2017/01/30
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(前編)
- August / 15 / 2017
照明の地位は低過ぎる? 照明主役の提案をすること
藤田:僕はイベントやスペース開発を扱うプロデュースセクションにいまして、普通イメージされる「広告」より、もうちょっと実物に近かったり、プロジェクトに近いものをやっています。自分たちがつくった空間やイベントに、世の中の人がリアルに接する際には照明はとても重要で、繊細なデザインが必要だと思っています。でも、照明って予算を真っ先に切られがちじゃないですか。
岡安:それがすごく嫌ですね。照明の場合、常に分かりやすい価値が提供できるかというと、そうでもないんですよ。普通の照明も重要じゃないですか。それを伝えるのがとても難しい。僕の場合は、自分の立場を守るためですが、「これを外したらもうどうにもならない」という提案に持っていっちゃう(笑)。照明が主役ぐらいの状態まで無理やり持っていってしまう場合が多いです。
絶対、他の人に触れない、「この人に頼んでおかないとやばい」という状況まで持っていくように考えています。それは意識の中では建築と同じぐらい、同じというと失礼なんだけれど、建築と同等のバリューまでデザインを上げてしまうという感覚ですね。
メーカーを創業したつもりが、いつの間にか照明デザイナーになっていた
藤田:では、早い段階から声をかけてもらわないと無理ですね。
岡安:その方がアイデアが残りますよね。後の方で声がかかってくる案件は、大概予算を削られて終わっちゃうし。やれることも限界が出てくる。思い切ったことをやろうという提案をして、いいねとなっても「もうお金がないから」という話になるので。
藤田:中村拓志さんや青木淳さんら、名だたる建築家とお仕事をされていますが、声のかかり方によって建築家との仕事の仕方は違うのですか。

東急プラザ表参道原宿
中村拓志/NAP建築設計事務所+竹中工務店
©Koji fujiiNacasa and Partners Inc.
岡安:ケース・バイ・ケースですね。僕の仕事の場合、エンジニアリングの側面もあるので、他の照明メーカーに任せて進んでいた案件を、最後の最後になって「やっぱりやばい」と、急に「入って助けてくれ」となる話もあるので。
藤田:照明デザイナーになられる前に、照明器具のエンジニアだったんですよね。そこから照明デザイナーになろうと切り替えていった契機は何かあるのですか。
岡安:契機らしい契機はないです。もともと農林水産省の外郭団体で機械工学をやっていて、照明メーカーを創業しようという話に何となく乗っかって、器具を設計していって、そのうちいろんなメーカーの名刺を持たされ始めるんですよ。
藤田:えーっ。なんか物騒な話ですね(笑)。
岡安:いろんな会社の名刺を持って打ち合わせに来てくれという話になって。そうするともちろん、いろんな人と知り合うじゃないですか。そのうち建築家の人たちの間で、以前メーカーに頼んで出てきたあの人が、またあそこにいると(笑)。どこのメーカーに頼んでも僕がいる、みたいなことになって(笑)。「あれ、同じ人だよな」「だったらあの人に相談した方が早くないか? 」となっていった。
そのころ僕としては、創業したての後発メーカーだったので、小さなメーカーがどう食っていこうかというのを真面目に考えると、多少デザイン的なところに寄っていかないと3~4人で始めたような会社が戦えるはずもない。特化させるために、頼まれた仕事を終えてから、同世代の建築家にデザイン提供や技術提供をやっていたのです。
無償で建築家の永山祐子さんや石上純也さんなどの相談に乗って、実際に一緒に形にして、みたいなことをずっとやっていくうちに、照明の世界へ入って3~4年ぐらいたったころから、デザインを依頼したいという話がすごく来るようになった。とはいえ自分たちはメーカーを創業したんだし、メーカーとして会社をでかくした方がお金持ちになれそうだなと思って(笑)、なかなかやめる踏ん切りをつけずにきてしまいました。

afloat-f
永山祐子建築設計
©Daici Ano
照明は強烈にマスプロダクト化してるから、それを並べるだけじゃダメ
岡安:8年ほど前ですが、大御所といわれるような建築家の人たちから、ドカドカッと一気に巨大な案件が来ちゃったので、これは片手間ではできないなという話でメーカーはやめちゃったんですよ。
藤田:なるほど。会社として「デザインの提供」と言っているのは、もちろん照明視点からのものですよね。
岡安:そうです。結局、一つ一つ特別なものをちゃんとつくってあげたいと思ったときに、照明って強烈にマスプロダクト化しているから、それを並べ替えるだけで果たして特別なものが提供できるのか、思い悩むわけですよね。わざわざ頼んでくれたのに、家電量販店で売っているようなものを並べるだけで大丈夫なのかと。お金がないなりの特別なものはどうやったらつくれるか、という仕組みづくりをずっとしていた。
藤田:つくり方からつくるという立ち位置は強みだし、特徴にもなりますよね。
岡安:楽ですよね、いろいろ考えるのが。
藤田:憧れます。つくり方からつくれる人が一番強いと思うから。
岡安:僕は、一番強い人は、一番金持ちにならなきゃいけないと思うわけ(笑)。僕は金持ちになっていないから、そんなにすごいことやっているんじゃないと思うけど。
僕の照明デザインは、既に在るものを違う価値に変換する「利用工学」
藤田:エンジニアからデザイナーに舵を切っていって、今の仕事の面白さはどういうところにありますか?
岡安:僕の場合のエンジニアって、製品を発明しちゃうようなエンジニアじゃないので。利用工学ですよね、既にあるものを利用して形にしていくというものだから。エンジニアリングというほどエンジニアリングじゃなくて、単純にものづくりの経緯が分かっている程度の話なのかもしれません。
ちょっと前まで遡ると、反射鏡の設計をできる人はメーカーにもあまりいなかったので、反射鏡がつくれるしレンズも設計できるのは自分のアドバンテージだと思っていたけど、LEDになったらあまり反射鏡の設計は必要ない。
そうすると、光の特性を知っているということが一つの価値にはなるかもしれません。今の僕は人が想像できていない何かをつくれちゃうような場所にはいるんですよ。今の立ち位置にいると、比較的新しい情報が入りやすい。技術的な話がよく入りやすい場所にいるし、デザイン業界のこともよく聞こえてくる場所にいる。だから比較的、知識とか経験が形に結びつきやすいという意味で、デザインとエンジニアリングが同時にそばにあるというのは良いことだとは思います。
藤田:あえてLEDじゃない照明を使うという手法も、ありますよね。
岡安:あります。でも、LEDを使いこなすことは大事です。僕はこの10年来、ある価値を照明が生み損なったとするならば、「蛍光灯の時代に、蛍光灯を正しくデザインしきれなかった」からだと思っている。
蛍光灯と同時期に、放電灯という、街路灯に使うようなものも出てくるんですけれど、そういうものがうまくデザインされていないし、デザインしたものが人間の生活に落ちてきていない。白熱電球とかハロゲン電球はデザインプロダクトとしても普及したのに、蛍光灯とか放電灯は、ちゃんとデザインされてこなかった。
僕はLEDが2005~06年に出始めたときから、とにかくLEDを使えるものにしなきゃと思っていた。今でこそLEDも性能が上がって普通に使えるようになったんですが、使えなかったときから、必死にろくでもない性能のLEDを身近なものに変えるという試みをやっていたのです。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
音楽とは空間と時間をつくること:渋谷慶一郎(後編)
- July / 31 / 2017
「スケアリー・ビューティー」を、無限大に拡張するためのテクノロジー
藤田:ボーカロイド・オペラもやられていますが、どんなふうにテクノロジーを捉えていらっしゃるのか。作品に取り込む際のスタンスを教えていただけますか。
渋谷:例えば、最近パリで新しいプロジェクトの打ち合わせをしているときによく口にしているのが「スケアリー・ビューティー」という言葉なんです。不気味だけど美しい、気持ち悪いけど感動するとか。テクノロジーはこの方向性を拡張するのに使いたいし、そこに可能性を感じています。当たり前だけど、新しい技術を使うことが大事なんじゃなくて、表現として何がしたいかが大事なんです。日本はそうでもないけど、特にヨーロッパは良くも悪くも何を言いたいかというのが明確にない作品は「何、それ」という感じになるし、実際それは「何、それ」なんですよね(笑)。
ただ、テクノロジーが表現の中心にあると「カッコよく」なりやすい。ミニマリスティックだったり、「カッコいい」アートを生むのにひたすら使われてるし、実際それは向いている。基本がゼロイチでコピー&ペーストだから。
でも、「カッコいい」は上書きされやすいしすぐに更新されちゃう。それは「カッコいい」の鍵になっている精度という基準がそもそも更新されるのを前提に存在しているからです。結果的にテクノロジーとカッコいいの組み合わせはその精度が占める割合がほとんどだからすぐに古くなるんです。 それに比べると不気味なものの強さというのはあって、それはここ50年くらいは見過ごされてきた感があるけど、テクノロジーを軸に見直してもいいと思ってるんです。例えばピカソの絵は決して自宅に飾りたいようなものではないけど、ある種の不気味さと強さが残る。この方向性は今までのテクノロジーとアート、音楽の関係でいうとカオスとかノイズになりやすかったんだけど、そうじゃなくてグニャグニャに曲がってて不気味なんだけど美しい音楽みたいなものが可能になってきた気がしていて、僕は今ソロアルバムがつくりたいんです(笑)。なんか没頭するに足る世界がある気がしてきたというか。
藤田:確かに、渋谷さんのボーカロイド・オペラ「THE END」を見たとき、僕も和の怪談の持っている怖さを雰囲気で感じました。
渋谷:「THE END」はパリでやったときも日本的だと言われましたよ。むしろ怪談的なのかな(笑)、僕は全然意識してなかったけれど悪くないなと思っています。

