2017/08/08
「食」が世界の文化をリードする!(後編)
- July / 20 / 2017
日本のホテルと飲食は、グローバルスタンダード的にはまだ弱い
神志名:今、東京で一番弱いのは何ですか。ホテルも海外の先進都市の方が、いろんな形態がある気がしますが。
中村:世界基準で見ると、小さい和食店とかはいいですけれど、グローバルスタンダードのレベルがすっぽり抜けていると思っているんです。例えばニューヨークに出してもいいレベルのレストランを出店すると、あっという間に外国人で埋まっちゃう。
ギリシャ料理の「アポロ」も、週末に行くと7~8割外国人です。ということは、グローバルスタンダードのレベルの雰囲気、音楽、スタッフのレベルのところが、日本にないんじゃないかなと思う。だから、僕にはビジネスチャンスかなと思うんです。
楠本:小割りの店で名店が多いから、アジアのトップ50には入ってこない。要するに、票が割れちゃう。
神志名:そもそも日本の名店は、50に入ってこないのですか。

神志名氏
楠本:入るんだけど、下の方。ホテルのトップクラスとかも、アメリカにあるものが日本にないというのは、圧倒的にまだいっぱいあると思うけど、一方で日本独自に、むしろ海外の人たちが求める日本独特の魅力みたいなものも相当あると思ってはいます。
それは、Airbnbの利用者が15%強だったというのが象徴的ですよね。2500万人のインバウンドのうち15%以上が民泊だったということですね。そんな国ないですよ。来年に規制緩和されると、より一層拍車がかかるよね。
今までは、日本は総中流社会といわれていたから、超ハイエンドなグローバル基準のレストランやホテルも少ないし、でも、そこそこにきれいなビジネスホテルはいっぱいあります。だけど、バックパッカーが泊まれる割といい感じのものもありませんね。
ふっと足元を見ると、平均年収がどんどん下がっているし、1億総中流と思っているのは日本人だけみたいなグローバル状況の中で、すごくニーズにばらつきが出てきているわけです。それにファシリティーが合っていない。だから、インバウンドがどんどん増えると、いろんなやつがいるよねということに対応するものがない、というのが今の東京であり日本。
また、古民家はどんどん増えているし、要は空き家がどんどん増えるしという中で、それをどう使おうかと。日本ならではの旅の仕方とか、食の楽しみ方みたいなことは、多分、外国の人もどんどん発見してきていて、そうなると日本人的には、その再発見をまた喜んじゃう、みたいな流れは出てくるんじゃないか。
例えば、鳥取の農家の奥さんがつくるおにぎりが、ミシュランの二つ星みたいな。多分そんな時代になっていくかなと僕は思います。
「文化」はコンペティターがたくさんいないと生まれない
神志名:法規制やパターン化されたマーケティングに基づく収益モデルが、日本の場合まだ根強くあって、大体それで自動的にできるものが決まっちゃうというケースも多いので、ここから先は、それこそ泊まれる本屋さんができたり、バックパッカー向けの宿とペントハウスが一つの館に入ってとか、いろいろなスタイルや価値観があってほしいなと思います。
楠本:モノからコトへとか、エクスペリエンスビジネスとかに、表現方法はどんどんなっているじゃないですか。それって何かというと「もうたまらん、この瞬間」みたいなことがあるということだから、そこには何らかの参加する人にとってのサプライズがあるはずなんです。
マーケティング寄りにいったら、サプライズと全く真逆というか、安心感はあるかもしれないけど、サプライズはありませんという話になっちゃうから。

楠本氏
中村:基本的に文化は一人とか一社じゃできなくて、コンペティターがたくさんいないとだめで、例えば芝浦に「ゴールド」ができたときに、ナイトシーンの新しいカルチャーが生まれた。
そこにいろんな人たちが集まって毎日騒いで、ちょうど僕が大学1年のときにできたのでしょっちゅう行って、映画関係、ミュージシャン、ファッション業界の人とかみんな集まっていたので、カルチャーをすごく感じたんですよ。
初めてゴールドに行ったときも、「あ、これ、ニューヨークみたいだ」と思ったんです。まさにニューヨークでびっくりしたナイトシーンがあったんですが、それを東京でも味わえるんだと思って感動した。
楠本:中村くんが言っている、徹底的な海外感、高揚感みたいなものって、日本がやるためには、徹底的に外国人を呼びまくるということと、その人たちにとっての出島、エンターテインメントの出島みたいなものを特区的につくらないと、難しいと思うんですよ。
例えば、イスタンブールの運河の先に人工島みたいのをつくっちゃって、そこが全部、要はフローティングの出島みたいで、全部クラブなんです。
神志名:本当にそれ、あるんですか。
楠本:あります。2020って、そういったデカいことを仕掛けてもいいんじゃないかな。
東京は広すぎて、ナビゲーションが足りない?
楠本:寿司が世界的に流行ったのは、ローフードで、グルテンフリーで、ローファットでという、ロジカルな面があるわけです。
日本の食というものを、別に海外展開ということだけじゃなくて、海外から集まってくるガストロノミーパーソンやセレブリティーも巻き込んで見せていくときに、寿司のように研ぎ澄まされた寿司職人対お客さんの1対1の勝負みたいなこともあると思うけど、もっと食の場を体験してもらうきっかけみたいなことを、それこそ今までファッションや映画をやっていた人たち、異分野の才能がどんどんプロデュースしていくことによって、日本全体が盛り上がっていくと思うんですよね。
さっき中村くんが言ったけど、圧倒的にグローバルな基準、そういう人たちの目線で見たときに、個店個店の小さい店しかないから、東京へ来たらここにバーンと集まろうぜというような仕掛けって本当に少ないと思います。
そう思ってGINZA SIXに銀座大食堂をつくったんですが、あれも日本版イータリーをつくろうと思ったんです。日本の食が何で世界から受けているんだっけ、みたいなことをちゃんと僕ら自身が把握して、そこに対して高い次元でリーチしたら何が起きるだろうということを、もうちょっと食の産業全体で狙っていけたらいいんじゃないかと思います。

GINZA SIX 6F「銀座大食堂」

「銀座大食堂」の内観
神志名:昔の東京オリンピックの資料を見ると、都民の普通の生活をしている人が、世界を迎え入れようという意識が実はすごく高かったんですよね。
楠本:今回も、だんだん盛り上がってくるんじゃないですか。圧倒的に足りないと思っているのは、ナビゲーションです。東京ってラビリンスな面白さがあるんだけど、とはいえ、もうちょっと教えてくれてもよかろう、みたいな。
全体が広いから、それぞれのエリアのそれぞれの特徴ってあるんだけど、そこがもうちょっとキャラクタライズされてくるといいんじゃないかな。
神志名:ツアービジネスをいろいろ考えたいなと。ハコだけじゃなくて、東京に来たときに、あるストーリーのもとで、そのストーリーは選べるようになっていて、それぞれがさまざまな視点で切り取ったものを見られるとか。
楠本:そこの丁寧な設計を、順列組み合わせしながら、いろんな形で提案できると相当面白いと思います。
中村:とりあえず海外へ行くと、Uberなしには生きていけないんですけど、Uberないのがつらいですよね。
楠本:よく言われるのが、二次交通の分野ですね。新幹線まではいいし、空港はいいんだけど、これは東京だけに限らず、日本は二次交通がプアだから。デスティネーションは日本中にいっぱいあるけど。飛騨高山に行きたいとか、富良野に行きたいとかね。
でも、新幹線の駅降り立って、さてどうする、だよね。タクシーを呼んだら3~4万円になっちゃうし。二次交通をエンターテインメントに変えて、目的地に楽しくナビゲーションされていくというような仕組み、Uberなんかその一つになり得ると思いますが、競争がないから、そこが一番プアなんですね。
インターナショナルでもあり日本的でもある、世界基準を目指して!
神志名:最後に、いまお二人が興味持っていることややりたいこと、2020で世界中から人が来たときに、迎え入れる場とか体験として、どんなことをお考えになっているのか教えてください。
中村:僕は、インターナショナルフードで昨年はギリシャ料理、今年はタイ料理をオープンさせるんです。次はスペイン料理やベトナム料理も狙ってます。

