2017/07/26
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(前編)
- August / 15 / 2017
照明の地位は低過ぎる? 照明主役の提案をすること
藤田:僕はイベントやスペース開発を扱うプロデュースセクションにいまして、普通イメージされる「広告」より、もうちょっと実物に近かったり、プロジェクトに近いものをやっています。自分たちがつくった空間やイベントに、世の中の人がリアルに接する際には照明はとても重要で、繊細なデザインが必要だと思っています。でも、照明って予算を真っ先に切られがちじゃないですか。
岡安:それがすごく嫌ですね。照明の場合、常に分かりやすい価値が提供できるかというと、そうでもないんですよ。普通の照明も重要じゃないですか。それを伝えるのがとても難しい。僕の場合は、自分の立場を守るためですが、「これを外したらもうどうにもならない」という提案に持っていっちゃう(笑)。照明が主役ぐらいの状態まで無理やり持っていってしまう場合が多いです。
絶対、他の人に触れない、「この人に頼んでおかないとやばい」という状況まで持っていくように考えています。それは意識の中では建築と同じぐらい、同じというと失礼なんだけれど、建築と同等のバリューまでデザインを上げてしまうという感覚ですね。
メーカーを創業したつもりが、いつの間にか照明デザイナーになっていた
藤田:では、早い段階から声をかけてもらわないと無理ですね。
岡安:その方がアイデアが残りますよね。後の方で声がかかってくる案件は、大概予算を削られて終わっちゃうし。やれることも限界が出てくる。思い切ったことをやろうという提案をして、いいねとなっても「もうお金がないから」という話になるので。
藤田:中村拓志さんや青木淳さんら、名だたる建築家とお仕事をされていますが、声のかかり方によって建築家との仕事の仕方は違うのですか。

東急プラザ表参道原宿
中村拓志/NAP建築設計事務所+竹中工務店
©Koji fujiiNacasa and Partners Inc.
岡安:ケース・バイ・ケースですね。僕の仕事の場合、エンジニアリングの側面もあるので、他の照明メーカーに任せて進んでいた案件を、最後の最後になって「やっぱりやばい」と、急に「入って助けてくれ」となる話もあるので。
藤田:照明デザイナーになられる前に、照明器具のエンジニアだったんですよね。そこから照明デザイナーになろうと切り替えていった契機は何かあるのですか。
岡安:契機らしい契機はないです。もともと農林水産省の外郭団体で機械工学をやっていて、照明メーカーを創業しようという話に何となく乗っかって、器具を設計していって、そのうちいろんなメーカーの名刺を持たされ始めるんですよ。
藤田:えーっ。なんか物騒な話ですね(笑)。
岡安:いろんな会社の名刺を持って打ち合わせに来てくれという話になって。そうするともちろん、いろんな人と知り合うじゃないですか。そのうち建築家の人たちの間で、以前メーカーに頼んで出てきたあの人が、またあそこにいると(笑)。どこのメーカーに頼んでも僕がいる、みたいなことになって(笑)。「あれ、同じ人だよな」「だったらあの人に相談した方が早くないか? 」となっていった。
そのころ僕としては、創業したての後発メーカーだったので、小さなメーカーがどう食っていこうかというのを真面目に考えると、多少デザイン的なところに寄っていかないと3~4人で始めたような会社が戦えるはずもない。特化させるために、頼まれた仕事を終えてから、同世代の建築家にデザイン提供や技術提供をやっていたのです。
無償で建築家の永山祐子さんや石上純也さんなどの相談に乗って、実際に一緒に形にして、みたいなことをずっとやっていくうちに、照明の世界へ入って3~4年ぐらいたったころから、デザインを依頼したいという話がすごく来るようになった。とはいえ自分たちはメーカーを創業したんだし、メーカーとして会社をでかくした方がお金持ちになれそうだなと思って(笑)、なかなかやめる踏ん切りをつけずにきてしまいました。