2015年 wayofrabbit
AIを載せたロボット2人が、相互進化で音楽をつくってみる
渋谷:AIも、その方向で捉えているのです。アンドロイドをボーカリストにして、オーケストラ伴奏とかコンピュータを使ってというのをずっと進めていて、もしかしたら年末あたりにできるかもしれない。ただ、究極的にはロボットを2台つくって、部屋に閉じ込めておいて相互進化するようなAIを載せてということをやらないと面白くならないだろうなとは思っていて。これはかなり難しいとは思うんだけど、それで2人の関係の中で音楽ができちゃっているみたいなものになったとき、全く新しい芸術になる。
藤田:人が介在しない作曲、音楽…。
渋谷:そう、人が入る余地がない関係性の音楽作品を、人が聴く。
藤田:どういうロボットをどうつくるのかというところに、渋谷さんのアイデアが反映されるわけですか。
渋谷:僕は、誰々にそっくりなロボットとかは、限界があるなと思っています。というのは、初音ミクというのはキャラクターだから強いわけで、何かにそっくりなロボットはキャラクターにはなり得ないから。例えばレディー・ガガのロボットのTシャツと、レディー・ガガ自身のTシャツ、どっちを買うかといったら、本人のTシャツを買いますよね。それが「キャラクター」であるということだから。
だから、完全に人間に似せているだけのロボットではなくて、半物体半人間みたいな、機械と人間の境界を超えたものをつくりたいと思っている。そんなロボットが独唱で歌っていて、人間のオーケストラが伴奏するコンサートをやるとか面白いなと思っています。
プログラミングにも魂は宿る
藤田:最近は、ディープラーニングも話題になっていますね。
渋谷:ディープラーニングというのは、要するにビッグデータをどう扱うかということですよね。
この間「MEDIA AMBITION」をやるときに、僕の10年間分のサウンドファイルを東大でディープラーニングしてもらったのです。それでノイズをつくったけど、センスのいい学生がやると、やはり面白いノイズができる。だから、プログラムにも魂は宿ると思った。
藤田:ある種の指向性というか、ディレクションができるわけですね。
渋谷:そう、それは絶対出てくる。ディープラーニングでつくったデータは、意図的に一つの公式でつくったノイズよりは複雑というか、変にスカスカ感と複雑さが同居しているような、今までにちょっと聴いたことがないものになった。で、こういう超カッティングエッジなことはできるけれど、僕はそこからさらに、マスというか、汎用性に落としていきたいんです。
僕は分かる人だけ分かればいいとは全然思ってないんです。広告の音楽も含め大体自由にさせてもらっているから、マス向けの作品を自分の演奏会でも弾くし、アルバムに入れたりすることもある。でも、広告にありがちなマスのために仕事でつくった音楽なんて、誰も聴きたくないですよ。音楽をつくるというのは、自分が自分じゃない何かの直感とつながる瞬間がないとできなくて、そのつながる、天から降りてくるものの周りの容積をどれだけ増やしてあげるかということなのです。その容積をどういう形、色にするかをチューニングする。
藤田:渋谷さんのつくっていらっしゃるクリエーションは、感情に直撃する感じがしていて、メッセージももちろん届くんですけれど、それよりも先に感情が動かされているというか、つかまれている感じがします。そこに、計算はどの程度あるんですか?
渋谷:衝動があって、さらに計算がすごい速さでついてくるときがある。そのときは、血管がドクドクいって「あ、来てる、来てる、来てる…」と思う。
ノイズミュージックは人間の認知を、ある段階で超える
藤田:CMの曲や、僕も大好きなドラマ「SPEC」の音楽とか、オーダーがあって向き合うクリエーションへのスタンスも教えてもらってもいいですか。
渋谷:僕にとっては、条件が全くないクリエーションというのはない。自分のソロにしたって、発表形態はどうなのかということは絶対付きまとうから。僕は、こういう感じにしてとか、あの曲みたいにしてという発注はされないで済んでいるので、大体好きなようにつくらせてもらっているんです。だから、ほとんど差がないかな。
ドラマとかCMって覚えやすい方がいいじゃないですか。覚えやすい方がいい曲をつくるときに、ピアノの名曲を思い浮かべるとだめなんですよ、パクリになるから。僕には得意技があって、全然関係ないブラックミュージックのすごくいい曲の断片をちょっと想像して、一度忘れた後にピアノを弾くといいのができたりする(笑)。
藤田:渋谷さんから生まれる音楽そのものに、何かがあるとしか思えない。自由につくっているのに、聴く方はハマる。
渋谷:オーダー仕事は、僕は全く苦にならないですよ。
藤田:僕らは制約慣れというか、制約がないと動けない、クライアントからオリエンをもらわないと動けない体質になっているんです。
渋谷:そういう役割の人がいていいんだけど、制約を受けっぱなしのアーティストとやると薄まったものができちゃう。日本のアーティストは、海外のアーティストに比べると、異常に生活危機意識が強い人たちが多いので、オーダーに対して素直なんです。飼い慣らされやすいから、聴いていてもスポイルされたような音楽が多い。でも、広告にとっては、本当はスポイルされてないものの方がいいはずですよね、絶対。
藤田:絶対いいです。それだけで価値になって、分かりやすい方が。「そうだ 京都、行こう。」みたいな超ロングセラーCMでも、渋谷さんの音だとすぐ分かるのが不思議です。