中村氏
それを150~200坪ぐらいの、ちょっと暗めで音楽ガンガン鳴っていて、ちゃんとおいしい食事があるような、内装もスタッフのレベルも雰囲気も世界基準の、そのままニューヨークとかに持っていけるレベルのインターナショナルなレストランをこれから何軒もやりたい。あとは、ワールドベストレストラン。アジアベストレストランでもいいけど、ベストテンに入る日本を代表するレストランをやりたい。
さらに、コンペティターはたくさんあった方がいいという意味で、ホテルがまだ全然足りないので、僕らもそれをやりたい思う。バックパッカー向けというよりは、もうちょっとスモールラグジュアリーな世界基準のホテルを、僕らも含めて10個ぐらい増えた方がいいなと思っているので、そのうちの一個は自分たちでやりたいですね。
あとは、ナイトシーンを盛り上げたいというのはあるんですけれど、僕は夜があまり得意ではないので(笑)、ラウンジかな。360度夜景のような、世界最高のミュージックラウンジをやりたい。
だから、スモールラグジュアリーなホテル、巨大なラウンジ、巨大なレストランかな。あと、余力があれば、すごい格好いい温泉。スパホテルみたいな。海外でいろいろ見てきた、温泉を使ったリゾートが東京近郊に欲しいな。
楠本:僕は地方が面白いなと思っている。人口5万人ぐらいの街だからこそ、どういうキャラを立てるか、何の聖地にするかみたいなことを考えていくのは、結構面白いなと。
黒船来襲的に考えるんじゃなくて、外国人目線って面白いから、僕も海外へ旅行に行って、地元の人たちに、「ここって、○○だよね」と例えると面白がられたりする。だから、彼らと一緒に地方を回ったりもするけど、そういうときに起点になる場所って、まずはホテル。
気の利いたラウンジ機能があるホテルがない。そういう意味では、スナックはいいな。スナックをどう盛り上げようかなと。
神志名:5万人ぐらいの街というと、どれくらいを想像しておけばいいのですか。
楠本:5万人にこだわっているわけじゃないですよ。人口5万は5万のありようがあるし、30万は30万のありようがある。それを経済性に置き換えたときに、まだまだいろんなハードルがあるんだけれど。10年ぐらいのスパンで、どんなふうに社会が変わるかなと。
その社会の変わりように対して、ソーシャルインパクトのある仕事をしたいから、地方でも、ちょっと先手をとるみたいなことを考えています。いまはやっているグランピングもそうだし、キッチンカーとか、レストランバスとか、そういったアプローチで、移動というものがどんどん面白くなってきた方がいい。
そういう流れが普通になっていくと思うので。地方ならではのコミュニティーの場所としては、スナックは最高だなと。外国人をスナックに連れていったら、100%盛り上がりますから。
中村:恵比寿に、ミッキーというスナックがあるんです。僕らの仲間の接待の最終地点がいつもそこです。
神志名:スナックの、何がうけるんですか?
楠本:外国人は結構カラオケも好きですし、独特の雰囲気をやっぱり感じるんじゃないですか。浅草とかでも、スナック多いじゃないですか。連れていくと、超喜びますよ。できれば、おかみが、本業は別に持っている(笑)。
そうすると、そっちの話にもなったりすると、相当面白い。芸者さんの元締めの方がバーをやったりしているけど、そういうところに連れていくと、ほんと盛り上がりますよ。カフェカンパニーをスナックカンパニーに変えちゃおうかな(笑)。
神志名:さすがにお二人とも、やりたいことだらけですね! 今日は飲食業の雄のお二人から、さまざまなヒントをもらいました。ぜひ電通ライブも一緒に実現させていく仲間になりたいです。今後とも、よろしくお願いいたします。
「食」が世界の文化をリードする!(前編)
- July / 19 / 2017
今の時代は、「食」が他の文化をけん引している?
神志名:私は、その時代の文化を引っ張る存在や領域、ジャンルがあると思っています。映画がそういう役割を果たしていた時代もあるし、ある時代はファッション、音楽など、時代時代で中心のジャンルがあった。そして今、時代をけん引しているのは「食」ではないかと思うんです。
例えば誰かと会ってその人を知りたいときに、「どんな音楽を聴いています?」とか「どんな映画見ています?」というよりは、「今、何食べています?」「誰と、どんなふうに食べています?」という方が、その人のことが分かる気がするし、重要な情報なのかなと。そんな文化の中心となっている「食」には、今いろんな才能、情報、テクノロジー、お金や資本が集まってきていますね。
楠本:お金は集まっています。あと、女の子も集まっています(笑)。僕らはずっと食をやっているから「これからは食だぜ!」みたいな意識はあまりない。でも、食を通じて、音楽、ファッション、映画、まさにそういうライフスタイル全般の人たちとのつながりがすごく深くなってきて、それは年々増してきている印象はあります。
周りを見るに、「かつてファッションをやってました」という人が、うちの会社に「(これからは)食をやりたいです!」と言ってきたりする。いろんな業種の人材が食に参入したりトライアルしたり、あるいはコラボレーションしたいといった話が最近はとても多いです。
食は実際にその場所に行って体験しないと共感ポイントが見えないので、SNSが発達するまでは、誰と何を食べているかということをいちいち人にも言わないし、恥ずかしくて言えないしという存在だったわけです。服は持って帰れるとか、映画や音楽はデータで行き交うことができるので、その分だけ新しい情報、トレンド、人をわくわくさせて感動させるものが情報伝達として飛びやすかった。でも、食の体験は、飛ばないんです。それが近年、SNSによってある程度飛ぶようになった。だから、いま食のブームがきたというよりも、一番飛ばなかったものだから、最後についに来たという感覚ですね。
実際に旅をしたり、その経験で共感を得ないとつまらない、みたいな時代になっているじゃないですか。食べることというのは、誰かと分かち合わないことには楽しくない。だからSNSと相まって一番「飛ばしたいコンテンツ」になったのだと思います。

(左から)中村氏、楠本氏
中村:僕は伊勢丹を辞めるときに、たまたま原宿の「ロータス」というカフェに行ったとき、こういうカフェがあったらいいなと思って、仲間からもやってほしいと背中を押されてやったらうまくいった。それで試行錯誤してやっているうちに、もう少し大きなカフェもできるようになるし、それによってまたスタッフも集まってきた。そうして「ビルズ」を運営し、日本初上陸もののノウハウもたまった。できるからさらにやりたいようになったし、できるからさらにやらなきゃいけない。今では、社員のできる能力を生かすために仕事をしているような感じです。
僕は百貨店出身ですが、百貨店は洋服が売れにくくなっているし、他のいろんなものも洋服同様に売れにくくなっているから食だ、みたいになっちゃっているけれど、どっちの方が利益が出るかといったら、洋服が売れた方が利益が出るんです。だから、本来は洋服を売らなきゃいけないんですけれど、飲食をやれば人が来るし、という感じでどこも飲食中心になっている。
ファッションが売れにくくなったといっても、百貨店とか路面店が売れなくなっただけで、ネットでは売れているわけです。20代のSNSとかを見ると、食べ歩きの写真なんてあまり上げていなくて、フォロワー数が爆発的なのは、多分ファッションだと思います。海外セレブはファッションスナップが多くて、食事を上げている人なんて、海外のインスタグラマーではそんなにいないと思う。
一方で、日本のビジネスを動かしている人たち、20代より上の、30~40代、プラス50代あたりになってくると、食が目立っているということなんじゃないかと思います。
楠本:リアルな場所として、食は人が集まりやすいと思っちゃったから、ビジネスの世界では、「人を集めてなんぼ」で食が注目されるというところがありますよね。
中村:藤原ヒロシさんとよくご飯食べるんですけれど、ここ3~4年とか、すごく仕事で世界中食べ歩いていて、話題の店にも詳しくなったんですけれど、ヒロシさんには昔から地方に行けばいろんなところに連れていかれるし、僕がここ2年ぐらいに初めて行った名店とかにも前から行っている。そういう人がファッションではなく食のブロガーとして話題になるということは、多分、いま食が文化の中心になっているということの事実としてあるかもしれない。
その場所に集まってくる人たちこそが、仲間であり「メディア」
神志名:楠本さんは浅草の「WIRED HOTEL」みたいな、食だけではなくて複合的な取り組みもやっている。中村さんは、列車で「東北エモーション」を取り組んだじゃないですか。電車の中で食事もできるし、そこにアートがあり音楽がありトータルな体験をつくった。
電通ライブもそういうことをやっていかないといけないと思っています。お二人とも食にすごくこだわりつつ、そこだけにとどまらず、いろんなものをつないでいく考え方、思想の行き届き方がすごいなと思います。

