2017/08/15
人が集う「演劇という場所」をつくる:藤田貴大(後編)
- July / 31 / 2017
演劇だけでは形容できない、中間的な何かを空間にちりばめる
藤田卓也(以降、卓):客の時間のパイは決まっているじゃないですか。どのように関心の接点をつくるかが難しいですね。
藤田貴大(以降、貴):インターネットさえあれば個人も映像表現で何だってできるし。でもその中で演劇のようなアナログなジャンルは、どうやって生き残れるのか。家でできることと、外に出て体験しなきゃだめなことの折り合いをどうつけていくか。やはり家を出てもらって、今回の「書を捨てよ町へ出よう」の場合4800円払って「見てよかった」と言わせたいですよね。
演劇だけで本当に2時間お客さんを座らせることができるのか。演劇じゃない要素の時間があったり、これは演劇だけでは形容できないなみたいな、中間的な何かがちりばめられていたり、どこに満足してもらうかというさまざまな要素を空間に散らばせたいと思っています。








卓:まさに、藤田さんの演出は、階層的につくられている感じがすごくしました。フックをたくさんつくっているということなのですね。
貴:今は僕がそういうことを試みている時期だし、そういう問題に僕が直面しちゃっているために、スタッフはみんな大変なんです。いろんなコラボレーションが一作品において同時並行で起こっている。全方面で音楽や服ともコラボをやっているし、言葉の補強では又吉直樹さんとか穂村弘さんとも関わっているし。
一方でいつかはこういうスタンスじゃなくて、本当に演劇だけに戻ってみてもいいんじゃないかとも思っています。一回またシャープにしてみて、どれだけの人がついてきてくれるか。今年僕は30歳になったんですが、30歳代は多分そういう時間の使い方になっていくのかもしれませんね。でもシャープするにしても、一回風呂敷を広げてノイズにまみれてみて、その後にシャープになったもののシャープさの方が信用できると思う。
卓:すごく共感できます。広告コミュニケーションを考えるプロセスも、まさにそうですよ。アイデアを広げて、最後はシャープに収れんさせるという意味で。
観客に対して「嘘のない空間」を演出することにこだわる
貴:20歳前後のときに演出助手をやっていた時代があって、パネルの裏にはけてきた俳優さんが、パネルの裏にはけた瞬間に『ジャンプ』を読み出したんですよ(笑)。上演時間は1時間半とか2時間ぐらいじゃないですか。その時間さえ『ジャンプ』を読むことを我慢できなかったのかと驚いた。袖のパネルを全部スケルトンにした方が面白いんじゃないかと思いました(笑)。だけどお客さんは、本当にその2時間舞台に向き合っているわけだから、その2時間ぐらいは我慢してもよくない?と思います。僕は来たお客さんに対して、嘘のない空間を目指しているんです。
卓:上演時間中の役者さんには、絶対にそのテンションを保ってもらわなければならないと考えているんですね。
貴:はい、だから、はけさせません(笑)。大体みんな、(役者は)舞台上にいますよ。演劇ではお客さんに見えないところで水とかを飲むけど、水飲む作業もお客さんの前でやらせているから。
卓:ドリフの場面転換みたいですね(笑)。ここでしか見られないものを見た、という感じにつながるというか、僕もイベントの企画をするときには体験の希少性を突き詰めるよう心がけています。その体験を口で説明できないところぐらいまで持っていきたいというのを目標にしています。今回の「書を捨てよ町へ出よう」でも、席の後ろの通路を演者の人が走ったりすると、前の方の客は振り返ったりして、空間全体が緊張感のある舞台になっていましたね。
貴:一回性に賭けていく部分があって、しかもその部分をどれぐらい作品に最終的にパッケージングさせていくか。希少価値の高いものを見せることは妥協しちゃだめだと、こんな時代だからこそ特に思いますね。
公演を見る土地によっても、見え方が全然変わってくるものなのです。だから地方の公演に行って、そこの土地ではどういうご飯を食べているのかとか、どんな歴史があるかをなるべく現地の人に教えてもらうことにしています。演劇って、音楽もできるし、照明とかビジュアルのこともこだわれる、しかもストーリーも全てゼロから作れる、まさに総合芸術ですから。
常に次の「違う化学反応が起こる」ことを目指して
卓:各方面とのコラボレーションは、どのようにディレクションしているんですか?
貴:衣装にしても音楽にしても、コラボレーションをする方たちに、こちらのイメージや希望だけを押し付ける事は絶対にしたくないと思っています。それは可能性をすごく狭めてしまうと思うので。例えば、衣装だとこのシーンにこういう服が欲しいんですという話はしたことなくて、このシーンは一応こういうシーンだけど、この役者に似合う服であれば何でもいいです、という感じですね。いろんなものが共存し合い過ぎちゃうと、それってすごくリスクも高くて、散漫なノイズになってしまうということもあり得るわけですが、遠回りの調整をあえて、ずっとしているという感じです。
卓:つくっているクリエーターをリスペクトしているということですよね。違った角度から見ると「農家の顔が見える」みたいな効果もあるのかな(笑)。
貴:まさにそうですね、最初はできるだけ漠然としたところから始めた方が多分、違う化学反応が起こるんじゃないかな。
卓:勇気の要ることですね。
貴:作品づくりのポテンシャルって幾つかあると思うんですよ。僕も劇場に「この12月に寺山修司さんのこの作品をやってほしい」というオーダーを受けるわけです。じゃあどういうことをすればいいのか、最初は迷いますよね。藤田のコラボレーション力をフルに使いたいのか、役者とがっぷり四つになって演出するのか、寺山修司へのオマージュをやりたいのか、いろいろ方法はあると思う。そこを絞り過ぎちゃうとポテンシャルを引き出せないことになるから、組み合わせのバランスが難しい。