2015年 Cosmogarden
渋谷:この前の「そうだ 京都、行こう。」も最初の何秒かで分かるっていう連絡がいくつも来ました。僕は、割とアカデミックなことをやっていたけど、あの世界は制約が多いじゃないですか、楽器編成とか。だから制約があるのは当たり前なんです。あと、音楽を聴いたときに、素のリスナーになかなかなれない。新しい音楽を聴いたときに、これどうできているんだろうとか、構造をリアライズする頭にどうしてもなるから。
藤田:音楽の聴かれ方は、これからどう変わっていくと思われますか。
渋谷:すごくイージーに消費されるものと、そうじゃないもの、二極化すると思っていて、やはりネットが鍵だなと思う。というのは、ストリーミングで現状の最高音質の規格のDSDがコンバートなしで聴けるようになると、結構いいステレオとかを持つ意味が再び出てくるし、逆にコンピューターのスピーカーでも十分いい音が聴けるから、これからはファイルなんて持つ必要ない。
ディープラーニングも、例えばDCGANっていうプログラムでもサウンドデータを高いクオリティーのまま回すのはまだ無理なんです。でも逆にMP3まで落としちゃって、コンピューターの仮想空間で計算をやらせて、最後の段階でバッと高音質に上げればいいだけじゃないかとか、東京大学の池上高志さんといろいろやっているところです。そういう仮想領域をコンピューターにつくってというのは面白いと思う。あと、建築や公共空間と音楽の関係にディープラーニングの自動生成を使うアイデアもあって、これも進めようと思ってます。
やっぱり鍵になるのはコンピューターを100%生かして音楽をつくるときに何ができるかということ。例えば今のメディアアートにつけられてる音楽を聴くと皆きれいなソフトシンセサイザーとビートで、いわゆるエレクトロニカのややゴージャスな焼き直しみたいになってるんだけど、それはあまり面白くないなと思っています。コンピューターが持つ可能性を100%出し切っているとは思えなくて、やはりコンピューターじゃないと出ない音やフォルムをつくらないとダメだなと。僕はピアノも弾くし、必要があればオーケストラも書いたり、全部やるからそうじゃないとコンピューターを使っている意味がないんです。
だから、コンピューターを軸に音楽を考えると何がノイズで何が楽音か、メロディーかとかいうのは全然重要じゃなくて、それらは並列なんです。今は音楽が多層的にレイヤーされているような音楽は減ってきてて、ひとつの音に情報量や密度、あとは快感を感じるような聴かれ方が増えている。それは現在の他のアートやテクノロジー、情報環境の影響と相互関係にあると思います。だから音楽をそれ単独の問題として考えないというか大きな枠として文化の一部にあるというのが大事な認識で、そこに流れているのがテクノロジーという共通言語なんだと考えています。
藤田:ロボットとAIの話は、まさにそういう、まだ聴いたことない音楽、鳴らされていない音ですね。その出現を待っています。僕は渋谷さんの音楽が大好きなので、今日はすごく緊張しましたが、とてもぜいたくな時間でした。本当にありがとうございました!

渋谷 慶一郎
作曲家/アーティスト
1973年生まれ。東京芸術大学作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作に 「ATAK000+」「ATAK010 filmachine phonics」など。09年、初のピアノソロ・アルバム「ATAK015 for maria」を発表。2010年には「アワーミュージック 相対性理論 + 渋谷慶一郎」を発表。 以後、映画「死なない子供 荒川修作」「セイジ 陸の魚」「はじまりの記憶 杉本博司」「劇場版 SPEC~天~」、TBSドラマ「SPEC」など数多くの映像作品で音楽を担当。コンサートのプロデュースや、初音ミク主演による世界初の映像とコンピューター音響による人間不在のボーカロイド・オペラ「THE END」を制作、発表。パリ・シャトレ座や、オランダ・ホランドフェスティバルでの公演も話題となった。 最近ではJWAVEの新番組「AVALON」のサウンドプロデュースを手掛け、ヘビーローテーションされているテーマ曲が大きな話題となった。この5月にはパリでオペラ座のダンサー、ジャレミーベランガールらとのコラボレーションによる新作公演「Parade for The End of The World」が控えている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
ホラーで、世界の感情を揺さぶる:頓花聖太郎(後編)
- August / 15 / 2017
新しい「ホラーの概念」を、テクノロジーで拡張していく
笠井:ホラーってある種ワンパターンになりがちで、お化け屋敷もですけど、マンネリをどう打破していくか、気をつけていることはありますか。
頓花:それ、悩むんですよ。もちろんいろんな工夫がありますが、ホラーの文脈だけじゃなくて、できるだけホラー以外のエンターテインメントで、「これは見方を変えたらホラーになるよね」とかそういうところで、別の分野の概念から発想を輸入してこようとはしているつもりです。次にやりたいなと思うのは、漫画表現でホラーっぽいコンテンツをつくれないかなとか、ちょっとずつ表現を外側に広げています。
笠井:テクノロジーの変化、たとえばVRなどによって、ホラーは今後どう変わっていくと思いますか。
頓花:僕が基本的に思うホラーの楽しさって、一人で体験して終わるパターンより、みんなでギャーギャー言いながらというのが原体験になっています。スマホとか今のVRはどうしても一人の体験になりがちだと思うんですが、テクノロジーの進化で今まで共有できなかったものがぐんと広がっていくと思う。わざわざお化け屋敷へ行かないと体験できなかったものが、気軽に家で友達と一緒に、全国どこでも体験ができるようになると面白いですね。
笠井:楽しみ方が広がりますね。
頓花:ええ。僕はひとりでお化け屋敷へ行ったり、ホラー映画を見に行ったりもするんですが、やっぱりあまり面白くないんですよ。誰か隣の人にギャーギャー言いたい。あまり周りにホラー友達がいない人でも、テクノロジーがそこを解決していってくれるといいですね。それがこれからのテクノロジーの使いどころですね。
笠井:ホラーというと夏ですが、冬の仕事はどんな感じですか。
頓花:もちろん冬ホラーの分野を開拓したいなと思っていますよ! もしくは、季節を問わないホラー体験をつくっていかないと、今年来年は生き延びても、いつか会社が死ぬ(笑)。新しくホラーの概念を拡張していくようにしていかないといけないと常に思っています。
最近ニコニコ超会議で「町VRホラーカー」をつくって、それもすごい楽しかった。