神志名氏
楠本:僕は最初ノリでカフェをやっていたんだけれど、集まってくる人たちのつながり方が独特でコアだなと思って、それってすごいメディアだなと思ったのです。リアルな場所の方が、よりメディア的。ファッションと違うのは、食はお店に入ってきたら100%お客さまです。入った瞬間に「(その人を)仲間にしたい」となるところが飲食店の面白さだと思います。
そうすると、飲食はコミュニティーだという概念になってきて、リアルな場所とメディア性の連動になってくる。西海岸に行くと、フードトラックがSNSで集まって、そこで食のフェスティバルをやりながら、圧倒的に集客するとか。プラグイン型に限らない、ますますイベントと飲食店の境目がなくなりますよね。車が自動運行になったら、キッチントラックも無人で、お店がいろんなところに行き交っちゃう。
でもそれは、それぞれが好き勝手に行くのかというとそうじゃなくて、何かの仕掛けがあって、今度ここでこういう熱狂的なイベントをやろうよとか、起点になるものがある気がする。多分もう一回、映画だかファッションだか、音楽だか食だか分からないみたいな総合的な楽しみ方というのを、僕なんかよりも若い世代の子たちが、業界とか業種とかをぶっ飛ばしちゃってやっちゃう、という感じになりそうな気がします、これからは。
神志名:徹底的にムーバブルな感じですね、場所も食事もコンテンツも。
楠本:僕は博多もんなので、博多屋台の未来的復活というイメージかな。
神志名:中村さんの「東北エモーション」はどういうきっかけだったんですか。あれは完全にレストランとかカフェの概念を逸脱していますよね。
中村:たまたまJRから、3両編成の列車が震災にあい、復興支援の一環でレストラン列車をやりたいのでアイデアを出してくれと言われて。レストランを中心にいろんなものをミックスするのが好きなので、アートや食、インテリア、ばーっとアイデアを出した。
十和田市現代美術館にアートのキュレーションをやってもらったり、宮城県の音楽家の人にBGMをやってもらったり、インテリアは地元の素材を使うのが得意なインテンショナリーズさんにお願いしたり、さらに地のものを巻き込むというのをどんどん足していった。だからどちらかというと、本業の食というよりも、イベントをつくるみたいな感じでしたね。

レストラン列車「東北エモーション」

「東北エモーション」の内装
シェフのコーディネートだけは継続的にやってます。そこは僕らがふだん出会っている食関連の人たちを巻き込めた。仕事の楽しさって、出会った優秀な才能をどう仕事に巻き込んで、ただの知り合いから仲間というか、一歩進む関係になるというのが大事なんです。仕事を通して、知り合いを知り合い以上にしている、というのが日々の仕事のやり方です。
楠本:確かに食の分野って、知り合い以上になりやすい。農家さんとか、すそ野が広いじゃないですか。プレーヤーが本当に多様だから。地域によって人の生活も違うし、何をどうこだわって生産しているかも違うから、会うたび共感しやすい。感動できる場所がいっぱいあるんですよね。
日常の中の非日常、違うものの共通点をみいだす
中村:僕は、僕らが何かをやることによって、今まで東京とか日本になかった、新しいカルチャーをつくりたいというのが根本的なやりがいなのです。僕の勝手な感覚なんですが、「海外っぽいな」と思うと、新しい文化に触れたような感覚になる可能性が高い。
例えば「ビルズ」で朝食を食べていると、「海外みたい」ってみんな思う。うちがやっているシェアオフィスとかも入ってくる瞬間に、「なんか、ブルックリンみたい」って言われたりする。
ギリシャ料理の「アポロ」では外国人がたくさんいて、暗くて広いところで、ご飯が出て音楽が鳴っていると、ほとんどの人がみな、「海外みたいね」って言う。それを演出するのが、今、僕が食でやりたいことです。
神志名:東京でやるということが、重要なのですか。
中村:東京は、そういうのを好きな人が多い。ファッションとか音楽では、「海外っぽいね」と思わせることが僕には全然できないけれど、食とかホテルとか「場」ならつくりやすい。
楠本:多分、海外のようだというのと、それが文化性の高い場所になりやすいということの関係性は、ある意味、日常の中にちょっとした非日常ができるということなんじゃないかな。
神志名:楠本さんはまた、中村さんとはアプローチは違いますよね。
楠本:でも、似たところはあります。中村くんみたいに、海外の雰囲気をそのままバスーンと持ってくるというのは、僕はそんな腕はないですけれど、やはり違うものを混ぜたいとずっと思っているので。
それは地域性の違いみたいなこともあるけど、年代の違いとかもありますね。50年代と今ってどういう共通性があるのかなとか、そういう視点で見ています。僕は映画から物事を見ることがすごく多いですね。ウディ・アレンの「カフェ・ソサエティ」の舞台は1930年代ですが、あの時代ってすごいじゃないですか、ハリウッドのパワーが。
それと今の日本の食とかエンターテインメントがどういうふうに混じっていくか。時代背景もテクノロジーも違うから、もちろんスタイルも違うし、全然違う発展の仕方にはなると思うけど、その違いの中にも存在する共通点は何だろうと。
それをつなぎ合わせると、「あ、これとこれって一緒だったのね」みたいなことを、勝手に自分で発見したような気持ちになったりして、それを表現するために勝手に盛り上がっています(笑)。
神志名:楠本さんはソーシャルロマンチストという言葉があるか分からないけど、そういうのをすごく感じますね。中村さんは好奇心が強くて、狙った獲物は決して逃さないトレンドのハンターという感じ。
楠本:中村くんはアンテナが立ちまくってる(笑)。
中村:僕は日本を表現しようとか、そういう発想が全然なくて、例えば七里ケ浜だったらパシフィックドライブインがありますけれど、根本的にハワイで経験したようなものがここにはぴったりだなと思えば使う。
自分のアイデンティティーの日本人というものにあまり意識がなくて、たまたま、流行っているものがそれだからという感じで、自分自身があまりないんですよ。
楠本:だからこそ、軽やかだよね。
中村:何で日本にこだわってないかというと、東京は大好きなんです。東京で生まれ育っているし、東京に住んでいる友達もたくさんいるし。僕が唯一のほほんとしていないところは、東京が世界の超イケてる都市ということから落ちることにだけはがまんならない(笑)。
だから、オリンピックを開くというのはすごくうれしいんです。東京が輝き続けることには、やりがいを感じる。僕は都市別で物事を見ているので、僕の中で東京のコンペティターはニューヨーク、ロンドン、パリ、上海だから、アジアの中で、上海とかソウルとかシンガポールに東京が負けるのがすごく嫌です。
だからニューヨークにあるものが普通に東京になきゃいけないし、さらに地域別で、五番街にあるものは銀座になきゃいけないし、ソーホーにあるものは表参道にあるべきだし、ブルックリンにあるものは、もしかしたらイーストの方か中目黒が合うかなと思っている。そこを埋めていくのが僕の仕事で、世界のトップシティーは、同じレベルの店があるべきだと思っているんです、最低限。

楠本 修二郎
カフェ・カンパニー 代表取締役社長
早稲田大学政治経済学部卒業後、リクルートコスモス入社。1993年大前研一事務所入社、平成維新の会事務局長に就任。その後、渋谷・キャットストリートの開発などを経て、2001年カフェ・カンパニーを設立、代表取締役社長に就任。店舗の企画運営、地域活性化事業などを手がける。2014年11月、カルチュア・コンビニエンス・クラブの関連会社と合弁会社スタイル・ディベロップを設立、代表取締役社長に就任。2016年11月、アダストリアとの合弁会社peoples inc.の設立に伴い、代表取締役社長に就任。2010年からクールジャパン関連の委員を歴任。東の食の会、Next Wisdom Foundation、フード&エンターテインメント協会で代表理事を務める。

中村 貞裕
トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長
1971年生まれ。慶応義塾大学卒業後、伊勢丹を経て2001年にトランジットジェネラルオフィスを設立。アパレルブランドとのカフェやレストランなど約90店舗を運営。台湾発世界一のかき氷「ICE MONSTER」、NYで行列の大人気ペイストリーショップ「DOMINIQUE ANSEL BAKERY」や、モダンギリシャレストラン「THE APOLLO」などを日本に上陸させている。博多発祥、うどん居酒屋「二○加屋長介(にわかやちょうすけ)」を東京・中目黒に出店。その他、シェアオフィスやホテル、鉄道などのプロデュースを行い常に話題のスポットを生み出している。