卓:ディレクションの幅を広げて、可能性を最大限に引き出しているんですね。
貴:オーダーされる側は、絞ったことを指示してくれた方が安心するけど、やりやすさって本当は危ないんです。微妙な限界値を上げるための言い方が難しい。
卓:相手が深く考えざるを得ないような状況を、うまくつくってるわけですね。
貴:ドSな感じがあるのかな(笑)。ただ、これまでには失敗もあって、たくさん相手に怒られてきています(笑)。
卓:藤田さんが映像作品や他の分野のクリエーションもやられると面白いんじゃないかなと、今日の話を聞いていて思いました。コンテンツはまだまだ、いろいろな組み方で拡張の可能性がたくさんあると感じました。藤田さんなら、広告の分野との協働でも、一緒に面白いことができそうです。今日は、すごく勉強になりました。
<公演情報>
「夜、さよなら」「夜が明けないまま、朝」「Kと真夜中のほとりで」
作・演出 藤田貴大
2016.2.11-2.28/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
http://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/3387
チャレンジふくしまパフォーミングアーツプロジェクト!「タイムライン」
2016.3.26 sat/福島県文化センター(福島県福島市)
作・演出 藤田貴大 音楽 大友良英 写真 石川直樹 振付 酒井幸菜
出演 福島県の中高生 主催 福島県
http://www.fukushima-performingarts.jp
LUMINE0オープニングイベント レパートリー作品三作同時上演
2016.4.28 thu – 5.8 sun/LUMINE0
「カタチノチガウ」 2016.4.28 thu – 4.30 sat
「あっこのはなし」 2016.5.2 mon – 5.4 wed
「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」2016.5.6 fri – 5.8 sun
http://mum-gypsy.com
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(前編)
- August / 08 / 2017
マンガの中に、広告を入れる
西牟田:そもそも「フェイスブックポリス」みたいなマンガを、なぜ描くようになったんですか? みるみるヒットしましたね。

フェイスブックポリス
かっぴー:新卒で広告会社の東急エージェンシーでアートディレクターをした後、転職して面白法人カヤックに入りました。ニューフェースは日報メールを社員向けに流すんですけど、なるべく早めに顔と名前を覚えてもらうために何かプラスアルファでつけたいなと思ってマンガを描いたんです。
カヤックはバズをつくる会社なので、社員が「面白いよ」と言ってくれるのが結構信ぴょう性があったというか、「この人たちが面白いと言ってくれるなら、ネットにアップしても面白がってもらえるんじゃないかな」と思えた。去年9月のシルバーウイークのときに、たまたま急に思い出してアップしたらこうなったという(笑)。
西牟田:最初は「フェイスブックポリス」だけ?
かっぴー:「フェイスブックポリス」と、「おしゃれキングビート!」と「めっちゃキレる人伝説」ですね!


西牟田:カヤックの人たちが「あ、いいね」と思った感じは、ライトコンテンツがウケているという時代の空気感があるからなのですかね。自分のことをライトコンテンツメーカー、例えば「ジャンプ」みたいな雑誌に載るマンガがラーメン屋だとしたら、自分はカップ麺メーカーみたいな感じと言っていたじゃないですか?
かっぴー:めちゃくちゃ広告的だなと思っているんですよ、自分のマンガって。ウェブコンテンツから書籍化されると、なかなか売れないんですよね。何で売れないのかについて、みんな安直に「ウェブで無料で見られるからでしょ?」というけど、「ブラックジャックによろしく」は、ネットで全話無料で見られるようになった途端に売り上げが伸びたらしいです。だから「無料で見られる=買わない」ということじゃないと思う。
多分メディアとして、見るテンションが違う。車の中とかトイレとかでツイッターをふわーって見ているときに、「このマンガ、めっちゃウケる!」となって見るテンションと、「ワンピースの新刊出たぞ!」と家へ大事に持って帰って、家に着いてポテチを用意して見るのでは、テンションが違う。だからテンションの差で売れないんじゃないか。コンテンツとしてはどっちもありですけど、手元に置いておきたいかの差はある。
一方、僕のマンガの強みは「あ、なんだ、広告マンガか」と分かった時に好意的に受け入れてもらえる事が多い所だと思います。距離感が広告と相性がいいんだなと思う。だからこそ自分のは「ライトコンテンツ」なんです。ウェブで公開しているマンガが全てライトコンテンツだとは思っていなくて、逆に雑誌でも、ライトコンテンツっぽいマンガは多分あるし、ウェブだからライトっていう訳では無いと思ってます。
西牟田:ユーザー側に依存するのかな、見方のスタンスは。
かっぴー:僕は意識して胸張って「ライトコンテンツです」と割り切ってしまった方が書籍もマンガ自体も、売り方の工夫があるなと思いました。
会社「なつやすみ」は、コンテンツメーカーでもあり、広告会社でもある
西牟田:7月には2冊同時に、書籍化もするんですね、すごいスピード感。
かっぴー:今、書籍の中に本当の広告を入れようと考えていて、その営業をかけたいと思ってます。これまだ動いてないので、電通報で初出しできてラッキー(笑)。「SNSポリス」と「おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!」の中の広告枠を募集しているので、よろしくお願いします!