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永山祐子建築設計
©Daici Ano
照明は強烈にマスプロダクト化してるから、それを並べるだけじゃダメ
岡安:8年ほど前ですが、大御所といわれるような建築家の人たちから、ドカドカッと一気に巨大な案件が来ちゃったので、これは片手間ではできないなという話でメーカーはやめちゃったんですよ。
藤田:なるほど。会社として「デザインの提供」と言っているのは、もちろん照明視点からのものですよね。
岡安:そうです。結局、一つ一つ特別なものをちゃんとつくってあげたいと思ったときに、照明って強烈にマスプロダクト化しているから、それを並べ替えるだけで果たして特別なものが提供できるのか、思い悩むわけですよね。わざわざ頼んでくれたのに、家電量販店で売っているようなものを並べるだけで大丈夫なのかと。お金がないなりの特別なものはどうやったらつくれるか、という仕組みづくりをずっとしていた。
藤田:つくり方からつくるという立ち位置は強みだし、特徴にもなりますよね。
岡安:楽ですよね、いろいろ考えるのが。
藤田:憧れます。つくり方からつくれる人が一番強いと思うから。
岡安:僕は、一番強い人は、一番金持ちにならなきゃいけないと思うわけ(笑)。僕は金持ちになっていないから、そんなにすごいことやっているんじゃないと思うけど。
僕の照明デザインは、既に在るものを違う価値に変換する「利用工学」
藤田:エンジニアからデザイナーに舵を切っていって、今の仕事の面白さはどういうところにありますか?
岡安:僕の場合のエンジニアって、製品を発明しちゃうようなエンジニアじゃないので。利用工学ですよね、既にあるものを利用して形にしていくというものだから。エンジニアリングというほどエンジニアリングじゃなくて、単純にものづくりの経緯が分かっている程度の話なのかもしれません。
ちょっと前まで遡ると、反射鏡の設計をできる人はメーカーにもあまりいなかったので、反射鏡がつくれるしレンズも設計できるのは自分のアドバンテージだと思っていたけど、LEDになったらあまり反射鏡の設計は必要ない。
そうすると、光の特性を知っているということが一つの価値にはなるかもしれません。今の僕は人が想像できていない何かをつくれちゃうような場所にはいるんですよ。今の立ち位置にいると、比較的新しい情報が入りやすい。技術的な話がよく入りやすい場所にいるし、デザイン業界のこともよく聞こえてくる場所にいる。だから比較的、知識とか経験が形に結びつきやすいという意味で、デザインとエンジニアリングが同時にそばにあるというのは良いことだとは思います。
藤田:あえてLEDじゃない照明を使うという手法も、ありますよね。
岡安:あります。でも、LEDを使いこなすことは大事です。僕はこの10年来、ある価値を照明が生み損なったとするならば、「蛍光灯の時代に、蛍光灯を正しくデザインしきれなかった」からだと思っている。
蛍光灯と同時期に、放電灯という、街路灯に使うようなものも出てくるんですけれど、そういうものがうまくデザインされていないし、デザインしたものが人間の生活に落ちてきていない。白熱電球とかハロゲン電球はデザインプロダクトとしても普及したのに、蛍光灯とか放電灯は、ちゃんとデザインされてこなかった。
僕はLEDが2005~06年に出始めたときから、とにかくLEDを使えるものにしなきゃと思っていた。今でこそLEDも性能が上がって普通に使えるようになったんですが、使えなかったときから、必死にろくでもない性能のLEDを身近なものに変えるという試みをやっていたのです。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(前編)
- July / 31 / 2017
コンピューテーショナル・デザインって?
西牟田:豊田さんの、建築からデジタルデザインまで領域を広げていく手法が、僕らの考え方とシンクロする部分があって、今日はいろいろ深掘りできればということで、お時間を頂きました。
豊田:ありがとうございます。個人でもよくインタビューは受けているんですが、僕はできるだけ「noiz」という名前で発信するようにしています。「コレクティブである」ということが大事だと思っているので。目黒のこのオフィスも、固定したメンバーもいるのですが、プラットフォーム的な場として維持することを意識していて、ここに新しい知識や知見、感性が集まるようにしたい。
noizは東京と台湾をベースにしている建築事務所で、海外の仕事が多いです。特徴としては、言葉の定義がなくていつも困るのですが、コンピューテーショナル・デザイン、簡単に言うとデジタルデザインの新しい可能性を、実験的にかつ実践的にやっています。
一応軸足は建築だけど、情報科学みたいなものを前提としたときに、建築がどう変わっていくのか。アウトプットはインスタレーションや展示、プログラミングだけやることもあるし、コンサルティングという立場で関わることもある。そんな立ち位置だと、僕らの常識そのものが変わっていくので、それが面白くて日々実験をやっています。
デジタル技術は、生態系を変えるメディア(間を埋めるもの)
西牟田:前に、「建築の未来は、建築の領域の外にある」という話をされていましたね。ピクサーのような会社が建築の領域に入ってくると、建築界が変わっていくとも話されていた。建築の領域を広げていって、どんな未来を描いているのでしょうか。
豊田:技術がどんどん変わっているので、僕自身の考えも毎年変わっているというのが事実です。デジタル技術のことをみんな「ツール」と言うんですけれど、僕はちょっと違和感があって、英語で言うと「メディア」、媒体というか間を埋めてくれる充填物みたいにデジタル技術を捉えています。
これまで空気の中に埋まっていた生きものはこういう進化をしていたけど、突然エタノールの中につけてみましたと。そうすると、生態系自体が変わるわけじゃないですか。栄養のとり方、動き方、筋肉のつき方、骨格全て。そうなったときに生物はどう進化するか。それと同じくらい、周りの媒体(デジタル環境)が変わってきて、僕らのつかり方も生態的に変わっていくんだと思うのです。
デジタル環境が一気に実効性の分水嶺を超えたときに、人間がどう進化するのかという予想をしたいのと、そのためには促成栽培で進化の最先端を自分たちで体験してみたい。建築ってどうしても重厚長大産業なので、変化がむちゃくちゃ遅い。それが僕らのジレンマで、リサーチのレクチャーとかやっていると、「もっと変わろうぜ!」というアジテーションばかりになってしまう(笑)。
例えば音楽の世界では、デジタル技術が10~20年ぐらい先行して動いている感じがあって、ミュージシャンがひとりでコンピューターの中で技術を習得して、どんどん新しいものを生み出して、それがどうマーケットに影響して、ミュージシャンがそれをベースにどう変わっていったか。生態系の変化が先に起きている領域を参考にすることは多いですね。音楽業界ともコラボレーションしてみたいです。
「感覚」や「傾向」をデザインして、常識を変えていく
西牟田:われわれも空間や体験をデザインしていく仕事をしていますが、単純なハードだけのデザインでは終わらないことが多いです。むしろソフトの力で空間や体験をつくる仕事が、最近は多いと思っています。アプローチとしては、情報のデザインを一番コアにしているような気がします。
建築って「動かないもの」という常識が僕の中にはあったのですが、noizの「Flipmata」を見たときに変わった。単純にデザイン性で「面白いでしょ」ということではなくて、ちゃんと街の動きや人の空気、ある種の街の呼吸みたいなものをちゃんと建築にフィードバックしている感じがしていて。街の情報自体を捉えてデザインしています。