神志名 剛
株式会社電通ライブ エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター
1990年電通入社。以来、リアルな体験価値に注目し、様々なブランドの業種・業態に応じた店舗・ポップアップスペース・ショウルーム・イベント等を数多く手掛ける。近年はエクスペリエンス領域のクリエーティブディレクターとして、新しいテクノロジーを駆使して、”場”や”体験”領域におけるブランディングやマーケティングを次世代化させるべく、日々推進中。
細胞をデザインする、経営まで一緒につくる(後編)
- April / 04 / 2017
コンセプト、店舗、コンテンツ、PR、すべてをデザインする
石阪:天野さんとご一緒させて頂いた仕事で、スバルのディーラーがあります。スバルの車ってデザインに無駄がなくて、人間でいうとアスリートみたいなんですが、二つの全く違った世界を店舗で融合させました。
天野:男子が大好きなスペック重視ですよね。
石阪:ひとつは、スバル車のイメージそのものである、無駄な脂肪のない、極力デザイン要素を削った空間をつくりました。モーターショー同様、スバルは車そのものが主役なので、造作は舞台。いかに主役を引き立てる環境をつくるか、という視点。
車が主役の空間に加え、天野さんが得意なスタイリングされた空間です。他の多くのブランドでは「リビングルーム」をテーマに空間開発を行うことが多いんですよね。でもスバルは違う。もっとアクティブ。これから仲間と一緒に、この週末どこかへ行こうかというときに集まってくるような、自分と仲間が能動的になれる場所。リビングルームではなく、ダイニングルームだと言い切ったことで、この空間の在り方が成立しました。

SUBARU モデルディーラー店舗
クルマが主役に見える「ステージ」と「仲間の集まるダイニングルーム」をコンセプトに、二つの世界観を共存させたディーラー店舗
谷尻:僕もその傾向があるけど、一人何役もやっちゃうじゃないですか。譲滋さんのほうが僕より役数も多いと思うけど(笑)。
天野:お互いに、客に憑依するよね(笑)。女の人がメイン顧客のやつは自分も女の人目線になるし、若い人がターゲットだったら若い人になるし。
谷尻:自分たちでコンセプトを立てて、タイトルを決めて、キャッチコピーを書いて、こうやって伝えるときっとPRできるよねというところを考えて、それを形にするというところまでを全部やっちゃう。さらに譲滋さんは、それをどういうふうに陳列して、どういうふうにお客さんを呼んで、どういうふうに売るかというところまでやられますね。
石阪:お二人とも言葉を大切にされますよね、コンセプトをね。コミュニケーション会社の空間開発はコンセプトづくりが命。プロジェクトの核であるコンセプト規定がしっかりすると、小規模なポップアップストアでも、博覧会のような大規模プロジェクトでも軸がずれない。お二人もそうだから会話がかみ合うし、クリエーティブなアウトプットも深く掘れる。

電通ライブ 石阪氏
谷尻:手を動かすのがちょっと苦手(笑)。何もなくても、言葉で空間をつくれるじゃないかと思っている。
天野:言葉で最初にデザインや空間をつくる、すごくそれはクライアントも合点がいくやり方だね。「あ、そうそう」と理性的に腑に落ちる。
谷尻:空間の絵を描くと好き嫌いが生まれるので、言葉のほうが想像力をかき立てるというか。いきなり絵を出すと、答えを出しちゃう感じがして。その前に、もしかしたらこういう答え?というのを相手と一緒に探したい。そうするとお互いの答えは違っても、つくる前の段階でコンセンサスがとれていれば、チームとしての仕上がりがブレないから。
普通じゃない普通、半歩先のニュースタンダードを編集する
天野:谷尻くんは、空間をデザインしているんじゃなくて、売り方とか、過ごし方とか、会社のあり方をデザインしているのだと思う。それが決まるから、すごくハマる。デザインの良さだけじゃない。言葉で根本的な思想をデザインしているのがすごい。
言葉の定義によるストーリーがまずあって、そうすると周りのスタッフも理解できて、サービスが決まって、商品や空間が決まって、そうすると空間のにおいも決まってくるというやり方。
空間には、においがあるんです、空間は五感だから。ここが食堂だったら、実際にご飯のにおいがしてくるだろうし、そういうリアルなにおいもあれば、僕らは空間やサービスや企画のあり方で場のにおいを生む。今、主流のデジタルコミュニケーションで使うのは視覚と聴覚くらいだから、五感に対し欠落している感覚があるんじゃないかな。
石阪:何か感覚的にハッとする体験がお二人の設計にはある。われわれの規定でいう「真実の瞬間」的なことが。それをどうやってインテンショナルに企むんですか。
谷尻:僕はとにかく、「いい違和感を設計する」と言っています。人が驚く瞬間には、必ず違和感が存在しているから。知らない新しいものではなくて、みんなが知っている新しいものをつくろうとしているので、それが違和感になるんです。
「ケータイを渡します、譲滋さん」と手渡して、それが石みたいに重いと、譲滋さんはびっくりするわけですよね。受け取る瞬間のケータイの重さは既知だから。世の中の既成概念を理解した上で、それよりもどっちに振るかというのを企んでいるんです。
天野:「真実の瞬間」的にいうと、瞬間ってやっぱり本能的なものだと思う。僕らは小売りをやっていたので、例えばこのコップを500円だなと思って値段を見たら、1000円だったら「要らない」、450円だったら「買おう」となるでしょ。まず手に取ってもらわないといけないと思うと、この商品自体に魅力があったり、誰かのSNSとかできっかけをつくったり、売り場では一瞬のゼロコンマ何秒で買うか買わないか決まるし、その場所に行くか行かないか、入るか入らないかという判断も一瞬なんだから。
あまり奇抜すぎたり、一歩二歩進みすぎるとお客さんは生理的に拒否するから、僕らはいつも半歩ぐらい先を行きたい。「普通じゃない普通」ニュースタンダードを目指しています。
商売をやっていると、5~7年続かないと元を取れない。開店時の減価償却があるので、店をつくるときも、約5年続いて、そこからやっと利益が出る、そこまで考えないとダメなんです。一方で、ミニスカートがはやったら、女の子誰もがミニスカートをはきたくなるのも真実。流行の流れも見ながら、できるだけロングライフで続けられるようなリアルショップを提案していきたい。
商品なども、この場所に置くとだめで、何かと隣り合わせにしたら魅力的に感じたり、置き方や置く場所で売れ方がまったく違ってくる。そこは編集力の勝負だと思うんです。

ジョージクリエイティブカンパニー 天野氏
谷尻:関係性のエディトリアルですよね。
天野:前にやっていた「CIBONE」は、セレクトショップと呼ばないでエディトリアルストアと言っていた。敏感に編集し続けていくのが大事です。
石阪:体験の順番は、普通だったら「起・承・転・結」にするのを、「起・結・転・承」としてあげるだけでも、物語の価値が変わるかもしれないですしね。
時代は本音主義、自分たちも楽しんでつくらないと嘘がバレる
天野:今、谷尻君とかかわっているプロジェクトで、来年渋谷にできるホテルを谷尻君がデザインしていて、僕がホテルのアメニティーやスーベニアやっているんですけれど、「いや、その金額じゃ泊まりませんよ」とか、ホテルのサービスの領域の話までするよね。まさに役割を超えたボーダーレスな感じで話しているよね。
谷尻:打ち合せのときには、自分たちがすごくうるさい、クレーマーぎりぎりのお客さんになりきっているんですよね、僕らは(笑)。
天野:そうだね(笑)。
谷尻:ちゃんと目の利くお客さんで、うるさい人が満足するものってこういうことですよというふうに、クレーマー役を通して検討して、提案したりデザインしたり。
石阪:最後に、お二人の新しい動向をお伺いしたいと思います。天野さんは、放送作家の小山薫堂さんのオレンジ・アンド・パートナーズと資本業務提携されましたね。
天野:はい、以前から一緒にお仕事もさせていただいていましたし、お互いのシナジーがあって「一緒にやろう」ということになりました。薫堂さんの発想と企画はすごく楽しいし、一緒にワクワクするようなアウトプットが目白押しです。
谷尻:僕は、新しい会社を一個つくっちゃっいました!「絶景不動産」っていうんです。