「おしゃ子が持っているスマホのカバー、どこかスポンサーつけない?」とか、ポリスのスマホや帽子のメーカーとかに、スポンサーを募集したい。僕のマンガは「広告なのが嫌がられない」のがちょっと珍しい。「なーんだ広告か、でも、お見事!」みたいな感じ。「広告か、ふざけんな」じゃなくて、「お見事」という感想を持ってくれる人がすごく多くてうれしかったから、そのノリを使えるだけ使おうと思っています。映画みたいに、マンガの小道具にスポンサーがついたら書籍として新しいですよね。


西牟田:その売り方、面白いね。
かっぴー:僕はマンガも広告も抜きんでていないけど、二つそろったら相性よかった。意外と広告マンガを描ける人ってあまりいないんじゃないかな。有名な漫画家を起用したら、それはいい広告になる可能性は高いけど、広告マンガとしてちゃんと企画から考えて、マンガに落とし込める人はあまり見たことないですよね。
西牟田:確かにね。そうすると、なつやすみという会社は、コンテンツメーカーであるだけではなく、広告会社でもあるし、いろんな立ち位置を全部自分ひとりでやっていくのですね。
かっぴー:そうです。だから事業内容はシンプルに、「マンガと広告」としているんです。だから、マンガと広告に関わることは、全て業務領域かなと思っています。
「バズる」ことを目標にして、真顔で議論する時代ではない
西牟田:コンテンツの発信の仕方も、結構よく考えていますよね。ソーシャル受けするコンテンツのあり方や、戦略的に取り入れている企画のポイントを聞きたいな。発信するときは、メディアを使い分けていますか。
かっぴー:ちょっと話がずれるかもしれないけれど、今考えているのは、バズるということ自体を茶化すというか、真顔でバズの話をする時代じゃなくなっているんじゃないかということ。「SPA!」で連載を始めたんですが、まさに「バズマン」というタイトルで。バズに対し一生懸命やっているウェブ制作会社のマンガ。そろそろ「バズる」に奔走すること自体が、ギャグになるんじゃないかって。
西牟田:かっぴーの発言としては、ちょっと皮肉だね(笑)。
かっぴー:うん。だって、数字なんてほとんど意味ないよ。これを言われると困る人たちがいっぱいいるから、みんな言わないんだろうけど。バズれば売れるの?それで本当にサービス加入するの?ってこと。
リツイートって、記事タイトルで分かるものとかが、ウケてリツイートする。本当に気になっているコンテンツこそ、読み込んじゃって逆にシェアを忘れていたりする。そう考えるとパパパパパパッとバズってワーっと広まっていくコンテンツって、本当に見てるのかなと疑います。最近は数字に対してうのみにしちゃいけないなと思っています。
広告業界の真面目な部分を切り取った「左ききのエレン」というマンガを、いま描いていますけど、コメントつきのツイッター投稿がこんなに多いかと思うぐらい多くて。ソーシャルカウンターに出ている数字は、「フェイスブックポリス」より低い。でも、読者が一々リアクションしている比率が高い方がうれしい。
何人に褒められたかより、何て褒められたかの方が大事。「うわっ、これちょっと、俺もひとこと言いたい」という、何かの境界線を越える、それが一人でも多いコンテンツが、僕はいいコンテンツだと思っているんです。


西牟田:僕も同じようなことを思いながら仕事をしている部分がある。数の評価だけが先行しちゃうと、それって体験としては本当にどう届いたのかな?と違和感を覚えるよね。
もちろん数は最大化していくことを目指すけど、もっと別の指標でも見てみたい。
かっぴー:あと、どこでも誰でも平等に見ることのできないコンテンツ、例えば1万人しか見れないマンガとか、深夜しか見られないマンガとか、ちょっとひねったコンテンツが出てくるんじゃないかなと思っていて、時間帯限定版とかも面白いんじゃないかなという気がしています。
純粋に広告マンガとして起用してもらうケースも多いんですが、変化球の仕事も来るようになってきたので、分岐するマンガとか、性格診断が入っているとか、やりようがいろいろあるなと思っています。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(後編)
- August / 08 / 2017
マスとソーシャルは、分けて考える
西牟田:ある種マスとソーシャルを行き来する形がスタイルだけど、マスはマスで分けて考えていますか。
かっぴー:目的が全然違うから、やっぱり分けていますね。今後はとにかく映像化したいんですよ、何かしら。アニメでも、ドラマでも、映画でもいいけど。メジャーなものに対して無視しちゃいけないと思っていて、最近メジャーなマンガばっか買って読んでいる。じゃあメジャーって何かというと、映像化は欠かせないんですよね。
ウェブ有名人の「あるある」ですけど、全然有名じゃないんですよ。特に、僕のことなんか、世の中の人は誰も知らない。だから、チヤホヤして来ない人達となるべく会うようにしていて、例えば美容院のお兄さんに「マンガ、何を読んでいますか?」と聞くんです。ウェブマンガで、これは知っているかなと思う上位10位を言っても、唯一知っていたのが「ワンパンマン」だったり。それが普通なんです。「かっぴー」なんて知るわけない(笑)。アニメ化されたり、ドラマ化されて、やっとギリ知っている人がいるぐらいだと思う。
西牟田:アウトプットとしてマンガを描くというところに落ちなくても、僕はかっぴーの物事のとらえ方の視点に面白さを感じているので、そこにプラス広告的なものとかをうまく使って、何か一緒に仕事をやれるといいなと思っています。
人から頼まれることが、向いている仕事
かっぴー:最近は、ちょっとだけマンガからはみ出た仕事がぽろぽろ増え始めました。ネーミング開発の仕事や、マンガじゃなくデザインとして絵を描いてほしいという話が来たり。臨機応変にやろうと思ってます。
学生時代に東北新社の中島信也さんに、「僕は普通の人間なのでぶっ飛んだものがつくれない、とがってないから向いている仕事がわからない」と相談して、「人から頼まれることが向いている仕事だよ」と言われた。飲み会の幹事をよく頼まれる人はそういうことに向いているし、飲み会で会計を集める係はそういうのが向いている、ふだん何を求められているかというのが向いている仕事だよとおっしゃっていたのが心に残っていて。
どれだけ人に知ってもらえるメジャーなものをつくるか。ネットで一番有名なマンガは、「ジャンプ」で一番無名なマンガより負けていると思っている。だから、たくさん見てもらえる方法は引き続きチャレンジしていきたいです。広告マンガを描いてくださいというオーダーは絶えずあるので、それは結構世の中にハマったのかなとは思っています。
西牟田:僕がやっているイベントやスペース開発領域でも、展示会の説明のグラフィックって、普通にやると実は誰も見ないものになってしまうおそれがあって。
情報を、どう分かりやすく、伝わりやすくするか、そこがデザインだと思うんですけど、そこに漫画家の知見とかを入れていくと、結構面白いなとか思っています。
絵と展開で、お話をつくっていくように、「これを説明してください」という話を、どう伝わりやすくまとめていくか。そんな風に、漫画家に情報のデザインの構成を考えてもらうのもありかな、なんて思ったりもしています。
説明が読み物プラス、イラストも含めた魅力的なコンテンツになる。ライトコンテンツみたいなものを手法として使っていくと、空間開発も結構いろんな広がりが出たりするなと。
かっぴー:そうですね、本当に。
西牟田:グラフとかも普通にエクセルっぽいのよりは、インフォグラフィックス的なの含めて、ちょっとマンガっぽくなるとか。空間って、表現がマジになりがちじゃない?