町VRホラーカー
頓花:車の中でヘッドセットをつけて体験するVRなんですけれど、背中にSubPacという振動を感じるウーハーをつけているので、本当に車が走っていて、どんどん襲われてくるような感じの演出が味わえます。しかも体験を終わった人が次に体験する人を、車を揺らしたりして脅かせるアナログな仕組みもあるんです。お客さん自身が次の客を脅かすなんて、ちょっとばかばかしいけど、そのことが「一緒に盛り上げている感覚」をつくれて面白かったですね。
笠井:それはどこで体験できるんですか?
頓花:ニコニコ町会議のイベントの一環としてですね。今年の夏は、日本中を回りますよ。お化け屋敷文化には新しい進化、イノベーションがしばらく起きていないような気がしている。ホラーの見せ方にテクノロジーを使った発明が加われば、従来型の「ザ・お化け屋敷」というフォーマットじゃない形のイベントをいろいろつくれるはずです。
「怖い」という感情を楽しむ文化、ホラーの楽しみ方の普及
頓花:怖いということの、楽しみ方を普及させなきゃいけないと思っているんです。怖さって、敷居は確かにあるんですけれど、ちょっとしたお作法を覚えると誰でも楽しめる。
映画を見て、めっちゃ泣くとか、めっちゃ笑うとか感情を揺さぶられるじゃないですか。めっちゃ怖がるという一手においても、怖さほど心が動く体験ってそうそうないと思うんです。でも恐怖という感情だけは我慢しようとしちゃう、耐えることをが目標になってる。そこを楽しめるマインドにスイッチを切りかえたら、すごく感動できるはず。
怖さを乗り越えられた自分であったり、それが終わったときの安心感との感情の落差だったりを見いだせるようになってきたら、絶対誰でも楽しめる。その楽しみ方まで提供できたらいいなと思っている。例えば、楽しみ方のコツのひとつは、我慢せずに声を出すことなんですよ。
笠井:大きな声で叫ぶ。
頓花:そう、怖かったら素直にギャーッと言うと、めっちゃ楽しいんですよ。
笠井:確かに。楽しんでやろうという気持ちで参加することが大事ということですね。
頓花:嫌々行ったらひとつも楽しくない。少しでも前のめりで、どんどん声出していこうというつもりで行くと、めっちゃ楽しいです。だから僕、一人で行ってもギャーギャー叫びながらお化け屋敷を巡るんですよ(笑)。ホラーに関しては泣き叫ぶのが恥ずかしくないという、感情をぶつける文化をつくりたい。
笠井:それ、大事かもしれない。いかに叫ぶの我慢するかで、その我慢がすごいストレスなんですよね。とくに私も含めた女子には。叫んだらストレス発散にもなりますよね。
頓花:日本人って、肝試しとかもそうですけど、ビビらないというのが目的になっていたりするじゃないですか。逆ですよ。ビビるのを楽しもうよ(笑)。
笠井:「何怖がってんだよ~、おまえ」みたいなことを言われますよね、悔しい(笑)。
頓花:いま大阪でNTT西日本さんと毎日放送さんがやってる梅田お化け屋敷「ふたご霊」で協力させてもらってますが、その中の施策の一つで、どれだけビビったか、という数字が出てくるんです。実際に計測しているのは、どれだけ楽しんだかということで、NTT西日本さんがつくった複雑な計算のもとで数字として出している。ギャーギャー言って楽しんだ人ほど高得点が出る。そういう指標を持って楽しめるようになってもいいのかなと思ったりします。

ふたご霊
ホラーの世界観のバリエーションを、多彩にアートディレクションする
笠井:ホテルでやられた企画もありましたね。
頓花:USJに隣接している公式ホテル「ホテルユニバーサルポート」でハロウィーンシーズンに行いました。ホテルの一室だけ、期間はそんなに長くなくて、ウェブプロモーション的なことは一切しなかったのですが、昨年結構予約が埋まったと聞いています。

ホテルユニバーサルポート企画
笠井:鏡に血がバーッとか、そういうことですよね。
頓花:あまり詳細を言うと面白くないけど、映像で人がガーンと出てきたりするんです(笑)。宿泊客は夜中2時ぐらいまで脅されます。壁にディスプレーを仕込んだ鏡を埋め込んでいるんですけれど、そこにさまざまな演出が起きるのですね。
笠井:お客さんは、若いカップルなどですか。
頓花:基本的にR15にしていたので、15歳未満は泊まれない部屋です。苦情が出ても困るので。そこらへんに血やら手首やら、散らばっているので(笑)。結構オールジャンル層でアンケートの評価もよかったみたいです。
笠井:寝れないでんすね、2時まで(笑)。
頓花:そう、夜中2時まで映像が出ますから(笑)。寝たら損ですよ。最大4人まで泊まれる部屋です。
笠井:じゃ結構ワイワイみんなで行けますね。
頓花:ええ。USJでハロウィーンを楽しんで、夜はホテルで謎解きを楽しみつつ泊まれるみたいな感じですね。
笠井:ちなみに、ホラー以外に好きなものはなんですか。
頓花:ホラーの仕事と隣接するんですけれど、テーマパークが好きですね、ジェットコースターとか。遊園地自体のアートディレクションに興味があって、ディズニーシーとか、岩の苔までこだわっていたりするじゃないですか。そんなのを眺めるのが好きで、岩だけを見てずっといられる(笑)。
今はホラーを扱うデメリットとして、皆さんご予算があまりないケースが多く、どこで妥協するのか、どこまでこだわるのかという戦いには毎度なってしまう。あと、スケジュールもタイトで、夏までにリリースしないといけないとか。予算が増えれば、もっともっとこだわり抜きたいですね。
笠井:家族みんなでホラーを楽しんでもらうブランディングが必要ですね。
いつかホラー×テクノロジーの大展覧会をつくりたい
頓花:ホラーイベントとなると、すぐお化け屋敷に集約しようとするんですが、そうじゃない形がいろいろある。普段の生活の延長線にホラーを注ぎ込んだら、すごく面白くなると思う。
笠井:新幹線で北海道から九州までホラートレインが走るとか、「はとバス」などでホラーツアーがあってもいいですし。面白そうですよね。みんなで叫べるし(笑)。
頓花:ちゃんとしたイベントとして成立できるところまでテクノロジーを使うと、繰り返し性やインタラクティブ性が強いこともできる。実はお化け屋敷も、入場者は女性の方が多いんですよ。USJのホラーイベントに行ったらびっくりします、女子ばっかりなので。女性は本気で叫べるというのが、楽しさや満足度につながっていると思う。
面白いテクノロジーもいっぱいあるんですよ。最近気に入っているのは先ほども挙げたSubPac。背中で感じる触感性のあるウーハーなんですけれど。重低音が体にズンズン響くのをうまく利用して、背中をそれこそ人がドーンと押しているみたいに感じるとか。
笠井:衝撃を受ける感じですか。
頓花:そうです。超でかい重低音のスピーカーを、背中に背負っているみたいなものです。それをうまく利用すると、車に乗って走りだす感じとか、心臓のドキドキ音を感じるとか、そういう感覚をつくれたりします。その他にも僕は、使えるガジェットを結構たくさん集めています。
笠井:ホラーに向くいろんな仕掛けを、アナログからデジタルまで。そういうの、ノウハウ知りたいです。やはりすごく努力しているんですね。
頓花:好きで集めてる。あと、指向性スピーカーはいいですよ。なかなか他では体験できない音の出し方ができます。
笠井:指向性スピーカーって、例えば私が歩くと音がついてくるとかですよね。
頓花:はい。超ピンポイントで狙えるようにつくれるので、耳元から誰もいないのに声がするとか。壁を狙ったら、その壁から反射で誰かがしゃべりかけてくるとか。キネクトみたいなセンサーを入れておいたら、自動的に顔を追尾するとかも可能です。
笠井:ホラープロポーズとか、ホラー結婚式の司会も面白そうですね。
頓花:いいですね、それ(笑)。ポピュラーに、そういう文化ができてほしいんです。
笠井:すごく楽しいですね!「ホラー×ラブ」みたいな。
頓花:「ホラー×○○」にすると、いろいろ放り込めるはずなんです。怖いという感情をどう使うかというメニューを広げたい。僕から言うと、エンターテインメントの中でホラーという席が「あれっ、空いてる」みたいな感じだったんです。「ここ、俺のもの!」という気持ち。
もちろん、ホラー界の先人の素晴らしさを否定することは全くないんですが、テクノロジーを掛け合わせるというところでいうと、僕らにもアドバンテージはあるかなと思ってます。
笠井:ぜひ、何か一緒にイベントをつくらせてください! 今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。

頓花 聖太郎
株式会社闇 アートディレクター
1981年 兵庫県生まれ。元々はグラフィックデザイナー。 2011年 関西の制作会社 STARRYWORKSにアートディレクターとして入社。 大好きなホラーを仕事にすべく2015年、株式会社闇を設立。