サポーズデザインオフィス 谷尻氏
天野:建築家が不動産会社もつくるというのが、谷尻君らしくて面白すぎるね(笑)。
谷尻:絶景ばかり扱う不動産会社です(笑)。
石阪:そこで頼んだら、谷尻さんの設計込みになるの?
谷尻:どちらでも! 使えないゴミみたいな土地に、「いや、建てられるよ!」という僕ら設計者がバックにつくわけです(笑)。最終的に僕らが建てるかどうかは別として、その敷地に建てられる判断までの責任を持つ不動産会社だから、「何ならインフラまでつくってあげますよ」と言ってあげられる強みがあると思っています。
天野:崖の傾斜地なんかは、普通の建築家は断るからね。
谷尻:でも崖なら逆に、安くていい土地が手に入るわけじゃないですか(笑)。
天野:しかも絶景で!
石阪:シンボリックですね。面白いなあ!
谷尻:単純に、すてきな場所に建物を建てたい。すごくシンプルな欲求として、敷地がいいと建物はよくなるから。例えば落水荘みたいに、滝のところに建てたいじゃないですか!実際にアメリカのクライアントから「日本に別荘を建てるから土地を探して」と言われて張り切って、現代の落水荘になるような滝物件を探したんですよ。ひとつ見つけて、施主さんを日本に来たときに連れて行ったら、「too noisy」って言われた(笑)。そこが風流なのに!(笑)
天野:わくわくしますよね、これを聞くだけでも。楽しく仕事もしたいと思うし、自分たちが楽しくなければいいものができないよね。
谷尻:真剣にふざけるというか。
天野:「真実」というか、自分としての本音も大切。世の中が、より瞬間で感じる本音主義になってきていると実感しています。
僕たちのスキルは、地方創生など、あらゆる場所やコトに生かせる
石阪:電通ライブとしては、全国の地方創生のプロジェクトもしっかりやっていきたいと思っているんです。その手がかりのひとつとして谷尻さんが手がけられた尾道のONOMICHI U2を、天野さんと一緒に訪ねましたね。

ONOMICHI U2 ©Toshiyuki Yano
尾道という広島からちょっと離れたローカルの町で、競争資源としては目立ったものがないように一見見えていた。そこが谷尻さんがつくられたONOMICHI U2という施設をきっかけに、もともと眠っていたようなサイクリングのメッカとしての価値も高まった。
天野:ONOMICHI U2は運営チームも、地元愛がすごいね。ああいう熱量がないと、建物だけではダメ。運営チームがあって、初めてONOMICHI U2は成立しているよね。
石阪:地方創生の仕事は、電通では新聞局が扱わせていただいている地方紙の圧倒的に強いネットワークがあるからこそ。地方紙やその人脈と組みながら、ONOMICHI U2のような地方創生の起点となる場所のリノベーションをやっていきたいとも思っているんです。
僕らとは違う視点で企画に触発をくれる天野さんや谷尻さんとの仕事は、本当に勉強になるし楽しい。新会社の電通ライブでは、ますますコネクトして一緒に真実の瞬間をつくっていきたいのでよろしくお願いします!

天野 譲滋
デザインビジネス プロデューサー 株式会社ジョージ・クリエイティブ・カンパニー代表取締役社長
1965年、京都生まれ。話題性と売れる物販や飲食のショッププロデュース。 メーカーとデザイナーをディレクションした売れる商品開発。 リアルな企業戦略プロモーションやマーケティングを多数手がける。 デザインビジネスプロデューサーとして「デザイン」をビジネスとして成立させるプロフェッショナル。 多数の若手デザイナーとプロジェクトを行い、信頼と親密なネットワークを持つ。 業界トップランナーのインテリアショップ・CIBONEと国立新美術館のスーベニアフロムトーキョーや全国多店舗展開のGEORGE’Sを創業。 2010年、経済産業省日本人デザイナー海外派遣支援事業審査委員を務める。 2012年、NPO アジア イノベーターズ イニシアティブ(理事長 出井伸之)のパネリストとして登壇。 2012年、東北芸術工科大学 企画構想学科特別講師を務める。 2015年、参加プロジェクトがGOOD DESIGN賞受賞

谷尻 誠
建築家 SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. 代表取締役
1974年、広島生まれ。2000年、建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。2014年から吉田愛と共宰。住宅、商業空間、会場構成、ランドスケープ、プロダクト、アート分野でのインスタレーションなど、仕事の範囲は多岐にわたる。広島・東京の2カ所を拠点とし、共同代表の吉田と共にインテリアから住宅、複合施設など国内外合わせ多数のプロジェクトを手がける傍ら、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、武蔵野美術大学非常勤講師、大阪芸術大学准教授なども勤める。近作に「ONOMICHI U2」「常滑の家」「BOOK AND BED TOKYO」など。著書に「談談妄想」(ハースト婦人画報社)、「1000%の建築」(エクスナレッジ)がある。

石阪 太郎
株式会社電通ライブ 執行役員
入社以来、一貫してイベント、展示会、ショールーム、店舗開発、博覧会を手掛ける。 コミュニケーションデザイン視点の空間開発、エクスペリエンス領域のクリエイティブディレクター的スタンスで多くの作品を残す。 近年はテクノロジーの導入を通じて、本領域の次世代化を推進中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。

楠本 修二郎
カフェ・カンパニー 代表取締役社長
早稲田大学政治経済学部卒業後、リクルートコスモス入社。1993年大前研一事務所入社、平成維新の会事務局長に就任。その後、渋谷・キャットストリートの開発などを経て、2001年カフェ・カンパニーを設立、代表取締役社長に就任。店舗の企画運営、地域活性化事業などを手がける。2014年11月、カルチュア・コンビニエンス・クラブの関連会社と合弁会社スタイル・ディベロップを設立、代表取締役社長に就任。2016年11月、アダストリアとの合弁会社peoples inc.の設立に伴い、代表取締役社長に就任。2010年からクールジャパン関連の委員を歴任。東の食の会、Next Wisdom Foundation、フード&エンターテインメント協会で代表理事を務める。

中村 貞裕
トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長
1971年生まれ。慶応義塾大学卒業後、伊勢丹を経て2001年にトランジットジェネラルオフィスを設立。アパレルブランドとのカフェやレストランなど約90店舗を運営。台湾発世界一のかき氷「ICE MONSTER」、NYで行列の大人気ペイストリーショップ「DOMINIQUE ANSEL BAKERY」や、モダンギリシャレストラン「THE APOLLO」などを日本に上陸させている。博多発祥、うどん居酒屋「二○加屋長介(にわかやちょうすけ)」を東京・中目黒に出店。その他、シェアオフィスやホテル、鉄道などのプロデュースを行い常に話題のスポットを生み出している。

神志名 剛
株式会社電通ライブ エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター
1990年電通入社。以来、リアルな体験価値に注目し、様々なブランドの業種・業態に応じた店舗・ポップアップスペース・ショウルーム・イベント等を数多く手掛ける。近年はエクスペリエンス領域のクリエーティブディレクターとして、新しいテクノロジーを駆使して、”場”や”体験”領域におけるブランディングやマーケティングを次世代化させるべく、日々推進中。
「食」が世界の文化をリードする!(前編)
- July / 19 / 2017
今の時代は、「食」が他の文化をけん引している?
神志名:私は、その時代の文化を引っ張る存在や領域、ジャンルがあると思っています。映画がそういう役割を果たしていた時代もあるし、ある時代はファッション、音楽など、時代時代で中心のジャンルがあった。そして今、時代をけん引しているのは「食」ではないかと思うんです。
例えば誰かと会ってその人を知りたいときに、「どんな音楽を聴いています?」とか「どんな映画見ています?」というよりは、「今、何食べています?」「誰と、どんなふうに食べています?」という方が、その人のことが分かる気がするし、重要な情報なのかなと。そんな文化の中心となっている「食」には、今いろんな才能、情報、テクノロジー、お金や資本が集まってきていますね。
楠本:お金は集まっています。あと、女の子も集まっています(笑)。僕らはずっと食をやっているから「これからは食だぜ!」みたいな意識はあまりない。でも、食を通じて、音楽、ファッション、映画、まさにそういうライフスタイル全般の人たちとのつながりがすごく深くなってきて、それは年々増してきている印象はあります。
周りを見るに、「かつてファッションをやってました」という人が、うちの会社に「(これからは)食をやりたいです!」と言ってきたりする。いろんな業種の人材が食に参入したりトライアルしたり、あるいはコラボレーションしたいといった話が最近はとても多いです。
食は実際にその場所に行って体験しないと共感ポイントが見えないので、SNSが発達するまでは、誰と何を食べているかということをいちいち人にも言わないし、恥ずかしくて言えないしという存在だったわけです。服は持って帰れるとか、映画や音楽はデータで行き交うことができるので、その分だけ新しい情報、トレンド、人をわくわくさせて感動させるものが情報伝達として飛びやすかった。でも、食の体験は、飛ばないんです。それが近年、SNSによってある程度飛ぶようになった。だから、いま食のブームがきたというよりも、一番飛ばなかったものだから、最後についに来たという感覚ですね。
実際に旅をしたり、その経験で共感を得ないとつまらない、みたいな時代になっているじゃないですか。食べることというのは、誰かと分かち合わないことには楽しくない。だからSNSと相まって一番「飛ばしたいコンテンツ」になったのだと思います。

