2017.12.20Wednesday, December 20, 2017

スノーピークの「好きなことをやって、社会のためになる経営」(前編)

山井太
株式会社スノーピーク 代表取締役社長
国見昭仁
株式会社電通 ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長

GINZA PLACEの「common ginza」を舞台に、さまざまなジャンルのつくる人たちを招いて「トークイベント+α」を発信していく「パノラマトーク」。 第7回は『人生に、野遊びを。』というテーマで、オートキャンプのパイオニアである株式会社スノーピーク代表取締役社長の山井太さんと株式会社電通 ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長の国見昭仁さんによるトークが行われました。

日時:2017年9月20日(水)19時〜 場所:GINZA PLACE内「common ginza
企画プロデュース:電通ライブ デザイン&テクニカルユニット 金原亜紀 編集協力:松永光弘 写真撮影:船本諒

(左から)山井氏、国見氏

言いつけを守って「山に登らない」

国見:山井さんとは、もう3年半くらいお仕事でご一緒させていただいていて、これまでにも折に触れていろいろとお話も伺ってきたのですが……、子どもの頃はガキ大将として町の子どもたちを従えていたり、時間があれば近くの川で泳いだりと、本当に好きなことばかりされていたそうですね。ただ、お父さまの言いつけで、山には登られなかったとか。

山井:そうですね。山にはいまも登りません。うちの父はスノーピークの創業者なんですけど、一方で熱心なロッククライマーでもあったんです。毎週のように谷川岳に登りにいくようなヤバい人で(笑)。僕もその父が持っていた山のアルバムを見るのが幼稚園のときから大好きで、小学校に入って字が読めるようになったら、学校の図書館にあった登山家の伝記を全部読んでしまうくらい、山に憧れてはいたんですけどね。

国見:それなのに、山に登らないのですか?

山井:小学4年のときに、自宅の座敷で正座させられて、父に厳しく言われたんです。「お前は山に行かせない」と。きっと自分の命を危険にさらすようなものに魅力を感じる、僕の性格を見抜いていたんですね。その後、僕の興味をそらすように、野球をやれと言い出して、小学5年のときに地元の野球チームに入ってからは、高校まで野球ばっかりやっていました。

国見:でも、いろいろとお話を伺うかぎりだと、山には登らなくても、危険な目には随分遭っておられますよね。

山井:いや、父は本当に正しかったなと思いますよ。僕はフライフィッシングが趣味なんですけど、里川でやるのはあまり好きじゃないんです。危険じゃないから、面白くない(笑)。だから源流に行くんです。しかも滝を3つくらい越えていくような最源流が好きでね。毎年、必ずどこかに行くんですけど、滝つぼには何回か落ちています。ずっと通っているところでも落ちているし、宮崎県の椎葉とか、岩手県の奥のほうでも落ちていますね。

これ、滝つぼだから笑っていられますけど、ロッククライミングだったら1回で死んでいます。そういう意味で、父は正しかったなと思うんですよ。まあ、山には登らないとはいえ、たまにアイゼンを履いたり、ピッケルを持ったりもしているんですけどね(笑)。でも、それもあくまでフライフィッシングのため。一応、言いつけは守っています。

国見:子どもの頃は、いわゆるアウトドアっぽいことはされなかったのですか?

山井:父にはたまにキャンプに連れていってもらいました。米軍払い下げのかび臭いテントを持って。でも、それも山じゃなかったですね。川辺のほうでした。

キャンプは「人間性を回復」してくれる

国見:そのキャンプが自分の人生に欠かせないなと思うようになったのは、いつのことですか?

