2017/07/31
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(前編)
- July / 31 / 2017
コンピューテーショナル・デザインって?
西牟田:豊田さんの、建築からデジタルデザインまで領域を広げていく手法が、僕らの考え方とシンクロする部分があって、今日はいろいろ深掘りできればということで、お時間を頂きました。
豊田:ありがとうございます。個人でもよくインタビューは受けているんですが、僕はできるだけ「noiz」という名前で発信するようにしています。「コレクティブである」ということが大事だと思っているので。目黒のこのオフィスも、固定したメンバーもいるのですが、プラットフォーム的な場として維持することを意識していて、ここに新しい知識や知見、感性が集まるようにしたい。
noizは東京と台湾をベースにしている建築事務所で、海外の仕事が多いです。特徴としては、言葉の定義がなくていつも困るのですが、コンピューテーショナル・デザイン、簡単に言うとデジタルデザインの新しい可能性を、実験的にかつ実践的にやっています。
一応軸足は建築だけど、情報科学みたいなものを前提としたときに、建築がどう変わっていくのか。アウトプットはインスタレーションや展示、プログラミングだけやることもあるし、コンサルティングという立場で関わることもある。そんな立ち位置だと、僕らの常識そのものが変わっていくので、それが面白くて日々実験をやっています。
デジタル技術は、生態系を変えるメディア(間を埋めるもの)
西牟田:前に、「建築の未来は、建築の領域の外にある」という話をされていましたね。ピクサーのような会社が建築の領域に入ってくると、建築界が変わっていくとも話されていた。建築の領域を広げていって、どんな未来を描いているのでしょうか。
豊田:技術がどんどん変わっているので、僕自身の考えも毎年変わっているというのが事実です。デジタル技術のことをみんな「ツール」と言うんですけれど、僕はちょっと違和感があって、英語で言うと「メディア」、媒体というか間を埋めてくれる充填物みたいにデジタル技術を捉えています。
これまで空気の中に埋まっていた生きものはこういう進化をしていたけど、突然エタノールの中につけてみましたと。そうすると、生態系自体が変わるわけじゃないですか。栄養のとり方、動き方、筋肉のつき方、骨格全て。そうなったときに生物はどう進化するか。それと同じくらい、周りの媒体(デジタル環境)が変わってきて、僕らのつかり方も生態的に変わっていくんだと思うのです。
デジタル環境が一気に実効性の分水嶺を超えたときに、人間がどう進化するのかという予想をしたいのと、そのためには促成栽培で進化の最先端を自分たちで体験してみたい。建築ってどうしても重厚長大産業なので、変化がむちゃくちゃ遅い。それが僕らのジレンマで、リサーチのレクチャーとかやっていると、「もっと変わろうぜ!」というアジテーションばかりになってしまう(笑)。
例えば音楽の世界では、デジタル技術が10~20年ぐらい先行して動いている感じがあって、ミュージシャンがひとりでコンピューターの中で技術を習得して、どんどん新しいものを生み出して、それがどうマーケットに影響して、ミュージシャンがそれをベースにどう変わっていったか。生態系の変化が先に起きている領域を参考にすることは多いですね。音楽業界ともコラボレーションしてみたいです。
「感覚」や「傾向」をデザインして、常識を変えていく
西牟田:われわれも空間や体験をデザインしていく仕事をしていますが、単純なハードだけのデザインでは終わらないことが多いです。むしろソフトの力で空間や体験をつくる仕事が、最近は多いと思っています。アプローチとしては、情報のデザインを一番コアにしているような気がします。
建築って「動かないもの」という常識が僕の中にはあったのですが、noizの「Flipmata」を見たときに変わった。単純にデザイン性で「面白いでしょ」ということではなくて、ちゃんと街の動きや人の空気、ある種の街の呼吸みたいなものをちゃんと建築にフィードバックしている感じがしていて。街の情報自体を捉えてデザインしています。




西牟田:僕らの仕事として考えたときに、例えばお店をデザインしてくださいというとき、単純に目に見えるデザインだけじゃなくて、新しいサービスをデザインしましょうとか、中で動くアプリケーションをデザインしましょうとか、従業員の体験をデザインしていくことで新しいお店をつくるみたいなことも、お店のデザインの中に入るかなと。定義を曖昧に拡張していくと、デザインの可能性も広がっていく。
豊田:僕ら建築家は、3次元の固定した形をデザインする職能だと思われている。でもそのへんの常識も、社会がどんどん変わるとずれてきて、そのずれが面白い。デジタル技術を通すことで、これまで感覚的だったずれの部分がビビッドに見えてくるとか、客観的に見えてくるところにすごく興味があるのです。
経験のデザインも建築の一部だと思う。物をつくって、それが誘発する経験は、これまでの建築家は何となくあやふやにデザインを通して扱っていた。でもIoT環境でだんだん、連鎖のネットワークみたいなシステムが、より広く強くできるようになっていく。ここを動かすとこっちが動くとか、技術の動かし方で何か面白いこと、新しいチャンネルができるじゃないですか。
これまで1対1の機械論的な価値観で、1の入力に対して1の出力がなきゃ形ができなかったのが、コントロールできないというのも許容した途端に、これまでと全然違う操作ができるといったような、新しい関係性ができてくる。「何となくこういう傾向をつくれるよね」というような環境やシステムを僕らが立地的につくってあげると、実際にそういう傾向になっていく。感覚をデザインする、傾向をデザインする、間接的にデザインする技術というか。