(左から)中村氏、楠本氏
中村:僕は伊勢丹を辞めるときに、たまたま原宿の「ロータス」というカフェに行ったとき、こういうカフェがあったらいいなと思って、仲間からもやってほしいと背中を押されてやったらうまくいった。それで試行錯誤してやっているうちに、もう少し大きなカフェもできるようになるし、それによってまたスタッフも集まってきた。そうして「ビルズ」を運営し、日本初上陸もののノウハウもたまった。できるからさらにやりたいようになったし、できるからさらにやらなきゃいけない。今では、社員のできる能力を生かすために仕事をしているような感じです。
僕は百貨店出身ですが、百貨店は洋服が売れにくくなっているし、他のいろんなものも洋服同様に売れにくくなっているから食だ、みたいになっちゃっているけれど、どっちの方が利益が出るかといったら、洋服が売れた方が利益が出るんです。だから、本来は洋服を売らなきゃいけないんですけれど、飲食をやれば人が来るし、という感じでどこも飲食中心になっている。
ファッションが売れにくくなったといっても、百貨店とか路面店が売れなくなっただけで、ネットでは売れているわけです。20代のSNSとかを見ると、食べ歩きの写真なんてあまり上げていなくて、フォロワー数が爆発的なのは、多分ファッションだと思います。海外セレブはファッションスナップが多くて、食事を上げている人なんて、海外のインスタグラマーではそんなにいないと思う。
一方で、日本のビジネスを動かしている人たち、20代より上の、30~40代、プラス50代あたりになってくると、食が目立っているということなんじゃないかと思います。
楠本:リアルな場所として、食は人が集まりやすいと思っちゃったから、ビジネスの世界では、「人を集めてなんぼ」で食が注目されるというところがありますよね。
中村:藤原ヒロシさんとよくご飯食べるんですけれど、ここ3~4年とか、すごく仕事で世界中食べ歩いていて、話題の店にも詳しくなったんですけれど、ヒロシさんには昔から地方に行けばいろんなところに連れていかれるし、僕がここ2年ぐらいに初めて行った名店とかにも前から行っている。そういう人がファッションではなく食のブロガーとして話題になるということは、多分、いま食が文化の中心になっているということの事実としてあるかもしれない。
その場所に集まってくる人たちこそが、仲間であり「メディア」
神志名:楠本さんは浅草の「WIRED HOTEL」みたいな、食だけではなくて複合的な取り組みもやっている。中村さんは、列車で「東北エモーション」を取り組んだじゃないですか。電車の中で食事もできるし、そこにアートがあり音楽がありトータルな体験をつくった。
電通ライブもそういうことをやっていかないといけないと思っています。お二人とも食にすごくこだわりつつ、そこだけにとどまらず、いろんなものをつないでいく考え方、思想の行き届き方がすごいなと思います。

神志名氏
楠本:僕は最初ノリでカフェをやっていたんだけれど、集まってくる人たちのつながり方が独特でコアだなと思って、それってすごいメディアだなと思ったのです。リアルな場所の方が、よりメディア的。ファッションと違うのは、食はお店に入ってきたら100%お客さまです。入った瞬間に「(その人を)仲間にしたい」となるところが飲食店の面白さだと思います。
そうすると、飲食はコミュニティーだという概念になってきて、リアルな場所とメディア性の連動になってくる。西海岸に行くと、フードトラックがSNSで集まって、そこで食のフェスティバルをやりながら、圧倒的に集客するとか。プラグイン型に限らない、ますますイベントと飲食店の境目がなくなりますよね。車が自動運行になったら、キッチントラックも無人で、お店がいろんなところに行き交っちゃう。
でもそれは、それぞれが好き勝手に行くのかというとそうじゃなくて、何かの仕掛けがあって、今度ここでこういう熱狂的なイベントをやろうよとか、起点になるものがある気がする。多分もう一回、映画だかファッションだか、音楽だか食だか分からないみたいな総合的な楽しみ方というのを、僕なんかよりも若い世代の子たちが、業界とか業種とかをぶっ飛ばしちゃってやっちゃう、という感じになりそうな気がします、これからは。
神志名:徹底的にムーバブルな感じですね、場所も食事もコンテンツも。
楠本:僕は博多もんなので、博多屋台の未来的復活というイメージかな。
神志名:中村さんの「東北エモーション」はどういうきっかけだったんですか。あれは完全にレストランとかカフェの概念を逸脱していますよね。
中村:たまたまJRから、3両編成の列車が震災にあい、復興支援の一環でレストラン列車をやりたいのでアイデアを出してくれと言われて。レストランを中心にいろんなものをミックスするのが好きなので、アートや食、インテリア、ばーっとアイデアを出した。
十和田市現代美術館にアートのキュレーションをやってもらったり、宮城県の音楽家の人にBGMをやってもらったり、インテリアは地元の素材を使うのが得意なインテンショナリーズさんにお願いしたり、さらに地のものを巻き込むというのをどんどん足していった。だからどちらかというと、本業の食というよりも、イベントをつくるみたいな感じでしたね。

レストラン列車「東北エモーション」

「東北エモーション」の内装
シェフのコーディネートだけは継続的にやってます。そこは僕らがふだん出会っている食関連の人たちを巻き込めた。仕事の楽しさって、出会った優秀な才能をどう仕事に巻き込んで、ただの知り合いから仲間というか、一歩進む関係になるというのが大事なんです。仕事を通して、知り合いを知り合い以上にしている、というのが日々の仕事のやり方です。
楠本:確かに食の分野って、知り合い以上になりやすい。農家さんとか、すそ野が広いじゃないですか。プレーヤーが本当に多様だから。地域によって人の生活も違うし、何をどうこだわって生産しているかも違うから、会うたび共感しやすい。感動できる場所がいっぱいあるんですよね。
日常の中の非日常、違うものの共通点をみいだす
中村:僕は、僕らが何かをやることによって、今まで東京とか日本になかった、新しいカルチャーをつくりたいというのが根本的なやりがいなのです。僕の勝手な感覚なんですが、「海外っぽいな」と思うと、新しい文化に触れたような感覚になる可能性が高い。
例えば「ビルズ」で朝食を食べていると、「海外みたい」ってみんな思う。うちがやっているシェアオフィスとかも入ってくる瞬間に、「なんか、ブルックリンみたい」って言われたりする。
ギリシャ料理の「アポロ」では外国人がたくさんいて、暗くて広いところで、ご飯が出て音楽が鳴っていると、ほとんどの人がみな、「海外みたいね」って言う。それを演出するのが、今、僕が食でやりたいことです。
神志名:東京でやるということが、重要なのですか。
中村:東京は、そういうのを好きな人が多い。ファッションとか音楽では、「海外っぽいね」と思わせることが僕には全然できないけれど、食とかホテルとか「場」ならつくりやすい。
楠本:多分、海外のようだというのと、それが文化性の高い場所になりやすいということの関係性は、ある意味、日常の中にちょっとした非日常ができるということなんじゃないかな。
神志名:楠本さんはまた、中村さんとはアプローチは違いますよね。
楠本:でも、似たところはあります。中村くんみたいに、海外の雰囲気をそのままバスーンと持ってくるというのは、僕はそんな腕はないですけれど、やはり違うものを混ぜたいとずっと思っているので。
それは地域性の違いみたいなこともあるけど、年代の違いとかもありますね。50年代と今ってどういう共通性があるのかなとか、そういう視点で見ています。僕は映画から物事を見ることがすごく多いですね。ウディ・アレンの「カフェ・ソサエティ」の舞台は1930年代ですが、あの時代ってすごいじゃないですか、ハリウッドのパワーが。
それと今の日本の食とかエンターテインメントがどういうふうに混じっていくか。時代背景もテクノロジーも違うから、もちろんスタイルも違うし、全然違う発展の仕方にはなると思うけど、その違いの中にも存在する共通点は何だろうと。
それをつなぎ合わせると、「あ、これとこれって一緒だったのね」みたいなことを、勝手に自分で発見したような気持ちになったりして、それを表現するために勝手に盛り上がっています(笑)。
神志名:楠本さんはソーシャルロマンチストという言葉があるか分からないけど、そういうのをすごく感じますね。中村さんは好奇心が強くて、狙った獲物は決して逃さないトレンドのハンターという感じ。
楠本:中村くんはアンテナが立ちまくってる(笑)。
中村:僕は日本を表現しようとか、そういう発想が全然なくて、例えば七里ケ浜だったらパシフィックドライブインがありますけれど、根本的にハワイで経験したようなものがここにはぴったりだなと思えば使う。
自分のアイデンティティーの日本人というものにあまり意識がなくて、たまたま、流行っているものがそれだからという感じで、自分自身があまりないんですよ。
楠本:だからこそ、軽やかだよね。
中村:何で日本にこだわってないかというと、東京は大好きなんです。東京で生まれ育っているし、東京に住んでいる友達もたくさんいるし。僕が唯一のほほんとしていないところは、東京が世界の超イケてる都市ということから落ちることにだけはがまんならない(笑)。
だから、オリンピックを開くというのはすごくうれしいんです。東京が輝き続けることには、やりがいを感じる。僕は都市別で物事を見ているので、僕の中で東京のコンペティターはニューヨーク、ロンドン、パリ、上海だから、アジアの中で、上海とかソウルとかシンガポールに東京が負けるのがすごく嫌です。
だからニューヨークにあるものが普通に東京になきゃいけないし、さらに地域別で、五番街にあるものは銀座になきゃいけないし、ソーホーにあるものは表参道にあるべきだし、ブルックリンにあるものは、もしかしたらイーストの方か中目黒が合うかなと思っている。そこを埋めていくのが僕の仕事で、世界のトップシティーは、同じレベルの店があるべきだと思っているんです、最低限。

