけれど、いまだに生物学の中でも結論が出ていないです。鳥が何で夜間飛行ができるのか。鳥目なのに何で方向が分かるんだろう、地磁気が分かっているんじゃないかという説があります。
日塔:先生が前庭器官に注目されたきっかけは何ですか。
前田:人間の感覚を捉えて、なおかつそれを入力する手段を探していた。五感全部そろえてやろうと思った中で、平衡感覚は普通では手出しのしようがないなと思った。
日塔:五感の中に、平衡感覚は通常は含まれない。
前田:五感という言い方自体、人間の感覚を捉える言葉としてはふさわしくない。内耳というのは、頭蓋骨の中に埋もれているのです。頭蓋骨の中は脳で、外は皮膚です。その間の骨の中に穴があいていて、その中に内耳が詰まっているんですよ。
日塔:脳と耳ってつながっているという感じですね。
前田:そう。だって、頭蓋骨は耳の穴から脳の部屋まで穴が全部一つでつながっていますから。その中間に骨の中に埋もれているのが内耳で、それがある場所が乳様突起です。
前庭電気刺激に関しては、われわれが研究する5年前くらい(2000年前後)にはすでに発見されていました。真っ先に使われたのは耳鼻科ですが、あまり流行らせずすたれ始めていました。というのも、あまりに強烈に利くので医学的な検査目的には使えなかったのですが、私たちはそこに注目しました。
日塔:耳の後ろにシールみたいな小型装置を貼り付けるだけで体験できると聞いてすごいなと思っていて、どれだけ軽量な装置にできるのでしょうか。
前田:われわれは研究者なので製品化を狙っているわけではなく、どこまで小型化できるかを究極で目指していないですけれど、可能性としては電池と回路は既存の技術を使えば、ほぼどこまででも小さくできる。電力としての十分な電池さえ手に入ったら。
日塔:電池のサイズ?
前田:恐らく、電極のサイズまで小さくなるでしょうと。でも結局、電極をどれだけ小さくしていくかの方は、ある種の限度があって…。なぜかというと、痛いんですよ。
日塔:小さくすると大きな刺激を与えなければいけないから。
前田:そうです。そういう意味においては、あくまで小型化の究極を言われたら電極のサイズ、人が痛がらない電極のサイズまでということになります。
臨場感とは、マルチモーダルにおける違和感のない状態
日塔:視覚を中心としたVRは今すごく注目を浴びていますけれど、その他の感覚、例えば聴覚含む耳周りのVRみたいなことに関して、今のブームとはちょっと違った可能性を感じています。
前田:恐らくおっしゃっている感覚は、実は平衡感覚だけ、視覚だけに限ったことではなくて、バーチャルリアリティーの本質というのは、マルチモーダルといわれる複数の感覚が全部一つの現実を指していること。すなわち見えているものと聞こえているものが、例えばここで何かが鳴っているならば、音がここだと示している、見ているものがここだと示している。「あっ、今、音が同時に変化した。見えているものが変化した。だからこれはここにあるものなんだ!」という、複数の感覚の一致なんです。
日塔:いろんなセンサーを使っていますよ、ということですね。
前田:人間が感じる臨場感というものは何かというのを、ずっとバーチャルリアリティ学会でも語られてきていて、マルチモーダルにおける違和感のない状態、すなわち全ての感覚が同じ事実を指し示している状態を指して、われわれは臨場感と呼んでいる。恐らく今流行しているVRは、ようやく自分の体の動きと視覚の動きが一致しただけの、二つだけのマルチモーダルなんです。そこに三つ目が入ってくると、臨場感のレベルがポーンと上がる。それが多分、今の分野では物足りない最たるものです。
まさにそこから音が聞こえたよ、そこに触れたよ、さらに言うと、今その動きをした平衡感覚が来たよ、というところまで来ると、本当のリアルに近づいてくる。バーチャルリアリティーに求められていることはそれなのでしょうね。
バーチャルリアリティーというのは、リアルな方が酔わないんですよ。今のVRはリアルが崩れるから酔っている。例えばゲーム酔いというのは、大きなテレビの前では、映像は自分が揺られているかのように動いているのに、自分自身が揺れていないから酔うんです。見ながら同時に自分も揺れていれば、実は酔わないでちゃんとリアルに感じる。
日塔:今のお話でいうと、アクションが激しくなればなるほどそれに合わせて前庭電気刺激で揺れと平衡感覚を同調させれば、逆に酔わなくなるということですね。
人工知能で、感情はつくれるか?