山井:東京でサラリーマンをしていたときですね。大学も東京だったのですが、卒業して働き始めて2年くらいたったときに、体の調子がおかしくなってきたんです。外資系のブランド商社で営業企画の仕事をしていたのですが、入社したときに、総務部長に「この会社は、1人の新入社員を育てるのに、どのくらい投資するんですか?」と聞いたら、「1億円」と言われてね。そんなわけないんだけど(笑)、もしかしたら父に呼び戻されることもあるかもしれないとは少し思っていたので、それをまず純利益で返そうと考えていたんです。だから、上司から「山井の担当はここだ」と言われても、いらないから、全部新規開拓させてくれ、と申し出て……。

その会社には結局、4年半くらいいたのだけど、その間の1年あたりの売り上げは、僕1人で平均10億円くらい上げていましたね。粗利は50パーセントくらいだから、だいたい純利益が2億円。多分、1年で“貸し借りなし”にはなっていたと思います。ただ、けっこうなハードワーカーだったこともあって、心身に異常を来したみたいで。

国見:そのときにキャンプを思い出したわけですか。

山井:幼少期から高校まで、多分、30回くらい父にキャンプに連れていってもらっているはずなんですけど、回数はいまと比べるとすごく少ないものの、やっぱりそれが僕の中であるベースになっていたんです。切実にキャンプに行きたいな、と思うようになりましたから。

国見:文明社会には、便利なことがたくさんある半面、人間性を損なう側面もありますよね。便利って大切なことなんですけど、人間性を切り捨てているところもありますから。例えばメールにしても、わざわざ手紙を書かなくてよくなった分、効率的だし、労力も軽減されていますが、その裏で、便箋を選ぶドキドキ感とか、文字を1文字ずつ丁寧に書いて思いを込めるというような人間的な部分が捨てられているわけで……。

山井:そうやって失われてしまったものが、キャンプで回復されるのだと思いますね。僕は「人間性の回復」と言っているのですが、実際にキャンプフィールドにいる人たちを見ても、大人も子どもも、みんな幸せそうな顔をしています。家族の絆も深まるし、一人一人が豊かな気持ちでいると、たまたま隣り合った家族がすぐ仲良くなったりもする。キャンプをすれば、1人のユニットとコミュニティーが同じ方向で回復されていくんです。

国見:東京で働いていたときは、ご自身でも人間性が損なわれていると感じられていたのですか?

山井:感じていましたね。

国見:でも、仕事の休みにキャンプに行ったりはされなかった?

山井:行かなかったですね。市販のキャンプ用品に、自分の気持ちにフィットするようなものがなかったから。ダサいやつで行きたくないじゃないですか(笑)。これを使ってキャンプをすれば、豊かな時間が過ごせるというものが、当時はなかったんです。

リスクを先に整理する

国見:お父さまも確か、自分が使いたい登山グッズがないからと、それをつくり始めて創業されたとか。同じ感覚ですね。

山井:そうですね。でも、ちょうどその頃に、父に帰ってこいと言われたんです。サラリーマン3年目くらいのときですが、突然、父から電話がかかってきて、「(帰ってくると)約束したじゃないか」と言う。約束といっても、最後に「家を継げ」と言われたのは、小学6年のときですよ(笑)。それ以来、中学、高校、大学と何も言わなかったから、東京で就職したのだし、もともとスノーピークに入るつもりはなかったんです。

けど、いま話したように、僕自身は東京で働く中で人間性を阻害されていて、もうキャンプをやりたくてしようがなくなっていたし、自分が望むようなキャンプ用品がないこともよく知っていた。だから、父にそう言われたときはすぐに、「帰って、自分が望むかっこいいキャンプ用品をつくって、社内起業するしかない」と思いましたね。

国見:そこでもまた新規の取り組みですか。

山井:そう。当時のスノーピークは、売り上げが5億円くらいで、それほど大きな規模ではなかったのですが、会社はちゃんとまわっていました。そこに自分が加わるわけだから、新たに何か売り上げが立つことをやろうと思ったんです。じゃないと、自分の給料が出ないので。それに、1人で10億円の売り上げを上げていたのに、5億円のパイじゃ面白くないとも思っていたし……。

それで、86年7月にスノーピークに入った後、1年半の間に新商品を100個くらいつくって、カタログもつくって、新しい事業を立ち上げました。商品デザインの考え方のベースになる「スノーピークレイアウトシステム」※を考えたのも、そのときでしたね。