楠本 修二郎
カフェ・カンパニー 代表取締役社長
早稲田大学政治経済学部卒業後、リクルートコスモス入社。1993年大前研一事務所入社、平成維新の会事務局長に就任。その後、渋谷・キャットストリートの開発などを経て、2001年カフェ・カンパニーを設立、代表取締役社長に就任。店舗の企画運営、地域活性化事業などを手がける。2014年11月、カルチュア・コンビニエンス・クラブの関連会社と合弁会社スタイル・ディベロップを設立、代表取締役社長に就任。2016年11月、アダストリアとの合弁会社peoples inc.の設立に伴い、代表取締役社長に就任。2010年からクールジャパン関連の委員を歴任。東の食の会、Next Wisdom Foundation、フード&エンターテインメント協会で代表理事を務める。

中村 貞裕
トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長
1971年生まれ。慶応義塾大学卒業後、伊勢丹を経て2001年にトランジットジェネラルオフィスを設立。アパレルブランドとのカフェやレストランなど約90店舗を運営。台湾発世界一のかき氷「ICE MONSTER」、NYで行列の大人気ペイストリーショップ「DOMINIQUE ANSEL BAKERY」や、モダンギリシャレストラン「THE APOLLO」などを日本に上陸させている。博多発祥、うどん居酒屋「二○加屋長介(にわかやちょうすけ)」を東京・中目黒に出店。その他、シェアオフィスやホテル、鉄道などのプロデュースを行い常に話題のスポットを生み出している。

神志名 剛
株式会社電通ライブ エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター
1990年電通入社。以来、リアルな体験価値に注目し、様々なブランドの業種・業態に応じた店舗・ポップアップスペース・ショウルーム・イベント等を数多く手掛ける。近年はエクスペリエンス領域のクリエーティブディレクターとして、新しいテクノロジーを駆使して、”場”や”体験”領域におけるブランディングやマーケティングを次世代化させるべく、日々推進中。
細胞をデザインする、経営まで一緒につくる(後編)
- April / 04 / 2017
コンセプト、店舗、コンテンツ、PR、すべてをデザインする
石阪:天野さんとご一緒させて頂いた仕事で、スバルのディーラーがあります。スバルの車ってデザインに無駄がなくて、人間でいうとアスリートみたいなんですが、二つの全く違った世界を店舗で融合させました。
天野:男子が大好きなスペック重視ですよね。
石阪:ひとつは、スバル車のイメージそのものである、無駄な脂肪のない、極力デザイン要素を削った空間をつくりました。モーターショー同様、スバルは車そのものが主役なので、造作は舞台。いかに主役を引き立てる環境をつくるか、という視点。
車が主役の空間に加え、天野さんが得意なスタイリングされた空間です。他の多くのブランドでは「リビングルーム」をテーマに空間開発を行うことが多いんですよね。でもスバルは違う。もっとアクティブ。これから仲間と一緒に、この週末どこかへ行こうかというときに集まってくるような、自分と仲間が能動的になれる場所。リビングルームではなく、ダイニングルームだと言い切ったことで、この空間の在り方が成立しました。

SUBARU モデルディーラー店舗
クルマが主役に見える「ステージ」と「仲間の集まるダイニングルーム」をコンセプトに、二つの世界観を共存させたディーラー店舗
谷尻:僕もその傾向があるけど、一人何役もやっちゃうじゃないですか。譲滋さんのほうが僕より役数も多いと思うけど(笑)。
天野:お互いに、客に憑依するよね(笑)。女の人がメイン顧客のやつは自分も女の人目線になるし、若い人がターゲットだったら若い人になるし。
谷尻:自分たちでコンセプトを立てて、タイトルを決めて、キャッチコピーを書いて、こうやって伝えるときっとPRできるよねというところを考えて、それを形にするというところまでを全部やっちゃう。さらに譲滋さんは、それをどういうふうに陳列して、どういうふうにお客さんを呼んで、どういうふうに売るかというところまでやられますね。
石阪:お二人とも言葉を大切にされますよね、コンセプトをね。コミュニケーション会社の空間開発はコンセプトづくりが命。プロジェクトの核であるコンセプト規定がしっかりすると、小規模なポップアップストアでも、博覧会のような大規模プロジェクトでも軸がずれない。お二人もそうだから会話がかみ合うし、クリエーティブなアウトプットも深く掘れる。

電通ライブ 石阪氏
谷尻:手を動かすのがちょっと苦手(笑)。何もなくても、言葉で空間をつくれるじゃないかと思っている。
天野:言葉で最初にデザインや空間をつくる、すごくそれはクライアントも合点がいくやり方だね。「あ、そうそう」と理性的に腑に落ちる。
谷尻:空間の絵を描くと好き嫌いが生まれるので、言葉のほうが想像力をかき立てるというか。いきなり絵を出すと、答えを出しちゃう感じがして。その前に、もしかしたらこういう答え?というのを相手と一緒に探したい。そうするとお互いの答えは違っても、つくる前の段階でコンセンサスがとれていれば、チームとしての仕上がりがブレないから。
普通じゃない普通、半歩先のニュースタンダードを編集する
天野:谷尻くんは、空間をデザインしているんじゃなくて、売り方とか、過ごし方とか、会社のあり方をデザインしているのだと思う。それが決まるから、すごくハマる。デザインの良さだけじゃない。言葉で根本的な思想をデザインしているのがすごい。
言葉の定義によるストーリーがまずあって、そうすると周りのスタッフも理解できて、サービスが決まって、商品や空間が決まって、そうすると空間のにおいも決まってくるというやり方。
空間には、においがあるんです、空間は五感だから。ここが食堂だったら、実際にご飯のにおいがしてくるだろうし、そういうリアルなにおいもあれば、僕らは空間やサービスや企画のあり方で場のにおいを生む。今、主流のデジタルコミュニケーションで使うのは視覚と聴覚くらいだから、五感に対し欠落している感覚があるんじゃないかな。
石阪:何か感覚的にハッとする体験がお二人の設計にはある。われわれの規定でいう「真実の瞬間」的なことが。それをどうやってインテンショナルに企むんですか。
谷尻:僕はとにかく、「いい違和感を設計する」と言っています。人が驚く瞬間には、必ず違和感が存在しているから。知らない新しいものではなくて、みんなが知っている新しいものをつくろうとしているので、それが違和感になるんです。
「ケータイを渡します、譲滋さん」と手渡して、それが石みたいに重いと、譲滋さんはびっくりするわけですよね。受け取る瞬間のケータイの重さは既知だから。世の中の既成概念を理解した上で、それよりもどっちに振るかというのを企んでいるんです。
天野:「真実の瞬間」的にいうと、瞬間ってやっぱり本能的なものだと思う。僕らは小売りをやっていたので、例えばこのコップを500円だなと思って値段を見たら、1000円だったら「要らない」、450円だったら「買おう」となるでしょ。まず手に取ってもらわないといけないと思うと、この商品自体に魅力があったり、誰かのSNSとかできっかけをつくったり、売り場では一瞬のゼロコンマ何秒で買うか買わないか決まるし、その場所に行くか行かないか、入るか入らないかという判断も一瞬なんだから。
あまり奇抜すぎたり、一歩二歩進みすぎるとお客さんは生理的に拒否するから、僕らはいつも半歩ぐらい先を行きたい。「普通じゃない普通」ニュースタンダードを目指しています。
商売をやっていると、5~7年続かないと元を取れない。開店時の減価償却があるので、店をつくるときも、約5年続いて、そこからやっと利益が出る、そこまで考えないとダメなんです。一方で、ミニスカートがはやったら、女の子誰もがミニスカートをはきたくなるのも真実。流行の流れも見ながら、できるだけロングライフで続けられるようなリアルショップを提案していきたい。
商品なども、この場所に置くとだめで、何かと隣り合わせにしたら魅力的に感じたり、置き方や置く場所で売れ方がまったく違ってくる。そこは編集力の勝負だと思うんです。