かっぴー:マジになりがちですよね。
西牟田:ちょっと違った角度で情報をとらえる視点が入ると、すごく引きつけられるものになる可能性があると思う。あと、僕らはリアルの体験価値について言うときに、ソーシャル含め世の中に拡散する手前の、深い実体験をつくっていくんだと言っているけど、リアルだからこそライトになれる部分とかもあったりする。
気軽に買えなかったり、試す機会自体がないものを、リアルの場で気軽にタッチ&トライできるみたいな捉え方をする、ライトコンテンツとしてのリアルなあり方も結構あるかなと思っています。
受け手の心の状態を、どうデザインするか
かっぴー:そういう意味だと、最初に言ったように、心の状態をどうデザインするかの話ですよね、見ている人の。ライト、軽い気持ちのほうが広告とか情報を受け入れやすいんじゃないかということ。僕が描いている広告マンガって、納品物はあくまで「企画」だと思っています。
僕が描かずに作画を立てるとか、僕が絵コンテを考えてCMにしましょうとか、「企画」は料理の仕方によって全然違うものを提供できる可能性がある。どうしたって、あの絵が合わないというクライアントもいると思うから。だったら絵を変えればいいし、「今回は動画が欲しいんだよね」と言われたら動画にすればいいし、応用は利かせますよ。
西牟田:ちゃんと戦略を持って、いろいろ考えながらやっているんだね。
かっぴー:東急エージェンシーに入った頃は、いつか広告プランナーとして独立しようと思っていた。でも、プランナーとして独立するのはめちゃくちゃハードル高いなと思い知った。僕が「漫画家」って名乗り始めたのは最近だけど、照れと謙遜といろんな感情がまじって、最初は漫画家って言いづらかった。でも、「漫画家」ってちゃんと言わないとだめだなと思ったのは、納品物が想像できない肩書って仕事を出しにくいんだなと気づいたから。
プランナーって何してくれるの?どこから金払えばいいの?、ちょっと話聞いただけでも金取るの?みたいな感じがあるでしょ、何か正体がよくわからないというか。「漫画家」と名乗ったら、じゃあマンガという形で企画を納品してくれるんだな、と分かりやすいですよね。「いや、CMも実はできるんですよ」とか、「作画つければ、原作者としてもできるんですよ」とか、可能性を残したいがために肩書を変に凝るんだったら、もう「漫画家」と言い切ったほうがいいかなと。
西牟田:立ち位置をはっきり決めたほうが、頼みやすいよね。
かっぴー:一回ちゃんと名乗らなきゃだめだなと思って。
西牟田:今後「なつやすみ」として挑戦したいことを教えてください。今更ですが、会社名は、なぜ「なつやすみ」なんですか。
かっぴー:東急エージェンシーのときも、カヤックのときも、本当はこうしたほうがいいと思うんだけど、クライアントが直せと言うから直さなきゃとか、これ提案したいけど多分通らないとか、「仕事だから」と過剰に意識しているうちに、何にもつくれなくなっていたんです。だから、もう仕事をしないというのをコンセプトに、あくまで本当に楽しんで物をつくるだけに集中したいというので、「なつやすみ」という名前にしました。
だから、「仕事だからしようがねえな」ってちょっとでも思ったら、なつやすみじゃないから、やめようと思っています。
西牟田:最初に聞いたときに、「めっちゃいい名前だな」って思いました! 社訓は何でしたっけ?
かっぴー:社訓は、「忙しく、遊ぶ。」です(笑)。
西牟田:すばらしいです! 今までも飲みに行ったり会話はしてたけど、こんなに深く話をしたのは初めてだったね。広告の場合は、受け手の心の状態が違うという話は、本当にそうだと思ったし、そういうものにうまくハマるマンガって確かになかった。すごく可能性を感じました。
ありがとうございました。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。

藤田 貴大
マームとジプシー主宰/演劇作家
1985年生まれ、北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科で演劇を専攻。 2007年マームとジプシーを旗揚げ。以降全作品の作・演出を担当する。ほぼ2ヶ月に1作という驚異的な数と質で作品を発表し続けている。11年以降、さまざまな分野の作家との共作を積極的に行う。10年6月、坂あがりスカラシップ2010対象者に選抜される。11年6~8月に発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。また、演劇以外の活動としては、共作漫画「mina-mo-no-gram」(秋田書店)や「cocoon on stage」(青土社)などを出版。また、初の短編小説である「N団地、落下。のち、リフレクション。」(新潮社)など、活動は多岐にわたる。

藤田 貴大氏プロフィール写真
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(前編)
- August / 08 / 2017
マンガの中に、広告を入れる
西牟田:そもそも「フェイスブックポリス」みたいなマンガを、なぜ描くようになったんですか? みるみるヒットしましたね。

フェイスブックポリス
かっぴー:新卒で広告会社の東急エージェンシーでアートディレクターをした後、転職して面白法人カヤックに入りました。ニューフェースは日報メールを社員向けに流すんですけど、なるべく早めに顔と名前を覚えてもらうために何かプラスアルファでつけたいなと思ってマンガを描いたんです。
カヤックはバズをつくる会社なので、社員が「面白いよ」と言ってくれるのが結構信ぴょう性があったというか、「この人たちが面白いと言ってくれるなら、ネットにアップしても面白がってもらえるんじゃないかな」と思えた。去年9月のシルバーウイークのときに、たまたま急に思い出してアップしたらこうなったという(笑)。
西牟田:最初は「フェイスブックポリス」だけ?
かっぴー:「フェイスブックポリス」と、「おしゃれキングビート!」と「めっちゃキレる人伝説」ですね!


西牟田:カヤックの人たちが「あ、いいね」と思った感じは、ライトコンテンツがウケているという時代の空気感があるからなのですかね。自分のことをライトコンテンツメーカー、例えば「ジャンプ」みたいな雑誌に載るマンガがラーメン屋だとしたら、自分はカップ麺メーカーみたいな感じと言っていたじゃないですか?