常識を、いろんなレイヤーで変えてくれる、あるいは、例えばデジタルはふわふわしたのと相性が悪いところが面白いのでは、というふうになってくる。そんなことを僕らがまず先行して認識して、形とか実効性で社会に対して見せていって、それを皆さんと共有していくという流れができることが理想です。先鋭的なことを実践できる機会はまだまだそんなになくて、過渡期なんですが。
西牟田:いろいろな分野のプレーヤーの領域も、結構曖昧になっていきますね。
他分野のデータを共有できて、自分たちが得意なアプローチの仕方で他の領域のデザインもできるというふうになっていくと、今までその分野の人たちだけが持っていたある種のイニシアチブだったり、優位性みたいなものがフラットになっていき、匿名性が強くなっていく。誰がデザインしたかというよりは、何をデザインするのかというのが大事になってくるのかなと。
豊田:僕はどんどん違う可能性としての建築家像というのが出てくるのに興味がある。専門性をひたすら1カ所突き詰める人もこれまで以上に価値が出てくると思うんですが、それ以上に多焦点になっていくというか。建築家だけどデータ構造が理解できて、音楽の人とコミュニケーションできるとか、経済とコミュニケーションできる専門性を持っているとか、発生遺伝学の知見が建築に役立つみたいな話が、これからどんどん出てくると思います。
専門性の焦点が二つか三つあって、経済の数学が分かって、それをつなぐのがプログラミングでありデジタル技術ですという社会構造になっていくと思います。その人のアイデンティティーが、建築ですごい形がつくれるというよりは、建築なのに遺伝子工学が分かって、さらに経済の概念で何か形がアウトプットできるというようなことが、その人のデザイン力であり価値であるというような、そんな職能の在り方にすごく興味があります。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(前編)
- August / 15 / 2017
照明の地位は低過ぎる? 照明主役の提案をすること
藤田:僕はイベントやスペース開発を扱うプロデュースセクションにいまして、普通イメージされる「広告」より、もうちょっと実物に近かったり、プロジェクトに近いものをやっています。自分たちがつくった空間やイベントに、世の中の人がリアルに接する際には照明はとても重要で、繊細なデザインが必要だと思っています。でも、照明って予算を真っ先に切られがちじゃないですか。
岡安:それがすごく嫌ですね。照明の場合、常に分かりやすい価値が提供できるかというと、そうでもないんですよ。普通の照明も重要じゃないですか。それを伝えるのがとても難しい。僕の場合は、自分の立場を守るためですが、「これを外したらもうどうにもならない」という提案に持っていっちゃう(笑)。照明が主役ぐらいの状態まで無理やり持っていってしまう場合が多いです。
絶対、他の人に触れない、「この人に頼んでおかないとやばい」という状況まで持っていくように考えています。それは意識の中では建築と同じぐらい、同じというと失礼なんだけれど、建築と同等のバリューまでデザインを上げてしまうという感覚ですね。
メーカーを創業したつもりが、いつの間にか照明デザイナーになっていた
藤田:では、早い段階から声をかけてもらわないと無理ですね。
岡安:その方がアイデアが残りますよね。後の方で声がかかってくる案件は、大概予算を削られて終わっちゃうし。やれることも限界が出てくる。思い切ったことをやろうという提案をして、いいねとなっても「もうお金がないから」という話になるので。
藤田:中村拓志さんや青木淳さんら、名だたる建築家とお仕事をされていますが、声のかかり方によって建築家との仕事の仕方は違うのですか。

東急プラザ表参道原宿
中村拓志/NAP建築設計事務所+竹中工務店
©Koji fujiiNacasa and Partners Inc.
岡安:ケース・バイ・ケースですね。僕の仕事の場合、エンジニアリングの側面もあるので、他の照明メーカーに任せて進んでいた案件を、最後の最後になって「やっぱりやばい」と、急に「入って助けてくれ」となる話もあるので。
藤田:照明デザイナーになられる前に、照明器具のエンジニアだったんですよね。そこから照明デザイナーになろうと切り替えていった契機は何かあるのですか。
岡安:契機らしい契機はないです。もともと農林水産省の外郭団体で機械工学をやっていて、照明メーカーを創業しようという話に何となく乗っかって、器具を設計していって、そのうちいろんなメーカーの名刺を持たされ始めるんですよ。
藤田:えーっ。なんか物騒な話ですね(笑)。
岡安:いろんな会社の名刺を持って打ち合わせに来てくれという話になって。そうするともちろん、いろんな人と知り合うじゃないですか。そのうち建築家の人たちの間で、以前メーカーに頼んで出てきたあの人が、またあそこにいると(笑)。どこのメーカーに頼んでも僕がいる、みたいなことになって(笑)。「あれ、同じ人だよな」「だったらあの人に相談した方が早くないか? 」となっていった。
そのころ僕としては、創業したての後発メーカーだったので、小さなメーカーがどう食っていこうかというのを真面目に考えると、多少デザイン的なところに寄っていかないと3~4人で始めたような会社が戦えるはずもない。特化させるために、頼まれた仕事を終えてから、同世代の建築家にデザイン提供や技術提供をやっていたのです。
無償で建築家の永山祐子さんや石上純也さんなどの相談に乗って、実際に一緒に形にして、みたいなことをずっとやっていくうちに、照明の世界へ入って3~4年ぐらいたったころから、デザインを依頼したいという話がすごく来るようになった。とはいえ自分たちはメーカーを創業したんだし、メーカーとして会社をでかくした方がお金持ちになれそうだなと思って(笑)、なかなかやめる踏ん切りをつけずにきてしまいました。

