2019/02/06
デジタルコミュニケーションで、人類を前進させる:杉山知之(後編)
- August / 08 / 2017
デジタル教育だからこそ、むしろ「アナログであること」をきちんと教える
杉山:新しく開校した「G’s ACADEMY」は何かというと、技術に強いハッカーみたいな人をつくっていくというよりは、こういう事業をやりたい、こういう解決方法があるはずというのを、プログラミングで表現する人をつくるのが目的で、そうすれば起業数もおのずと多くなるはずです。
金子:今はクリエーティブ職もデータドリブンの計測と解析に向き合いながらという時代ですよね。教育でも何かそのことによる変化はあるんですか。
杉山:そこはあまりないですね。逆にデータドリブンになればなるほど、身体感覚がきっと重要だと思っているので、大学ではアナログ的な教育をより充実させている面もあるんです。自分が人間であるということ、人間の性能とか、手先の感覚とか、皮膚感とか、そういうものまでデジタル化できる世の中だからこそ、そこをもう一回ちゃんと自分で考えておく。
プロになれば全て計測とかデータドリブンを信じる世界となるので、学生のうちに自分で身体感覚を確かめておくのが大切です。じゃないと本当に、エンジニアリングと身体感覚や感性、その双方をくっつけることができない。
金子:イベントづくり、商業空間づくり、街づくりで、デジタルハリウッド出身の面白いアーティストはいますか。僕も、新しい才能と知り合って組みたいので(笑)。
杉山:浅田真理さんとか。
金子:東急プラザ銀座のインスタレーションをやっていた人ですね。
杉山:3フロア展開のHINKA RINKA(ヒンカリンカ)のコーナーで、メインのエレベーター前3カ所に勝利の女神「サモトラケのニケ」をモチーフにしたオブジェを置いたんです。インタラクティブなメディアアート作品です。彼女はこれまでにいろいろな仕事をしてきましたが本学の院生でもあるのです。



勝利の女神「サモトラケのニケ」をモチーフにしたオブジェ
杉山:平田元吉さん(※1)という、ファッションとデジタルテクノロジーに取り組んでいる人も面白いですよ。
(※1)平田元吉…モード・ファクトリー・ドット・コム代表。デジタルハリウッド大学院メディアサイエンス研究所 杉山研究室研究員。「FashionTech Summit #001」発起人兼トータルディレクター。

メディアアンビショントーキョーの一環として開催した「FashionTech Summit」で講演をする平田元吉さん
杉山:大学の卒業制作であるにもかかわらず、プロを使う子も多いんです。中国から来た女子学生の林子依さんが、日本のファッションが大好きで、カワイイ系のテキスタイルをつくって着物にしたんですが、30年間日本の着物メーカーの下請けをやっているという中国の工場に頼んで、全部細かく指示してつくらせて、それを自分でつくったウェブサイトで売る、みたいなことをやっている。そして、それが卒業制作でもあるんです。

林子依さんの作品「chéri」
金子:完全に商売ですね(笑)。
杉山:そうなんですよ。卒業制作で、一個商売をつくったということですよね。出来上がった物もかわいかったんですけれど、僕はそういう一連の動きをむしろ評価している。だから表現がうまい子は、あっという間に実際の仕事をもらえるので、大学2年生ぐらいで出ていこうとする。そういう学生は卒業までいさせるのが大変(笑)。
今、人類は72億人ぐらいいますが、実は30歳以下の人が半分以上なんですよ。だから18歳の子には、「30歳以下の人たちに受け入れられることだけやれば、十二分に食えるから」と言ってます。大人が何と言っても関係ない、デジタルコミュニケーションという闘える武器さえあれば。まさに60年代後半にアメリカの若者が叫んだ「Don’t trust anyone over 30.」みたいな感じです(笑)。
金子:今の卒業生は、これから世界規模で闘うということですね。
杉山:そうです。日本にいるから少子高齢化で閉塞感があるけど、アジアなんかは若い人だらけだよって言うんです。若い人はみんなゲームやるし、アニメ見るしコンテンツ大好きだよね、子どもたちには教育コンテンツが必ず要るでしょ、という話をしている。みんな多いに納得してくれます。
非人間的なことは全部コンピューターにやらせて、人間自体の限界点を超える
金子:ICT、クリエーティブ、ビジネスを全部掛け算でやるとうたっていらっしゃいます。未来はどうなるでしょうね、この三つの掛け算で。杉山先生の目からどう見えていますか?
杉山:これまでは、それぞれの産業が人間社会をくまなく埋めて、すき間がないようになってきたように見えました。けど人がデジタルを使って働くことによって、ここまでくまなく回っていた事象の中に人がやらないでよい分野の穴がポコポコ開いて、人から見るとすかすかになってくるんですよ。それでも一応、網みたいには囲まれている。
そのすかすかの中で、職業を失っているという人もいたり、目標が分からないという人もいるかもしれないけれど、仕事がマシンに取って代わられていくことによって、人間は労働という拘束から出られる感じになってきているというビジュアライゼーションなんです、僕の頭の中の未来は。
もっと人間らしいこととか、もっと人だからこそ喜べることの世界に、むしろどんどん人が進出できる時代なんじゃないかな。そして進出していく先に、また新しいビジネスもつくれるという感覚を持っています。だから、エンジニアリングとデザインとビジネスの融合というのは、そのための当たり前の基本パッケージです。
コンテンツにこだわるのはなぜかというと、最終的には人間に対してやっている仕事なら、そのビシネスというのは人の心を動かすというのが全て。そこのノウハウは、エンターテインメント産業、日本でいえばコンテンツ産業にたまっているはずだと思うからです。
文学、美術、いろんなものの表現の脈々とした流れがあって、その流れを単なる個人の芸術というのを超えた形で表出し、人類にさまざまな意味で貢献していくというのが「ICT✕クリエーティブ✕ビジネス」の未来というビジョンを持っています。ここまで人間は行けるんだという限界点を広げるところに、挑戦していくしかない。
金子:やっと人間が目指していったところへ行ける道具が、そろってきたぞという感じですね。
杉山:昔は社会的な規範に頼って生きていられたし、この人の教えさえ守れば幸せに生きられる、そんなふうに自分を区切ることができたけど、そこのたがを外されちゃって、一人一人の人間が自分自身で自分の地平線をつくっていかなきゃいけない時代なんです。
どんなに大変でも、ただ精神的に内にこもって修業するというのではなくて、ポジティブにそんな近未来に打って出るための武器として、僕はデジタルコミュニケーションが役立つと25年前から思っているんです。やっとそういう時代がきたかなと。
そういう時代に面白がってトライする若い人を、できるだけ多く生み出すというのが僕の最後の役目と思っています。大変です。でも、しんどいのが逆に面白いですよ。つまり、挑戦できているという証しなのですから。
クリエーティブな街を、どのようにつくるか:黒﨑輝男(前編)
- July / 26 / 2017
クリエーティブな人が集まるところに、クリエーティブな街ができる
黒﨑:今まさに、Creative City Lab、創造的都市をどう作って行くのか-という本を作っています。ポートランドの開発局とか、昨日も友人のジョン・ジェイと会って話してます。Urban Gleaners=都市の落ち穂拾いの活動をしている知り合いがいて、それは何かというと植物や食べ物の再生なの。日本では農家でとってきたものを流通の基準に合わせで10~15%捨てて、さらに料理の無駄や、リテールもお店が終わったら残りを賞味期限切れで捨てるから、合計すると25%ぐらいの食べ物を捨てている。
僕たちが青山でファーマーズマーケットをやっていて最近よく考えるのは、天の恵み、自然の恵みとしての野菜であり、食べ物だという視点を提供していくこと。お酒なんていうのは「御神酒」というぐらいで、もともと売り物じゃなかったわけです。神社で配るものだった。それが今や全部「商品」になっちゃっているのを、ちょっと考え直して、「NOT FOR SALE」というブランドの酒をこれから造ろうとしています。

【Farmer’s Market@UNU】都市と農をつなげるコミュニケーションをつくる場
毎週末青山の国連大学前で開催
宮口:素敵ですね。ポートランドに興味を持っている人は多いと思いますが、黒崎さんは通算どのくらいポートランドに行かれているんですか。
黒﨑:40~50回かな。
宮口:頻度としては?
黒﨑:年に4~5回。僕の弟がポートランドの人と結婚して、35年間住んでいるから。
宮口:ポートランドは、クリエーティブな街づくりの話をすると、必ず話題に出る街になっていますね。それ以外で、今ご興味がある都市はどこですか。
黒﨑:LAののダウンタウンとか、ニューヨークのブルックリン、デトロイト…。結構ヤバイっていわれるところかな。ロンドンだとイーストエリアのショーディッジ、それからコペンハーゲンとかパリでも一部ある…。あやしいところがどうなっていくかというのを見ているのが、一番面白いです。
LAのベニスビーチは、昔は貧しい人たちが住んでいたけど、今はアーティストがたくさん住んでいる。そうなると、グーグルとかが移ってくるわけ。ポートランドにマイクロソフトの事務所ができたりね。要するにクリエーティブな人材を求めて、大企業自体が動いていく。
宮口:クリエーティブな人たちが集まりやすいのは、あやしい雰囲気があるところということですか?
黒﨑:というか、価値観の変化がある場所。例えばUberやAirbnbも、日本では道路運送法や旅館業法から入るじゃないですか。向こうは、ただ自分の車や家を生かせばいいという感じで始めるからね。
宮口:日本の法律とか規制が多いということが、世界のクリエーティブの潮流と逆方向に行っているということですね。
ファーマーズマーケットには、1日2万人も集まる
黒﨑:たとえば、僕らがやっているファーマーズマーケットの場所、国連大学の周りは特に週末はほとんど人通りのない広場だったんです。
宮口:あそこではそんなイベントはできないと、つい思い込んじゃいます。われわれの常識では。
黒﨑:そうでしょう。でも、国連大学との共同開催でやることにしました。
宮口:国連大学含め関わる人たちの売り上げも上がり、地方の農家の人たちももうかって帰るんですね。
黒﨑:そう。若者たちにも仕事のチャンスが与えられる。パン祭りを開催すると、1日2万人来たりする。パンが1日で1000万円売れる。めちゃくちゃでしょう。最近、こだわってハンドドリップでコーヒーを入れる若者が増えているけど、1日2~3万しか売れない。でも、ファーマーズマーケットでコーヒーフェスティバルをやると、1日15万売れる。