ジョージクリエイティブカンパニー 天野氏
谷尻:関係性のエディトリアルですよね。
天野:前にやっていた「CIBONE」は、セレクトショップと呼ばないでエディトリアルストアと言っていた。敏感に編集し続けていくのが大事です。
石阪:体験の順番は、普通だったら「起・承・転・結」にするのを、「起・結・転・承」としてあげるだけでも、物語の価値が変わるかもしれないですしね。
時代は本音主義、自分たちも楽しんでつくらないと嘘がバレる
天野:今、谷尻君とかかわっているプロジェクトで、来年渋谷にできるホテルを谷尻君がデザインしていて、僕がホテルのアメニティーやスーベニアやっているんですけれど、「いや、その金額じゃ泊まりませんよ」とか、ホテルのサービスの領域の話までするよね。まさに役割を超えたボーダーレスな感じで話しているよね。
谷尻:打ち合せのときには、自分たちがすごくうるさい、クレーマーぎりぎりのお客さんになりきっているんですよね、僕らは(笑)。
天野:そうだね(笑)。
谷尻:ちゃんと目の利くお客さんで、うるさい人が満足するものってこういうことですよというふうに、クレーマー役を通して検討して、提案したりデザインしたり。
石阪:最後に、お二人の新しい動向をお伺いしたいと思います。天野さんは、放送作家の小山薫堂さんのオレンジ・アンド・パートナーズと資本業務提携されましたね。
天野:はい、以前から一緒にお仕事もさせていただいていましたし、お互いのシナジーがあって「一緒にやろう」ということになりました。薫堂さんの発想と企画はすごく楽しいし、一緒にワクワクするようなアウトプットが目白押しです。
谷尻:僕は、新しい会社を一個つくっちゃっいました!「絶景不動産」っていうんです。

サポーズデザインオフィス 谷尻氏
天野:建築家が不動産会社もつくるというのが、谷尻君らしくて面白すぎるね(笑)。
谷尻:絶景ばかり扱う不動産会社です(笑)。
石阪:そこで頼んだら、谷尻さんの設計込みになるの?
谷尻:どちらでも! 使えないゴミみたいな土地に、「いや、建てられるよ!」という僕ら設計者がバックにつくわけです(笑)。最終的に僕らが建てるかどうかは別として、その敷地に建てられる判断までの責任を持つ不動産会社だから、「何ならインフラまでつくってあげますよ」と言ってあげられる強みがあると思っています。
天野:崖の傾斜地なんかは、普通の建築家は断るからね。
谷尻:でも崖なら逆に、安くていい土地が手に入るわけじゃないですか(笑)。
天野:しかも絶景で!
石阪:シンボリックですね。面白いなあ!
谷尻:単純に、すてきな場所に建物を建てたい。すごくシンプルな欲求として、敷地がいいと建物はよくなるから。例えば落水荘みたいに、滝のところに建てたいじゃないですか!実際にアメリカのクライアントから「日本に別荘を建てるから土地を探して」と言われて張り切って、現代の落水荘になるような滝物件を探したんですよ。ひとつ見つけて、施主さんを日本に来たときに連れて行ったら、「too noisy」って言われた(笑)。そこが風流なのに!(笑)
天野:わくわくしますよね、これを聞くだけでも。楽しく仕事もしたいと思うし、自分たちが楽しくなければいいものができないよね。
谷尻:真剣にふざけるというか。
天野:「真実」というか、自分としての本音も大切。世の中が、より瞬間で感じる本音主義になってきていると実感しています。
僕たちのスキルは、地方創生など、あらゆる場所やコトに生かせる
石阪:電通ライブとしては、全国の地方創生のプロジェクトもしっかりやっていきたいと思っているんです。その手がかりのひとつとして谷尻さんが手がけられた尾道のONOMICHI U2を、天野さんと一緒に訪ねましたね。

ONOMICHI U2 ©Toshiyuki Yano
尾道という広島からちょっと離れたローカルの町で、競争資源としては目立ったものがないように一見見えていた。そこが谷尻さんがつくられたONOMICHI U2という施設をきっかけに、もともと眠っていたようなサイクリングのメッカとしての価値も高まった。
天野:ONOMICHI U2は運営チームも、地元愛がすごいね。ああいう熱量がないと、建物だけではダメ。運営チームがあって、初めてONOMICHI U2は成立しているよね。
石阪:地方創生の仕事は、電通では新聞局が扱わせていただいている地方紙の圧倒的に強いネットワークがあるからこそ。地方紙やその人脈と組みながら、ONOMICHI U2のような地方創生の起点となる場所のリノベーションをやっていきたいとも思っているんです。
僕らとは違う視点で企画に触発をくれる天野さんや谷尻さんとの仕事は、本当に勉強になるし楽しい。新会社の電通ライブでは、ますますコネクトして一緒に真実の瞬間をつくっていきたいのでよろしくお願いします!

天野 譲滋
デザインビジネス プロデューサー 株式会社ジョージ・クリエイティブ・カンパニー代表取締役社長
1965年、京都生まれ。話題性と売れる物販や飲食のショッププロデュース。 メーカーとデザイナーをディレクションした売れる商品開発。 リアルな企業戦略プロモーションやマーケティングを多数手がける。 デザインビジネスプロデューサーとして「デザイン」をビジネスとして成立させるプロフェッショナル。 多数の若手デザイナーとプロジェクトを行い、信頼と親密なネットワークを持つ。 業界トップランナーのインテリアショップ・CIBONEと国立新美術館のスーベニアフロムトーキョーや全国多店舗展開のGEORGE’Sを創業。 2010年、経済産業省日本人デザイナー海外派遣支援事業審査委員を務める。 2012年、NPO アジア イノベーターズ イニシアティブ(理事長 出井伸之)のパネリストとして登壇。 2012年、東北芸術工科大学 企画構想学科特別講師を務める。 2015年、参加プロジェクトがGOOD DESIGN賞受賞

谷尻 誠
建築家 SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. 代表取締役
1974年、広島生まれ。2000年、建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。2014年から吉田愛と共宰。住宅、商業空間、会場構成、ランドスケープ、プロダクト、アート分野でのインスタレーションなど、仕事の範囲は多岐にわたる。広島・東京の2カ所を拠点とし、共同代表の吉田と共にインテリアから住宅、複合施設など国内外合わせ多数のプロジェクトを手がける傍ら、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、武蔵野美術大学非常勤講師、大阪芸術大学准教授なども勤める。近作に「ONOMICHI U2」「常滑の家」「BOOK AND BED TOKYO」など。著書に「談談妄想」(ハースト婦人画報社)、「1000%の建築」(エクスナレッジ)がある。

石阪 太郎
株式会社電通ライブ 執行役員
入社以来、一貫してイベント、展示会、ショールーム、店舗開発、博覧会を手掛ける。 コミュニケーションデザイン視点の空間開発、エクスペリエンス領域のクリエイティブディレクター的スタンスで多くの作品を残す。 近年はテクノロジーの導入を通じて、本領域の次世代化を推進中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
#Column
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