西牟田:僕らの仕事として考えたときに、例えばお店をデザインしてくださいというとき、単純に目に見えるデザインだけじゃなくて、新しいサービスをデザインしましょうとか、中で動くアプリケーションをデザインしましょうとか、従業員の体験をデザインしていくことで新しいお店をつくるみたいなことも、お店のデザインの中に入るかなと。定義を曖昧に拡張していくと、デザインの可能性も広がっていく。
豊田:僕ら建築家は、3次元の固定した形をデザインする職能だと思われている。でもそのへんの常識も、社会がどんどん変わるとずれてきて、そのずれが面白い。デジタル技術を通すことで、これまで感覚的だったずれの部分がビビッドに見えてくるとか、客観的に見えてくるところにすごく興味があるのです。
経験のデザインも建築の一部だと思う。物をつくって、それが誘発する経験は、これまでの建築家は何となくあやふやにデザインを通して扱っていた。でもIoT環境でだんだん、連鎖のネットワークみたいなシステムが、より広く強くできるようになっていく。ここを動かすとこっちが動くとか、技術の動かし方で何か面白いこと、新しいチャンネルができるじゃないですか。
これまで1対1の機械論的な価値観で、1の入力に対して1の出力がなきゃ形ができなかったのが、コントロールできないというのも許容した途端に、これまでと全然違う操作ができるといったような、新しい関係性ができてくる。「何となくこういう傾向をつくれるよね」というような環境やシステムを僕らが立地的につくってあげると、実際にそういう傾向になっていく。感覚をデザインする、傾向をデザインする、間接的にデザインする技術というか。
常識を、いろんなレイヤーで変えてくれる、あるいは、例えばデジタルはふわふわしたのと相性が悪いところが面白いのでは、というふうになってくる。そんなことを僕らがまず先行して認識して、形とか実効性で社会に対して見せていって、それを皆さんと共有していくという流れができることが理想です。先鋭的なことを実践できる機会はまだまだそんなになくて、過渡期なんですが。
西牟田:いろいろな分野のプレーヤーの領域も、結構曖昧になっていきますね。
他分野のデータを共有できて、自分たちが得意なアプローチの仕方で他の領域のデザインもできるというふうになっていくと、今までその分野の人たちだけが持っていたある種のイニシアチブだったり、優位性みたいなものがフラットになっていき、匿名性が強くなっていく。誰がデザインしたかというよりは、何をデザインするのかというのが大事になってくるのかなと。
豊田:僕はどんどん違う可能性としての建築家像というのが出てくるのに興味がある。専門性をひたすら1カ所突き詰める人もこれまで以上に価値が出てくると思うんですが、それ以上に多焦点になっていくというか。建築家だけどデータ構造が理解できて、音楽の人とコミュニケーションできるとか、経済とコミュニケーションできる専門性を持っているとか、発生遺伝学の知見が建築に役立つみたいな話が、これからどんどん出てくると思います。
専門性の焦点が二つか三つあって、経済の数学が分かって、それをつなぐのがプログラミングでありデジタル技術ですという社会構造になっていくと思います。その人のアイデンティティーが、建築ですごい形がつくれるというよりは、建築なのに遺伝子工学が分かって、さらに経済の概念で何か形がアウトプットできるというようなことが、その人のデザイン力であり価値であるというような、そんな職能の在り方にすごく興味があります。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(前編)
- August / 15 / 2017
「明文化されていない社会の要素、仕組み」を建築に組み込む
堀:私は早稲田大学で建築を学び、今はイベント&スペース・デザイン局という部署にいます。クライアントのブランドを形にしていくときに、世の中のトレンド、人の価値観やライフスタイルのようなどんどん移り変わっていくものを敏感に捉えながらも、最終的に空間づくりは社会のシステムに組み込んでいかなければいけないと思っています。吉村さんのスタイルはまさにそういうアプローチだと思うのですが、その手法はどのように生まれたのですか。
吉村:オランダの建築設計事務所「MVRDV」で働いた経験はすごく大きいと思います。というのは、オランダは建築家が都市計画にかなり発言力のある国で、マスタープランやアーバンプランニングを建築家がやる。「MVRDV」も仕事の半分は都市計画で、もう半分が建築物の設計というバランスでした。敷地を与えられてその上にどんな格好いいものを建てられるかというだけではなく、その敷地そのものがどういうつくられ方をしてきたか、都市や社会とのつながりの中でどういうふうにあるべきか考えざるを得なかった。
さらに、そこでいう都市計画は従来の意味の都市計画だけじゃなくて、扱う都市の構成要素を「市場」(マーケティング)だと思ってみたり「法規」だと思ってみたり、「規範」のような明文化されていないけれど人々の共通の認識として社会に浸透しているようなものだったり。少しずつジャンルに分解して考えるというか、「都市」という言葉を切り刻んで設計のテーマにしていくというようなことを「MVRDV」では既にやっていました。
堀:なるほど。建築におけるオランダと東京の環境に、似ているところはありますか。
吉村:「MVRDV」のあるロッテルダムという都市は戦争で一度全部壊れている街なので、新しいものをつくるということに対して積極的。ヨーロッパの都市は、基本的にあまり新しいものを受け入れないですけれど、ロッテルダムに関していえば、そういう進取の精神が東京と似ている気がします。
堀:私がやっている仕事は、イベント、博覧会、企業のパビリオンみたいなものが多く、ショップをつくるにしても銀座や表参道の一等地みたいな、長期的にそこに文脈を見いだしにくいような場所が多く、あまり敷地を出発点に考えることがないんです。
吉村:今は建築の教え方自体も、「敷地」の文脈を深く掘り下げてかたちに定着させるようなものではなくなってきていますよ。考えれば考えるほど空転するような土地が多いのも事実ですし。建築界自体が割と企画寄りというか、建築を通してプログラムを考えたり、都市とのつながりを考えたり、社会的なことを考えたりという方ががむしろメジャーになってきて、物をつくって形にするというのがむしろ最後のおまけみたいな感じの学生が増えてきている気がします。
「変わらないもの」を大切に、トレンドに近寄り過ぎない
堀:それでは、ブランドの体験や空間をつくる上で、何が最初の手がかりになってくるのでしょうか。
吉村:できるだけその企業にとって一番本質的なものが何なのかというのを考えるようにします。変わらないものを探す。トレンドみたいなものと近寄り過ぎないのが建築にとっては大事かな。
堀:TBWA\HAKUHODOさんのオフィスをやられましたよね。

TBWA\HAKUHODOオフィス
照度と明度を24時間コンピューター制御することでサーカディアンリズムを維持
吉村:あれはもともとジュリアナというディスコだった場所なんですが、空間の基本的な構成は変えていないんです。全て解体して完全なオフィスに改装するというよりは、ディスコをオフィスとして使うみたいな感覚で設計していった。例えばVIPルームはVIP用のミーティングルームになっているし、それまであった丸いラウンジはラウンジ的なミーティングゾーンになっていたりします。
極めつけが、元はディスコなので窓がないということもそのまま受け入れて、照明で24時間、色、温度、照度をコントロールして、夕方になったら赤っぽくなるし、夜になったら暗くなるという、体のリズムが狂わないように照明で手助けするということをやりました。まあ、オフィスなんて結局どこでもいいんですよ。家でもカフェでも道路でも仕事はできる。スマートフォンで仕事できる時代、オフィスもオフィス然としてなくてもいいんじゃないかと思う。
「場所の原理」を生成する
吉村:早稲田大学の学生時代に、古谷誠章先生が取り組んだ「せんだいメディアテーク」のコンペで2等になりましたが、僕もその担当者の一人でした。95年だったのでまだガラケー時代だったんですが、いまでいうスマートフォンを来館者に持たせて、借りたい本の検索性能は全部スマホが担保すると宣言しました。逆に、建築のようなフィジカルな空間には、無駄に「散策する」とか、あえて見たくないものに触れたりする可能性を増やしてあげるということが求められると考えた。これからの建築は、そうやってスマホとすみ分けるんじゃないかという議論を、当時からしていました。
堀:20年も前ですね、早い議論だなあ。
吉村:ガラケー時代には技術的に成立してない提案だったのですが、今ならできますよね。特定の本を探したいときはGPSなりRFIDタグを頼りに近づけばいいし、そうじゃないときは全然関係ない本が隣り合っていて、自分の興味ある本の隣に並んでいた別の本についつい手を伸ばすというようなことが起こる。
アマゾンのおすすめ機能と近いけど、もうちょっとノイズの分量が多い。過去に近い本を探した人がいたからといって、それらが近い位置に置かれるとは限りませんから。検索って、探したいと思ったものにたどり着けるだけだと閉塞感があると思うんです。企業側から見たときも、その商品があらかじめ欲しい人にだけアクセスしているんじゃいつまでたっても数を売れないですよね。原理的に。
昔は学校でも1年1組から6年生までの教室が整然と並んでたし、図書館には十進分類法があって、つまりナンバリングすることで空間が検索性能を担保していたけれど、今はスマホで検索可能になってきた。空間がようやく検索性能から開放されたんです。それ以外の部分で、空間の可能性を探るべき時が来たんですね。
ただランダムにすればそれでよいかというと、そうではないと思うんです。新しいソートの仕方を積極的に生成するようなものを考えなきゃいけないと思う。
堀:アクティビティー同士の関係性とか、そういうことですか。
吉村:そうですね。例えばちょっと起伏があると、その空間の質に呼び寄せられて、傾向の似た本が集まってくるかもしれない。日だまりが好きとか天井が高い場所が好きとか、ゆるいくくりになる空間的なムラを積極的に許容した方がいい。自分が想像し得た範囲からちょっと外に出てるけれど、完全な無関係ではないという、現象の周りにぼわっとくっついているものをどうやって設計に取り込むかということが課題じゃないかなと思う。
例えば洞窟に僕らが入っていくと、ちょっと先へ行ってみたいとかいう興味をかき立てられて、ちょっとしたくぼみに座ってみようかとか、普段の行為や姿勢と違うことをしてみたくなりますよね。でも、洞窟は人間の行動なんてかまっちゃいないわけです。風の流れとか、潮の流れとか、砂の成分とか、そういうものでほぼ自動的に出来上がったわけですよね。
そういう新しい「場所の原理」みたいなものが何なのか興味がある。人間の行動を制限しようとしていた、あるいは興味すらもコントロールできるものだと考えてきた近代建築の考え方とは違う、別の原理がどこかにあるはずじゃないかと思います。難しいですけれどそういう、設計できないものを設計するにはどうしたらいいか、という禅問答のようなことをずっと考えて続けているんです。
ユーザー自身が関与し続けられる、そんな魅力のある空間とは?
堀:その空間の魅力を保ち続けていくために、建築ができることはどういうことでしょうか。
吉村:おそらく、ユーザー自身が空間に関わり続けるということだと思う。誰かに与えられた空間じゃなく、ユーザー側がそれを自分でコントロールできるものだと理解すること。ユーザー自身がクリエーティブでいられる空間。
建築家の空間に対する考え方とか、壁の裏が実際どうやってできているのかを理解するだけでも、何も知らずに住んでいるよりはクリエーティブです。住人が建築を、どうやって自分事として考えられるか。商品化住宅はどれだけそれが高性能でも、やはり飽きてしまうんじゃないかと思う。
堀:機能そのものは魅力にはならない。便利だからいいとか、たくさん機能があるから飽きないとか、そういうことではないということですね。
吉村:そう。2014年に六本木ミッドタウンで開催された「Make House」展に参加しました。NCNという木造の金物をつくっている会社が、僕と同世代の建築家7組に、この工法を使った未来の住宅はどんなものなのかという課題を出して、各建築家がそれぞれそのお題に答える展覧会でした。