【TOKYO COFFEE FESTIVAL】 地方の小さなコーヒーショップのバリスタから、インターナショナルに活動するロースターまで2日で延べ60店舗以上が出店
お金掛けてないですよ。広告宣伝費も取らないし。クリエーティビティーを求めて、フェスティバルとかイベントに対して、コンセプト、コンテンツプランニング、マネジメント、情報発信の全てを、15~20人の少人数でやるのが面白いの。大企業ではファーマーズマーケットのプロデュースはなかなかできない。
宮口:耳が痛いです(笑)。そのやり方のほうが元気な街になりますよね。自然にみんなが参加してお金もちゃんと回っていく。僕らもいろんなイベントをやりますが、本当に難しくて…。
黒﨑:大企業が仕切ると、コンプライアンスやルールが、いっぱい入ってくるじゃないですか。何があったらどうだとマイナス面を全部ふさいでいくじゃないですか。、肉体労働だけど、誰もやめないんだよ、面白いから。ファーマーズマーケットは、毎土日に組み立てて、終わったら畳んで倉庫にしまう。えらい重労働ですよ。什器もすごく重くて、重石だけでも何トンもある。でも大変でもやめないよ。お客さんも、なかなか帰らないの(笑)。ずーっといたがるんですよ。
宮口:楽しかったら学園祭と一緒で、大変さも苦にならないでしょうね。
都市の情報化を、どうプロデュースするか
宮口:日本の街づくりは、規制緩和すれば変わるでしょうか。
黒﨑:都市が情報化している。今までの不動産って、建物が所有権になっているじゃないですか。あるディベロッパーは生前イベントホールをたくさんつくって、情報の拠点としてテレビ局やラジオ局、必ずメディア会社を入れているの。それは意図的にやっていたんです。だから広告会社が、これから不動産のプロデュースに向かうのは正しいと思う。情報化がキーだから。
最近伸びている会社は、だいたい誰の座席も決まっていないわけ。入り口だけはセキュリティーの関係上チェックするけど、トップも誰一人スーツ着ている人がいなくて、ソフトウェアの会社と同じでみんなカジュアルな感じ。少人数でやっていて、それが3兆円企業だったりするわけ。そういうふうに、会社もものすごい勢いで変わっているよね。
電通もそうあるべきですよ。例えば古いビルをきれいにしたところに少数精鋭チームがいて、東京を再生するみたいな大きなことをしていったほうがいいんじゃないかなと思います。
宮口:リノベーションは流行っていますしね。古いビルが東京はいっぱい出てきていますから。
黒﨑:ポートランドで伸びているACE HOTELも、Tシャツを着た人が「いらっしゃい。どうぞ、どうぞ」って友達を迎え入れるような感じ。Airbnbのように、自分の家に招待するような。ホテルって、最終的には自分の家にいるように心地いい、というのを目指せばいいんじゃない?

【ACE HOTEL】人と人を繋ぐコミュニテイの場としてホテルのあり方を変えたホテル
シアトル,ポートランドの他ニューヨーク、ロンドンで展開
車も同じだと思います。お金持ちになって、リムジンやロールス・ロイスに乗って、お城のような家に住むって、成り金的な発想だよね。本当に豊かだったら別にそんなことは求めない。ACE HOTELは投資効率がめちゃくちゃいいと思います。古いビルをアートできれいにしている。
宮口:人の出入りが激しい、いろんな人が集うのもクリエーティブですよね。
黒﨑:そうそう。泊まっていない人もロビーを使っていて、働けるという状態。だけど、日本の高級ホテルだと、宿泊者専門とかスペースが分かれているでしょう。時代の価値観みたいな大きな転換を理解して、クリエーティブであるということが気持ちがいいとか、面白いとか、そういうことになってきているのだから、電通もいち早くそういうことを察知しながらディレクションしていくといいと思う。

黒﨑 輝男
流石創造集団株式会社 CEO
1949年東京生まれ。「IDĒE」創始者。 オリジナル家具の企画販売・国内外のデザイナーのプロデュースを中心に「生活の探求」をテーマに生活文化を広くビジネスとして展開、「東京デザイナーズブロック」「Rプロジェクト」などデザインをとりまく都市の状況をつくる。 2005年流石創造集団株式会社を設立。廃校となった中学校校舎を再生した「IID 世田谷ものづくり学校」内に、新しい学びの場「スクーリング・パッド/自由大学」を開校。Farmers Marketのコンセプト立案/運営の他、,「IKI-BA」「みどり荘」などの「場」を手がけ、 最近では“都市をキュレーションする”をテーマに、仕事や学び情報、食が入り交じる期間限定の解放区「COMMUNE 246」を表参道で展開中。

宮口 真
株式会社電通 電通ライブ
1998年電通入社。展示会、ショールーム、店舗開発など、イベント&スペース領域の業務を推進。 2014年7月からシティ・ブランディング部で、まちづくり開発案件やシティ・プロモーション業務を中心に活動中。
心理学は、もっとビジネスに活用できる!:DaiGo(後編)
- August / 08 / 2017
「自分の見たい世界」を見せるサービスをつくる
日塔:DaiGoさんがメンタリズムをパフォーマンスするに当たって、視覚とか聴覚とか、いろんな感覚を駆使されていますよね。
DaiGo:確かに視覚的なものはすごく大事だと思います。結局メンタリズムというのは、もともと目に見えないもの、形にならないものという意味なのです。心という形がないものを形にしなくちゃいけない。心理戦をしたりとか、人の心を読むパフォーマンスをやったりすることによって、「心を見られた」と感じさせるのがパフォーマンスの骨子なので。
日塔:五感と言いますけど、感覚は連動しているので「いまこの感覚だけを使っている」というのは難しいですね。
DaiGo:体験を高めるために、視覚を使った方がいいとか、聴覚を使った方がいいとか分解する人たちがいるんですが、結局楽しいときというのはフロー状態に入って没頭していて、行動に感覚や全ての注意が向いているから、今自分が楽しんでいるという感覚すらないわけですよ。後から思い返してみてはじめて楽しいという。
日塔:人工知能で人間の感覚器官が拡張されていくようなイメージを持っています。僕たちがびっくりするようなDaiGoさんのテクニックも、もしかして誰でも使えるような機械でできるようになったりとか、さらにはそれを応用して社会に役立つようなソリューションにできるといいなと思って。
DaiGo:それはできると思いますよ。ところが人間は、特に心理に関する分析に関しては、正確な分析を求めている人はほとんどいない(笑)。理由は簡単で、みんな自分の見たい世界だけを見たいのです。聞きたいことしか聞きたくない。だから結局、見たい世界を見せてあげるというのが、僕がサービスをつくるときに考えるやり方です。簡単に言ったら、超甘い言葉にするということですね。そういう文章の書き方を人工知能に学ばせる。
昔イギリスにサイキックダイヤルというサービスがあって、簡単に言うと、オペレーターがいっぱいいて、オペレーターの横にカードがたくさん置いてあるんです。相談者の情報を何歳とか、結婚をしている、していないとか聞いて、聞くたびにカードを1枚ずつ手にとっていく。何個か聞いたら、あとはオペレーターが上からカードを読み上げるだけ。そうすると、いわゆる心を読まれている、霊能力者に自分の未来を教えてもらったという感覚を与えることができるサービスです。めちゃくちゃもうかったらしいけれど、それの人工知能版は多分できますね。
「人間って地球に必要ないんじゃない?」と人工知能に言われたら
DaiGo:人は、自分よりもすばらしい生物というか、意識体というか、人工知能というものをつくって消えていくんじゃないかな。子どもを求めなくなる夫婦も出てくると思いますよ。僕が遺伝子検査ビジネスをやっていて思うのは、例えば夫婦の遺伝子を取り出して、その遺伝子をランダムに合成して、子どもになり得る人の遺伝子データをつくったとしますよね。そこから性格の遺伝子にフィーチャーして、子どもの性格をつくって機械化して、それをロボットという形で子どもとして生まれさせて、擬似的に育てていく。
病気もしないし文句も言わないし、食事も求めない。でもそれは、遺伝情報が伝わっているという意味では、生きているわけですよ。遺伝子を残すという意味では。それは生物として何か問題あるの?ということ。人間は結局、便利さには勝てないのです。最初はいろんな人が文句言いますけど。
日塔:確かに。
DaiGo:もちろん未完成な人工知能だった場合は問題ですよ。ところが完成された人工知能が代行してくれたら、みんなそれを求めると思います、最終的に代行した先にあるのは、意思決定そのものの代行に行きつくので、人工知能が感情的な判断もできるようになったら、まさに映画「ターミネーター」のスカイネットの世界ですよね。
日塔:やばいですねえ。
DaiGo:「人間って地球に必要ないんじゃない?」って人工知能に思われたら終わりですよ(笑)。
日塔:宇宙派というやつですか。地球派、宇宙派というのが、よくシンギュラリティーの世界で言われるらしくて。人間が残った方がいいという地球派と、いや、人間は過渡的なものであって、人工知能に行きつくまでの仮の姿ですと考える宇宙派がいる。
DaiGo:僕はさっきもお話しした通り、電脳に自分の心を乗り換えたいと思っているので、どちらかというと宇宙派の方ですね。
日塔:マインドをアップロードされたときに、自分自身の意識の連続性とか、もしかしたらコピーができてしまうことはどう思いますか。
DaiGo:全く同じコピーをつくったときに、自分を自分たらしめるものが何かこっち側に残ったら、多分それが魂というやつなんだと思うんですけど。攻殻機動隊的に言えば、ゴーストというやつですね。ただ、コピーしてみないと実際どうなるのかはわからない。例えば人って、頭をポンとたたかれたら、脳細胞が100個死ぬとか、200個死ぬとか言うじゃないですか。
日塔:言いますね。
DaiGo:でも、無数にあるので、それぐらい死んでも全然問題ない。それと同じことになるんじゃないかと思います。つまり今までは、ニューロン一個一個というのを僕らは意識しないし、それが死んだところで自分の人格は壊れないじゃないですか。自分を自分として保てる。コピー一個一個がニューロンのような役割を果たすような状態になってしまったら、その一つが死んだり失われたりしたときに、自我というものは消えてなくなるの?ということ。
日塔:人工知能の世界ではエージェントという考え方がモデルとしてあります。マーヴィン・ミンスキー(※1)が「心の社会」というのを書いていて、人間の心の機構はインプットとアウトプットで自立するいろんなエージェントの集合体であると。細胞の話と似ていますよね。だから、僕たちは同時にいろんな判断を、いろんな側面でしています。五感もいろいろあって、何かを食べて熱いと思っているけど、同時に甘いと思っていたりする。
※1「マーヴィン・ミンスキー」
アメリカの科学者。MITの人工知能研究所の創設者で、「AIの父」として知られている。本年1月に死去(88歳)。
DaiGo:コンピューター画面に他の人の見ている視点がずっと映っていたとしても、自分は自分で別に保てるじゃないですか。そもそも心脳問題になっちゃいますが、意識が何なのか、どこに宿るかということがまだ分かっていないですけれど。自分のコピーをつくって、いまいちぴんとこなかったら、何かうまくいかなかったねと剥がせばいいんですよ。
心理学のエビデンスを、誰もきちんと試していない
日塔:DaiGoさんは実学としてのメンタリズムをされたいとおっしゃっていて、広告やマーケティングとも非常に親和性が高いと思いますけれど、メンタリズムがコミュニケーションに与える可能性をどう考えていますか。
DaiGo:メンタリズム自体は、これだと決まったものがあるわけではない。僕は心理学を多用したり統計的な技術を使ったり、話術を使ったり、あらゆる行動を使って相手の心を動かしたい。心を読んだり推定したりするのがメンタリズムの骨子なので、僕は心理学をビジネスで使う、学問的にわかっていることを実際の社会で使うというのをやっていきたいで す。
僕は「心理学ほどもうかる学問はないだろう」といつも言っているんですけれど、多くの人は「心理学科に入ったら職がない」とか言うんですよ。臨床心理士くらいしか職業がないとか。それは違います。使い方を考えるのが重要だと思いますね。
日塔:確かに、飲み会のネタに終わっちゃうみたいに思ってしまうのは、メンタリズムの威力の割にはもったいないですね。
DaiGo:誰もきちんと試してないからなんです。数字で成果が出るんですよ、全部。だから、ちゃんと数字で戦えばいいと思いますよ。
例えばある本で、車内広告を出すときに2種類出したんです、広告の効果が測れるように。QRコードとURLを出して、そこから動画のダウンロードができるようにした。反応率を測ったら、出版社側が彼らの経験に基づいてつくった広告に比べて、僕が心理学的なセオリーにのっとって科学的につくった広告は、効果に52.6倍の差が出たんです。
日塔:52.6倍!ABテストみたいな話と思いますが、極端な差ですね。
DaiGo:比べものにならないじゃないですか。数字の事実を認めていかないといけないと思う。つまり今までは、人工知能というのは決められたことしかできなかったんですね。それがディープラーニングの技術が発達することによって学ぶことも覚えた。自己進化するようになっている。
じゃあ人間はどうなったといったら、逆なんですよ。つまり経験でせっかく学べるのに、だんだん年をとってくると一貫性が働くようになっちゃうから自分自身の枠を超えられない。だから自分が言っていることが正しいと思い込んで学ばなくなるんです。未来は輪をかけて人工知能が学びの部分をやってくれるから、人間はどんどん年寄り化していきます。そうなれば本当に、人工知能に駆逐されて終わると思いますよ。
日塔:なるほど。確かにそうですね。心ってつい、自分で分かった気になれちゃうのが恐ろしいですね。
DaiGo:僕は自分の直感というか感覚を信じていない男なので、エビデンスはあるのかなというのを、どんなことであってもまず常に調べますね。
日塔:過去の常識だけにとらわれると、どんどん縮小均衡していっちゃいますからね。「アルファ碁」がよい例と思いますが、ディープラーニングなどをうまく使っていけば、縮小均衡ではなくて能力や判断の可能性、正確性を拡大していける。今日はとても面白かったです。本当にありがとうございました。
『一瞬でYESを引き出す 心理戦略。』
著者/メンタリストDaiGo
販売価格/1300円+税
出版年月日/2013年8月1日
詳細の情報はこちら