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永山祐子建築設計
©Daici Ano
照明は強烈にマスプロダクト化してるから、それを並べるだけじゃダメ
岡安:8年ほど前ですが、大御所といわれるような建築家の人たちから、ドカドカッと一気に巨大な案件が来ちゃったので、これは片手間ではできないなという話でメーカーはやめちゃったんですよ。
藤田:なるほど。会社として「デザインの提供」と言っているのは、もちろん照明視点からのものですよね。
岡安:そうです。結局、一つ一つ特別なものをちゃんとつくってあげたいと思ったときに、照明って強烈にマスプロダクト化しているから、それを並べ替えるだけで果たして特別なものが提供できるのか、思い悩むわけですよね。わざわざ頼んでくれたのに、家電量販店で売っているようなものを並べるだけで大丈夫なのかと。お金がないなりの特別なものはどうやったらつくれるか、という仕組みづくりをずっとしていた。
藤田:つくり方からつくるという立ち位置は強みだし、特徴にもなりますよね。
岡安:楽ですよね、いろいろ考えるのが。
藤田:憧れます。つくり方からつくれる人が一番強いと思うから。
岡安:僕は、一番強い人は、一番金持ちにならなきゃいけないと思うわけ(笑)。僕は金持ちになっていないから、そんなにすごいことやっているんじゃないと思うけど。
僕の照明デザインは、既に在るものを違う価値に変換する「利用工学」
藤田:エンジニアからデザイナーに舵を切っていって、今の仕事の面白さはどういうところにありますか?
岡安:僕の場合のエンジニアって、製品を発明しちゃうようなエンジニアじゃないので。利用工学ですよね、既にあるものを利用して形にしていくというものだから。エンジニアリングというほどエンジニアリングじゃなくて、単純にものづくりの経緯が分かっている程度の話なのかもしれません。
ちょっと前まで遡ると、反射鏡の設計をできる人はメーカーにもあまりいなかったので、反射鏡がつくれるしレンズも設計できるのは自分のアドバンテージだと思っていたけど、LEDになったらあまり反射鏡の設計は必要ない。
そうすると、光の特性を知っているということが一つの価値にはなるかもしれません。今の僕は人が想像できていない何かをつくれちゃうような場所にはいるんですよ。今の立ち位置にいると、比較的新しい情報が入りやすい。技術的な話がよく入りやすい場所にいるし、デザイン業界のこともよく聞こえてくる場所にいる。だから比較的、知識とか経験が形に結びつきやすいという意味で、デザインとエンジニアリングが同時にそばにあるというのは良いことだとは思います。
藤田:あえてLEDじゃない照明を使うという手法も、ありますよね。
岡安:あります。でも、LEDを使いこなすことは大事です。僕はこの10年来、ある価値を照明が生み損なったとするならば、「蛍光灯の時代に、蛍光灯を正しくデザインしきれなかった」からだと思っている。
蛍光灯と同時期に、放電灯という、街路灯に使うようなものも出てくるんですけれど、そういうものがうまくデザインされていないし、デザインしたものが人間の生活に落ちてきていない。白熱電球とかハロゲン電球はデザインプロダクトとしても普及したのに、蛍光灯とか放電灯は、ちゃんとデザインされてこなかった。
僕はLEDが2005~06年に出始めたときから、とにかくLEDを使えるものにしなきゃと思っていた。今でこそLEDも性能が上がって普通に使えるようになったんですが、使えなかったときから、必死にろくでもない性能のLEDを身近なものに変えるという試みをやっていたのです。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(前編)
- August / 15 / 2017
「明文化されていない社会の要素、仕組み」を建築に組み込む
堀:私は早稲田大学で建築を学び、今はイベント&スペース・デザイン局という部署にいます。クライアントのブランドを形にしていくときに、世の中のトレンド、人の価値観やライフスタイルのようなどんどん移り変わっていくものを敏感に捉えながらも、最終的に空間づくりは社会のシステムに組み込んでいかなければいけないと思っています。吉村さんのスタイルはまさにそういうアプローチだと思うのですが、その手法はどのように生まれたのですか。
吉村:オランダの建築設計事務所「MVRDV」で働いた経験はすごく大きいと思います。というのは、オランダは建築家が都市計画にかなり発言力のある国で、マスタープランやアーバンプランニングを建築家がやる。「MVRDV」も仕事の半分は都市計画で、もう半分が建築物の設計というバランスでした。敷地を与えられてその上にどんな格好いいものを建てられるかというだけではなく、その敷地そのものがどういうつくられ方をしてきたか、都市や社会とのつながりの中でどういうふうにあるべきか考えざるを得なかった。
さらに、そこでいう都市計画は従来の意味の都市計画だけじゃなくて、扱う都市の構成要素を「市場」(マーケティング)だと思ってみたり「法規」だと思ってみたり、「規範」のような明文化されていないけれど人々の共通の認識として社会に浸透しているようなものだったり。少しずつジャンルに分解して考えるというか、「都市」という言葉を切り刻んで設計のテーマにしていくというようなことを「MVRDV」では既にやっていました。
堀:なるほど。建築におけるオランダと東京の環境に、似ているところはありますか。
吉村:「MVRDV」のあるロッテルダムという都市は戦争で一度全部壊れている街なので、新しいものをつくるということに対して積極的。ヨーロッパの都市は、基本的にあまり新しいものを受け入れないですけれど、ロッテルダムに関していえば、そういう進取の精神が東京と似ている気がします。