笠井 真里子
株式会社電通 電通ライブ
2004年4月 電通入社。メディア局、プロモーション局を経て、現在のイベント&スペース・デザイン局に配属。リアル/バーチャルどちらの世界でも、共感を生み出す空間づくりを目指している。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(前編)
- August / 15 / 2017
照明の地位は低過ぎる? 照明主役の提案をすること
藤田:僕はイベントやスペース開発を扱うプロデュースセクションにいまして、普通イメージされる「広告」より、もうちょっと実物に近かったり、プロジェクトに近いものをやっています。自分たちがつくった空間やイベントに、世の中の人がリアルに接する際には照明はとても重要で、繊細なデザインが必要だと思っています。でも、照明って予算を真っ先に切られがちじゃないですか。
岡安:それがすごく嫌ですね。照明の場合、常に分かりやすい価値が提供できるかというと、そうでもないんですよ。普通の照明も重要じゃないですか。それを伝えるのがとても難しい。僕の場合は、自分の立場を守るためですが、「これを外したらもうどうにもならない」という提案に持っていっちゃう(笑)。照明が主役ぐらいの状態まで無理やり持っていってしまう場合が多いです。
絶対、他の人に触れない、「この人に頼んでおかないとやばい」という状況まで持っていくように考えています。それは意識の中では建築と同じぐらい、同じというと失礼なんだけれど、建築と同等のバリューまでデザインを上げてしまうという感覚ですね。
メーカーを創業したつもりが、いつの間にか照明デザイナーになっていた
藤田:では、早い段階から声をかけてもらわないと無理ですね。
岡安:その方がアイデアが残りますよね。後の方で声がかかってくる案件は、大概予算を削られて終わっちゃうし。やれることも限界が出てくる。思い切ったことをやろうという提案をして、いいねとなっても「もうお金がないから」という話になるので。
藤田:中村拓志さんや青木淳さんら、名だたる建築家とお仕事をされていますが、声のかかり方によって建築家との仕事の仕方は違うのですか。

東急プラザ表参道原宿
中村拓志/NAP建築設計事務所+竹中工務店
©Koji fujiiNacasa and Partners Inc.
岡安:ケース・バイ・ケースですね。僕の仕事の場合、エンジニアリングの側面もあるので、他の照明メーカーに任せて進んでいた案件を、最後の最後になって「やっぱりやばい」と、急に「入って助けてくれ」となる話もあるので。
藤田:照明デザイナーになられる前に、照明器具のエンジニアだったんですよね。そこから照明デザイナーになろうと切り替えていった契機は何かあるのですか。
岡安:契機らしい契機はないです。もともと農林水産省の外郭団体で機械工学をやっていて、照明メーカーを創業しようという話に何となく乗っかって、器具を設計していって、そのうちいろんなメーカーの名刺を持たされ始めるんですよ。
藤田:えーっ。なんか物騒な話ですね(笑)。
岡安:いろんな会社の名刺を持って打ち合わせに来てくれという話になって。そうするともちろん、いろんな人と知り合うじゃないですか。そのうち建築家の人たちの間で、以前メーカーに頼んで出てきたあの人が、またあそこにいると(笑)。どこのメーカーに頼んでも僕がいる、みたいなことになって(笑)。「あれ、同じ人だよな」「だったらあの人に相談した方が早くないか? 」となっていった。
そのころ僕としては、創業したての後発メーカーだったので、小さなメーカーがどう食っていこうかというのを真面目に考えると、多少デザイン的なところに寄っていかないと3~4人で始めたような会社が戦えるはずもない。特化させるために、頼まれた仕事を終えてから、同世代の建築家にデザイン提供や技術提供をやっていたのです。
無償で建築家の永山祐子さんや石上純也さんなどの相談に乗って、実際に一緒に形にして、みたいなことをずっとやっていくうちに、照明の世界へ入って3~4年ぐらいたったころから、デザインを依頼したいという話がすごく来るようになった。とはいえ自分たちはメーカーを創業したんだし、メーカーとして会社をでかくした方がお金持ちになれそうだなと思って(笑)、なかなかやめる踏ん切りをつけずにきてしまいました。

afloat-f
永山祐子建築設計
©Daici Ano
照明は強烈にマスプロダクト化してるから、それを並べるだけじゃダメ
岡安:8年ほど前ですが、大御所といわれるような建築家の人たちから、ドカドカッと一気に巨大な案件が来ちゃったので、これは片手間ではできないなという話でメーカーはやめちゃったんですよ。
藤田:なるほど。会社として「デザインの提供」と言っているのは、もちろん照明視点からのものですよね。
岡安:そうです。結局、一つ一つ特別なものをちゃんとつくってあげたいと思ったときに、照明って強烈にマスプロダクト化しているから、それを並べ替えるだけで果たして特別なものが提供できるのか、思い悩むわけですよね。わざわざ頼んでくれたのに、家電量販店で売っているようなものを並べるだけで大丈夫なのかと。お金がないなりの特別なものはどうやったらつくれるか、という仕組みづくりをずっとしていた。
藤田:つくり方からつくるという立ち位置は強みだし、特徴にもなりますよね。
岡安:楽ですよね、いろいろ考えるのが。
藤田:憧れます。つくり方からつくれる人が一番強いと思うから。
岡安:僕は、一番強い人は、一番金持ちにならなきゃいけないと思うわけ(笑)。僕は金持ちになっていないから、そんなにすごいことやっているんじゃないと思うけど。
僕の照明デザインは、既に在るものを違う価値に変換する「利用工学」
藤田:エンジニアからデザイナーに舵を切っていって、今の仕事の面白さはどういうところにありますか?
岡安:僕の場合のエンジニアって、製品を発明しちゃうようなエンジニアじゃないので。利用工学ですよね、既にあるものを利用して形にしていくというものだから。エンジニアリングというほどエンジニアリングじゃなくて、単純にものづくりの経緯が分かっている程度の話なのかもしれません。
ちょっと前まで遡ると、反射鏡の設計をできる人はメーカーにもあまりいなかったので、反射鏡がつくれるしレンズも設計できるのは自分のアドバンテージだと思っていたけど、LEDになったらあまり反射鏡の設計は必要ない。
そうすると、光の特性を知っているということが一つの価値にはなるかもしれません。今の僕は人が想像できていない何かをつくれちゃうような場所にはいるんですよ。今の立ち位置にいると、比較的新しい情報が入りやすい。技術的な話がよく入りやすい場所にいるし、デザイン業界のこともよく聞こえてくる場所にいる。だから比較的、知識とか経験が形に結びつきやすいという意味で、デザインとエンジニアリングが同時にそばにあるというのは良いことだとは思います。
藤田:あえてLEDじゃない照明を使うという手法も、ありますよね。
岡安:あります。でも、LEDを使いこなすことは大事です。僕はこの10年来、ある価値を照明が生み損なったとするならば、「蛍光灯の時代に、蛍光灯を正しくデザインしきれなかった」からだと思っている。
蛍光灯と同時期に、放電灯という、街路灯に使うようなものも出てくるんですけれど、そういうものがうまくデザインされていないし、デザインしたものが人間の生活に落ちてきていない。白熱電球とかハロゲン電球はデザインプロダクトとしても普及したのに、蛍光灯とか放電灯は、ちゃんとデザインされてこなかった。
僕はLEDが2005~06年に出始めたときから、とにかくLEDを使えるものにしなきゃと思っていた。今でこそLEDも性能が上がって普通に使えるようになったんですが、使えなかったときから、必死にろくでもない性能のLEDを身近なものに変えるという試みをやっていたのです。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
音楽とは空間と時間をつくること:渋谷慶一郎(後編)
- July / 31 / 2017
「スケアリー・ビューティー」を、無限大に拡張するためのテクノロジー
藤田:ボーカロイド・オペラもやられていますが、どんなふうにテクノロジーを捉えていらっしゃるのか。作品に取り込む際のスタンスを教えていただけますか。
渋谷:例えば、最近パリで新しいプロジェクトの打ち合わせをしているときによく口にしているのが「スケアリー・ビューティー」という言葉なんです。不気味だけど美しい、気持ち悪いけど感動するとか。テクノロジーはこの方向性を拡張するのに使いたいし、そこに可能性を感じています。当たり前だけど、新しい技術を使うことが大事なんじゃなくて、表現として何がしたいかが大事なんです。日本はそうでもないけど、特にヨーロッパは良くも悪くも何を言いたいかというのが明確にない作品は「何、それ」という感じになるし、実際それは「何、それ」なんですよね(笑)。
ただ、テクノロジーが表現の中心にあると「カッコよく」なりやすい。ミニマリスティックだったり、「カッコいい」アートを生むのにひたすら使われてるし、実際それは向いている。基本がゼロイチでコピー&ペーストだから。
でも、「カッコいい」は上書きされやすいしすぐに更新されちゃう。それは「カッコいい」の鍵になっている精度という基準がそもそも更新されるのを前提に存在しているからです。結果的にテクノロジーとカッコいいの組み合わせはその精度が占める割合がほとんどだからすぐに古くなるんです。 それに比べると不気味なものの強さというのはあって、それはここ50年くらいは見過ごされてきた感があるけど、テクノロジーを軸に見直してもいいと思ってるんです。例えばピカソの絵は決して自宅に飾りたいようなものではないけど、ある種の不気味さと強さが残る。この方向性は今までのテクノロジーとアート、音楽の関係でいうとカオスとかノイズになりやすかったんだけど、そうじゃなくてグニャグニャに曲がってて不気味なんだけど美しい音楽みたいなものが可能になってきた気がしていて、僕は今ソロアルバムがつくりたいんです(笑)。なんか没頭するに足る世界がある気がしてきたというか。
藤田:確かに、渋谷さんのボーカロイド・オペラ「THE END」を見たとき、僕も和の怪談の持っている怖さを雰囲気で感じました。
渋谷:「THE END」はパリでやったときも日本的だと言われましたよ。むしろ怪談的なのかな(笑)、僕は全然意識してなかったけれど悪くないなと思っています。