かっぴー:めちゃくちゃ広告的だなと思っているんですよ、自分のマンガって。ウェブコンテンツから書籍化されると、なかなか売れないんですよね。何で売れないのかについて、みんな安直に「ウェブで無料で見られるからでしょ?」というけど、「ブラックジャックによろしく」は、ネットで全話無料で見られるようになった途端に売り上げが伸びたらしいです。だから「無料で見られる=買わない」ということじゃないと思う。
多分メディアとして、見るテンションが違う。車の中とかトイレとかでツイッターをふわーって見ているときに、「このマンガ、めっちゃウケる!」となって見るテンションと、「ワンピースの新刊出たぞ!」と家へ大事に持って帰って、家に着いてポテチを用意して見るのでは、テンションが違う。だからテンションの差で売れないんじゃないか。コンテンツとしてはどっちもありですけど、手元に置いておきたいかの差はある。
一方、僕のマンガの強みは「あ、なんだ、広告マンガか」と分かった時に好意的に受け入れてもらえる事が多い所だと思います。距離感が広告と相性がいいんだなと思う。だからこそ自分のは「ライトコンテンツ」なんです。ウェブで公開しているマンガが全てライトコンテンツだとは思っていなくて、逆に雑誌でも、ライトコンテンツっぽいマンガは多分あるし、ウェブだからライトっていう訳では無いと思ってます。
西牟田:ユーザー側に依存するのかな、見方のスタンスは。
かっぴー:僕は意識して胸張って「ライトコンテンツです」と割り切ってしまった方が書籍もマンガ自体も、売り方の工夫があるなと思いました。
会社「なつやすみ」は、コンテンツメーカーでもあり、広告会社でもある
西牟田:7月には2冊同時に、書籍化もするんですね、すごいスピード感。
かっぴー:今、書籍の中に本当の広告を入れようと考えていて、その営業をかけたいと思ってます。これまだ動いてないので、電通報で初出しできてラッキー(笑)。「SNSポリス」と「おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!」の中の広告枠を募集しているので、よろしくお願いします!
「おしゃ子が持っているスマホのカバー、どこかスポンサーつけない?」とか、ポリスのスマホや帽子のメーカーとかに、スポンサーを募集したい。僕のマンガは「広告なのが嫌がられない」のがちょっと珍しい。「なーんだ広告か、でも、お見事!」みたいな感じ。「広告か、ふざけんな」じゃなくて、「お見事」という感想を持ってくれる人がすごく多くてうれしかったから、そのノリを使えるだけ使おうと思っています。映画みたいに、マンガの小道具にスポンサーがついたら書籍として新しいですよね。


西牟田:その売り方、面白いね。
かっぴー:僕はマンガも広告も抜きんでていないけど、二つそろったら相性よかった。意外と広告マンガを描ける人ってあまりいないんじゃないかな。有名な漫画家を起用したら、それはいい広告になる可能性は高いけど、広告マンガとしてちゃんと企画から考えて、マンガに落とし込める人はあまり見たことないですよね。
西牟田:確かにね。そうすると、なつやすみという会社は、コンテンツメーカーであるだけではなく、広告会社でもあるし、いろんな立ち位置を全部自分ひとりでやっていくのですね。
かっぴー:そうです。だから事業内容はシンプルに、「マンガと広告」としているんです。だから、マンガと広告に関わることは、全て業務領域かなと思っています。
「バズる」ことを目標にして、真顔で議論する時代ではない
西牟田:コンテンツの発信の仕方も、結構よく考えていますよね。ソーシャル受けするコンテンツのあり方や、戦略的に取り入れている企画のポイントを聞きたいな。発信するときは、メディアを使い分けていますか。
かっぴー:ちょっと話がずれるかもしれないけれど、今考えているのは、バズるということ自体を茶化すというか、真顔でバズの話をする時代じゃなくなっているんじゃないかということ。「SPA!」で連載を始めたんですが、まさに「バズマン」というタイトルで。バズに対し一生懸命やっているウェブ制作会社のマンガ。そろそろ「バズる」に奔走すること自体が、ギャグになるんじゃないかって。
西牟田:かっぴーの発言としては、ちょっと皮肉だね(笑)。
かっぴー:うん。だって、数字なんてほとんど意味ないよ。これを言われると困る人たちがいっぱいいるから、みんな言わないんだろうけど。バズれば売れるの?それで本当にサービス加入するの?ってこと。
リツイートって、記事タイトルで分かるものとかが、ウケてリツイートする。本当に気になっているコンテンツこそ、読み込んじゃって逆にシェアを忘れていたりする。そう考えるとパパパパパパッとバズってワーっと広まっていくコンテンツって、本当に見てるのかなと疑います。最近は数字に対してうのみにしちゃいけないなと思っています。
広告業界の真面目な部分を切り取った「左ききのエレン」というマンガを、いま描いていますけど、コメントつきのツイッター投稿がこんなに多いかと思うぐらい多くて。ソーシャルカウンターに出ている数字は、「フェイスブックポリス」より低い。でも、読者が一々リアクションしている比率が高い方がうれしい。
何人に褒められたかより、何て褒められたかの方が大事。「うわっ、これちょっと、俺もひとこと言いたい」という、何かの境界線を越える、それが一人でも多いコンテンツが、僕はいいコンテンツだと思っているんです。


西牟田:僕も同じようなことを思いながら仕事をしている部分がある。数の評価だけが先行しちゃうと、それって体験としては本当にどう届いたのかな?と違和感を覚えるよね。
もちろん数は最大化していくことを目指すけど、もっと別の指標でも見てみたい。
かっぴー:あと、どこでも誰でも平等に見ることのできないコンテンツ、例えば1万人しか見れないマンガとか、深夜しか見られないマンガとか、ちょっとひねったコンテンツが出てくるんじゃないかなと思っていて、時間帯限定版とかも面白いんじゃないかなという気がしています。
純粋に広告マンガとして起用してもらうケースも多いんですが、変化球の仕事も来るようになってきたので、分岐するマンガとか、性格診断が入っているとか、やりようがいろいろあるなと思っています。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(後編)
- August / 08 / 2017
マスとソーシャルは、分けて考える
西牟田:ある種マスとソーシャルを行き来する形がスタイルだけど、マスはマスで分けて考えていますか。