堀:私がやっている仕事は、イベント、博覧会、企業のパビリオンみたいなものが多く、ショップをつくるにしても銀座や表参道の一等地みたいな、長期的にそこに文脈を見いだしにくいような場所が多く、あまり敷地を出発点に考えることがないんです。
吉村:今は建築の教え方自体も、「敷地」の文脈を深く掘り下げてかたちに定着させるようなものではなくなってきていますよ。考えれば考えるほど空転するような土地が多いのも事実ですし。建築界自体が割と企画寄りというか、建築を通してプログラムを考えたり、都市とのつながりを考えたり、社会的なことを考えたりという方ががむしろメジャーになってきて、物をつくって形にするというのがむしろ最後のおまけみたいな感じの学生が増えてきている気がします。
「変わらないもの」を大切に、トレンドに近寄り過ぎない
堀:それでは、ブランドの体験や空間をつくる上で、何が最初の手がかりになってくるのでしょうか。
吉村:できるだけその企業にとって一番本質的なものが何なのかというのを考えるようにします。変わらないものを探す。トレンドみたいなものと近寄り過ぎないのが建築にとっては大事かな。
堀:TBWA\HAKUHODOさんのオフィスをやられましたよね。

TBWA\HAKUHODOオフィス
照度と明度を24時間コンピューター制御することでサーカディアンリズムを維持
吉村:あれはもともとジュリアナというディスコだった場所なんですが、空間の基本的な構成は変えていないんです。全て解体して完全なオフィスに改装するというよりは、ディスコをオフィスとして使うみたいな感覚で設計していった。例えばVIPルームはVIP用のミーティングルームになっているし、それまであった丸いラウンジはラウンジ的なミーティングゾーンになっていたりします。
極めつけが、元はディスコなので窓がないということもそのまま受け入れて、照明で24時間、色、温度、照度をコントロールして、夕方になったら赤っぽくなるし、夜になったら暗くなるという、体のリズムが狂わないように照明で手助けするということをやりました。まあ、オフィスなんて結局どこでもいいんですよ。家でもカフェでも道路でも仕事はできる。スマートフォンで仕事できる時代、オフィスもオフィス然としてなくてもいいんじゃないかと思う。
「場所の原理」を生成する
吉村:早稲田大学の学生時代に、古谷誠章先生が取り組んだ「せんだいメディアテーク」のコンペで2等になりましたが、僕もその担当者の一人でした。95年だったのでまだガラケー時代だったんですが、いまでいうスマートフォンを来館者に持たせて、借りたい本の検索性能は全部スマホが担保すると宣言しました。逆に、建築のようなフィジカルな空間には、無駄に「散策する」とか、あえて見たくないものに触れたりする可能性を増やしてあげるということが求められると考えた。これからの建築は、そうやってスマホとすみ分けるんじゃないかという議論を、当時からしていました。
堀:20年も前ですね、早い議論だなあ。
吉村:ガラケー時代には技術的に成立してない提案だったのですが、今ならできますよね。特定の本を探したいときはGPSなりRFIDタグを頼りに近づけばいいし、そうじゃないときは全然関係ない本が隣り合っていて、自分の興味ある本の隣に並んでいた別の本についつい手を伸ばすというようなことが起こる。
アマゾンのおすすめ機能と近いけど、もうちょっとノイズの分量が多い。過去に近い本を探した人がいたからといって、それらが近い位置に置かれるとは限りませんから。検索って、探したいと思ったものにたどり着けるだけだと閉塞感があると思うんです。企業側から見たときも、その商品があらかじめ欲しい人にだけアクセスしているんじゃいつまでたっても数を売れないですよね。原理的に。
昔は学校でも1年1組から6年生までの教室が整然と並んでたし、図書館には十進分類法があって、つまりナンバリングすることで空間が検索性能を担保していたけれど、今はスマホで検索可能になってきた。空間がようやく検索性能から開放されたんです。それ以外の部分で、空間の可能性を探るべき時が来たんですね。
ただランダムにすればそれでよいかというと、そうではないと思うんです。新しいソートの仕方を積極的に生成するようなものを考えなきゃいけないと思う。
堀:アクティビティー同士の関係性とか、そういうことですか。
吉村:そうですね。例えばちょっと起伏があると、その空間の質に呼び寄せられて、傾向の似た本が集まってくるかもしれない。日だまりが好きとか天井が高い場所が好きとか、ゆるいくくりになる空間的なムラを積極的に許容した方がいい。自分が想像し得た範囲からちょっと外に出てるけれど、完全な無関係ではないという、現象の周りにぼわっとくっついているものをどうやって設計に取り込むかということが課題じゃないかなと思う。
例えば洞窟に僕らが入っていくと、ちょっと先へ行ってみたいとかいう興味をかき立てられて、ちょっとしたくぼみに座ってみようかとか、普段の行為や姿勢と違うことをしてみたくなりますよね。でも、洞窟は人間の行動なんてかまっちゃいないわけです。風の流れとか、潮の流れとか、砂の成分とか、そういうものでほぼ自動的に出来上がったわけですよね。
そういう新しい「場所の原理」みたいなものが何なのか興味がある。人間の行動を制限しようとしていた、あるいは興味すらもコントロールできるものだと考えてきた近代建築の考え方とは違う、別の原理がどこかにあるはずじゃないかと思います。難しいですけれどそういう、設計できないものを設計するにはどうしたらいいか、という禅問答のようなことをずっと考えて続けているんです。
ユーザー自身が関与し続けられる、そんな魅力のある空間とは?