Make House展
70年代生まれの7組の建築家が未来のSE構法の家を提案。
吉村:僕の提案は建物の設計ではなく、iOSのアプリ開発をして、エンドユーザーが指先でチョチョッと触ると自分の家を設計できて、見積りもできて、発注ボタンを押すと何週間後かに加工された材料が職人と一緒に届いて、それで家が建つというような仕組みづくりだったんです。
堀:それは設計ノウハウを公開しちゃうということですよね。
吉村:そうですね。ユーザーがどこまで建築に関わるか、完成と未完成のボーダーラインをいじってみようという実験でした。

アプリ説明画像
操作画面:五つの工程を順にたどると家の設計を完了できる。 バリエーション:デザインを共有することも可能。
吉村:こうやって自分で建物のサイズを変えたり、床の高さとか平面形状を変えたりして、鳥かごみたいな小さい格子状のフレームを用意して、その格子それぞれに面材を張ったり窓を開けたりすることでデザインが変わる。ユーザーは自分で面材を開発してもいい。半完成の状態でユーザーに渡せるものをつくりたかった。
堀:ユーザーが自分で手を加えていけるのは、本当にワクワクしますね。
吉村:だから、職人じゃないと運べないような通常の規格サイズの材料じゃなくて、素人でも運べるようなもっとずっと小さい部品の集合体なのです。無印良品のユニット家具は、画面上で全部設計して、ぽんと注文ボタンを押すと届きますが、そんなイメージで住宅もできないかと思った。一応構造はコンピューター上で自動計算しているので、素人でも構造的には成立しているんですよ。
堀:画面にずっとお金(経費)が出てきていますね、チャリンチャリンと。
吉村:そう、経済的に無理な建築プランは、ユーザー自身が自分で諦めてくれるという(笑)。概算表示や積算表示ができたり、展覧会のときは写真を撮ってフェイスブック上で共有されたりしていましたが、いずれは他の人がつくったデータを途中から引き継いだりもできるようにします。
堀:すごいです。敷地より先に家本体ができちゃうということですよね、面白いなあ。
吉村:DIYで家をつくると建築に愛着が湧いて、興味を持ち続けられるんじゃないかと思うんです。壁の中までどうなっているか全部自分が知っているわけだから、問題が起これば自分自身で直せるしね。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
光の特性を使い切るデザイン:岡安泉(後編)
- August / 15 / 2017
光の特性をつかみ、それを適切にデザインすること
藤田:LEDの新しい使い方については、何を考えていらっしゃいますか?。
岡安:見え方でしょうね。LEDが出てきたときの、ネガティブ側の印象というのは、光が冷たいとか汚いとか、かなりろくでもない物言いをされていた。だけど、当時は実際そうだったんです。
藤田:汚いというのは、どういう状態なんですか。
岡安:色が一色になりきらない。白だけど、ちょっとピンクっぽい白だったりして。
たまたま2010年に、東芝がヨーロッパにLEDの市場をつくりたいという話で、建築家の谷尻誠さんにミラノサローネに誘われたのですが、そのときにつくったのが、煙を流して、煙の裏側にLEDを入れて、LEDで煙の色を変えるということ。フルカラーを再現できるのがLEDのアドバンテージなので、そこをちゃんと見せようと思った。
その上で煙という流体をフィルターにすれば、色は混じり合うし、光の明るさも混じり合うので、LEDのバラつきは分からなくなる。その状況と鑑賞するための場をちゃんとつくれば十分感動できるものになると思った。つまり、LEDと人間の距離感をどう縮めるということをやった。そういう実験を今もやり続けているという感じです。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
藤田:ピンチをチャンスに変えるというか、すごく面白いですね。流体といえば、2011年の東芝の水の作品もそうですよね。
岡安:そうですね。
建築家の田根剛さんとやったんですが、LEDの特徴の一つに高速応答性があって、信号を送るとすぐそれに反応する。それまでの光源はオン・オフとか調光とかすると、寿命にダイレクトに影響があったけど、LEDにはそれがない。その価値を魅力に変えたくて、ただ筋状に滝みたいに落ちている水に高速点滅するLEDの光を当てると、すごく小さな火花が空中に舞っているように見える。火花が明滅しているような見え方になるんです。