2015年 wayofrabbit
AIを載せたロボット2人が、相互進化で音楽をつくってみる
渋谷:AIも、その方向で捉えているのです。アンドロイドをボーカリストにして、オーケストラ伴奏とかコンピュータを使ってというのをずっと進めていて、もしかしたら年末あたりにできるかもしれない。ただ、究極的にはロボットを2台つくって、部屋に閉じ込めておいて相互進化するようなAIを載せてということをやらないと面白くならないだろうなとは思っていて。これはかなり難しいとは思うんだけど、それで2人の関係の中で音楽ができちゃっているみたいなものになったとき、全く新しい芸術になる。
藤田:人が介在しない作曲、音楽…。
渋谷:そう、人が入る余地がない関係性の音楽作品を、人が聴く。
藤田:どういうロボットをどうつくるのかというところに、渋谷さんのアイデアが反映されるわけですか。
渋谷:僕は、誰々にそっくりなロボットとかは、限界があるなと思っています。というのは、初音ミクというのはキャラクターだから強いわけで、何かにそっくりなロボットはキャラクターにはなり得ないから。例えばレディー・ガガのロボットのTシャツと、レディー・ガガ自身のTシャツ、どっちを買うかといったら、本人のTシャツを買いますよね。それが「キャラクター」であるということだから。
だから、完全に人間に似せているだけのロボットではなくて、半物体半人間みたいな、機械と人間の境界を超えたものをつくりたいと思っている。そんなロボットが独唱で歌っていて、人間のオーケストラが伴奏するコンサートをやるとか面白いなと思っています。
プログラミングにも魂は宿る
藤田:最近は、ディープラーニングも話題になっていますね。
渋谷:ディープラーニングというのは、要するにビッグデータをどう扱うかということですよね。
この間「MEDIA AMBITION」をやるときに、僕の10年間分のサウンドファイルを東大でディープラーニングしてもらったのです。それでノイズをつくったけど、センスのいい学生がやると、やはり面白いノイズができる。だから、プログラムにも魂は宿ると思った。
藤田:ある種の指向性というか、ディレクションができるわけですね。
渋谷:そう、それは絶対出てくる。ディープラーニングでつくったデータは、意図的に一つの公式でつくったノイズよりは複雑というか、変にスカスカ感と複雑さが同居しているような、今までにちょっと聴いたことがないものになった。で、こういう超カッティングエッジなことはできるけれど、僕はそこからさらに、マスというか、汎用性に落としていきたいんです。
僕は分かる人だけ分かればいいとは全然思ってないんです。広告の音楽も含め大体自由にさせてもらっているから、マス向けの作品を自分の演奏会でも弾くし、アルバムに入れたりすることもある。でも、広告にありがちなマスのために仕事でつくった音楽なんて、誰も聴きたくないですよ。音楽をつくるというのは、自分が自分じゃない何かの直感とつながる瞬間がないとできなくて、そのつながる、天から降りてくるものの周りの容積をどれだけ増やしてあげるかということなのです。その容積をどういう形、色にするかをチューニングする。
藤田:渋谷さんのつくっていらっしゃるクリエーションは、感情に直撃する感じがしていて、メッセージももちろん届くんですけれど、それよりも先に感情が動かされているというか、つかまれている感じがします。そこに、計算はどの程度あるんですか?
渋谷:衝動があって、さらに計算がすごい速さでついてくるときがある。そのときは、血管がドクドクいって「あ、来てる、来てる、来てる…」と思う。
ノイズミュージックは人間の認知を、ある段階で超える
藤田:CMの曲や、僕も大好きなドラマ「SPEC」の音楽とか、オーダーがあって向き合うクリエーションへのスタンスも教えてもらってもいいですか。
渋谷:僕にとっては、条件が全くないクリエーションというのはない。自分のソロにしたって、発表形態はどうなのかということは絶対付きまとうから。僕は、こういう感じにしてとか、あの曲みたいにしてという発注はされないで済んでいるので、大体好きなようにつくらせてもらっているんです。だから、ほとんど差がないかな。
ドラマとかCMって覚えやすい方がいいじゃないですか。覚えやすい方がいい曲をつくるときに、ピアノの名曲を思い浮かべるとだめなんですよ、パクリになるから。僕には得意技があって、全然関係ないブラックミュージックのすごくいい曲の断片をちょっと想像して、一度忘れた後にピアノを弾くといいのができたりする(笑)。
藤田:渋谷さんから生まれる音楽そのものに、何かがあるとしか思えない。自由につくっているのに、聴く方はハマる。
渋谷:オーダー仕事は、僕は全く苦にならないですよ。
藤田:僕らは制約慣れというか、制約がないと動けない、クライアントからオリエンをもらわないと動けない体質になっているんです。
渋谷:そういう役割の人がいていいんだけど、制約を受けっぱなしのアーティストとやると薄まったものができちゃう。日本のアーティストは、海外のアーティストに比べると、異常に生活危機意識が強い人たちが多いので、オーダーに対して素直なんです。飼い慣らされやすいから、聴いていてもスポイルされたような音楽が多い。でも、広告にとっては、本当はスポイルされてないものの方がいいはずですよね、絶対。
藤田:絶対いいです。それだけで価値になって、分かりやすい方が。「そうだ 京都、行こう。」みたいな超ロングセラーCMでも、渋谷さんの音だとすぐ分かるのが不思議です。