堀:その空間の魅力を保ち続けていくために、建築ができることはどういうことでしょうか。
吉村:おそらく、ユーザー自身が空間に関わり続けるということだと思う。誰かに与えられた空間じゃなく、ユーザー側がそれを自分でコントロールできるものだと理解すること。ユーザー自身がクリエーティブでいられる空間。
建築家の空間に対する考え方とか、壁の裏が実際どうやってできているのかを理解するだけでも、何も知らずに住んでいるよりはクリエーティブです。住人が建築を、どうやって自分事として考えられるか。商品化住宅はどれだけそれが高性能でも、やはり飽きてしまうんじゃないかと思う。
堀:機能そのものは魅力にはならない。便利だからいいとか、たくさん機能があるから飽きないとか、そういうことではないということですね。
吉村:そう。2014年に六本木ミッドタウンで開催された「Make House」展に参加しました。NCNという木造の金物をつくっている会社が、僕と同世代の建築家7組に、この工法を使った未来の住宅はどんなものなのかという課題を出して、各建築家がそれぞれそのお題に答える展覧会でした。

Make House展
70年代生まれの7組の建築家が未来のSE構法の家を提案。
吉村:僕の提案は建物の設計ではなく、iOSのアプリ開発をして、エンドユーザーが指先でチョチョッと触ると自分の家を設計できて、見積りもできて、発注ボタンを押すと何週間後かに加工された材料が職人と一緒に届いて、それで家が建つというような仕組みづくりだったんです。
堀:それは設計ノウハウを公開しちゃうということですよね。
吉村:そうですね。ユーザーがどこまで建築に関わるか、完成と未完成のボーダーラインをいじってみようという実験でした。

アプリ説明画像
操作画面:五つの工程を順にたどると家の設計を完了できる。 バリエーション:デザインを共有することも可能。
吉村:こうやって自分で建物のサイズを変えたり、床の高さとか平面形状を変えたりして、鳥かごみたいな小さい格子状のフレームを用意して、その格子それぞれに面材を張ったり窓を開けたりすることでデザインが変わる。ユーザーは自分で面材を開発してもいい。半完成の状態でユーザーに渡せるものをつくりたかった。
堀:ユーザーが自分で手を加えていけるのは、本当にワクワクしますね。
吉村:だから、職人じゃないと運べないような通常の規格サイズの材料じゃなくて、素人でも運べるようなもっとずっと小さい部品の集合体なのです。無印良品のユニット家具は、画面上で全部設計して、ぽんと注文ボタンを押すと届きますが、そんなイメージで住宅もできないかと思った。一応構造はコンピューター上で自動計算しているので、素人でも構造的には成立しているんですよ。
堀:画面にずっとお金(経費)が出てきていますね、チャリンチャリンと。
吉村:そう、経済的に無理な建築プランは、ユーザー自身が自分で諦めてくれるという(笑)。概算表示や積算表示ができたり、展覧会のときは写真を撮ってフェイスブック上で共有されたりしていましたが、いずれは他の人がつくったデータを途中から引き継いだりもできるようにします。
堀:すごいです。敷地より先に家本体ができちゃうということですよね、面白いなあ。
吉村:DIYで家をつくると建築に愛着が湧いて、興味を持ち続けられるんじゃないかと思うんです。壁の中までどうなっているか全部自分が知っているわけだから、問題が起これば自分自身で直せるしね。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(前編)
- August / 15 / 2017
照明の地位は低過ぎる? 照明主役の提案をすること
藤田:僕はイベントやスペース開発を扱うプロデュースセクションにいまして、普通イメージされる「広告」より、もうちょっと実物に近かったり、プロジェクトに近いものをやっています。自分たちがつくった空間やイベントに、世の中の人がリアルに接する際には照明はとても重要で、繊細なデザインが必要だと思っています。でも、照明って予算を真っ先に切られがちじゃないですか。
岡安:それがすごく嫌ですね。照明の場合、常に分かりやすい価値が提供できるかというと、そうでもないんですよ。普通の照明も重要じゃないですか。それを伝えるのがとても難しい。僕の場合は、自分の立場を守るためですが、「これを外したらもうどうにもならない」という提案に持っていっちゃう(笑)。照明が主役ぐらいの状態まで無理やり持っていってしまう場合が多いです。
絶対、他の人に触れない、「この人に頼んでおかないとやばい」という状況まで持っていくように考えています。それは意識の中では建築と同じぐらい、同じというと失礼なんだけれど、建築と同等のバリューまでデザインを上げてしまうという感覚ですね。
メーカーを創業したつもりが、いつの間にか照明デザイナーになっていた
藤田:では、早い段階から声をかけてもらわないと無理ですね。
岡安:その方がアイデアが残りますよね。後の方で声がかかってくる案件は、大概予算を削られて終わっちゃうし。やれることも限界が出てくる。思い切ったことをやろうという提案をして、いいねとなっても「もうお金がないから」という話になるので。
藤田:中村拓志さんや青木淳さんら、名だたる建築家とお仕事をされていますが、声のかかり方によって建築家との仕事の仕方は違うのですか。

東急プラザ表参道原宿
中村拓志/NAP建築設計事務所+竹中工務店
©Koji fujiiNacasa and Partners Inc.