2011
Toshiba Milano Salone “Luce Tempo Luogo”
DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
©Daici Ano
光は「ポータブルなもの」になり得るか?
藤田:次に狙っている方法論はありますか。
岡安:今、大きく目標に置いているのは、ポータブルなもの。例えば歴史をずっと遡って、百数十年前まで遡ると、火を使っていた時代までいくじゃないですか。そのころは、例えばろうそく1本だとしたら、それを中心に20センチ四方ぐらいで、せいぜい20ルクスの明るさしかとれないんです。それが現代の技術をもってすると、例えば六畳間に60ワットの電球1個あれば、くまなく同等の明るさがとれる。
想像ですが、白熱電球が生まれたときに、電球を前提に生活を変えていくというデザインの流れの中で、電球にふさわしい器具の形やいろんなものが決まっていったのではないかと思っています。その上で白熱電球の特徴を生かして、ダウンライトという形状ができたり、スポットライトみたいなものができたり。明かりに火を使っているころは、常に体のそばにあって火と人間が1対1で動いていますよね、空間に1個じゃなくて。
白熱電球が使えるようになってハイパワーなものができて、遠くから照らしても十分明るさがとれるから手元にある必要ないし、それ自身は熱いものだし感電もするから、白熱電球の特性を生かすという意味で照明器具が天井に向かっていったんだと思う。でもLEDはもともと弱電で、直流で動く半導体なので、感電の心配もないし発熱も小さくなっている。
そのようにエンジニアリングが進化したのだから、光がポータブルなものになってもいいんじゃないかと。みんなのポケットにはケータイもあるし、ケータイが光源になったって構わないというふうに考えていくと、光のポータブル化で次の豊かな何かがデザインできないかなと思っています。
それとは別に個人的な興味としては、流体にも相変わらず止まらない興味があるんですが、物の解像度にすごく興味があって。現象の解像度が変わるという行為で、人間の原初的な感情を揺さぶる何かをつくりたいなと、ずっと考えています。
今、春日大社の国宝館の常設で、インスタレーションをやらせてもらえることになっていて、10月1日から公開です。常設なので期間限定のいろいろな試みもやっていきたいと思っています。
テクノロジーを科学者に任せていると、生活の豊かさにはならない
藤田:世界的にテクノロジーとうまく付き合おうという機運がすごく高いですが、岡安さんはテクノロジーとどう向き合っていますか。
岡安:テクノロジーの活用方法を技術者とか開発者だけに任せておくと、人間をコントロールするような世界観に行きがちで、豊かさとリンクしない場合が往々にしてあると思うんです。一歩先のライフスタイルみたいなものをちゃんとデザインしておいた中にはまるテクノロジーじゃないと、生活が苦しいものになってしまうような気がします。
朝トイレで用を足すことによって健康状態が分かるといったときに、わざわざ健康チェックのためにトイレに行かなきゃいけないみたいなことが義務化するとか、人間を支配するような動きになりかねないですよね。だから、常に先回りしたビジョンをちゃんと考えておかなきゃいけないということだと思うんです。いったんテクノロジーが関係ないところで、究極気持ちいい暮らしとか、究極気持ちいいピクニックの仕方とかを常に考えて、そこにテクノロジーをどう当てはめるかというふうに考えていかないと、結局どちらもほどほどのものになっちゃう。
普段の仕事でもそうですが、クライアントからのオファーありきで物事を考え始めると、その範疇でのぎりぎりのものにしかならない。でも日常のいろんな行為への究極アイデアを僕なりに考えておくと、あるオファーが来たときに、それにかぶせることができる。
視覚以外の、「五感」の二つ目は必ず用意しておく
藤田:視覚は人間の体感に強く影響を与えるけど、照明で視覚以外のところにアプローチする、例えばダイレクトに触覚にアプローチするわけではないけど、あたかも触ったような感じになるとか、他の聴覚的な何かとか、そこらへんで目がある方法論はありますか。
岡安:難しいなあ。ただ、少なくとも僕がミラノでやるようなインスタレーションとか、今回の春日大社の作品でもそうですけれど、五感のうちの二つ目は必ず何か見つけておかないといけないというのが常にありますね。特にインスタレーションの場合は、視覚だけというのはだめで、五感のうちの二つ目を必ずうまく組み込んでおかないと、感動にまではたどり着けない。
二つ目が何になるかというのはすごく重要で、建築家の谷尻誠さんとやったときだと、前室の床に段ボールのチップを敷ことで、足から感じる感覚をまず変えちゃう、ということを谷尻さんがデザインしました。その空間に入る前の心の準備みたいなことかもしれないんですが、五感のうちの視覚は当然僕がやるとして、その次の第二感、第三感をちゃんと意識してコントロールするというのをやらないとうまくいかないですね。毎回違うんですけどね。何をターゲットにするかというのは。

2010
Toshiba Milano Salone “Lucèste”
サポーズデザインオフィス
岡安:そこで見えているものが美しいプラス、つい考えてしまうという、頭を使いたくなってしまうような状況をちゃんと用意しておくと、五感のうちの触覚だとか味覚はコントロールしていなくても、十分に二つ目の感覚を揺さぶるものになるんじゃないかなとも思っていて、春日大社で今やっている作品に関して言うと、「信仰の場」として、自然に考えたくなっちゃうような状況を作品で用意している。考えるための誘導を、見た目の次に用意しているという感じです。
藤田:僕がプランニングで、どういうものに出合ってもらうかをデザインするときも、それがモチベーションをデザインするというところまで落ちていないと、刹那的というか消え物的になってしまう。考えさせるデザインという発想は、目ウロコです。岡安さんにも、難産だった仕事なんてありますか。

岡安:結局一番難産なのは、ただ普通の照明計画をして終わったものですね。思い悩んで苦しんで、苦しんだけど何もできませんでしたというのは、ただの照明計画になってしまうんですよね。
僕の仕事も多分半数ぐらいは実はそうなってしまっていて、何か価値のある提案を提供したいし、こういうことをやりたいと思ってもいたけど、予算がこれしかないとかの条件でできないとか、施主さんを説得しきれなくてグレードが下がってしまったりします。何でもないものをつくるということが一番苦しくて、出来上がりを見るのもつらい。
藤田:深いなあ。他の人の仕事で、「これはやられた」と感じたものってありますか。
岡安:僕は、デザインに興味があって始めたんじゃないので、あまり人の情報を知らない。多分、経験と知識のない中でやると、人と違うものができるということなんじゃないかな。下手に知らないのが、いい側に働いている可能性はありますね。
藤田:距離感は大事ですよね。普段の生活の中で、一番興味があることは何ですか。
岡安:何だろう。やっぱり光かな。光だったり、水だったり…。趣味ないんですよ、僕。普段何やっているかというと、隅田川の光の反射を見ていたりとか。なんかだめな人間なんです(笑)。何となく、いつも光を見ていたりします。雨の日の街灯をずっと見るとか。
藤田:まさに岡安さんにとって照明デザインは天職ですね! 今日は本当にありがとうございました。