DaiGo
メンタリスト
慶応義塾大学理工学部物理情報工学科卒。人の心を作ることに興味を持ち、人工知能記憶材料系マテリアルサイエンスを研究。大学在学中にイギリスのメンタリストDerren Brownに影響を受けて、人間心理を読み、誘導する技術メンタリズムを学び始める。パフォーマーとしてTV出演をしていたが、現在は人間心理の理解を必要とする企業のビジネスアドバイザーや作家・講演家として活動。ビジネスや話術から、恋愛や子育てまで幅広いジャンルで人間心理をテーマにした著書は累計100万部。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。
日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(後編)
- August / 22 / 2017
江戸時代は乳酸菌の力を使って、初めに酒母を立てていた
堀:ちなみに、今年もまたいろいろな改革を考えていらっしゃるんですか。
佐藤:今年は、ちょっとテクニカルな話になりますが、日本酒の造り方って明治以降はシンプルにしようとしてきたけれど、「新政」ではさらに複雑にしようと。伝統技術というのはどうしても複雑になるのです、いろんな菌を取り込むから。西洋科学だと、善玉菌と悪玉菌に分けて悪玉菌を皆殺しにする。東洋のやり方は、短絡的に善悪を問わないというか、ある特定の条件のもとだけで価値判断をしない。より自然に近い様々なフェーズの中で考えることで、悪玉菌にも最終的に良い働きをさせたりとか、視点を変えて可能性を引き出すことで、生命を利用しているという感じかな。
堀:人間の善玉コレステロール、悪玉コレステロールも一緒ですよね。どっちも必要ですよね。
佐藤:そう、どっちも必要なんですよ!自然の中には、不要な物ってないんです。科学が行き過ぎちゃうと、何でもかんでもコントロールしなきゃ気が済まなくて、気に入らないものを根絶しにかかるんですね。未来になって、あれは大事だったのに殺してしまったということが分かっても、取り返しがつかないですよ。
そういう意味では、日本酒は乳酸菌を悪玉菌扱いにしちゃったわけです。乳酸菌は一匹たりとも入れさせんと。江戸時代以前は乳酸菌の力をフル活用して素晴らしい発酵食品文化を創り上げてきたのに、突然、明治以降、酸味料を買ってきて入れればいいやという話が湧いて出た。しかも100年以上経った現代の酒造りにおいても、いまだに「乳酸菌は酒を腐らせる悪玉菌ですから要りません」となっている。実際にそうなんですよ。今でも大半の造り手はそう思っている。だから僕はいま、乳酸菌の肩を持とう、肩を持とうとしているわけです(笑)。
堀:むしろ乳酸菌推しで広告したら、女性はワインから日本酒にくら替えしますよ、絶対。発酵食品ブームですから。
佐藤:本当にそうだと思います。日本酒というのは、乳酸菌の扱いにかけては世界でもずば抜けた、神がかった技術を持っていたんですね、江戸時代までは。日本酒は研究室の中で造られていたんじゃない、現場で造られるんだ!
堀:映画のセリフみたいですね(笑)。
佐藤:それが、日本酒が売れなくなり、全体に均質化してしまった最大の理由です。僕にしたら、全部自前の伝統方式でやれよっていう話です、はっきり言えば。そうすれば、少なくとも自分らしい酒ができるはずです。それに、そのほうが本当のお客さんがつくと思うんです。
堀:「新政」の場合は、今、停滞した市場の中で、「自分らしいものを、自分らしい手法でつくる」というところが、競争を勝つポイントだったということですね。
佐藤:うん。でも、どちらかというと、競争に勝つというより、逆に誰とも競争したくなくて、こういう方向へ流れたというのが近いかもしれないです。
日本の酒蔵は、1000社くらいしかもう残っていない
堀:「6号酵母」「生酛系酒母」「純米」「秋田県産米」にこだわって「新政」の酒は近年、立て続けに全国酒造鑑評会で金賞を受賞されました。それだけの成果を、佐藤さんが2007年くらいから始めて、10年に満たない時間で改革をなし遂げたというのは驚きですね。
佐藤:未知じゃないからね、酒造りって。江戸時代とかの文献を読み解いてやっている。ゼロからの勉強ではないから。
堀:それは「新政」の蔵に残った文献ですか?
佐藤:いや、アマゾンとかでも売ってますよ。古くて700年代から1600年くらいまでの文献は、一般にも少しは売られているんです。昔の酒造りの担い手というのはほとんど農民だったから、字が書けないので本が少ない。こういう本は、現場に入るのが好きな酔狂な蔵元なんかが隠れてつけたレシピのようなものなんですが、あってよかったと本当に思います。だから、未知のものを発明するわけではなく、過去の先達の道筋もあったし単に伝統に学んでいるだけなんです。誰にでもできることですよ。どこの蔵も4、5世代より前はやっていたのですから。僕じゃなくてもできるはずですよ。
堀:「新政」に触発された酒蔵が、改めて伝統的な江戸時代の手法でお酒を造る時代が、これからやって来るかもしれないですね。
佐藤:いま日本の酒蔵は1000社くらいしか生き残っていないから、これ以上減ってくると、世界的に展開していくにはちょっときつい。やっぱりある程度玉がそろっていないと、遺伝子多様性が低い動物みたいに、ちょっとしたことでみんなが死んでしまう。蔵がいっぱいあって、訳の分からない蔵がウジャウジャウジャウジャしているというのが、本当は健康な業界だと思う。
例えば、自分より教養が高い人にモノを売るのって超困難でしょ。特に酒のような嗜好品は。提供する側が、まず基本的なところでお客さんと同じところに立って、しかも酒文化ではちょっと目線が上にいることができてこそ、お客さんの人生を楽しませることができる。そういう意味では、日本酒はもっと社会性を高めないと新しいお客さんを取り込めないような気がします。これからの日本酒はもっと文化的に武装して、日本酒が世界に誇る醸造酒であることを広めてゆかねばならないと思います。日本酒の本質、哲学や世界観、倫理観を魅惑的に体現し、かつ説明することができるなら、世界中の誰しもがファンになってくれるはずと思います。たとえ一流の料理人やら食通やら、ソムリエやらバーテンダーやらが相手でも、感動させて一発で宗旨変えさせることだって難しくはないはずなんです。
堀:哲学、倫理ですか。
佐藤:それが一番、大切です。単に製法をすべて生酛に統一しただけでも、ワインになんか負けた気がしないわけですよ。「ワインは亜硫酸塩がないと発酵がなかなかうまくいかないし、日持ちもしませんよね。でも日本酒は一切何も加えなくても、健康な酒ができるんですよ。古今東西、日本酒こそ最高の自然派アルコール飲料なんです」って胸張って言える(笑)。ほかに例えばワインの世界の潮流を見ても、ビオディナミとか、テロワールとか、ナチュールとかの単語に代表される「自然との共存」みたいな考えが、ここ最近30~40年くらい盛り上がってきてます。でも、こうした考え方は、もともとは東洋が得意とする考えです。東洋は、特に日本はもっと自己のルーツに自信をもたなくてはいけない。前述のワインの用語なんかも、本来あんまり使う必要もないように思います。思想の核心部分については、一切借り物ではない。我々こそ本来知っていたはずのなんだから。僕はワインのソムリエに対しても、「日本酒をやってください」と言って堂々と勧めています。日本の酒を、日本の文化を、日本の言葉と文脈で語る機会も持って欲しいのです。
エキセントリックな江戸独自の文化を、自分の酒造りにも取り込む
堀:お話を聞いていると、佐藤さんの酒造りは、確かに大改革ですね。
佐藤:僕は絵とか陶芸も好きですけれど、結局、江戸の物が一番世界で受けているような気がする。絵だってそうだし、和食、すしも完全に江戸文化が中心だからね。僕は日本酒のいろいろな製法をやるわけで、この間は生米こうじ(中国の紹興酒のこうじ)を作ったり、「菩提もと」という室町時代の製法に基づく酒をつくってみたりしてる。いろいろな時代の酒を試作してみたけど、結局、江戸より前の時代の日本酒って、中国や朝鮮の影響が非常に強い。言い方はきついけど、紹興酒の亜流のようなものを1000年遅れでやっているような感じなんです。ところが、江戸に入って鎖国してから、日本酒の製法は突然オリジナルになってゆくんです。日本人の創造性が爆発した感じです。生酛の手法なんかもそのひとつです。江戸はすごく良いです、真の「ザ・日本」なんですよ。ところがもったいないことに、明治になると途端に、鹿鳴館みたいな和洋折衷文化になってくる。ああゆうものは、あまり魅力的に感じません。見たければ、ヨーロッパに行けばもっとすごいホンモノが見られるわけですからね。
堀:面白いなあ(笑)。
佐藤:江戸は世界中の各国の文化の中でも、飛び抜けてエキセントリック。人類の多様性を思わせて素晴らしい。そういう優れた日本の文化を、自分のプロダクトにも取り入れていきたい。先祖がやっていたことなのですから、そんなに難しくもないはずです。
堀:製法を全部生酛に切りかえるというビジョンは、初めから描いていましたか。
佐藤:全部切りかえられたのは、厳密に言うと去年です。2012年から速醸はやめている。でも、江戸時代の方式の生酛にするにはものすごく人手もかかるから。利益があまり出ていなかったので、二人も三人もその部署につけることができなかったけれど、だんだん利益も出るようになったので、酒母のパートに人員をグッと集めて実現しました。
日本酒のファンと共に、世界に尊敬される酒文化をつくっていく
堀:こういう新しいお酒に対して、新しい飲み手たちがちゃんと育ち、選べる舌を持っているというのは、佐藤さんにとって励まされる材料ですね。
佐藤:そういうこと。僕は、才能あるいいファンが、日本酒文化をこれから支えていくと思って、そういう人のためにお酒を造って、そういう人たちに真っ先に届けるように工夫しています。
堀:ファンの才能か。僕も一人のファンとしてプレッシャーを感じますね。
佐藤:お客さんの能力が、きっとこのジャンル自体の実力になるんだと思う。
堀:今年、アーティストの村上隆さんとも、コラボレートされましたね。