岡安:ケース・バイ・ケースですね。僕の仕事の場合、エンジニアリングの側面もあるので、他の照明メーカーに任せて進んでいた案件を、最後の最後になって「やっぱりやばい」と、急に「入って助けてくれ」となる話もあるので。
藤田:照明デザイナーになられる前に、照明器具のエンジニアだったんですよね。そこから照明デザイナーになろうと切り替えていった契機は何かあるのですか。
岡安:契機らしい契機はないです。もともと農林水産省の外郭団体で機械工学をやっていて、照明メーカーを創業しようという話に何となく乗っかって、器具を設計していって、そのうちいろんなメーカーの名刺を持たされ始めるんですよ。
藤田:えーっ。なんか物騒な話ですね(笑)。
岡安:いろんな会社の名刺を持って打ち合わせに来てくれという話になって。そうするともちろん、いろんな人と知り合うじゃないですか。そのうち建築家の人たちの間で、以前メーカーに頼んで出てきたあの人が、またあそこにいると(笑)。どこのメーカーに頼んでも僕がいる、みたいなことになって(笑)。「あれ、同じ人だよな」「だったらあの人に相談した方が早くないか? 」となっていった。
そのころ僕としては、創業したての後発メーカーだったので、小さなメーカーがどう食っていこうかというのを真面目に考えると、多少デザイン的なところに寄っていかないと3~4人で始めたような会社が戦えるはずもない。特化させるために、頼まれた仕事を終えてから、同世代の建築家にデザイン提供や技術提供をやっていたのです。
無償で建築家の永山祐子さんや石上純也さんなどの相談に乗って、実際に一緒に形にして、みたいなことをずっとやっていくうちに、照明の世界へ入って3~4年ぐらいたったころから、デザインを依頼したいという話がすごく来るようになった。とはいえ自分たちはメーカーを創業したんだし、メーカーとして会社をでかくした方がお金持ちになれそうだなと思って(笑)、なかなかやめる踏ん切りをつけずにきてしまいました。

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永山祐子建築設計
©Daici Ano
照明は強烈にマスプロダクト化してるから、それを並べるだけじゃダメ
岡安:8年ほど前ですが、大御所といわれるような建築家の人たちから、ドカドカッと一気に巨大な案件が来ちゃったので、これは片手間ではできないなという話でメーカーはやめちゃったんですよ。
藤田:なるほど。会社として「デザインの提供」と言っているのは、もちろん照明視点からのものですよね。
岡安:そうです。結局、一つ一つ特別なものをちゃんとつくってあげたいと思ったときに、照明って強烈にマスプロダクト化しているから、それを並べ替えるだけで果たして特別なものが提供できるのか、思い悩むわけですよね。わざわざ頼んでくれたのに、家電量販店で売っているようなものを並べるだけで大丈夫なのかと。お金がないなりの特別なものはどうやったらつくれるか、という仕組みづくりをずっとしていた。
藤田:つくり方からつくるという立ち位置は強みだし、特徴にもなりますよね。
岡安:楽ですよね、いろいろ考えるのが。
藤田:憧れます。つくり方からつくれる人が一番強いと思うから。
岡安:僕は、一番強い人は、一番金持ちにならなきゃいけないと思うわけ(笑)。僕は金持ちになっていないから、そんなにすごいことやっているんじゃないと思うけど。
僕の照明デザインは、既に在るものを違う価値に変換する「利用工学」
藤田:エンジニアからデザイナーに舵を切っていって、今の仕事の面白さはどういうところにありますか?
岡安:僕の場合のエンジニアって、製品を発明しちゃうようなエンジニアじゃないので。利用工学ですよね、既にあるものを利用して形にしていくというものだから。エンジニアリングというほどエンジニアリングじゃなくて、単純にものづくりの経緯が分かっている程度の話なのかもしれません。
ちょっと前まで遡ると、反射鏡の設計をできる人はメーカーにもあまりいなかったので、反射鏡がつくれるしレンズも設計できるのは自分のアドバンテージだと思っていたけど、LEDになったらあまり反射鏡の設計は必要ない。
そうすると、光の特性を知っているということが一つの価値にはなるかもしれません。今の僕は人が想像できていない何かをつくれちゃうような場所にはいるんですよ。今の立ち位置にいると、比較的新しい情報が入りやすい。技術的な話がよく入りやすい場所にいるし、デザイン業界のこともよく聞こえてくる場所にいる。だから比較的、知識とか経験が形に結びつきやすいという意味で、デザインとエンジニアリングが同時にそばにあるというのは良いことだとは思います。
藤田:あえてLEDじゃない照明を使うという手法も、ありますよね。
岡安:あります。でも、LEDを使いこなすことは大事です。僕はこの10年来、ある価値を照明が生み損なったとするならば、「蛍光灯の時代に、蛍光灯を正しくデザインしきれなかった」からだと思っている。
蛍光灯と同時期に、放電灯という、街路灯に使うようなものも出てくるんですけれど、そういうものがうまくデザインされていないし、デザインしたものが人間の生活に落ちてきていない。白熱電球とかハロゲン電球はデザインプロダクトとしても普及したのに、蛍光灯とか放電灯は、ちゃんとデザインされてこなかった。
僕はLEDが2005~06年に出始めたときから、とにかくLEDを使えるものにしなきゃと思っていた。今でこそLEDも性能が上がって普通に使えるようになったんですが、使えなかったときから、必死にろくでもない性能のLEDを身近なものに変えるという試みをやっていたのです。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(前編)