※スノーピークレイアウトシステム……スノーピークが提唱する、あらゆるフィールドで自由自在に美しく快適なアウトドアプロダクトのレイアウトを実現できるシステム。

国見:5億円の売り上げ規模の企業で新規事業を立ち上げるだけでも大変なのに、それを1年半でやったというのは、並大抵のことではありませんよね。

山井:最初の半年は、特にいろいろありましたね。もともと営業企画をやっていたので、商品企画はできますから、スノーピークに入ったときにCADを買って、自分で設計して開発を始めたんです。

で、あるとき、企画した商品を社長である父のところに持っていって「商品化したい」と言ったら、「いくらかかるんだ」と聞かれました。「金型をつくるのに100万円くらいかかる」と答えたら、今度は「いくつ売れるんだ」と聞く。僕は神様じゃないし、そんなの分かるわけないと思ったから「分からない」と答えたんです。そうしたら、「じゃあ、駄目だな」と言われて、それで終わりです。

国見:禅問答みたいですね。普通はメーカーといえば、自分たちでまず商品をつくって、展示会をやって、顧客に来てもらって買ってもらう、というやり方をしますよね。そうではなかったのですか?

山井:少なくとも父は、そういう思考回路じゃなかったですね。別の商品の企画を持っていっても同じで、そういうやりとりを、半年で10回くらいやったんですよ。だから、その次のときは、今度駄目だったら、もう独立して自分で商品化しようと思って、先に顧客のところをまわりました。スノーピークに入ってから、商品を企画する一方で、新規顧客の開拓をして、リレーションをつくってはいたので、予約注文を入れてもらおうと思ったんです。もちろん、もしかしたらまた却下されてしまうかもしれないけど、そうしたら独立して自分でつくるから、と言って、新商品のスケッチを片手に、とりあえず金型を起こす費用分の注文だけは先に集めました。

父のところへは、その注文書の束を上着の内ポケットに入れて、反対側のポケットには辞表を入れて、提案に行きましたね。企画した商品を見せたら、例によって「いくらかかるんだ」と聞いてくる。「金型代で100万円」と答えると、また「いくつ売れるんだ」と言う。そこで注文書の束をたたきつけて、「注文は取れるんだ」と言い返したんです。そうしたら、「何をのんびりしているんだ、早くやれ」と言うんですよ(笑)。ひどいでしょ? でも、それが僕に対する父の帝王教育だったんです。リスクを先に整理しなさい、ということですね。

「自分はスノーピークのファン」

国見:金型代のリスクを、予約注文という裏付けで整理したということですか。そのやり方で、そこから100アイテムつくられたわけですね。

山井:そうです。でも、逆に良かったのは、金型を起こしていないから、お客さんの要望を聞くことができたんですよ。「普通は展示会の案内を手にして、来てくださいと話しにくるのに、お前が持ってくるのはスケッチだもんな。変わってるよな」なんてさんざん言われましたけど(笑)、でもそのスケッチを見ながら、「ここが三角だったら買う」とか「ここがあと10ミリ太いほうがいい」とか、言ってくれるじゃないですか。そうやって一緒に商品をつくっていくことができたおかげで、めちゃくちゃ太いリレーションができたんです。

国見:山井さんはよく、「自分はスノーピークのファンなんだ」という言い方をされますよね。近くで見ていても、社長というよりはユーザーとしてスノーピークに関わっておられる印象があります。だから、これだけ好きなことをやっているのに、「俺がやっている」という感じにならないんだと思うんです。いまのお話もそうですが、社員はもちろん、ユーザーさんも含めて、常にみんなでやっているという感じがしますね。

山井:主語はいつも、「私たちスノーピークは」でありたいとは思っていますね。

国見:そこのところは、働き方を考える上で、すごく大切なことだと思うんです。この数年、働き方改革が話題ですが、ともすると時間管理の話にすり替わってしまいがちです。ただそう捉えてしまうと、議論が本質的でなくなると思うんですよ。

あるデータによれば、本来人間は、忙しくなればなるほど、充実感を覚えるものなんだそうです。でも、ほとんどの場合、仕事が忙しくなると充実感は低下していく。その違いはどこにあるのかというと、関係性だというんです。要するに、一緒に働いている人たちとの関係性がいいほど、忙しくなると充実感が増す。でも、関係性が悪ければ、充実感は低下する。仲のいいクラスでやる学園祭って、楽しいじゃないですか。でも、仲の悪いクラスでやる学園祭ってつまらない。それと似ている気がします。