岡安 泉
岡安泉照明設計事務所 照明デザイナー
1972年神奈川県生まれ。1994年日本大学農獣医学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構、照明器具メーカーを経て、2005年岡安泉照明設計事務所を設立。 建築空間・商業空間の照明計画、照明器具のデザイン、インスタレーションなど光にまつわるすべてのデザインを国内外問わずおこなっている。 これまで青木淳「白い教会」、伊東豊雄「generative order-伊東 豊雄展」、隈研吾「浅草文化観光センター」、山本理顕「ナミックステクノコア」などの照明計画を手掛けるほかミラノサローネなどの展示会において多くのインスタレーションを手掛けている。

藤田 卓也
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局 プランナー(2016年当時)
2003年4月電通入社。入社以来、イベント・スペース関連部署に所属。 イベント・スペース領域に加え、マーケティング、クリエーティブ、プロモーションなど領域にとらわれないプランニングを実践。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(前編)
- July / 31 / 2017
コンピューテーショナル・デザインって?
西牟田:豊田さんの、建築からデジタルデザインまで領域を広げていく手法が、僕らの考え方とシンクロする部分があって、今日はいろいろ深掘りできればということで、お時間を頂きました。
豊田:ありがとうございます。個人でもよくインタビューは受けているんですが、僕はできるだけ「noiz」という名前で発信するようにしています。「コレクティブである」ということが大事だと思っているので。目黒のこのオフィスも、固定したメンバーもいるのですが、プラットフォーム的な場として維持することを意識していて、ここに新しい知識や知見、感性が集まるようにしたい。
noizは東京と台湾をベースにしている建築事務所で、海外の仕事が多いです。特徴としては、言葉の定義がなくていつも困るのですが、コンピューテーショナル・デザイン、簡単に言うとデジタルデザインの新しい可能性を、実験的にかつ実践的にやっています。
一応軸足は建築だけど、情報科学みたいなものを前提としたときに、建築がどう変わっていくのか。アウトプットはインスタレーションや展示、プログラミングだけやることもあるし、コンサルティングという立場で関わることもある。そんな立ち位置だと、僕らの常識そのものが変わっていくので、それが面白くて日々実験をやっています。
デジタル技術は、生態系を変えるメディア(間を埋めるもの)
西牟田:前に、「建築の未来は、建築の領域の外にある」という話をされていましたね。ピクサーのような会社が建築の領域に入ってくると、建築界が変わっていくとも話されていた。建築の領域を広げていって、どんな未来を描いているのでしょうか。
豊田:技術がどんどん変わっているので、僕自身の考えも毎年変わっているというのが事実です。デジタル技術のことをみんな「ツール」と言うんですけれど、僕はちょっと違和感があって、英語で言うと「メディア」、媒体というか間を埋めてくれる充填物みたいにデジタル技術を捉えています。
これまで空気の中に埋まっていた生きものはこういう進化をしていたけど、突然エタノールの中につけてみましたと。そうすると、生態系自体が変わるわけじゃないですか。栄養のとり方、動き方、筋肉のつき方、骨格全て。そうなったときに生物はどう進化するか。それと同じくらい、周りの媒体(デジタル環境)が変わってきて、僕らのつかり方も生態的に変わっていくんだと思うのです。
デジタル環境が一気に実効性の分水嶺を超えたときに、人間がどう進化するのかという予想をしたいのと、そのためには促成栽培で進化の最先端を自分たちで体験してみたい。建築ってどうしても重厚長大産業なので、変化がむちゃくちゃ遅い。それが僕らのジレンマで、リサーチのレクチャーとかやっていると、「もっと変わろうぜ!」というアジテーションばかりになってしまう(笑)。
例えば音楽の世界では、デジタル技術が10~20年ぐらい先行して動いている感じがあって、ミュージシャンがひとりでコンピューターの中で技術を習得して、どんどん新しいものを生み出して、それがどうマーケットに影響して、ミュージシャンがそれをベースにどう変わっていったか。生態系の変化が先に起きている領域を参考にすることは多いですね。音楽業界ともコラボレーションしてみたいです。
「感覚」や「傾向」をデザインして、常識を変えていく
西牟田:われわれも空間や体験をデザインしていく仕事をしていますが、単純なハードだけのデザインでは終わらないことが多いです。むしろソフトの力で空間や体験をつくる仕事が、最近は多いと思っています。アプローチとしては、情報のデザインを一番コアにしているような気がします。
建築って「動かないもの」という常識が僕の中にはあったのですが、noizの「Flipmata」を見たときに変わった。単純にデザイン性で「面白いでしょ」ということではなくて、ちゃんと街の動きや人の空気、ある種の街の呼吸みたいなものをちゃんと建築にフィードバックしている感じがしていて。街の情報自体を捉えてデザインしています。




西牟田:僕らの仕事として考えたときに、例えばお店をデザインしてくださいというとき、単純に目に見えるデザインだけじゃなくて、新しいサービスをデザインしましょうとか、中で動くアプリケーションをデザインしましょうとか、従業員の体験をデザインしていくことで新しいお店をつくるみたいなことも、お店のデザインの中に入るかなと。定義を曖昧に拡張していくと、デザインの可能性も広がっていく。
豊田:僕ら建築家は、3次元の固定した形をデザインする職能だと思われている。でもそのへんの常識も、社会がどんどん変わるとずれてきて、そのずれが面白い。デジタル技術を通すことで、これまで感覚的だったずれの部分がビビッドに見えてくるとか、客観的に見えてくるところにすごく興味があるのです。
経験のデザインも建築の一部だと思う。物をつくって、それが誘発する経験は、これまでの建築家は何となくあやふやにデザインを通して扱っていた。でもIoT環境でだんだん、連鎖のネットワークみたいなシステムが、より広く強くできるようになっていく。ここを動かすとこっちが動くとか、技術の動かし方で何か面白いこと、新しいチャンネルができるじゃないですか。
これまで1対1の機械論的な価値観で、1の入力に対して1の出力がなきゃ形ができなかったのが、コントロールできないというのも許容した途端に、これまでと全然違う操作ができるといったような、新しい関係性ができてくる。「何となくこういう傾向をつくれるよね」というような環境やシステムを僕らが立地的につくってあげると、実際にそういう傾向になっていく。感覚をデザインする、傾向をデザインする、間接的にデザインする技術というか。
常識を、いろんなレイヤーで変えてくれる、あるいは、例えばデジタルはふわふわしたのと相性が悪いところが面白いのでは、というふうになってくる。そんなことを僕らがまず先行して認識して、形とか実効性で社会に対して見せていって、それを皆さんと共有していくという流れができることが理想です。先鋭的なことを実践できる機会はまだまだそんなになくて、過渡期なんですが。
西牟田:いろいろな分野のプレーヤーの領域も、結構曖昧になっていきますね。
他分野のデータを共有できて、自分たちが得意なアプローチの仕方で他の領域のデザインもできるというふうになっていくと、今までその分野の人たちだけが持っていたある種のイニシアチブだったり、優位性みたいなものがフラットになっていき、匿名性が強くなっていく。誰がデザインしたかというよりは、何をデザインするのかというのが大事になってくるのかなと。
豊田:僕はどんどん違う可能性としての建築家像というのが出てくるのに興味がある。専門性をひたすら1カ所突き詰める人もこれまで以上に価値が出てくると思うんですが、それ以上に多焦点になっていくというか。建築家だけどデータ構造が理解できて、音楽の人とコミュニケーションできるとか、経済とコミュニケーションできる専門性を持っているとか、発生遺伝学の知見が建築に役立つみたいな話が、これからどんどん出てくると思います。
専門性の焦点が二つか三つあって、経済の数学が分かって、それをつなぐのがプログラミングでありデジタル技術ですという社会構造になっていくと思います。その人のアイデンティティーが、建築ですごい形がつくれるというよりは、建築なのに遺伝子工学が分かって、さらに経済の概念で何か形がアウトプットできるというようなことが、その人のデザイン力であり価値であるというような、そんな職能の在り方にすごく興味があります。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!