- August / 15 / 2017
「明文化されていない社会の要素、仕組み」を建築に組み込む
堀:私は早稲田大学で建築を学び、今はイベント&スペース・デザイン局という部署にいます。クライアントのブランドを形にしていくときに、世の中のトレンド、人の価値観やライフスタイルのようなどんどん移り変わっていくものを敏感に捉えながらも、最終的に空間づくりは社会のシステムに組み込んでいかなければいけないと思っています。吉村さんのスタイルはまさにそういうアプローチだと思うのですが、その手法はどのように生まれたのですか。
吉村:オランダの建築設計事務所「MVRDV」で働いた経験はすごく大きいと思います。というのは、オランダは建築家が都市計画にかなり発言力のある国で、マスタープランやアーバンプランニングを建築家がやる。「MVRDV」も仕事の半分は都市計画で、もう半分が建築物の設計というバランスでした。敷地を与えられてその上にどんな格好いいものを建てられるかというだけではなく、その敷地そのものがどういうつくられ方をしてきたか、都市や社会とのつながりの中でどういうふうにあるべきか考えざるを得なかった。
さらに、そこでいう都市計画は従来の意味の都市計画だけじゃなくて、扱う都市の構成要素を「市場」(マーケティング)だと思ってみたり「法規」だと思ってみたり、「規範」のような明文化されていないけれど人々の共通の認識として社会に浸透しているようなものだったり。少しずつジャンルに分解して考えるというか、「都市」という言葉を切り刻んで設計のテーマにしていくというようなことを「MVRDV」では既にやっていました。
堀:なるほど。建築におけるオランダと東京の環境に、似ているところはありますか。
吉村:「MVRDV」のあるロッテルダムという都市は戦争で一度全部壊れている街なので、新しいものをつくるということに対して積極的。ヨーロッパの都市は、基本的にあまり新しいものを受け入れないですけれど、ロッテルダムに関していえば、そういう進取の精神が東京と似ている気がします。
堀:私がやっている仕事は、イベント、博覧会、企業のパビリオンみたいなものが多く、ショップをつくるにしても銀座や表参道の一等地みたいな、長期的にそこに文脈を見いだしにくいような場所が多く、あまり敷地を出発点に考えることがないんです。
吉村:今は建築の教え方自体も、「敷地」の文脈を深く掘り下げてかたちに定着させるようなものではなくなってきていますよ。考えれば考えるほど空転するような土地が多いのも事実ですし。建築界自体が割と企画寄りというか、建築を通してプログラムを考えたり、都市とのつながりを考えたり、社会的なことを考えたりという方ががむしろメジャーになってきて、物をつくって形にするというのがむしろ最後のおまけみたいな感じの学生が増えてきている気がします。
「変わらないもの」を大切に、トレンドに近寄り過ぎない
堀:それでは、ブランドの体験や空間をつくる上で、何が最初の手がかりになってくるのでしょうか。
吉村:できるだけその企業にとって一番本質的なものが何なのかというのを考えるようにします。変わらないものを探す。トレンドみたいなものと近寄り過ぎないのが建築にとっては大事かな。
堀:TBWA\HAKUHODOさんのオフィスをやられましたよね。

TBWA\HAKUHODOオフィス
照度と明度を24時間コンピューター制御することでサーカディアンリズムを維持
吉村:あれはもともとジュリアナというディスコだった場所なんですが、空間の基本的な構成は変えていないんです。全て解体して完全なオフィスに改装するというよりは、ディスコをオフィスとして使うみたいな感覚で設計していった。例えばVIPルームはVIP用のミーティングルームになっているし、それまであった丸いラウンジはラウンジ的なミーティングゾーンになっていたりします。
極めつけが、元はディスコなので窓がないということもそのまま受け入れて、照明で24時間、色、温度、照度をコントロールして、夕方になったら赤っぽくなるし、夜になったら暗くなるという、体のリズムが狂わないように照明で手助けするということをやりました。まあ、オフィスなんて結局どこでもいいんですよ。家でもカフェでも道路でも仕事はできる。スマートフォンで仕事できる時代、オフィスもオフィス然としてなくてもいいんじゃないかと思う。
「場所の原理」を生成する
吉村:早稲田大学の学生時代に、古谷誠章先生が取り組んだ「せんだいメディアテーク」のコンペで2等になりましたが、僕もその担当者の一人でした。95年だったのでまだガラケー時代だったんですが、いまでいうスマートフォンを来館者に持たせて、借りたい本の検索性能は全部スマホが担保すると宣言しました。逆に、建築のようなフィジカルな空間には、無駄に「散策する」とか、あえて見たくないものに触れたりする可能性を増やしてあげるということが求められると考えた。これからの建築は、そうやってスマホとすみ分けるんじゃないかという議論を、当時からしていました。
堀:20年も前ですね、早い議論だなあ。
吉村:ガラケー時代には技術的に成立してない提案だったのですが、今ならできますよね。特定の本を探したいときはGPSなりRFIDタグを頼りに近づけばいいし、そうじゃないときは全然関係ない本が隣り合っていて、自分の興味ある本の隣に並んでいた別の本についつい手を伸ばすというようなことが起こる。
アマゾンのおすすめ機能と近いけど、もうちょっとノイズの分量が多い。過去に近い本を探した人がいたからといって、それらが近い位置に置かれるとは限りませんから。検索って、探したいと思ったものにたどり着けるだけだと閉塞感があると思うんです。企業側から見たときも、その商品があらかじめ欲しい人にだけアクセスしているんじゃいつまでたっても数を売れないですよね。原理的に。