日塔:今はヘッドマウントディスプレーが、イコールVRみたいになっていると思うんですが、先生の考える触覚とか平衡感覚とか、嗅覚、味覚、そういったものまで踏み込んだウエアラブルデバイスというのは、実装や量産の例がありますか。
前田:それぞれ要素技術はやっています。例えば味覚や嗅覚は、実際に味覚物質を準備して、鼻や口に入れるというのは既にある。でも物質は刺激を与えるのは得意ですが、消したり入れかえるのが苦手。要は一度においを嗅がしちゃうと、そのにおいを消すのが難しい。電気刺激のいいところは、現物がほとんど存在しないので、すぐに消せることですね。出したり消えたり、すぐできる。だから味覚も、ほとんど味がしないアメか何かをなめておいてもらって、その状態で電気刺激をすると、その味が突然現れたり消えたりするというのができるんです。
日塔:今まで「感覚」について伺いましたが、もう一つ、センサーで「感情」にアプローチできないかと考えています。前田先生は「感覚」を工学的につくり出すという研究をされていますが、「感情」を工学的につくり出すことも可能だと思いますか。
前田:うちが取り扱っている研究テーマの本道ではないですね。今のところ、感情の定義に科学自体が失敗しているに近い。やはりホルモンや何かの応答、すなわち人間の感情って、一番影響を受けるのは薬物なんです。薬物というと聞こえは悪いですけども、人間自身がホルモンやフェロモンを持っているので、それに簡単に誘導されてしまう。
日塔:なるほど。自分自身で怒っているとか喜んでいるとかと思っているつもりが、かなりホルモンに影響されている。
前田:人間の誘導で一番怖いのは、化学物質を使うことですよ。それをやると大半の感情は誘導できてしまう。それを避ければかなり安全性は高まりますが,今度はだんだん儀式めいた感情の誘導になってきてしまう。例えば、前庭電気刺激のデモでどうしても体験者が長時間やりたがるので、現在はやめているのが音楽との連動です。最初は、音楽と連動させたら評判が良かったのです。リズムに合わせて人間の体が震える状態をつくると、まるで踊っているかのような感覚が出るから。ところが逆に、踊る習慣がない人たちが酔って気持ち悪いと言いだして。研究としてはストップした。
日塔:その一方で小学生の時を思い出すと、キャンプファイアや運動会でみんなで同じ動きで踊ると、言葉にできない不思議な高揚感や連帯感が生まれますよね。きちんと事前に理解して、倫理的な問題をクリアできれば、体験の拡張、感情の拡張として興味深い現象だと思います。
生物としての人間はいつかAIに世代交代する、心の準備はできていますか?
日塔:最後になりますが、人工知能全体について伺います。今後AIはどのように進化していくと思いますか?
前田:アルファ碁が出た時点でわれわれが考えるべきは、今まで人間が判断して正しいと思っていたことを、もう一度疑ってみるべき段階に来たと。過去に人間が判断して、明らかだよね、でも数学的証明じゃないよねと言っていたことは、もう一遍AIに見せてみるべきところに来たと思います。AI技術といわれているディープラーニングを含むパターン認識技術が、これから大きく実用の世界に入り込んでくる。それによって起こるパラダイムシフト。人間の機能の一部はAIに置き換えられていく。結局、いつまでも人間が文明のトップじゃないよねというのはあります。
私は、どちらかというとシンギュラリティーは怖くないと思っていて。生物としての人類が永遠に続くということを私は期待しているわけではなく、もし人類が人間の枠組みに限界を感じて、自分たちが生み出したAIにその座を譲る気ができたならば、いよいよ楽隠居を決め込んで次世代に任せるという、生物として霊長としての世代交代をする時期が来るかもしれません。それを不幸と思うかどうかは別の問題ですけれど。
日塔:人間は、むしろ安心できるかもしれない。
前田:そう、要はいい後継ぎを育てることに成功すれば、ある意味社会を安心して後継ぎのAIに任せられる。シンギュラリティーが怖いって大騒ぎしているけど、それはそれでただの世代交代以外の何物でもないと思いませんか?
日塔:おっしゃっているシンギュラリティーはカーツワイルの言う、ナノボットが一人一人の人間の体の中に入って機械と融合する、みたいな話とは別ですか?
前田:ナノボットというよりは、世間ではロボットが人間の世界に出てきて、人間に取って代わるのが怖いというイメージですね。本当に怖いことですか、個人レベルでは普通に起こっていることですよという話です。例えば自分が子どもを育てて、やがて子どもに凌駕されるという、シェークスピア以来の恐怖と全く同じ不安で騒いでいませんかと。結局のところ自分の老後も見てくれる、いい子にAIを育てるしかないじゃないですか。科学技術は人間が生み出すものなので、自分の子どもをいい子に育てられるかどうかだけ心配していればいいんです。それが科学者としての私の見解です。
日塔:明快ですね。ぜひ今後も研究の行方をキャッチアップさせていただきたいです。今日はとても勉強になりました、ありがとうございました。

前田 太郎
工学博士
1987 年東京大学工学部卒業。同年通産省工業技術院機械技術研究所。 92 年東京大学先端科学技術研究センター助手。94 年同大学大学院工学系研究科助手。 97年同研究科講師。2000年同大学大学院情報学環講師。02 年NTT コミュニ ケーション科学基礎研究所主幹研究員。07 年大阪大学大学院情報科学研究科教授を務め、現在に至る。 人間の知覚特性・神経回路のモデル化、テレイグジスタンスの研究に従事。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。
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