Takashi Murakami×NEXT5
佐藤:村上隆さんがたいへん日本酒に理解が深くて、奇跡的にコラボレーションが実現しました。製法に生酛を採用したり、酒の内容面についても、村上さんとはよく相談させていただきましたね。あと、村上隆さんのファンの方や、日本酒に詳しくない方でも比較的楽に入手できるようにと配慮して、一般発売の機会を設けたんです。中野ブロードウェイ内にある「Bar Zingaro」という、村上隆さんが経営されているカフェで行いました。
堀:1店舗でしか売らなかったので、僕は朝から並んで買いに行きました。その瞬間から、前のほう100人ぐらい転売の人たちだらけで(笑)。外に止めてある、開けっ放しにしたバンに、どんどん積み込んでいっているわけです。その後10~20倍の値段が付きネット上で売られているのを見ると、なんだか心配になりました。
佐藤:そうなんだよね。結局、日本酒は全体に値付けが安いから、市場にゆがみが生じている。ワインは適正な値段で売っているから、そこまではならないでしょう。
堀:自由に値付けがされていけば、健全な価格で落ち着くわけですよね。
佐藤:うちは、ほぼすべて四合瓶しか造っていないんです。地元向きの常温対応の酒がちょっとありますが、それ以外一升瓶はない。その理由ですが、飲食店ですぐ飲み切られるようにです。昔から気になってたことがあって、それは日本酒よりも劣化しにくいワインのほうがよっぽど酸化を気にして扱われていることです。ワインバーではすぐ飲み切られるようにボトルサイズが基本。マグナムなんか買わない。温度管理以上に、常に瓶の中の空気を抜いたりと酸化への配慮をしている。一方、日本酒の世界はというと一升瓶ばかり。最近は冷蔵管理も浸透しましたが、何週間も瓶に飲み残しのままの酒が放置してある例もよく見ます。フレッシュで繊細な吟醸酒を扱う場合、開栓後のケアが重要。飲食店では四合瓶で回転率をあげたほうが客のためなんですが。しかしそうはなりにくい。なぜかというと一升瓶のほうが安いからです。メーカーが量の多い一升瓶をお得価格に設定しているんです。それでは市場は変わらない。そこで我々は一升瓶をやめることにしました。
堀:お客さんの手元に届くまでを厳しく管理しようとしたら、全てを直販するという手もありますよね。
佐藤:そうだね。ただ、酒販店も歴史がある産業だから。たとえば、ワインの業界でソムリエみたいなのは要らんと切ってしまったら、確かにソムリエが取っていた取り分はなくなるかもしれないけど、文化的には大ダメージになるじゃないですか。ソムリエでも酒販店でも、文化を伝えて第三者的に価値を高めてくれる機能はやっぱり要ると思うんです。
堀:だからこそ、酒販店は、ある程度選んでお付き合いをされていると。
佐藤:そういうこと。酒販店は、酒への知識、能力が高くて、そこに行けば僕のとこの酒がもっと良くお客さんに分かる、伝わる、そういう機能がないといけないよね。そうでないと、なんのために、店が蔵と客の間にいて、利益を得ることができるのか意味が通らなくなってしまう。酒販店を経由することで、より日本酒の魅力が増す、そういう相乗効果にならないといけません。そういう意味では、より若くて元気のある特約店の店主を私は常に応援しています。彼らを育成することは、日本酒業界の未来にとっても大切なことだと思っています。
堀:今日は改めて佐藤さんの酒造りの哲学を聞いて、大の日本酒ファンの僕も、目からウロコのことばかりでした。今後も注目し、どんどん飲んでいきますし応援しています。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。

佐藤 祐輔
新政酒造 代表取締役社長
1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。 2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
「アーティスト」と「アートディレクター」の境目はどこにあるのか(後編)
- November / 01 / 2017
自分が関わった作品を「分けない」
舘鼻:こうして改めてお互いの活動を振り返ってみると、かぶってはいないものの、似ているところもありますね。2人ともアーティストなんだけど、デザイナーや、アートディレクターの側面もありますし。
僕でいえば、さっきも話が出ましたけど、いまレストランのクリエーティブディレクションをしていて、ロゴのデザインやフードのディレクション、店内に置かれる彫刻作品の制作や建築デザインまで、全てに関わっています。そこにはアーティストの側面もあり、デザイナーとしての側面もあり、アートディレクターとしての側面もあるわけです。
清川さんにしても、針を持って写真に刺しゅうを施しているときはアーティストだけど、化粧品のパッケージデザインをしているときはデザイナーかもしれないし、広告で使うポスターのディレクションをしているときはアートディレクターですよね。清川さん自身は、そのあたりの境目はどう考えているのですか?
清川:そうですね…。逆に、舘鼻くんがいちばん最初に目指したのは、何だったんですか?
舘鼻:僕はファッションデザイナーを目指していたんです。で、そのときは、自分のファッションブランドがずっと残るようにしたいと思っていました。シャネルとか、カルティエみたいに、本人がいなくなってもブランドは存続するということです。
だけど、2010年のレディー・ガガさんの仕事がきっかけで、方向転換しようと思ったんですよ。作家になろうと思ったんです。どういうことかというと、僕は1985年に生まれて、いずれ何年かに死ぬわけですが、そうしたらそこで僕の時代は終わり、ということ。ファッションブランドだったら、死んでからも残るかもしれないけれど、作家だと舘鼻則孝が死んだら終わり。何年から何年までと区切られますよね。そうやって歴史に足あとを残すことのほうが、自分が求めている生き方に近いなと思うようになったんです。
清川:私はアーティストから始めたわけですけど、作品を見た人が、それをこういうところで使いたいと言ってくれたことで、デザイナーの仕事になっていきました。さらに、ものをつくるだけじゃなく、世界観そのものを表現してほしいと言われて、アートディレクターの仕事になっていったわけですが…、そういう変化が起こったそのときは混乱していましたね。だから、最初は自分の中では、それぞれを分けて活動していたんです。アーティストの作品とデザイナーの作品は違うって。
でも、分けなくてもいいんじゃないか、と最近は思うようになってきています。手を動かしてつくったものはもちろん作品だし、それこそ、いちばん最初は自分で自分を飾って表現していたわけですけど、それも作品だし、たくさんの人たちと一緒につくっていくものも作品だし…。全て自分が関わった作品だから、分ける必要はないんじゃないかと思うんですよ。
それに、いまは個人戦の時代じゃない気がしているんです。分かる人が分かればいい、ということではなくて、やっぱり伝わってこそだし、共有できてこそ、だと思う。何かしら、誰かに感じてもらうことが大切で、それが大きくなれば、みんなで時代をつくっていくようなことにもつながるのかなって。
舘鼻:僕らが生み出す作品は、コミュニケーションツールなんですよね。それを通して、何かを伝えたり、感じてもらったり、共有したりする。そのための装置を生み出している感覚が、僕の中にも非常に強くあります。だから単純に「靴をつくっています」ではなくて、その靴がどういう意味を持つのか、履いてくれた人が何を感じて、何を発信したくなるのか、ということまで考えます。いまこうやってしているおしゃべりも、もちろんコミュニケーションですが、作家にとっては、ものづくりはそれ以上にすごく有用なコミュニケーションの手段ですからね。
清川:本当にそう思います。私たちがしているのは、想像したことを形にして、見ている人にどこか余白を残すような仕事。どうして、ここにこれがあるんだろうとか、何でもいいんですけど、つくったものに触れた人が、余白の部分に何かを感じる。そういうことがすごく大事ですよね。
お客さまとの関係性が原動力
清川:ちなみに、舘鼻くんの原動力は何ですか?
舘鼻:お客さまとのサイクルですね。いまの僕の活動が靴から始まっているということもあるのですが、お客さまがいるということが当たり前なんですよ。だから、どういう作品にするのかも、注文されてから考えます。実際に面と向かって、お客さまと話し合うなかから作品を生み出しますから。
日本ではまだそこまで多くの人たちに履いていただいているわけじゃないんですけど、海外だとアメリカやイギリスなど、いろんなところで僕の靴を履いてくださっている人がいるんです。中には、僕がつくった靴しか履かないといってくださっている人も何人かいて、1回に30足とかオーダーされる。要するに、アーティストとパトロンの関係性です。
そういうお客さまが、わざわざ東京の青山にある僕のアトリエまで来てくれるわけですよ。そこでいろいろと話をして、どういう作品にするかを考えていく。で、出来上がったら、僕は必ず自分でお客さまのところまで届けにいくんです。まあ、そこで新しいオーダーをもらって帰ったりもするのですが(笑)、大体そういうサイクルなんです。でも、このサイクルは1人ではまわらなくて、自分とお客さまとのリレーションシップで成り立っています。その関係性が僕の原動力になっていると思いますね。
清川:私は普段の生活の中で、ニュースを見たりいろんなことをしているときに、必ず何か矛盾を感じるんですよ。自分と何かのギャップとか。それが作品になりやすいですね。
舘鼻:自分の感情は常に変化するわけですけど、それを形にしていくのが作家ですから。作品というツールを通じて、僕らはさまざまな想いを共有しようとしているのでしょうね。
挑戦することは僕らの仕事
舘鼻:あと、実は僕には前からすごく気になっていることがあるので、最後に聞きたいのですが、清川さんはその小さな体で、あれだけたくさんの仕事をしているわけですよね。どうやって時間をつくって仕事をしているのかなって、5年くらい前からずっと思っているんですよ(笑)。実際のところ、どういう毎日を送っているのですか?
清川:私、朝は5時に起きるんです。子どもが起きてしまうということもあるんですけど、もともと早起きなんですよ。起きてすぐ、子どものことをいろいろやって、それからメールをチェックしたりするのですが、いちばんアイデアが浮かんだり、ラフスケッチがはかどったりするのは、その後ですね。
舘鼻:それは何時から何時くらいの話ですか?
清川:自分が飽きるまでやるんですけど、大体、午前中です。アトリエに行くときもあるし、自宅のこともあるのですが、ただアイデアが浮かびやすいのは移動中なんです。そこでふわっといろいろ浮かんで、書き留めるのが次の日の朝、という感じですね。
舘鼻:アイデアが浮かんだときにメモを取るわけじゃないんですか?
清川:メモを取ってもなくしてしまうんですよ、私(笑)。でも、いいアイデアは必ず覚えていますから。
舘鼻:浮かんだアイデアは、割とすぐに作品化するのですか?
清川:そこはうまく言葉にできないのですが、頭の中に構造ができて、プロセスが決まって、ゴールが決まったら、作品にします。自分にしか分からない世界ですけど(笑)。ただ、その頭の中にあるものを周りに伝えるのが大変で…。
舘鼻:ああ、それは分かります。清川さんもそうだし、僕もそうなのですが、チームで動くじゃないですか。いろんな人に関わってもらうわけだから、ビジョンを共有しなくてはいけないのだけど、それを説明するのは大変ですよね。いつも葛藤の連続です。
清川:私もそうです。自分の中のゴールはここなのに、まだここにいる、どうしようって、いつも思っています。しかも、それが何個もあるし…。形にしていくのって、本当に大変ですよね。
舘鼻:とはいえ、こうして実際に会うと、清川さんはすごく優雅な時間を過ごしているように見えるんですよ。いつ忙しくしているのかなと不思議なんですけど、夜中まで仕事をしているのですか?
清川:夜中は必ず寝ています(笑)。5時に起きますから。だから、やっぱり朝ですね。朝の仕事のスピードは本当にすごくて、そこで全て終わらせるというくらいの速さでやっています。
あと、100点でなくてもいい、と思うようにはしていますね。放っておくと、120パーセントのクオリティーを追い求めてしまうほうなので、そのくらいの気持ちでいるのがちょうどいいんです。全てのことに飛び込むわけにはいかないので。さっきもお話ししたように、職人さんに「意味が分からない」と言われながらもアクリルに糸を閉じ込めたりして(笑)、毎回、新しいことに挑戦していますから。
舘鼻:挑戦することは、僕らの仕事ですからね。
清川:さっきも話したように、そこを理解してもらってチームでつくっていくのは本当に大変なんですけど、でも乗り越えて、作品を形にして、新しい世界が広がったときにはすごくうれしいんですよね。だからやめられないのかな、とも思いますけど。
舘鼻:よく分かります。僕のヒールレスシューズにしてもそうですが、実際に体験した感覚が予想していたものと違うと、みんな驚くわけです。そうやって新しい価値観を感じてもらえるような場を提供できたときは、本当にうれしいですよね。
(了)