昔は学校でも1年1組から6年生までの教室が整然と並んでたし、図書館には十進分類法があって、つまりナンバリングすることで空間が検索性能を担保していたけれど、今はスマホで検索可能になってきた。空間がようやく検索性能から開放されたんです。それ以外の部分で、空間の可能性を探るべき時が来たんですね。
ただランダムにすればそれでよいかというと、そうではないと思うんです。新しいソートの仕方を積極的に生成するようなものを考えなきゃいけないと思う。
堀:アクティビティー同士の関係性とか、そういうことですか。
吉村:そうですね。例えばちょっと起伏があると、その空間の質に呼び寄せられて、傾向の似た本が集まってくるかもしれない。日だまりが好きとか天井が高い場所が好きとか、ゆるいくくりになる空間的なムラを積極的に許容した方がいい。自分が想像し得た範囲からちょっと外に出てるけれど、完全な無関係ではないという、現象の周りにぼわっとくっついているものをどうやって設計に取り込むかということが課題じゃないかなと思う。
例えば洞窟に僕らが入っていくと、ちょっと先へ行ってみたいとかいう興味をかき立てられて、ちょっとしたくぼみに座ってみようかとか、普段の行為や姿勢と違うことをしてみたくなりますよね。でも、洞窟は人間の行動なんてかまっちゃいないわけです。風の流れとか、潮の流れとか、砂の成分とか、そういうものでほぼ自動的に出来上がったわけですよね。
そういう新しい「場所の原理」みたいなものが何なのか興味がある。人間の行動を制限しようとしていた、あるいは興味すらもコントロールできるものだと考えてきた近代建築の考え方とは違う、別の原理がどこかにあるはずじゃないかと思います。難しいですけれどそういう、設計できないものを設計するにはどうしたらいいか、という禅問答のようなことをずっと考えて続けているんです。
ユーザー自身が関与し続けられる、そんな魅力のある空間とは?
堀:その空間の魅力を保ち続けていくために、建築ができることはどういうことでしょうか。
吉村:おそらく、ユーザー自身が空間に関わり続けるということだと思う。誰かに与えられた空間じゃなく、ユーザー側がそれを自分でコントロールできるものだと理解すること。ユーザー自身がクリエーティブでいられる空間。
建築家の空間に対する考え方とか、壁の裏が実際どうやってできているのかを理解するだけでも、何も知らずに住んでいるよりはクリエーティブです。住人が建築を、どうやって自分事として考えられるか。商品化住宅はどれだけそれが高性能でも、やはり飽きてしまうんじゃないかと思う。
堀:機能そのものは魅力にはならない。便利だからいいとか、たくさん機能があるから飽きないとか、そういうことではないということですね。
吉村:そう。2014年に六本木ミッドタウンで開催された「Make House」展に参加しました。NCNという木造の金物をつくっている会社が、僕と同世代の建築家7組に、この工法を使った未来の住宅はどんなものなのかという課題を出して、各建築家がそれぞれそのお題に答える展覧会でした。

Make House展
70年代生まれの7組の建築家が未来のSE構法の家を提案。
吉村:僕の提案は建物の設計ではなく、iOSのアプリ開発をして、エンドユーザーが指先でチョチョッと触ると自分の家を設計できて、見積りもできて、発注ボタンを押すと何週間後かに加工された材料が職人と一緒に届いて、それで家が建つというような仕組みづくりだったんです。
堀:それは設計ノウハウを公開しちゃうということですよね。
吉村:そうですね。ユーザーがどこまで建築に関わるか、完成と未完成のボーダーラインをいじってみようという実験でした。

アプリ説明画像
操作画面:五つの工程を順にたどると家の設計を完了できる。 バリエーション:デザインを共有することも可能。
吉村:こうやって自分で建物のサイズを変えたり、床の高さとか平面形状を変えたりして、鳥かごみたいな小さい格子状のフレームを用意して、その格子それぞれに面材を張ったり窓を開けたりすることでデザインが変わる。ユーザーは自分で面材を開発してもいい。半完成の状態でユーザーに渡せるものをつくりたかった。
堀:ユーザーが自分で手を加えていけるのは、本当にワクワクしますね。
吉村:だから、職人じゃないと運べないような通常の規格サイズの材料じゃなくて、素人でも運べるようなもっとずっと小さい部品の集合体なのです。無印良品のユニット家具は、画面上で全部設計して、ぽんと注文ボタンを押すと届きますが、そんなイメージで住宅もできないかと思った。一応構造はコンピューター上で自動計算しているので、素人でも構造的には成立しているんですよ。
堀:画面にずっとお金(経費)が出てきていますね、チャリンチャリンと。
吉村:そう、経済的に無理な建築プランは、ユーザー自身が自分で諦めてくれるという(笑)。概算表示や積算表示ができたり、展覧会のときは写真を撮ってフェイスブック上で共有されたりしていましたが、いずれは他の人がつくったデータを途中から引き継いだりもできるようにします。
堀:すごいです。敷地より先に家本体ができちゃうということですよね、面白いなあ。
吉村:DIYで家をつくると建築に愛着が湧いて、興味を持ち続けられるんじゃないかと思うんです。壁の中までどうなっているか全部自分が知っているわけだから、問題が起これば自分自身で直せるしね。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
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