2017/08/09
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。
吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。
堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
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