Tesse(2015~、草新舎と協働)なぜ畳は直行系でなければいけないのかという疑問から発想し、リノベーションの現場でも決して平行な壁、直線の柱など無いという現実を踏まえて、むしろランダムさを許容することで畳の表現も、施工合理性も高まるように製品化したカスタム畳。
ボロノイ図という幾何学パターンを応用して、独自のパターンをその都度生成する。オンラインでカスタム注文が可能で、マーケットの縮小に悩む日本のイグサ生産農家や伝統的な畳製造者に世界へつながるマーケットと新たなデザインバリューを提供する試み。
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。

豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい「出会い方」を建築する:吉村靖孝(前編)
- August / 15 / 2017
「明文化されていない社会の要素、仕組み」を建築に組み込む
堀:私は早稲田大学で建築を学び、今はイベント&スペース・デザイン局という部署にいます。クライアントのブランドを形にしていくときに、世の中のトレンド、人の価値観やライフスタイルのようなどんどん移り変わっていくものを敏感に捉えながらも、最終的に空間づくりは社会のシステムに組み込んでいかなければいけないと思っています。吉村さんのスタイルはまさにそういうアプローチだと思うのですが、その手法はどのように生まれたのですか。
吉村:オランダの建築設計事務所「MVRDV」で働いた経験はすごく大きいと思います。というのは、オランダは建築家が都市計画にかなり発言力のある国で、マスタープランやアーバンプランニングを建築家がやる。「MVRDV」も仕事の半分は都市計画で、もう半分が建築物の設計というバランスでした。敷地を与えられてその上にどんな格好いいものを建てられるかというだけではなく、その敷地そのものがどういうつくられ方をしてきたか、都市や社会とのつながりの中でどういうふうにあるべきか考えざるを得なかった。
さらに、そこでいう都市計画は従来の意味の都市計画だけじゃなくて、扱う都市の構成要素を「市場」(マーケティング)だと思ってみたり「法規」だと思ってみたり、「規範」のような明文化されていないけれど人々の共通の認識として社会に浸透しているようなものだったり。少しずつジャンルに分解して考えるというか、「都市」という言葉を切り刻んで設計のテーマにしていくというようなことを「MVRDV」では既にやっていました。
堀:なるほど。建築におけるオランダと東京の環境に、似ているところはありますか。
吉村:「MVRDV」のあるロッテルダムという都市は戦争で一度全部壊れている街なので、新しいものをつくるということに対して積極的。ヨーロッパの都市は、基本的にあまり新しいものを受け入れないですけれど、ロッテルダムに関していえば、そういう進取の精神が東京と似ている気がします。
堀:私がやっている仕事は、イベント、博覧会、企業のパビリオンみたいなものが多く、ショップをつくるにしても銀座や表参道の一等地みたいな、長期的にそこに文脈を見いだしにくいような場所が多く、あまり敷地を出発点に考えることがないんです。
吉村:今は建築の教え方自体も、「敷地」の文脈を深く掘り下げてかたちに定着させるようなものではなくなってきていますよ。考えれば考えるほど空転するような土地が多いのも事実ですし。建築界自体が割と企画寄りというか、建築を通してプログラムを考えたり、都市とのつながりを考えたり、社会的なことを考えたりという方ががむしろメジャーになってきて、物をつくって形にするというのがむしろ最後のおまけみたいな感じの学生が増えてきている気がします。
「変わらないもの」を大切に、トレンドに近寄り過ぎない
堀:それでは、ブランドの体験や空間をつくる上で、何が最初の手がかりになってくるのでしょうか。
吉村:できるだけその企業にとって一番本質的なものが何なのかというのを考えるようにします。変わらないものを探す。トレンドみたいなものと近寄り過ぎないのが建築にとっては大事かな。
堀:TBWA\HAKUHODOさんのオフィスをやられましたよね。