清川あさみ
アーティスト
淡路島生まれ。2001年に初個展。03年より、写真に刺しゅうを施す手法を用いた作品制作を開始。水戸芸術館や東京・表参道ヒルズでの個展など、展覧会を全国で多数開催。 代表作に「美女採集」「Complex」シリーズ、絵本『銀河鉄道の夜』など。作家、谷川俊太郎氏との共作絵本『かみさまはいる いない?』が 2 年に一度のコングレス(児童書の世界大会)の日本代表に選ばれている。 「ベストデビュタント賞」受賞、VOCA展入賞、「VOGUE JAPAN Women of the Year」受賞、ASIAGRAPHアワード「創(つむぎ)賞」受賞。広告や空間など幅広いジャンルで国内外を問わず活躍している。現在は、福島ビエンナーレ「重陽の芸術祭」において、「智恵子抄」で著名な高村智恵子の生家でのインスタレーションも行っている。

舘鼻則孝
アーティスト
1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ、鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻する。遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物やげたの制作をする。近年はアーティストとして、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。2016年3月には、カルティエ現代美術財団にて文楽の舞台を初監督し「TATEHANA BUNRAKU : The Love Suicides on the Bridge」を公演した。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのビクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館に永久収蔵されている。

杉山 知之
デジタルハリウッド大学 学長/工学博士
1954年東京都生まれ。87年からMITメディアラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、学長を務めている。 2011年9月、上海音楽学院(中国)との合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。福岡コンテンツ産業振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員を務め、また「新日本様式」協議会、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。 著書に「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」(ちくまプリマー新書)他。

金子 正明
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局(2016年当時)
デジタルハリウッド大学大学院修了。2006年6月電通入社。新聞局で新領域案件に従事。 プロモーション事業局で人材育成を経験。イベント&スペース・デザイン局でエクスペリエンス・テクノロジー部のソリューション検討メンバー。
クリエーティブな街を、どのようにつくるか:黒﨑輝男(前編)
- July / 26 / 2017
クリエーティブな人が集まるところに、クリエーティブな街ができる
黒﨑:今まさに、Creative City Lab、創造的都市をどう作って行くのか-という本を作っています。ポートランドの開発局とか、昨日も友人のジョン・ジェイと会って話してます。Urban Gleaners=都市の落ち穂拾いの活動をしている知り合いがいて、それは何かというと植物や食べ物の再生なの。日本では農家でとってきたものを流通の基準に合わせで10~15%捨てて、さらに料理の無駄や、リテールもお店が終わったら残りを賞味期限切れで捨てるから、合計すると25%ぐらいの食べ物を捨てている。
僕たちが青山でファーマーズマーケットをやっていて最近よく考えるのは、天の恵み、自然の恵みとしての野菜であり、食べ物だという視点を提供していくこと。お酒なんていうのは「御神酒」というぐらいで、もともと売り物じゃなかったわけです。神社で配るものだった。それが今や全部「商品」になっちゃっているのを、ちょっと考え直して、「NOT FOR SALE」というブランドの酒をこれから造ろうとしています。

【Farmer’s Market@UNU】都市と農をつなげるコミュニケーションをつくる場
毎週末青山の国連大学前で開催
宮口:素敵ですね。ポートランドに興味を持っている人は多いと思いますが、黒崎さんは通算どのくらいポートランドに行かれているんですか。
黒﨑:40~50回かな。
宮口:頻度としては?
黒﨑:年に4~5回。僕の弟がポートランドの人と結婚して、35年間住んでいるから。
宮口:ポートランドは、クリエーティブな街づくりの話をすると、必ず話題に出る街になっていますね。それ以外で、今ご興味がある都市はどこですか。
黒﨑:LAののダウンタウンとか、ニューヨークのブルックリン、デトロイト…。結構ヤバイっていわれるところかな。ロンドンだとイーストエリアのショーディッジ、それからコペンハーゲンとかパリでも一部ある…。あやしいところがどうなっていくかというのを見ているのが、一番面白いです。
LAのベニスビーチは、昔は貧しい人たちが住んでいたけど、今はアーティストがたくさん住んでいる。そうなると、グーグルとかが移ってくるわけ。ポートランドにマイクロソフトの事務所ができたりね。要するにクリエーティブな人材を求めて、大企業自体が動いていく。
宮口:クリエーティブな人たちが集まりやすいのは、あやしい雰囲気があるところということですか?
黒﨑:というか、価値観の変化がある場所。例えばUberやAirbnbも、日本では道路運送法や旅館業法から入るじゃないですか。向こうは、ただ自分の車や家を生かせばいいという感じで始めるからね。
宮口:日本の法律とか規制が多いということが、世界のクリエーティブの潮流と逆方向に行っているということですね。
ファーマーズマーケットには、1日2万人も集まる
黒﨑:たとえば、僕らがやっているファーマーズマーケットの場所、国連大学の周りは特に週末はほとんど人通りのない広場だったんです。
宮口:あそこではそんなイベントはできないと、つい思い込んじゃいます。われわれの常識では。
黒﨑:そうでしょう。でも、国連大学との共同開催でやることにしました。
宮口:国連大学含め関わる人たちの売り上げも上がり、地方の農家の人たちももうかって帰るんですね。
黒﨑:そう。若者たちにも仕事のチャンスが与えられる。パン祭りを開催すると、1日2万人来たりする。パンが1日で1000万円売れる。めちゃくちゃでしょう。最近、こだわってハンドドリップでコーヒーを入れる若者が増えているけど、1日2~3万しか売れない。でも、ファーマーズマーケットでコーヒーフェスティバルをやると、1日15万売れる。

【TOKYO COFFEE FESTIVAL】 地方の小さなコーヒーショップのバリスタから、インターナショナルに活動するロースターまで2日で延べ60店舗以上が出店
お金掛けてないですよ。広告宣伝費も取らないし。クリエーティビティーを求めて、フェスティバルとかイベントに対して、コンセプト、コンテンツプランニング、マネジメント、情報発信の全てを、15~20人の少人数でやるのが面白いの。大企業ではファーマーズマーケットのプロデュースはなかなかできない。
宮口:耳が痛いです(笑)。そのやり方のほうが元気な街になりますよね。自然にみんなが参加してお金もちゃんと回っていく。僕らもいろんなイベントをやりますが、本当に難しくて…。
黒﨑:大企業が仕切ると、コンプライアンスやルールが、いっぱい入ってくるじゃないですか。何があったらどうだとマイナス面を全部ふさいでいくじゃないですか。、肉体労働だけど、誰もやめないんだよ、面白いから。ファーマーズマーケットは、毎土日に組み立てて、終わったら畳んで倉庫にしまう。えらい重労働ですよ。什器もすごく重くて、重石だけでも何トンもある。でも大変でもやめないよ。お客さんも、なかなか帰らないの(笑)。ずーっといたがるんですよ。
宮口:楽しかったら学園祭と一緒で、大変さも苦にならないでしょうね。
都市の情報化を、どうプロデュースするか
宮口:日本の街づくりは、規制緩和すれば変わるでしょうか。
黒﨑:都市が情報化している。今までの不動産って、建物が所有権になっているじゃないですか。あるディベロッパーは生前イベントホールをたくさんつくって、情報の拠点としてテレビ局やラジオ局、必ずメディア会社を入れているの。それは意図的にやっていたんです。だから広告会社が、これから不動産のプロデュースに向かうのは正しいと思う。情報化がキーだから。
最近伸びている会社は、だいたい誰の座席も決まっていないわけ。入り口だけはセキュリティーの関係上チェックするけど、トップも誰一人スーツ着ている人がいなくて、ソフトウェアの会社と同じでみんなカジュアルな感じ。少人数でやっていて、それが3兆円企業だったりするわけ。そういうふうに、会社もものすごい勢いで変わっているよね。
電通もそうあるべきですよ。例えば古いビルをきれいにしたところに少数精鋭チームがいて、東京を再生するみたいな大きなことをしていったほうがいいんじゃないかなと思います。
宮口:リノベーションは流行っていますしね。古いビルが東京はいっぱい出てきていますから。
黒﨑:ポートランドで伸びているACE HOTELも、Tシャツを着た人が「いらっしゃい。どうぞ、どうぞ」って友達を迎え入れるような感じ。Airbnbのように、自分の家に招待するような。ホテルって、最終的には自分の家にいるように心地いい、というのを目指せばいいんじゃない?