かっぴー:目的が全然違うから、やっぱり分けていますね。今後はとにかく映像化したいんですよ、何かしら。アニメでも、ドラマでも、映画でもいいけど。メジャーなものに対して無視しちゃいけないと思っていて、最近メジャーなマンガばっか買って読んでいる。じゃあメジャーって何かというと、映像化は欠かせないんですよね。
ウェブ有名人の「あるある」ですけど、全然有名じゃないんですよ。特に、僕のことなんか、世の中の人は誰も知らない。だから、チヤホヤして来ない人達となるべく会うようにしていて、例えば美容院のお兄さんに「マンガ、何を読んでいますか?」と聞くんです。ウェブマンガで、これは知っているかなと思う上位10位を言っても、唯一知っていたのが「ワンパンマン」だったり。それが普通なんです。「かっぴー」なんて知るわけない(笑)。アニメ化されたり、ドラマ化されて、やっとギリ知っている人がいるぐらいだと思う。
西牟田:アウトプットとしてマンガを描くというところに落ちなくても、僕はかっぴーの物事のとらえ方の視点に面白さを感じているので、そこにプラス広告的なものとかをうまく使って、何か一緒に仕事をやれるといいなと思っています。
人から頼まれることが、向いている仕事
かっぴー:最近は、ちょっとだけマンガからはみ出た仕事がぽろぽろ増え始めました。ネーミング開発の仕事や、マンガじゃなくデザインとして絵を描いてほしいという話が来たり。臨機応変にやろうと思ってます。
学生時代に東北新社の中島信也さんに、「僕は普通の人間なのでぶっ飛んだものがつくれない、とがってないから向いている仕事がわからない」と相談して、「人から頼まれることが向いている仕事だよ」と言われた。飲み会の幹事をよく頼まれる人はそういうことに向いているし、飲み会で会計を集める係はそういうのが向いている、ふだん何を求められているかというのが向いている仕事だよとおっしゃっていたのが心に残っていて。
どれだけ人に知ってもらえるメジャーなものをつくるか。ネットで一番有名なマンガは、「ジャンプ」で一番無名なマンガより負けていると思っている。だから、たくさん見てもらえる方法は引き続きチャレンジしていきたいです。広告マンガを描いてくださいというオーダーは絶えずあるので、それは結構世の中にハマったのかなとは思っています。
西牟田:僕がやっているイベントやスペース開発領域でも、展示会の説明のグラフィックって、普通にやると実は誰も見ないものになってしまうおそれがあって。
情報を、どう分かりやすく、伝わりやすくするか、そこがデザインだと思うんですけど、そこに漫画家の知見とかを入れていくと、結構面白いなとか思っています。
絵と展開で、お話をつくっていくように、「これを説明してください」という話を、どう伝わりやすくまとめていくか。そんな風に、漫画家に情報のデザインの構成を考えてもらうのもありかな、なんて思ったりもしています。
説明が読み物プラス、イラストも含めた魅力的なコンテンツになる。ライトコンテンツみたいなものを手法として使っていくと、空間開発も結構いろんな広がりが出たりするなと。
かっぴー:そうですね、本当に。
西牟田:グラフとかも普通にエクセルっぽいのよりは、インフォグラフィックス的なの含めて、ちょっとマンガっぽくなるとか。空間って、表現がマジになりがちじゃない?
かっぴー:マジになりがちですよね。
西牟田:ちょっと違った角度で情報をとらえる視点が入ると、すごく引きつけられるものになる可能性があると思う。あと、僕らはリアルの体験価値について言うときに、ソーシャル含め世の中に拡散する手前の、深い実体験をつくっていくんだと言っているけど、リアルだからこそライトになれる部分とかもあったりする。
気軽に買えなかったり、試す機会自体がないものを、リアルの場で気軽にタッチ&トライできるみたいな捉え方をする、ライトコンテンツとしてのリアルなあり方も結構あるかなと思っています。
受け手の心の状態を、どうデザインするか
かっぴー:そういう意味だと、最初に言ったように、心の状態をどうデザインするかの話ですよね、見ている人の。ライト、軽い気持ちのほうが広告とか情報を受け入れやすいんじゃないかということ。僕が描いている広告マンガって、納品物はあくまで「企画」だと思っています。
僕が描かずに作画を立てるとか、僕が絵コンテを考えてCMにしましょうとか、「企画」は料理の仕方によって全然違うものを提供できる可能性がある。どうしたって、あの絵が合わないというクライアントもいると思うから。だったら絵を変えればいいし、「今回は動画が欲しいんだよね」と言われたら動画にすればいいし、応用は利かせますよ。
西牟田:ちゃんと戦略を持って、いろいろ考えながらやっているんだね。
かっぴー:東急エージェンシーに入った頃は、いつか広告プランナーとして独立しようと思っていた。でも、プランナーとして独立するのはめちゃくちゃハードル高いなと思い知った。僕が「漫画家」って名乗り始めたのは最近だけど、照れと謙遜といろんな感情がまじって、最初は漫画家って言いづらかった。でも、「漫画家」ってちゃんと言わないとだめだなと思ったのは、納品物が想像できない肩書って仕事を出しにくいんだなと気づいたから。
プランナーって何してくれるの?どこから金払えばいいの?、ちょっと話聞いただけでも金取るの?みたいな感じがあるでしょ、何か正体がよくわからないというか。「漫画家」と名乗ったら、じゃあマンガという形で企画を納品してくれるんだな、と分かりやすいですよね。「いや、CMも実はできるんですよ」とか、「作画つければ、原作者としてもできるんですよ」とか、可能性を残したいがために肩書を変に凝るんだったら、もう「漫画家」と言い切ったほうがいいかなと。
西牟田:立ち位置をはっきり決めたほうが、頼みやすいよね。
かっぴー:一回ちゃんと名乗らなきゃだめだなと思って。
西牟田:今後「なつやすみ」として挑戦したいことを教えてください。今更ですが、会社名は、なぜ「なつやすみ」なんですか。
かっぴー:東急エージェンシーのときも、カヤックのときも、本当はこうしたほうがいいと思うんだけど、クライアントが直せと言うから直さなきゃとか、これ提案したいけど多分通らないとか、「仕事だから」と過剰に意識しているうちに、何にもつくれなくなっていたんです。だから、もう仕事をしないというのをコンセプトに、あくまで本当に楽しんで物をつくるだけに集中したいというので、「なつやすみ」という名前にしました。
だから、「仕事だからしようがねえな」ってちょっとでも思ったら、なつやすみじゃないから、やめようと思っています。
西牟田:最初に聞いたときに、「めっちゃいい名前だな」って思いました! 社訓は何でしたっけ?