TBWA\HAKUHODOオフィス
照度と明度を24時間コンピューター制御することでサーカディアンリズムを維持
吉村:あれはもともとジュリアナというディスコだった場所なんですが、空間の基本的な構成は変えていないんです。全て解体して完全なオフィスに改装するというよりは、ディスコをオフィスとして使うみたいな感覚で設計していった。例えばVIPルームはVIP用のミーティングルームになっているし、それまであった丸いラウンジはラウンジ的なミーティングゾーンになっていたりします。
極めつけが、元はディスコなので窓がないということもそのまま受け入れて、照明で24時間、色、温度、照度をコントロールして、夕方になったら赤っぽくなるし、夜になったら暗くなるという、体のリズムが狂わないように照明で手助けするということをやりました。まあ、オフィスなんて結局どこでもいいんですよ。家でもカフェでも道路でも仕事はできる。スマートフォンで仕事できる時代、オフィスもオフィス然としてなくてもいいんじゃないかと思う。
「場所の原理」を生成する
吉村:早稲田大学の学生時代に、古谷誠章先生が取り組んだ「せんだいメディアテーク」のコンペで2等になりましたが、僕もその担当者の一人でした。95年だったのでまだガラケー時代だったんですが、いまでいうスマートフォンを来館者に持たせて、借りたい本の検索性能は全部スマホが担保すると宣言しました。逆に、建築のようなフィジカルな空間には、無駄に「散策する」とか、あえて見たくないものに触れたりする可能性を増やしてあげるということが求められると考えた。これからの建築は、そうやってスマホとすみ分けるんじゃないかという議論を、当時からしていました。
堀:20年も前ですね、早い議論だなあ。
吉村:ガラケー時代には技術的に成立してない提案だったのですが、今ならできますよね。特定の本を探したいときはGPSなりRFIDタグを頼りに近づけばいいし、そうじゃないときは全然関係ない本が隣り合っていて、自分の興味ある本の隣に並んでいた別の本についつい手を伸ばすというようなことが起こる。
アマゾンのおすすめ機能と近いけど、もうちょっとノイズの分量が多い。過去に近い本を探した人がいたからといって、それらが近い位置に置かれるとは限りませんから。検索って、探したいと思ったものにたどり着けるだけだと閉塞感があると思うんです。企業側から見たときも、その商品があらかじめ欲しい人にだけアクセスしているんじゃいつまでたっても数を売れないですよね。原理的に。
昔は学校でも1年1組から6年生までの教室が整然と並んでたし、図書館には十進分類法があって、つまりナンバリングすることで空間が検索性能を担保していたけれど、今はスマホで検索可能になってきた。空間がようやく検索性能から開放されたんです。それ以外の部分で、空間の可能性を探るべき時が来たんですね。
ただランダムにすればそれでよいかというと、そうではないと思うんです。新しいソートの仕方を積極的に生成するようなものを考えなきゃいけないと思う。
堀:アクティビティー同士の関係性とか、そういうことですか。
吉村:そうですね。例えばちょっと起伏があると、その空間の質に呼び寄せられて、傾向の似た本が集まってくるかもしれない。日だまりが好きとか天井が高い場所が好きとか、ゆるいくくりになる空間的なムラを積極的に許容した方がいい。自分が想像し得た範囲からちょっと外に出てるけれど、完全な無関係ではないという、現象の周りにぼわっとくっついているものをどうやって設計に取り込むかということが課題じゃないかなと思う。
例えば洞窟に僕らが入っていくと、ちょっと先へ行ってみたいとかいう興味をかき立てられて、ちょっとしたくぼみに座ってみようかとか、普段の行為や姿勢と違うことをしてみたくなりますよね。でも、洞窟は人間の行動なんてかまっちゃいないわけです。風の流れとか、潮の流れとか、砂の成分とか、そういうものでほぼ自動的に出来上がったわけですよね。
そういう新しい「場所の原理」みたいなものが何なのか興味がある。人間の行動を制限しようとしていた、あるいは興味すらもコントロールできるものだと考えてきた近代建築の考え方とは違う、別の原理がどこかにあるはずじゃないかと思います。難しいですけれどそういう、設計できないものを設計するにはどうしたらいいか、という禅問答のようなことをずっと考えて続けているんです。
ユーザー自身が関与し続けられる、そんな魅力のある空間とは?
堀:その空間の魅力を保ち続けていくために、建築ができることはどういうことでしょうか。
吉村:おそらく、ユーザー自身が空間に関わり続けるということだと思う。誰かに与えられた空間じゃなく、ユーザー側がそれを自分でコントロールできるものだと理解すること。ユーザー自身がクリエーティブでいられる空間。
建築家の空間に対する考え方とか、壁の裏が実際どうやってできているのかを理解するだけでも、何も知らずに住んでいるよりはクリエーティブです。住人が建築を、どうやって自分事として考えられるか。商品化住宅はどれだけそれが高性能でも、やはり飽きてしまうんじゃないかと思う。
堀:機能そのものは魅力にはならない。便利だからいいとか、たくさん機能があるから飽きないとか、そういうことではないということですね。
吉村:そう。2014年に六本木ミッドタウンで開催された「Make House」展に参加しました。NCNという木造の金物をつくっている会社が、僕と同世代の建築家7組に、この工法を使った未来の住宅はどんなものなのかという課題を出して、各建築家がそれぞれそのお題に答える展覧会でした。

Make House展
70年代生まれの7組の建築家が未来のSE構法の家を提案。
吉村:僕の提案は建物の設計ではなく、iOSのアプリ開発をして、エンドユーザーが指先でチョチョッと触ると自分の家を設計できて、見積りもできて、発注ボタンを押すと何週間後かに加工された材料が職人と一緒に届いて、それで家が建つというような仕組みづくりだったんです。
堀:それは設計ノウハウを公開しちゃうということですよね。
吉村:そうですね。ユーザーがどこまで建築に関わるか、完成と未完成のボーダーラインをいじってみようという実験でした。

アプリ説明画像
操作画面:五つの工程を順にたどると家の設計を完了できる。 バリエーション:デザインを共有することも可能。
吉村:こうやって自分で建物のサイズを変えたり、床の高さとか平面形状を変えたりして、鳥かごみたいな小さい格子状のフレームを用意して、その格子それぞれに面材を張ったり窓を開けたりすることでデザインが変わる。ユーザーは自分で面材を開発してもいい。半完成の状態でユーザーに渡せるものをつくりたかった。
堀:ユーザーが自分で手を加えていけるのは、本当にワクワクしますね。
吉村:だから、職人じゃないと運べないような通常の規格サイズの材料じゃなくて、素人でも運べるようなもっとずっと小さい部品の集合体なのです。無印良品のユニット家具は、画面上で全部設計して、ぽんと注文ボタンを押すと届きますが、そんなイメージで住宅もできないかと思った。一応構造はコンピューター上で自動計算しているので、素人でも構造的には成立しているんですよ。
堀:画面にずっとお金(経費)が出てきていますね、チャリンチャリンと。
吉村:そう、経済的に無理な建築プランは、ユーザー自身が自分で諦めてくれるという(笑)。概算表示や積算表示ができたり、展覧会のときは写真を撮ってフェイスブック上で共有されたりしていましたが、いずれは他の人がつくったデータを途中から引き継いだりもできるようにします。
堀:すごいです。敷地より先に家本体ができちゃうということですよね、面白いなあ。
吉村:DIYで家をつくると建築に愛着が湧いて、興味を持ち続けられるんじゃないかと思うんです。壁の中までどうなっているか全部自分が知っているわけだから、問題が起これば自分自身で直せるしね。

吉村 靖孝
吉村靖孝建築設計事務所 建築家
1972年愛知県生まれ。1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1997年同修士課程修了。同博士課程進学後、1999~2001年文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV(ロッテルダム)に在籍。2005年吉村靖孝建築設計事務所を設立。 早稲田大学、東京大学、東京工業大学などで非常勤講師歴任後、2013年から明治大学特任教授。主な著書に『超合法建築図鑑』(彰国社、2006年)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社、2008年)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版、2012年)。 作品にNowhere but Sajima(2008年)、中川政七商店新社屋(2009年)、窓の家(2013年)、Fukumasu Base(2016年)など。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
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