【ACE HOTEL】人と人を繋ぐコミュニテイの場としてホテルのあり方を変えたホテル
シアトル,ポートランドの他ニューヨーク、ロンドンで展開
車も同じだと思います。お金持ちになって、リムジンやロールス・ロイスに乗って、お城のような家に住むって、成り金的な発想だよね。本当に豊かだったら別にそんなことは求めない。ACE HOTELは投資効率がめちゃくちゃいいと思います。古いビルをアートできれいにしている。
宮口:人の出入りが激しい、いろんな人が集うのもクリエーティブですよね。
黒﨑:そうそう。泊まっていない人もロビーを使っていて、働けるという状態。だけど、日本の高級ホテルだと、宿泊者専門とかスペースが分かれているでしょう。時代の価値観みたいな大きな転換を理解して、クリエーティブであるということが気持ちがいいとか、面白いとか、そういうことになってきているのだから、電通もいち早くそういうことを察知しながらディレクションしていくといいと思う。

黒﨑 輝男
流石創造集団株式会社 CEO
1949年東京生まれ。「IDĒE」創始者。 オリジナル家具の企画販売・国内外のデザイナーのプロデュースを中心に「生活の探求」をテーマに生活文化を広くビジネスとして展開、「東京デザイナーズブロック」「Rプロジェクト」などデザインをとりまく都市の状況をつくる。 2005年流石創造集団株式会社を設立。廃校となった中学校校舎を再生した「IID 世田谷ものづくり学校」内に、新しい学びの場「スクーリング・パッド/自由大学」を開校。Farmers Marketのコンセプト立案/運営の他、,「IKI-BA」「みどり荘」などの「場」を手がけ、 最近では“都市をキュレーションする”をテーマに、仕事や学び情報、食が入り交じる期間限定の解放区「COMMUNE 246」を表参道で展開中。

宮口 真
株式会社電通 電通ライブ
1998年電通入社。展示会、ショールーム、店舗開発など、イベント&スペース領域の業務を推進。 2014年7月からシティ・ブランディング部で、まちづくり開発案件やシティ・プロモーション業務を中心に活動中。
心理学は、もっとビジネスに活用できる!:DaiGo(後編)
- August / 08 / 2017
「自分の見たい世界」を見せるサービスをつくる
日塔:DaiGoさんがメンタリズムをパフォーマンスするに当たって、視覚とか聴覚とか、いろんな感覚を駆使されていますよね。
DaiGo:確かに視覚的なものはすごく大事だと思います。結局メンタリズムというのは、もともと目に見えないもの、形にならないものという意味なのです。心という形がないものを形にしなくちゃいけない。心理戦をしたりとか、人の心を読むパフォーマンスをやったりすることによって、「心を見られた」と感じさせるのがパフォーマンスの骨子なので。
日塔:五感と言いますけど、感覚は連動しているので「いまこの感覚だけを使っている」というのは難しいですね。
DaiGo:体験を高めるために、視覚を使った方がいいとか、聴覚を使った方がいいとか分解する人たちがいるんですが、結局楽しいときというのはフロー状態に入って没頭していて、行動に感覚や全ての注意が向いているから、今自分が楽しんでいるという感覚すらないわけですよ。後から思い返してみてはじめて楽しいという。
日塔:人工知能で人間の感覚器官が拡張されていくようなイメージを持っています。僕たちがびっくりするようなDaiGoさんのテクニックも、もしかして誰でも使えるような機械でできるようになったりとか、さらにはそれを応用して社会に役立つようなソリューションにできるといいなと思って。
DaiGo:それはできると思いますよ。ところが人間は、特に心理に関する分析に関しては、正確な分析を求めている人はほとんどいない(笑)。理由は簡単で、みんな自分の見たい世界だけを見たいのです。聞きたいことしか聞きたくない。だから結局、見たい世界を見せてあげるというのが、僕がサービスをつくるときに考えるやり方です。簡単に言ったら、超甘い言葉にするということですね。そういう文章の書き方を人工知能に学ばせる。
昔イギリスにサイキックダイヤルというサービスがあって、簡単に言うと、オペレーターがいっぱいいて、オペレーターの横にカードがたくさん置いてあるんです。相談者の情報を何歳とか、結婚をしている、していないとか聞いて、聞くたびにカードを1枚ずつ手にとっていく。何個か聞いたら、あとはオペレーターが上からカードを読み上げるだけ。そうすると、いわゆる心を読まれている、霊能力者に自分の未来を教えてもらったという感覚を与えることができるサービスです。めちゃくちゃもうかったらしいけれど、それの人工知能版は多分できますね。
「人間って地球に必要ないんじゃない?」と人工知能に言われたら
DaiGo:人は、自分よりもすばらしい生物というか、意識体というか、人工知能というものをつくって消えていくんじゃないかな。子どもを求めなくなる夫婦も出てくると思いますよ。僕が遺伝子検査ビジネスをやっていて思うのは、例えば夫婦の遺伝子を取り出して、その遺伝子をランダムに合成して、子どもになり得る人の遺伝子データをつくったとしますよね。そこから性格の遺伝子にフィーチャーして、子どもの性格をつくって機械化して、それをロボットという形で子どもとして生まれさせて、擬似的に育てていく。
病気もしないし文句も言わないし、食事も求めない。でもそれは、遺伝情報が伝わっているという意味では、生きているわけですよ。遺伝子を残すという意味では。それは生物として何か問題あるの?ということ。人間は結局、便利さには勝てないのです。最初はいろんな人が文句言いますけど。
日塔:確かに。
DaiGo:もちろん未完成な人工知能だった場合は問題ですよ。ところが完成された人工知能が代行してくれたら、みんなそれを求めると思います、最終的に代行した先にあるのは、意思決定そのものの代行に行きつくので、人工知能が感情的な判断もできるようになったら、まさに映画「ターミネーター」のスカイネットの世界ですよね。
日塔:やばいですねえ。
DaiGo:「人間って地球に必要ないんじゃない?」って人工知能に思われたら終わりですよ(笑)。
日塔:宇宙派というやつですか。地球派、宇宙派というのが、よくシンギュラリティーの世界で言われるらしくて。人間が残った方がいいという地球派と、いや、人間は過渡的なものであって、人工知能に行きつくまでの仮の姿ですと考える宇宙派がいる。
DaiGo:僕はさっきもお話しした通り、電脳に自分の心を乗り換えたいと思っているので、どちらかというと宇宙派の方ですね。
日塔:マインドをアップロードされたときに、自分自身の意識の連続性とか、もしかしたらコピーができてしまうことはどう思いますか。
DaiGo:全く同じコピーをつくったときに、自分を自分たらしめるものが何かこっち側に残ったら、多分それが魂というやつなんだと思うんですけど。攻殻機動隊的に言えば、ゴーストというやつですね。ただ、コピーしてみないと実際どうなるのかはわからない。例えば人って、頭をポンとたたかれたら、脳細胞が100個死ぬとか、200個死ぬとか言うじゃないですか。
日塔:言いますね。
DaiGo:でも、無数にあるので、それぐらい死んでも全然問題ない。それと同じことになるんじゃないかと思います。つまり今までは、ニューロン一個一個というのを僕らは意識しないし、それが死んだところで自分の人格は壊れないじゃないですか。自分を自分として保てる。コピー一個一個がニューロンのような役割を果たすような状態になってしまったら、その一つが死んだり失われたりしたときに、自我というものは消えてなくなるの?ということ。
日塔:人工知能の世界ではエージェントという考え方がモデルとしてあります。マーヴィン・ミンスキー(※1)が「心の社会」というのを書いていて、人間の心の機構はインプットとアウトプットで自立するいろんなエージェントの集合体であると。細胞の話と似ていますよね。だから、僕たちは同時にいろんな判断を、いろんな側面でしています。五感もいろいろあって、何かを食べて熱いと思っているけど、同時に甘いと思っていたりする。
※1「マーヴィン・ミンスキー」
アメリカの科学者。MITの人工知能研究所の創設者で、「AIの父」として知られている。本年1月に死去(88歳)。
DaiGo:コンピューター画面に他の人の見ている視点がずっと映っていたとしても、自分は自分で別に保てるじゃないですか。そもそも心脳問題になっちゃいますが、意識が何なのか、どこに宿るかということがまだ分かっていないですけれど。自分のコピーをつくって、いまいちぴんとこなかったら、何かうまくいかなかったねと剥がせばいいんですよ。
心理学のエビデンスを、誰もきちんと試していない
日塔:DaiGoさんは実学としてのメンタリズムをされたいとおっしゃっていて、広告やマーケティングとも非常に親和性が高いと思いますけれど、メンタリズムがコミュニケーションに与える可能性をどう考えていますか。
DaiGo:メンタリズム自体は、これだと決まったものがあるわけではない。僕は心理学を多用したり統計的な技術を使ったり、話術を使ったり、あらゆる行動を使って相手の心を動かしたい。心を読んだり推定したりするのがメンタリズムの骨子なので、僕は心理学をビジネスで使う、学問的にわかっていることを実際の社会で使うというのをやっていきたいで す。
僕は「心理学ほどもうかる学問はないだろう」といつも言っているんですけれど、多くの人は「心理学科に入ったら職がない」とか言うんですよ。臨床心理士くらいしか職業がないとか。それは違います。使い方を考えるのが重要だと思いますね。
日塔:確かに、飲み会のネタに終わっちゃうみたいに思ってしまうのは、メンタリズムの威力の割にはもったいないですね。
DaiGo:誰もきちんと試してないからなんです。数字で成果が出るんですよ、全部。だから、ちゃんと数字で戦えばいいと思いますよ。
例えばある本で、車内広告を出すときに2種類出したんです、広告の効果が測れるように。QRコードとURLを出して、そこから動画のダウンロードができるようにした。反応率を測ったら、出版社側が彼らの経験に基づいてつくった広告に比べて、僕が心理学的なセオリーにのっとって科学的につくった広告は、効果に52.6倍の差が出たんです。
日塔:52.6倍!ABテストみたいな話と思いますが、極端な差ですね。
DaiGo:比べものにならないじゃないですか。数字の事実を認めていかないといけないと思う。つまり今までは、人工知能というのは決められたことしかできなかったんですね。それがディープラーニングの技術が発達することによって学ぶことも覚えた。自己進化するようになっている。
じゃあ人間はどうなったといったら、逆なんですよ。つまり経験でせっかく学べるのに、だんだん年をとってくると一貫性が働くようになっちゃうから自分自身の枠を超えられない。だから自分が言っていることが正しいと思い込んで学ばなくなるんです。未来は輪をかけて人工知能が学びの部分をやってくれるから、人間はどんどん年寄り化していきます。そうなれば本当に、人工知能に駆逐されて終わると思いますよ。
日塔:なるほど。確かにそうですね。心ってつい、自分で分かった気になれちゃうのが恐ろしいですね。
DaiGo:僕は自分の直感というか感覚を信じていない男なので、エビデンスはあるのかなというのを、どんなことであってもまず常に調べますね。
日塔:過去の常識だけにとらわれると、どんどん縮小均衡していっちゃいますからね。「アルファ碁」がよい例と思いますが、ディープラーニングなどをうまく使っていけば、縮小均衡ではなくて能力や判断の可能性、正確性を拡大していける。今日はとても面白かったです。本当にありがとうございました。
『一瞬でYESを引き出す 心理戦略。』
著者/メンタリストDaiGo
販売価格/1300円+税
出版年月日/2013年8月1日
詳細の情報はこちら