かっぴー:社訓は、「忙しく、遊ぶ。」です(笑)。
西牟田:すばらしいです! 今までも飲みに行ったり会話はしてたけど、こんなに深く話をしたのは初めてだったね。広告の場合は、受け手の心の状態が違うという話は、本当にそうだと思ったし、そういうものにうまくハマるマンガって確かになかった。すごく可能性を感じました。
ありがとうございました。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(後編)
- August / 15 / 2017
設計しない状態までを、設計範囲に取り込む
堀:ユーザーが自分で建築を設計できるアプリを、つくろうと思ったきっかけは何ですか。
吉村:思想家の多木浩二さんが「生きられた家」とかいう言い方をしているんですけれど、写真写りがいいだけの建築家の家はひどい、物にあふれて、生活感にあふれて、経験が織り込まれてようやく家が「生きる」という話です。
建築家の側から、それは自分の関わる領域じゃないからと諦めるのではなくて、普通は設計しない状態までを設計範囲として取り込むという意識がありました。
堀:それはユーザーが関わり続ける、設計する側が細部まで設計し過ぎないで、ちょっと余白を残すということですか。
吉村:そうですね。だけど、その余白の残し方が単なる撤退ではなくて、その中に何となく成分として設計者側の意図が残るような状態というのはどんなものだろうという興味ですね。
堀:設計者とユーザーがコラボしている感じですね。設計者のインストラクションに導かれて自分の中で新しい発想が生まれ、ここをこうしたいというふうな無限の改変が生まれてくると、空間と自分の関係に飽きないし、確かに楽しいですね。昔からすると建築家の仕事だと思っていなかったようなことも、建築家の方がやりたいと思いさえすれば、どこまででも拡張していけそうですね。
吉村:私見ですけれど、もともと日本の建築士ってそういうところがあったと思う。例えば地方の工務店の社長なんて、一級建築士も持ってるけど不動産業も地元の議員もやるとか。日本は建築の有資格者が110万人いて、フランスは人口が日本の半分ですけれど3万人しかいない。日本は一級建築士、二級建築士、木造建築士、全部合わせて110万人もいるんですよ。
堀:一級建築士は、電通の私の部署にもけっこういます(笑)。
吉村:純粋に設計をやっている人は実は割合としては少なくて、どうやったって職能を広く捉えないと生き残っていけないという日本の建築家側の事情があるような気がしますね。
堀:今は車もシェア、家もシェアみたいな風潮で、設計する人がつくり過ぎないみたいな話もそうですが、人が定住しなくなってくるというときに、家そのもののあり方はどういうふうになっていくのでしょうか。
吉村:戦後は核家族と家というものがぴったりくっつき過ぎたと思う。家族の人数が減って、女中や書生といった制度もなくなり、食べて寝て排泄してみたいな、生活の特に動物的な一部の機能だけを満たす箱になってしまっていた。でも例えば最近は「家飲み」「シェアハウス」みたいなものが若者の間では市民権を得たりして、小さくなってしまった空間を、自分たちで住みこなすとか乗りこなすという感覚が、ユーザーの方にできつつあるので、それに対応できる家をこれからつくっていく必要があると思うんですね。
だから僕は、大きい家の方が基本的にいいと思っています。ビルディングタイプが細分化し過ぎるということに対して、危惧がある。昔は家と蔵とお寺とか、建物ってそんなにハードウエアのタイプがなかったはずだけれど、現代は本当に細分化しています。住居にしたって、高齢者用、学生用、婚活用…。共生とは程遠い。
「メタボリズム」思想を、現代的に発展させる
堀:私たちは企業のポップアップストアなどもよく扱うので、吉村さんがつくられた横浜のコンテナホテルについて、ホテルがああいう形態に至った経緯に興味があります。

コンテナホテル
クレーンによる吊り上げ。基礎などの工事を済ませておけば現場は1日で終わる。
吉村:横浜だけじゃなくて、海運コンテナの規格を流用して建築にするというプロジェクトはいろんな形で展開しているんですけれど、横浜の件に関していえば、あの土地が最初は5年という期間限定でホテルをやるという話だったので、イニシャルコストをできるだけ抑えるというのと、5年後にどこかへ移るんだったらそのとき全部解体してしまってゼロに戻すんじゃなく、コンテナなら運び出して別の場所でまたすぐに営業再開できるじゃないかという考えでした。
でも結局、5年でやめなくてよくなって7年たちます。ホテルをやるということが土地を取得するための条件だったけれど、今のところうまく稼働しているからそのままやろうということになっています。今はコンテナ建築について毎週のように問い合わせがあります。2020年までの宿泊施設不足が顕著なので急いで建てる必要があり、建設コストも上昇しているので。
1960年代に建築をユニット化して部分的に更新可能にして、成長したり縮少したり、生物をモデルにしたような建築を提案した建築家たちがいました。メタボリズムという日本発のムーブメントで、基本的に永続的なものだった西洋の建築に対する痛烈な批判でもあった。そのとき、黒川紀章さんのカプセルとか菊竹清訓さんのムーブネットとか、交換可能なボックスのアイデアというのを試した人たちがいたんです。
海運コンテナの国際的な規格が定まったのが1970年で、そのムーブメントよりも後なんですね。だから60年代のメタボリズムが言っていたカプセルは、それぞれ独自寸法で本格的な流通は難しかった。でも僕らは規格が定まって以降の世界に生きているのだから、このアイデアを捨ててしまうのはもったいないと思ったんです。輸送コストは、コンテナのサイズにのっとっていれば限りなくゼロに近いですし、陸海空どこでもスムーズに移動できる。
「プレファブとポストファブ」を、両方実現する
堀:吉村さんのアプローチは、法律とか外的要因で、ある程度自然とそのものの形が決まっていく、建築の在り方がが規定されていく、みたいなことを前に書かれていましたね。「ビヘイヴィアとプロトコル」と表現されていましたが。
吉村:世の中に建っているあらゆる建築は社会的な存在だと僕は思っていて、社会的な存在であるということはすなわち、本にも載せた四つの規制力のマトリックスをバランスよく満たして建っているはずなんです。