2015年 Cosmogarden
渋谷:この前の「そうだ 京都、行こう。」も最初の何秒かで分かるっていう連絡がいくつも来ました。僕は、割とアカデミックなことをやっていたけど、あの世界は制約が多いじゃないですか、楽器編成とか。だから制約があるのは当たり前なんです。あと、音楽を聴いたときに、素のリスナーになかなかなれない。新しい音楽を聴いたときに、これどうできているんだろうとか、構造をリアライズする頭にどうしてもなるから。
藤田:音楽の聴かれ方は、これからどう変わっていくと思われますか。
渋谷:すごくイージーに消費されるものと、そうじゃないもの、二極化すると思っていて、やはりネットが鍵だなと思う。というのは、ストリーミングで現状の最高音質の規格のDSDがコンバートなしで聴けるようになると、結構いいステレオとかを持つ意味が再び出てくるし、逆にコンピューターのスピーカーでも十分いい音が聴けるから、これからはファイルなんて持つ必要ない。
ディープラーニングも、例えばDCGANっていうプログラムでもサウンドデータを高いクオリティーのまま回すのはまだ無理なんです。でも逆にMP3まで落としちゃって、コンピューターの仮想空間で計算をやらせて、最後の段階でバッと高音質に上げればいいだけじゃないかとか、東京大学の池上高志さんといろいろやっているところです。そういう仮想領域をコンピューターにつくってというのは面白いと思う。あと、建築や公共空間と音楽の関係にディープラーニングの自動生成を使うアイデアもあって、これも進めようと思ってます。
やっぱり鍵になるのはコンピューターを100%生かして音楽をつくるときに何ができるかということ。例えば今のメディアアートにつけられてる音楽を聴くと皆きれいなソフトシンセサイザーとビートで、いわゆるエレクトロニカのややゴージャスな焼き直しみたいになってるんだけど、それはあまり面白くないなと思っています。コンピューターが持つ可能性を100%出し切っているとは思えなくて、やはりコンピューターじゃないと出ない音やフォルムをつくらないとダメだなと。僕はピアノも弾くし、必要があればオーケストラも書いたり、全部やるからそうじゃないとコンピューターを使っている意味がないんです。
だから、コンピューターを軸に音楽を考えると何がノイズで何が楽音か、メロディーかとかいうのは全然重要じゃなくて、それらは並列なんです。今は音楽が多層的にレイヤーされているような音楽は減ってきてて、ひとつの音に情報量や密度、あとは快感を感じるような聴かれ方が増えている。それは現在の他のアートやテクノロジー、情報環境の影響と相互関係にあると思います。だから音楽をそれ単独の問題として考えないというか大きな枠として文化の一部にあるというのが大事な認識で、そこに流れているのがテクノロジーという共通言語なんだと考えています。
藤田:ロボットとAIの話は、まさにそういう、まだ聴いたことない音楽、鳴らされていない音ですね。その出現を待っています。僕は渋谷さんの音楽が大好きなので、今日はすごく緊張しましたが、とてもぜいたくな時間でした。本当にありがとうございました!

渋谷 慶一郎
作曲家/アーティスト
1973年生まれ。東京芸術大学作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作に 「ATAK000+」「ATAK010 filmachine phonics」など。09年、初のピアノソロ・アルバム「ATAK015 for maria」を発表。2010年には「アワーミュージック 相対性理論 + 渋谷慶一郎」を発表。 以後、映画「死なない子供 荒川修作」「セイジ 陸の魚」「はじまりの記憶 杉本博司」「劇場版 SPEC~天~」、TBSドラマ「SPEC」など数多くの映像作品で音楽を担当。コンサートのプロデュースや、初音ミク主演による世界初の映像とコンピューター音響による人間不在のボーカロイド・オペラ「THE END」を制作、発表。パリ・シャトレ座や、オランダ・ホランドフェスティバルでの公演も話題となった。 最近ではJWAVEの新番組「AVALON」のサウンドプロデュースを手掛け、ヘビーローテーションされているテーマ曲が大きな話題となった。この5月にはパリでオペラ座のダンサー、ジャレミーベランガールらとのコラボレーションによる新作公演「Parade for The End of The World」が控えている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
ホラーで、世界の感情を揺さぶる:頓花聖太郎(後編)
- August / 15 / 2017
新しい「ホラーの概念」を、テクノロジーで拡張していく
笠井:ホラーってある種ワンパターンになりがちで、お化け屋敷もですけど、マンネリをどう打破していくか、気をつけていることはありますか。
頓花:それ、悩むんですよ。もちろんいろんな工夫がありますが、ホラーの文脈だけじゃなくて、できるだけホラー以外のエンターテインメントで、「これは見方を変えたらホラーになるよね」とかそういうところで、別の分野の概念から発想を輸入してこようとはしているつもりです。次にやりたいなと思うのは、漫画表現でホラーっぽいコンテンツをつくれないかなとか、ちょっとずつ表現を外側に広げています。
笠井:テクノロジーの変化、たとえばVRなどによって、ホラーは今後どう変わっていくと思いますか。
頓花:僕が基本的に思うホラーの楽しさって、一人で体験して終わるパターンより、みんなでギャーギャー言いながらというのが原体験になっています。スマホとか今のVRはどうしても一人の体験になりがちだと思うんですが、テクノロジーの進化で今まで共有できなかったものがぐんと広がっていくと思う。わざわざお化け屋敷へ行かないと体験できなかったものが、気軽に家で友達と一緒に、全国どこでも体験ができるようになると面白いですね。
笠井:楽しみ方が広がりますね。
頓花:ええ。僕はひとりでお化け屋敷へ行ったり、ホラー映画を見に行ったりもするんですが、やっぱりあまり面白くないんですよ。誰か隣の人にギャーギャー言いたい。あまり周りにホラー友達がいない人でも、テクノロジーがそこを解決していってくれるといいですね。それがこれからのテクノロジーの使いどころですね。
笠井:ホラーというと夏ですが、冬の仕事はどんな感じですか。
頓花:もちろん冬ホラーの分野を開拓したいなと思っていますよ! もしくは、季節を問わないホラー体験をつくっていかないと、今年来年は生き延びても、いつか会社が死ぬ(笑)。新しくホラーの概念を拡張していくようにしていかないといけないと常に思っています。
最近ニコニコ超会議で「町VRホラーカー」をつくって、それもすごい楽しかった。