DaiGo
メンタリスト
慶応義塾大学理工学部物理情報工学科卒。人の心を作ることに興味を持ち、人工知能記憶材料系マテリアルサイエンスを研究。大学在学中にイギリスのメンタリストDerren Brownに影響を受けて、人間心理を読み、誘導する技術メンタリズムを学び始める。パフォーマーとしてTV出演をしていたが、現在は人間心理の理解を必要とする企業のビジネスアドバイザーや作家・講演家として活動。ビジネスや話術から、恋愛や子育てまで幅広いジャンルで人間心理をテーマにした著書は累計100万部。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。
日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(後編)
- August / 22 / 2017
江戸時代は乳酸菌の力を使って、初めに酒母を立てていた
堀:ちなみに、今年もまたいろいろな改革を考えていらっしゃるんですか。
佐藤:今年は、ちょっとテクニカルな話になりますが、日本酒の造り方って明治以降はシンプルにしようとしてきたけれど、「新政」ではさらに複雑にしようと。伝統技術というのはどうしても複雑になるのです、いろんな菌を取り込むから。西洋科学だと、善玉菌と悪玉菌に分けて悪玉菌を皆殺しにする。東洋のやり方は、短絡的に善悪を問わないというか、ある特定の条件のもとだけで価値判断をしない。より自然に近い様々なフェーズの中で考えることで、悪玉菌にも最終的に良い働きをさせたりとか、視点を変えて可能性を引き出すことで、生命を利用しているという感じかな。
堀:人間の善玉コレステロール、悪玉コレステロールも一緒ですよね。どっちも必要ですよね。
佐藤:そう、どっちも必要なんですよ!自然の中には、不要な物ってないんです。科学が行き過ぎちゃうと、何でもかんでもコントロールしなきゃ気が済まなくて、気に入らないものを根絶しにかかるんですね。未来になって、あれは大事だったのに殺してしまったということが分かっても、取り返しがつかないですよ。
そういう意味では、日本酒は乳酸菌を悪玉菌扱いにしちゃったわけです。乳酸菌は一匹たりとも入れさせんと。江戸時代以前は乳酸菌の力をフル活用して素晴らしい発酵食品文化を創り上げてきたのに、突然、明治以降、酸味料を買ってきて入れればいいやという話が湧いて出た。しかも100年以上経った現代の酒造りにおいても、いまだに「乳酸菌は酒を腐らせる悪玉菌ですから要りません」となっている。実際にそうなんですよ。今でも大半の造り手はそう思っている。だから僕はいま、乳酸菌の肩を持とう、肩を持とうとしているわけです(笑)。
堀:むしろ乳酸菌推しで広告したら、女性はワインから日本酒にくら替えしますよ、絶対。発酵食品ブームですから。
佐藤:本当にそうだと思います。日本酒というのは、乳酸菌の扱いにかけては世界でもずば抜けた、神がかった技術を持っていたんですね、江戸時代までは。日本酒は研究室の中で造られていたんじゃない、現場で造られるんだ!
堀:映画のセリフみたいですね(笑)。
佐藤:それが、日本酒が売れなくなり、全体に均質化してしまった最大の理由です。僕にしたら、全部自前の伝統方式でやれよっていう話です、はっきり言えば。そうすれば、少なくとも自分らしい酒ができるはずです。それに、そのほうが本当のお客さんがつくと思うんです。
堀:「新政」の場合は、今、停滞した市場の中で、「自分らしいものを、自分らしい手法でつくる」というところが、競争を勝つポイントだったということですね。
佐藤:うん。でも、どちらかというと、競争に勝つというより、逆に誰とも競争したくなくて、こういう方向へ流れたというのが近いかもしれないです。
日本の酒蔵は、1000社くらいしかもう残っていない
堀:「6号酵母」「生酛系酒母」「純米」「秋田県産米」にこだわって「新政」の酒は近年、立て続けに全国酒造鑑評会で金賞を受賞されました。それだけの成果を、佐藤さんが2007年くらいから始めて、10年に満たない時間で改革をなし遂げたというのは驚きですね。
佐藤:未知じゃないからね、酒造りって。江戸時代とかの文献を読み解いてやっている。ゼロからの勉強ではないから。
堀:それは「新政」の蔵に残った文献ですか?
佐藤:いや、アマゾンとかでも売ってますよ。古くて700年代から1600年くらいまでの文献は、一般にも少しは売られているんです。昔の酒造りの担い手というのはほとんど農民だったから、字が書けないので本が少ない。こういう本は、現場に入るのが好きな酔狂な蔵元なんかが隠れてつけたレシピのようなものなんですが、あってよかったと本当に思います。だから、未知のものを発明するわけではなく、過去の先達の道筋もあったし単に伝統に学んでいるだけなんです。誰にでもできることですよ。どこの蔵も4、5世代より前はやっていたのですから。僕じゃなくてもできるはずですよ。
堀:「新政」に触発された酒蔵が、改めて伝統的な江戸時代の手法でお酒を造る時代が、これからやって来るかもしれないですね。
佐藤:いま日本の酒蔵は1000社くらいしか生き残っていないから、これ以上減ってくると、世界的に展開していくにはちょっときつい。やっぱりある程度玉がそろっていないと、遺伝子多様性が低い動物みたいに、ちょっとしたことでみんなが死んでしまう。蔵がいっぱいあって、訳の分からない蔵がウジャウジャウジャウジャしているというのが、本当は健康な業界だと思う。
例えば、自分より教養が高い人にモノを売るのって超困難でしょ。特に酒のような嗜好品は。提供する側が、まず基本的なところでお客さんと同じところに立って、しかも酒文化ではちょっと目線が上にいることができてこそ、お客さんの人生を楽しませることができる。そういう意味では、日本酒はもっと社会性を高めないと新しいお客さんを取り込めないような気がします。これからの日本酒はもっと文化的に武装して、日本酒が世界に誇る醸造酒であることを広めてゆかねばならないと思います。日本酒の本質、哲学や世界観、倫理観を魅惑的に体現し、かつ説明することができるなら、世界中の誰しもがファンになってくれるはずと思います。たとえ一流の料理人やら食通やら、ソムリエやらバーテンダーやらが相手でも、感動させて一発で宗旨変えさせることだって難しくはないはずなんです。
堀:哲学、倫理ですか。
佐藤:それが一番、大切です。単に製法をすべて生酛に統一しただけでも、ワインになんか負けた気がしないわけですよ。「ワインは亜硫酸塩がないと発酵がなかなかうまくいかないし、日持ちもしませんよね。でも日本酒は一切何も加えなくても、健康な酒ができるんですよ。古今東西、日本酒こそ最高の自然派アルコール飲料なんです」って胸張って言える(笑)。ほかに例えばワインの世界の潮流を見ても、ビオディナミとか、テロワールとか、ナチュールとかの単語に代表される「自然との共存」みたいな考えが、ここ最近30~40年くらい盛り上がってきてます。でも、こうした考え方は、もともとは東洋が得意とする考えです。東洋は、特に日本はもっと自己のルーツに自信をもたなくてはいけない。前述のワインの用語なんかも、本来あんまり使う必要もないように思います。思想の核心部分については、一切借り物ではない。我々こそ本来知っていたはずのなんだから。僕はワインのソムリエに対しても、「日本酒をやってください」と言って堂々と勧めています。日本の酒を、日本の文化を、日本の言葉と文脈で語る機会も持って欲しいのです。
エキセントリックな江戸独自の文化を、自分の酒造りにも取り込む
堀:お話を聞いていると、佐藤さんの酒造りは、確かに大改革ですね。
佐藤:僕は絵とか陶芸も好きですけれど、結局、江戸の物が一番世界で受けているような気がする。絵だってそうだし、和食、すしも完全に江戸文化が中心だからね。僕は日本酒のいろいろな製法をやるわけで、この間は生米こうじ(中国の紹興酒のこうじ)を作ったり、「菩提もと」という室町時代の製法に基づく酒をつくってみたりしてる。いろいろな時代の酒を試作してみたけど、結局、江戸より前の時代の日本酒って、中国や朝鮮の影響が非常に強い。言い方はきついけど、紹興酒の亜流のようなものを1000年遅れでやっているような感じなんです。ところが、江戸に入って鎖国してから、日本酒の製法は突然オリジナルになってゆくんです。日本人の創造性が爆発した感じです。生酛の手法なんかもそのひとつです。江戸はすごく良いです、真の「ザ・日本」なんですよ。ところがもったいないことに、明治になると途端に、鹿鳴館みたいな和洋折衷文化になってくる。ああゆうものは、あまり魅力的に感じません。見たければ、ヨーロッパに行けばもっとすごいホンモノが見られるわけですからね。
堀:面白いなあ(笑)。
佐藤:江戸は世界中の各国の文化の中でも、飛び抜けてエキセントリック。人類の多様性を思わせて素晴らしい。そういう優れた日本の文化を、自分のプロダクトにも取り入れていきたい。先祖がやっていたことなのですから、そんなに難しくもないはずです。
堀:製法を全部生酛に切りかえるというビジョンは、初めから描いていましたか。
佐藤:全部切りかえられたのは、厳密に言うと去年です。2012年から速醸はやめている。でも、江戸時代の方式の生酛にするにはものすごく人手もかかるから。利益があまり出ていなかったので、二人も三人もその部署につけることができなかったけれど、だんだん利益も出るようになったので、酒母のパートに人員をグッと集めて実現しました。
日本酒のファンと共に、世界に尊敬される酒文化をつくっていく
堀:こういう新しいお酒に対して、新しい飲み手たちがちゃんと育ち、選べる舌を持っているというのは、佐藤さんにとって励まされる材料ですね。
佐藤:そういうこと。僕は、才能あるいいファンが、日本酒文化をこれから支えていくと思って、そういう人のためにお酒を造って、そういう人たちに真っ先に届けるように工夫しています。
堀:ファンの才能か。僕も一人のファンとしてプレッシャーを感じますね。
佐藤:お客さんの能力が、きっとこのジャンル自体の実力になるんだと思う。
堀:今年、アーティストの村上隆さんとも、コラボレートされましたね。

Takashi Murakami×NEXT5
佐藤:村上隆さんがたいへん日本酒に理解が深くて、奇跡的にコラボレーションが実現しました。製法に生酛を採用したり、酒の内容面についても、村上さんとはよく相談させていただきましたね。あと、村上隆さんのファンの方や、日本酒に詳しくない方でも比較的楽に入手できるようにと配慮して、一般発売の機会を設けたんです。中野ブロードウェイ内にある「Bar Zingaro」という、村上隆さんが経営されているカフェで行いました。
堀:1店舗でしか売らなかったので、僕は朝から並んで買いに行きました。その瞬間から、前のほう100人ぐらい転売の人たちだらけで(笑)。外に止めてある、開けっ放しにしたバンに、どんどん積み込んでいっているわけです。その後10~20倍の値段が付きネット上で売られているのを見ると、なんだか心配になりました。
佐藤:そうなんだよね。結局、日本酒は全体に値付けが安いから、市場にゆがみが生じている。ワインは適正な値段で売っているから、そこまではならないでしょう。
堀:自由に値付けがされていけば、健全な価格で落ち着くわけですよね。
佐藤:うちは、ほぼすべて四合瓶しか造っていないんです。地元向きの常温対応の酒がちょっとありますが、それ以外一升瓶はない。その理由ですが、飲食店ですぐ飲み切られるようにです。昔から気になってたことがあって、それは日本酒よりも劣化しにくいワインのほうがよっぽど酸化を気にして扱われていることです。ワインバーではすぐ飲み切られるようにボトルサイズが基本。マグナムなんか買わない。温度管理以上に、常に瓶の中の空気を抜いたりと酸化への配慮をしている。一方、日本酒の世界はというと一升瓶ばかり。最近は冷蔵管理も浸透しましたが、何週間も瓶に飲み残しのままの酒が放置してある例もよく見ます。フレッシュで繊細な吟醸酒を扱う場合、開栓後のケアが重要。飲食店では四合瓶で回転率をあげたほうが客のためなんですが。しかしそうはなりにくい。なぜかというと一升瓶のほうが安いからです。メーカーが量の多い一升瓶をお得価格に設定しているんです。それでは市場は変わらない。そこで我々は一升瓶をやめることにしました。
堀:お客さんの手元に届くまでを厳しく管理しようとしたら、全てを直販するという手もありますよね。
佐藤:そうだね。ただ、酒販店も歴史がある産業だから。たとえば、ワインの業界でソムリエみたいなのは要らんと切ってしまったら、確かにソムリエが取っていた取り分はなくなるかもしれないけど、文化的には大ダメージになるじゃないですか。ソムリエでも酒販店でも、文化を伝えて第三者的に価値を高めてくれる機能はやっぱり要ると思うんです。
堀:だからこそ、酒販店は、ある程度選んでお付き合いをされていると。
佐藤:そういうこと。酒販店は、酒への知識、能力が高くて、そこに行けば僕のとこの酒がもっと良くお客さんに分かる、伝わる、そういう機能がないといけないよね。そうでないと、なんのために、店が蔵と客の間にいて、利益を得ることができるのか意味が通らなくなってしまう。酒販店を経由することで、より日本酒の魅力が増す、そういう相乗効果にならないといけません。そういう意味では、より若くて元気のある特約店の店主を私は常に応援しています。彼らを育成することは、日本酒業界の未来にとっても大切なことだと思っています。
堀:今日は改めて佐藤さんの酒造りの哲学を聞いて、大の日本酒ファンの僕も、目からウロコのことばかりでした。今後も注目し、どんどん飲んでいきますし応援しています。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。