山井:スノーピークでは、土日はほとんどキャンプのイベントが入っています。毎週ですよ。だから、入社の面接に来る人たちはみんな決まって「キャンプが大好きです」なんて言うのだけど、もし本当はキャンプが好きじゃないのに、うそをついて入社したとしたら、すごく不幸になるんですよ。毎週、毎週、キャンプだから。そうやって自分を偽って入ってきた人は、やっぱり続かないですね。だから念のために、内定者の最終研修は、2月の雪中キャンプにしているんです(笑)。

でも、ちゃんとキャンプが好きな人が残ってくれているおかげで、社員の価値観が共通していて、やりやすいのは事実ですね。それに、いまいろいろとビジネスの幅を広げているんですけど、「キャンパーとして、我々はビジネスをどう変革するか」「キャンパーとして、どう地方創生に関わるか」と、すべて「キャンパーとして」やっていますから、価値観は特に大切なんです。

(了)

Planner's eye

山井さんと国見さんの対談は、2015年に電通でのトークイベントでもやったことがあります。タイトルは「法人の生き方」でした。スノーピークという会社には、まさに社長である山井さんの人格が投影されており、スノーピークという法人に、強い生命体としてのエネルギーを感じての企画でした。14年には東証マザーズ、15年には東証1部に市場変更と、社会的にもますます存在感を増していくなかで、「人間性を回復する」キャンプという価値をファッション、マンション、レストラン、グランピングなど、魅力的に拡張し続けているスノーピークには、現代社会への超ポジティブな提案性、思想性があります。
「キャンプをすれば、1人のユニットとコミュニティーが同じ方向で回復する」という言葉も印象的でした。仕事でもプライベートでも、人間は1人では幸福になれません。「好きなことをやって、社会のためになる」という視点は、あらゆる事業や働く個人に問いかける課題だと思います。

金原 亜紀 株式会社電通ライブ デザイン&テクニカルユニット キャンペーンプランニングルーム 1983年電通入社。 テレビ、新聞セクションを経て、電通の広報誌「advertising」の編集長を10年間務め、100冊以上の雑誌、20冊以上の単行本を企画編集する。
その後、人材育成の分野で「電通デザイントーク」「電通デザイン・イノベーション・ワークショップ」「創発ラボ」など、トークイベントやビジネスインキュベーションのワークショップを企画。
現在は、電通イベント&スペース・デザイン局を経て、2017年設立の電通ライブに出向中。新しい「経験デザイン」の進化を研究している。
「電通デザイントーク」は2005年に立ち上げ今も継続し、『AdverTimes』『ウェブ電通報』で連載中。2017年4月に銀座4丁目の「GINZA PLACE」で立ち上げた、電通ライブ「パノラマトーク」の企画プロデュース、コンテンツの編集発信も行う。

  • 山井太 株式会社スノーピーク 代表取締役社長 1959年、新潟県三条市生まれ。明治大学卒業後、外資系商社勤務を経て、86年に父親が創業したヤマコウ(現・スノーピーク)に入社。アウトドア用品の開発に着手し、オートキャンプのブランドを築く。96年から現職、社名をスノーピークに変更。毎年30~60泊をキャンプで過ごすアウトドア愛好家。徹底的にユーザーの立場に立った革新的なプロダクトやサービスを提供し続けている。株式会社スノーピークは14年12月、東証マザーズに上場。15年12月、東証1部に市場変更。

  • 国見昭仁 株式会社電通 ビジネスデザインスクエア未来創造室 室長 1996年、都市銀行に入行。法人向け融資業務を担当した後、広告会社を経て、2004年に電通に入社。10年には、経営者と向き合って企業のあらゆる活動を“アイデア”で活性化させる「未来創造グループ」を立ち上げる。15年からエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター。化粧品、家電、通信、アパレル、旅行、通販、外食、流通などさまざまな業界において、経営、人事、事業、チャネルなどの広範囲におけるビジネスデザインプロジェクトを多数手掛けている。

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