町VRホラーカー
頓花:車の中でヘッドセットをつけて体験するVRなんですけれど、背中にSubPacという振動を感じるウーハーをつけているので、本当に車が走っていて、どんどん襲われてくるような感じの演出が味わえます。しかも体験を終わった人が次に体験する人を、車を揺らしたりして脅かせるアナログな仕組みもあるんです。お客さん自身が次の客を脅かすなんて、ちょっとばかばかしいけど、そのことが「一緒に盛り上げている感覚」をつくれて面白かったですね。
笠井:それはどこで体験できるんですか?
頓花:ニコニコ町会議のイベントの一環としてですね。今年の夏は、日本中を回りますよ。お化け屋敷文化には新しい進化、イノベーションがしばらく起きていないような気がしている。ホラーの見せ方にテクノロジーを使った発明が加われば、従来型の「ザ・お化け屋敷」というフォーマットじゃない形のイベントをいろいろつくれるはずです。
「怖い」という感情を楽しむ文化、ホラーの楽しみ方の普及
頓花:怖いということの、楽しみ方を普及させなきゃいけないと思っているんです。怖さって、敷居は確かにあるんですけれど、ちょっとしたお作法を覚えると誰でも楽しめる。
映画を見て、めっちゃ泣くとか、めっちゃ笑うとか感情を揺さぶられるじゃないですか。めっちゃ怖がるという一手においても、怖さほど心が動く体験ってそうそうないと思うんです。でも恐怖という感情だけは我慢しようとしちゃう、耐えることをが目標になってる。そこを楽しめるマインドにスイッチを切りかえたら、すごく感動できるはず。
怖さを乗り越えられた自分であったり、それが終わったときの安心感との感情の落差だったりを見いだせるようになってきたら、絶対誰でも楽しめる。その楽しみ方まで提供できたらいいなと思っている。例えば、楽しみ方のコツのひとつは、我慢せずに声を出すことなんですよ。
笠井:大きな声で叫ぶ。
頓花:そう、怖かったら素直にギャーッと言うと、めっちゃ楽しいんですよ。
笠井:確かに。楽しんでやろうという気持ちで参加することが大事ということですね。
頓花:嫌々行ったらひとつも楽しくない。少しでも前のめりで、どんどん声出していこうというつもりで行くと、めっちゃ楽しいです。だから僕、一人で行ってもギャーギャー叫びながらお化け屋敷を巡るんですよ(笑)。ホラーに関しては泣き叫ぶのが恥ずかしくないという、感情をぶつける文化をつくりたい。
笠井:それ、大事かもしれない。いかに叫ぶの我慢するかで、その我慢がすごいストレスなんですよね。とくに私も含めた女子には。叫んだらストレス発散にもなりますよね。
頓花:日本人って、肝試しとかもそうですけど、ビビらないというのが目的になっていたりするじゃないですか。逆ですよ。ビビるのを楽しもうよ(笑)。
笠井:「何怖がってんだよ~、おまえ」みたいなことを言われますよね、悔しい(笑)。
頓花:いま大阪でNTT西日本さんと毎日放送さんがやってる梅田お化け屋敷「ふたご霊」で協力させてもらってますが、その中の施策の一つで、どれだけビビったか、という数字が出てくるんです。実際に計測しているのは、どれだけ楽しんだかということで、NTT西日本さんがつくった複雑な計算のもとで数字として出している。ギャーギャー言って楽しんだ人ほど高得点が出る。そういう指標を持って楽しめるようになってもいいのかなと思ったりします。

ふたご霊
ホラーの世界観のバリエーションを、多彩にアートディレクションする
笠井:ホテルでやられた企画もありましたね。
頓花:USJに隣接している公式ホテル「ホテルユニバーサルポート」でハロウィーンシーズンに行いました。ホテルの一室だけ、期間はそんなに長くなくて、ウェブプロモーション的なことは一切しなかったのですが、昨年結構予約が埋まったと聞いています。

ホテルユニバーサルポート企画
笠井:鏡に血がバーッとか、そういうことですよね。
頓花:あまり詳細を言うと面白くないけど、映像で人がガーンと出てきたりするんです(笑)。宿泊客は夜中2時ぐらいまで脅されます。壁にディスプレーを仕込んだ鏡を埋め込んでいるんですけれど、そこにさまざまな演出が起きるのですね。
笠井:お客さんは、若いカップルなどですか。
頓花:基本的にR15にしていたので、15歳未満は泊まれない部屋です。苦情が出ても困るので。そこらへんに血やら手首やら、散らばっているので(笑)。結構オールジャンル層でアンケートの評価もよかったみたいです。
笠井:寝れないでんすね、2時まで(笑)。
頓花:そう、夜中2時まで映像が出ますから(笑)。寝たら損ですよ。最大4人まで泊まれる部屋です。
笠井:じゃ結構ワイワイみんなで行けますね。
頓花:ええ。USJでハロウィーンを楽しんで、夜はホテルで謎解きを楽しみつつ泊まれるみたいな感じですね。
笠井:ちなみに、ホラー以外に好きなものはなんですか。
頓花:ホラーの仕事と隣接するんですけれど、テーマパークが好きですね、ジェットコースターとか。遊園地自体のアートディレクションに興味があって、ディズニーシーとか、岩の苔までこだわっていたりするじゃないですか。そんなのを眺めるのが好きで、岩だけを見てずっといられる(笑)。
今はホラーを扱うデメリットとして、皆さんご予算があまりないケースが多く、どこで妥協するのか、どこまでこだわるのかという戦いには毎度なってしまう。あと、スケジュールもタイトで、夏までにリリースしないといけないとか。予算が増えれば、もっともっとこだわり抜きたいですね。
笠井:家族みんなでホラーを楽しんでもらうブランディングが必要ですね。
いつかホラー×テクノロジーの大展覧会をつくりたい
頓花:ホラーイベントとなると、すぐお化け屋敷に集約しようとするんですが、そうじゃない形がいろいろある。普段の生活の延長線にホラーを注ぎ込んだら、すごく面白くなると思う。
笠井:新幹線で北海道から九州までホラートレインが走るとか、「はとバス」などでホラーツアーがあってもいいですし。面白そうですよね。みんなで叫べるし(笑)。
頓花:ちゃんとしたイベントとして成立できるところまでテクノロジーを使うと、繰り返し性やインタラクティブ性が強いこともできる。実はお化け屋敷も、入場者は女性の方が多いんですよ。USJのホラーイベントに行ったらびっくりします、女子ばっかりなので。女性は本気で叫べるというのが、楽しさや満足度につながっていると思う。
面白いテクノロジーもいっぱいあるんですよ。最近気に入っているのは先ほども挙げたSubPac。背中で感じる触感性のあるウーハーなんですけれど。重低音が体にズンズン響くのをうまく利用して、背中をそれこそ人がドーンと押しているみたいに感じるとか。
笠井:衝撃を受ける感じですか。
頓花:そうです。超でかい重低音のスピーカーを、背中に背負っているみたいなものです。それをうまく利用すると、車に乗って走りだす感じとか、心臓のドキドキ音を感じるとか、そういう感覚をつくれたりします。その他にも僕は、使えるガジェットを結構たくさん集めています。
笠井:ホラーに向くいろんな仕掛けを、アナログからデジタルまで。そういうの、ノウハウ知りたいです。やはりすごく努力しているんですね。
頓花:好きで集めてる。あと、指向性スピーカーはいいですよ。なかなか他では体験できない音の出し方ができます。
笠井:指向性スピーカーって、例えば私が歩くと音がついてくるとかですよね。
頓花:はい。超ピンポイントで狙えるようにつくれるので、耳元から誰もいないのに声がするとか。壁を狙ったら、その壁から反射で誰かがしゃべりかけてくるとか。キネクトみたいなセンサーを入れておいたら、自動的に顔を追尾するとかも可能です。
笠井:ホラープロポーズとか、ホラー結婚式の司会も面白そうですね。
頓花:いいですね、それ(笑)。ポピュラーに、そういう文化ができてほしいんです。
笠井:すごく楽しいですね!「ホラー×ラブ」みたいな。
頓花:「ホラー×○○」にすると、いろいろ放り込めるはずなんです。怖いという感情をどう使うかというメニューを広げたい。僕から言うと、エンターテインメントの中でホラーという席が「あれっ、空いてる」みたいな感じだったんです。「ここ、俺のもの!」という気持ち。
もちろん、ホラー界の先人の素晴らしさを否定することは全くないんですが、テクノロジーを掛け合わせるというところでいうと、僕らにもアドバンテージはあるかなと思ってます。
笠井:ぜひ、何か一緒にイベントをつくらせてください! 今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。

頓花 聖太郎
株式会社闇 アートディレクター
1981年 兵庫県生まれ。元々はグラフィックデザイナー。 2011年 関西の制作会社 STARRYWORKSにアートディレクターとして入社。 大好きなホラーを仕事にすべく2015年、株式会社闇を設立。

笠井 真里子
株式会社電通 電通ライブ
2004年4月 電通入社。メディア局、プロモーション局を経て、現在のイベント&スペース・デザイン局に配属。リアル/バーチャルどちらの世界でも、共感を生み出す空間づくりを目指している。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
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