佐藤 祐輔
新政酒造 代表取締役社長
1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。 2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
「アーティスト」と「アートディレクター」の境目はどこにあるのか(後編)
- November / 01 / 2017
自分が関わった作品を「分けない」
舘鼻:こうして改めてお互いの活動を振り返ってみると、かぶってはいないものの、似ているところもありますね。2人ともアーティストなんだけど、デザイナーや、アートディレクターの側面もありますし。
僕でいえば、さっきも話が出ましたけど、いまレストランのクリエーティブディレクションをしていて、ロゴのデザインやフードのディレクション、店内に置かれる彫刻作品の制作や建築デザインまで、全てに関わっています。そこにはアーティストの側面もあり、デザイナーとしての側面もあり、アートディレクターとしての側面もあるわけです。
清川さんにしても、針を持って写真に刺しゅうを施しているときはアーティストだけど、化粧品のパッケージデザインをしているときはデザイナーかもしれないし、広告で使うポスターのディレクションをしているときはアートディレクターですよね。清川さん自身は、そのあたりの境目はどう考えているのですか?
清川:そうですね…。逆に、舘鼻くんがいちばん最初に目指したのは、何だったんですか?
舘鼻:僕はファッションデザイナーを目指していたんです。で、そのときは、自分のファッションブランドがずっと残るようにしたいと思っていました。シャネルとか、カルティエみたいに、本人がいなくなってもブランドは存続するということです。
だけど、2010年のレディー・ガガさんの仕事がきっかけで、方向転換しようと思ったんですよ。作家になろうと思ったんです。どういうことかというと、僕は1985年に生まれて、いずれ何年かに死ぬわけですが、そうしたらそこで僕の時代は終わり、ということ。ファッションブランドだったら、死んでからも残るかもしれないけれど、作家だと舘鼻則孝が死んだら終わり。何年から何年までと区切られますよね。そうやって歴史に足あとを残すことのほうが、自分が求めている生き方に近いなと思うようになったんです。
清川:私はアーティストから始めたわけですけど、作品を見た人が、それをこういうところで使いたいと言ってくれたことで、デザイナーの仕事になっていきました。さらに、ものをつくるだけじゃなく、世界観そのものを表現してほしいと言われて、アートディレクターの仕事になっていったわけですが…、そういう変化が起こったそのときは混乱していましたね。だから、最初は自分の中では、それぞれを分けて活動していたんです。アーティストの作品とデザイナーの作品は違うって。
でも、分けなくてもいいんじゃないか、と最近は思うようになってきています。手を動かしてつくったものはもちろん作品だし、それこそ、いちばん最初は自分で自分を飾って表現していたわけですけど、それも作品だし、たくさんの人たちと一緒につくっていくものも作品だし…。全て自分が関わった作品だから、分ける必要はないんじゃないかと思うんですよ。
それに、いまは個人戦の時代じゃない気がしているんです。分かる人が分かればいい、ということではなくて、やっぱり伝わってこそだし、共有できてこそ、だと思う。何かしら、誰かに感じてもらうことが大切で、それが大きくなれば、みんなで時代をつくっていくようなことにもつながるのかなって。
舘鼻:僕らが生み出す作品は、コミュニケーションツールなんですよね。それを通して、何かを伝えたり、感じてもらったり、共有したりする。そのための装置を生み出している感覚が、僕の中にも非常に強くあります。だから単純に「靴をつくっています」ではなくて、その靴がどういう意味を持つのか、履いてくれた人が何を感じて、何を発信したくなるのか、ということまで考えます。いまこうやってしているおしゃべりも、もちろんコミュニケーションですが、作家にとっては、ものづくりはそれ以上にすごく有用なコミュニケーションの手段ですからね。
清川:本当にそう思います。私たちがしているのは、想像したことを形にして、見ている人にどこか余白を残すような仕事。どうして、ここにこれがあるんだろうとか、何でもいいんですけど、つくったものに触れた人が、余白の部分に何かを感じる。そういうことがすごく大事ですよね。
お客さまとの関係性が原動力
清川:ちなみに、舘鼻くんの原動力は何ですか?
舘鼻:お客さまとのサイクルですね。いまの僕の活動が靴から始まっているということもあるのですが、お客さまがいるということが当たり前なんですよ。だから、どういう作品にするのかも、注文されてから考えます。実際に面と向かって、お客さまと話し合うなかから作品を生み出しますから。
日本ではまだそこまで多くの人たちに履いていただいているわけじゃないんですけど、海外だとアメリカやイギリスなど、いろんなところで僕の靴を履いてくださっている人がいるんです。中には、僕がつくった靴しか履かないといってくださっている人も何人かいて、1回に30足とかオーダーされる。要するに、アーティストとパトロンの関係性です。
そういうお客さまが、わざわざ東京の青山にある僕のアトリエまで来てくれるわけですよ。そこでいろいろと話をして、どういう作品にするかを考えていく。で、出来上がったら、僕は必ず自分でお客さまのところまで届けにいくんです。まあ、そこで新しいオーダーをもらって帰ったりもするのですが(笑)、大体そういうサイクルなんです。でも、このサイクルは1人ではまわらなくて、自分とお客さまとのリレーションシップで成り立っています。その関係性が僕の原動力になっていると思いますね。
清川:私は普段の生活の中で、ニュースを見たりいろんなことをしているときに、必ず何か矛盾を感じるんですよ。自分と何かのギャップとか。それが作品になりやすいですね。
舘鼻:自分の感情は常に変化するわけですけど、それを形にしていくのが作家ですから。作品というツールを通じて、僕らはさまざまな想いを共有しようとしているのでしょうね。
挑戦することは僕らの仕事
舘鼻:あと、実は僕には前からすごく気になっていることがあるので、最後に聞きたいのですが、清川さんはその小さな体で、あれだけたくさんの仕事をしているわけですよね。どうやって時間をつくって仕事をしているのかなって、5年くらい前からずっと思っているんですよ(笑)。実際のところ、どういう毎日を送っているのですか?
清川:私、朝は5時に起きるんです。子どもが起きてしまうということもあるんですけど、もともと早起きなんですよ。起きてすぐ、子どものことをいろいろやって、それからメールをチェックしたりするのですが、いちばんアイデアが浮かんだり、ラフスケッチがはかどったりするのは、その後ですね。
舘鼻:それは何時から何時くらいの話ですか?
清川:自分が飽きるまでやるんですけど、大体、午前中です。アトリエに行くときもあるし、自宅のこともあるのですが、ただアイデアが浮かびやすいのは移動中なんです。そこでふわっといろいろ浮かんで、書き留めるのが次の日の朝、という感じですね。
舘鼻:アイデアが浮かんだときにメモを取るわけじゃないんですか?
清川:メモを取ってもなくしてしまうんですよ、私(笑)。でも、いいアイデアは必ず覚えていますから。
舘鼻:浮かんだアイデアは、割とすぐに作品化するのですか?
清川:そこはうまく言葉にできないのですが、頭の中に構造ができて、プロセスが決まって、ゴールが決まったら、作品にします。自分にしか分からない世界ですけど(笑)。ただ、その頭の中にあるものを周りに伝えるのが大変で…。
舘鼻:ああ、それは分かります。清川さんもそうだし、僕もそうなのですが、チームで動くじゃないですか。いろんな人に関わってもらうわけだから、ビジョンを共有しなくてはいけないのだけど、それを説明するのは大変ですよね。いつも葛藤の連続です。
清川:私もそうです。自分の中のゴールはここなのに、まだここにいる、どうしようって、いつも思っています。しかも、それが何個もあるし…。形にしていくのって、本当に大変ですよね。
舘鼻:とはいえ、こうして実際に会うと、清川さんはすごく優雅な時間を過ごしているように見えるんですよ。いつ忙しくしているのかなと不思議なんですけど、夜中まで仕事をしているのですか?
清川:夜中は必ず寝ています(笑)。5時に起きますから。だから、やっぱり朝ですね。朝の仕事のスピードは本当にすごくて、そこで全て終わらせるというくらいの速さでやっています。
あと、100点でなくてもいい、と思うようにはしていますね。放っておくと、120パーセントのクオリティーを追い求めてしまうほうなので、そのくらいの気持ちでいるのがちょうどいいんです。全てのことに飛び込むわけにはいかないので。さっきもお話ししたように、職人さんに「意味が分からない」と言われながらもアクリルに糸を閉じ込めたりして(笑)、毎回、新しいことに挑戦していますから。
舘鼻:挑戦することは、僕らの仕事ですからね。
清川:さっきも話したように、そこを理解してもらってチームでつくっていくのは本当に大変なんですけど、でも乗り越えて、作品を形にして、新しい世界が広がったときにはすごくうれしいんですよね。だからやめられないのかな、とも思いますけど。
舘鼻:よく分かります。僕のヒールレスシューズにしてもそうですが、実際に体験した感覚が予想していたものと違うと、みんな驚くわけです。そうやって新しい価値観を感じてもらえるような場を提供できたときは、本当にうれしいですよね。
(了)

清川あさみ
アーティスト
淡路島生まれ。2001年に初個展。03年より、写真に刺しゅうを施す手法を用いた作品制作を開始。水戸芸術館や東京・表参道ヒルズでの個展など、展覧会を全国で多数開催。 代表作に「美女採集」「Complex」シリーズ、絵本『銀河鉄道の夜』など。作家、谷川俊太郎氏との共作絵本『かみさまはいる いない?』が 2 年に一度のコングレス(児童書の世界大会)の日本代表に選ばれている。 「ベストデビュタント賞」受賞、VOCA展入賞、「VOGUE JAPAN Women of the Year」受賞、ASIAGRAPHアワード「創(つむぎ)賞」受賞。広告や空間など幅広いジャンルで国内外を問わず活躍している。現在は、福島ビエンナーレ「重陽の芸術祭」において、「智恵子抄」で著名な高村智恵子の生家でのインスタレーションも行っている。

舘鼻則孝
アーティスト
1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ、鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学では絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻する。遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物やげたの制作をする。近年はアーティストとして、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。2016年3月には、カルティエ現代美術財団にて文楽の舞台を初監督し「TATEHANA BUNRAKU : The Love Suicides on the Bridge」を公演した。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのビクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館に永久収蔵されている。
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