四つのマトリックス
日本語では、市場、法、規範、環境と訳している。原典は法学のシカゴ学派。
吉村:時に何かの象限が他に対してすごく卓越したりすると、変わったものができ始めて、それが成功すれば面白い建築や名建築になるかもしれないし、失敗すれば法律にのっとっただけの市場性に翻弄された建築ができてしまう。だから建築家は、どの象限を意図的に突出させていくかが問題ということですね。
僕は最近、「プレファブからポストファブへ」という言い方をしています。「ポストファブ」というのは僕の造語ですけれど、コンテナなんかは典型的なプレファブですよね、工場でつくって運んで現場を最小にしていくという考え方です。ポストファブというのは「敷地に運んだ後で部品からつくりはじめる」3Dプリンターのような話とか「できた後にユーザーが手を加えていく」DIYのような話。
「プレ」と「ポスト」で言葉の意味も正反対だし、一見すると全く別物のようだけれど、両方重ねてやることも可能です。時間的に前後で分かれているので、プレファブしつつポストファブをすることを僕は目指していきたい。
堀:建物が「できた」で完結するんじゃなくて、ずっと建物が未完成の状態というか。
吉村:そう、何かしらの形で変わり続けていくような状態をつくり出したいと思っている。現場でつくる在来工法にしたって、竣工した時点を変化の最終型だとしてしまえば、プレファブとそんなに大した違いはないような気がするし、その後どうやって使うかというのが結局は問われている。
プロトコルを通してビヘイヴィアを設計する
吉村:内部的で短期的で、かすかなほのかな行動や姿勢を大事にするビヘイヴィア中心主義と、外部的で長期的で、強い規制力みたいなものと渡り合うプロトコル中心主義。それら「ビヘイヴィアとプロトコル」が内部と外部からせめぎ合って建築のかたちを決めているというのが僕の理解です。そして、ビヘイヴィアを豊かにするためにこそ、プロトコルを徹底する必要があるということが、あの本で言いたかったことです。

書籍「ビヘイヴィアとプロトコル」(現代建築家コンセプト・シリーズ)
2012年LIXIL出版刊。若手の建築家に焦点を当てた現代建築家コンセプト・シリーズの1冊
堀:ビヘイヴィアという言葉の意味があまりうまく捉え切れていないのですが、アクティビティーというよりも微妙な、ちょっとした立ち居振る舞いみたいなことですか。
吉村:アクティビティーも含んでいますが、小さければ小さいほどビヘイヴィア的と僕は捉えています。イームズがデザインした椅子で、裸婦がひじをついて横たわっている彫刻作品にぴったり合う形のラシェーズという安楽椅子があるんですけれど、それは座るでもなく寝るでもなく、言葉にすることができないような微妙な姿勢にぴったり合ってしまう椅子なんです。新しい姿勢を喚起しているけど、それ以外の姿勢を許容しない。とてもビヘイヴィア的な椅子です。
プロトコルの例としては、同じイームズのシェルチェアを挙げています。それは座り心地の良さももちろんあるんですけれど、スタックができて一体成型できてという製造側の論理にものっとっている。経済的で、ひたすら同じものが量産されているけれど、駅のホームから家庭のリビングやダイニングまで、シンプルなだけに多様な使われ方を許容できている。プロトコル側の原理でつくられたものの代表です。
これらの椅子が、プロトコルを徹底した結果むしろビヘイヴィアを喚起するところまでいけるんじゃないかと考え始めたきっかけです。
堀:ビヘイヴィアを設計するというのは、どのようにすればいいのでしょうか。
吉村:ビヘイヴィアの設計は難しいんです。直接考えると、一挙手一投足を全部設計する軍隊の行進みたいな話にどうしてもなってしまいがちなので、遠回りをしないといけない。だからこそ、ビヘイヴィアの設計をプロトコルを通してやるのが重要なんです。
先ほど洞窟の話をしましたけれど、洞窟はそこで人間が取る行動や姿勢を意図して設計された空間ではなくて、地質、風、潮の流れ、そういう外部的なプロトコル、科学的な要因によって自動的につくられているものですよね。そういう迂回をしてつくられた空間が、実はビヘイヴィアを豊かにする手がかりを備えているんじゃないかということです。
堀:設計しなきゃと意図すればするほど、目的と逆方向に行っちゃうのではないかと。
吉村:そうなんですよ。すごく逆説的ですよね。でも、そういう視点で考えると、コンテナにもビヘイヴィア側の可能性を見いだすことができる。もともとは、船に載せて物を運ぶときに効率が下がらない最大寸法ですから、完全にプロトコルによって決まっている。しかし一方で、中に人が入らなきゃ作業ができないわけで、内側から押し広げていって決められた寸法でもある。ビヘイヴィア的な側面を見いだすことも可能なわけです。
そのことを証明してくれるのが「ラ・トゥーレット」という、ル・コルビュジエが設計した修道院です。その僧房のサイズと、20フィートコンテナの内側にちょっと内装を仕上げたぐらいのサイズが、実はほとんど同じ寸法なんです。修道院の寸法というのは、人間が禁欲的に生きる最小限の空間で、集中力を高めたり祈ったりといった人間のビヘイヴィアからできた単位であるはずです。それが、偶然にもコンテナのサイズに等しい。
だから、コンテナの空間というのも、ただの箱型でプロトコル側の原理だけでできた、つまらない凡庸なものに感じるかもしれないけれど、あの狭さ自体がある種の宗教性とか、静けさや集中力といったものと関係するビヘイヴィア的な質も実は備えているといえるんじゃないか。
堀:人間のサイズというのもそんなに太古から変わっていないし、自然にも「自然の摂理」というものがあるということをちゃんと学んだときに、多分、空間認識ということについても、生態的な摂理があるのでしょう。
吉村:あると思います。
堀:コルビュジエの建築は間違いなく、そこを考えてつくった寸法なのでしょうね。
吉村:コルビュジエこそ「モデュロール」という体系をつくり、人体の寸法との比例で、建築のサイズを決めていった人なので。
堀:10年ぶりに学生時代の建築への夢を思い出して興奮してきました(笑)。吉村さんとお会いできたのをきっかけに、いろいろな試みをご一緒にやりたいです。今日は本当にありがとうございました。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。