2018/05/01
日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(後編)
- August / 22 / 2017
江戸時代は乳酸菌の力を使って、初めに酒母を立てていた
堀:ちなみに、今年もまたいろいろな改革を考えていらっしゃるんですか。
佐藤:今年は、ちょっとテクニカルな話になりますが、日本酒の造り方って明治以降はシンプルにしようとしてきたけれど、「新政」ではさらに複雑にしようと。伝統技術というのはどうしても複雑になるのです、いろんな菌を取り込むから。西洋科学だと、善玉菌と悪玉菌に分けて悪玉菌を皆殺しにする。東洋のやり方は、短絡的に善悪を問わないというか、ある特定の条件のもとだけで価値判断をしない。より自然に近い様々なフェーズの中で考えることで、悪玉菌にも最終的に良い働きをさせたりとか、視点を変えて可能性を引き出すことで、生命を利用しているという感じかな。
堀:人間の善玉コレステロール、悪玉コレステロールも一緒ですよね。どっちも必要ですよね。
佐藤:そう、どっちも必要なんですよ!自然の中には、不要な物ってないんです。科学が行き過ぎちゃうと、何でもかんでもコントロールしなきゃ気が済まなくて、気に入らないものを根絶しにかかるんですね。未来になって、あれは大事だったのに殺してしまったということが分かっても、取り返しがつかないですよ。
そういう意味では、日本酒は乳酸菌を悪玉菌扱いにしちゃったわけです。乳酸菌は一匹たりとも入れさせんと。江戸時代以前は乳酸菌の力をフル活用して素晴らしい発酵食品文化を創り上げてきたのに、突然、明治以降、酸味料を買ってきて入れればいいやという話が湧いて出た。しかも100年以上経った現代の酒造りにおいても、いまだに「乳酸菌は酒を腐らせる悪玉菌ですから要りません」となっている。実際にそうなんですよ。今でも大半の造り手はそう思っている。だから僕はいま、乳酸菌の肩を持とう、肩を持とうとしているわけです(笑)。
堀:むしろ乳酸菌推しで広告したら、女性はワインから日本酒にくら替えしますよ、絶対。発酵食品ブームですから。
佐藤:本当にそうだと思います。日本酒というのは、乳酸菌の扱いにかけては世界でもずば抜けた、神がかった技術を持っていたんですね、江戸時代までは。日本酒は研究室の中で造られていたんじゃない、現場で造られるんだ!
堀:映画のセリフみたいですね(笑)。
佐藤:それが、日本酒が売れなくなり、全体に均質化してしまった最大の理由です。僕にしたら、全部自前の伝統方式でやれよっていう話です、はっきり言えば。そうすれば、少なくとも自分らしい酒ができるはずです。それに、そのほうが本当のお客さんがつくと思うんです。
堀:「新政」の場合は、今、停滞した市場の中で、「自分らしいものを、自分らしい手法でつくる」というところが、競争を勝つポイントだったということですね。
佐藤:うん。でも、どちらかというと、競争に勝つというより、逆に誰とも競争したくなくて、こういう方向へ流れたというのが近いかもしれないです。
日本の酒蔵は、1000社くらいしかもう残っていない
堀:「6号酵母」「生酛系酒母」「純米」「秋田県産米」にこだわって「新政」の酒は近年、立て続けに全国酒造鑑評会で金賞を受賞されました。それだけの成果を、佐藤さんが2007年くらいから始めて、10年に満たない時間で改革をなし遂げたというのは驚きですね。
佐藤:未知じゃないからね、酒造りって。江戸時代とかの文献を読み解いてやっている。ゼロからの勉強ではないから。
堀:それは「新政」の蔵に残った文献ですか?
佐藤:いや、アマゾンとかでも売ってますよ。古くて700年代から1600年くらいまでの文献は、一般にも少しは売られているんです。昔の酒造りの担い手というのはほとんど農民だったから、字が書けないので本が少ない。こういう本は、現場に入るのが好きな酔狂な蔵元なんかが隠れてつけたレシピのようなものなんですが、あってよかったと本当に思います。だから、未知のものを発明するわけではなく、過去の先達の道筋もあったし単に伝統に学んでいるだけなんです。誰にでもできることですよ。どこの蔵も4、5世代より前はやっていたのですから。僕じゃなくてもできるはずですよ。
堀:「新政」に触発された酒蔵が、改めて伝統的な江戸時代の手法でお酒を造る時代が、これからやって来るかもしれないですね。
佐藤:いま日本の酒蔵は1000社くらいしか生き残っていないから、これ以上減ってくると、世界的に展開していくにはちょっときつい。やっぱりある程度玉がそろっていないと、遺伝子多様性が低い動物みたいに、ちょっとしたことでみんなが死んでしまう。蔵がいっぱいあって、訳の分からない蔵がウジャウジャウジャウジャしているというのが、本当は健康な業界だと思う。
例えば、自分より教養が高い人にモノを売るのって超困難でしょ。特に酒のような嗜好品は。提供する側が、まず基本的なところでお客さんと同じところに立って、しかも酒文化ではちょっと目線が上にいることができてこそ、お客さんの人生を楽しませることができる。そういう意味では、日本酒はもっと社会性を高めないと新しいお客さんを取り込めないような気がします。これからの日本酒はもっと文化的に武装して、日本酒が世界に誇る醸造酒であることを広めてゆかねばならないと思います。日本酒の本質、哲学や世界観、倫理観を魅惑的に体現し、かつ説明することができるなら、世界中の誰しもがファンになってくれるはずと思います。たとえ一流の料理人やら食通やら、ソムリエやらバーテンダーやらが相手でも、感動させて一発で宗旨変えさせることだって難しくはないはずなんです。
堀:哲学、倫理ですか。
佐藤:それが一番、大切です。単に製法をすべて生酛に統一しただけでも、ワインになんか負けた気がしないわけですよ。「ワインは亜硫酸塩がないと発酵がなかなかうまくいかないし、日持ちもしませんよね。でも日本酒は一切何も加えなくても、健康な酒ができるんですよ。古今東西、日本酒こそ最高の自然派アルコール飲料なんです」って胸張って言える(笑)。ほかに例えばワインの世界の潮流を見ても、ビオディナミとか、テロワールとか、ナチュールとかの単語に代表される「自然との共存」みたいな考えが、ここ最近30~40年くらい盛り上がってきてます。でも、こうした考え方は、もともとは東洋が得意とする考えです。東洋は、特に日本はもっと自己のルーツに自信をもたなくてはいけない。前述のワインの用語なんかも、本来あんまり使う必要もないように思います。思想の核心部分については、一切借り物ではない。我々こそ本来知っていたはずのなんだから。僕はワインのソムリエに対しても、「日本酒をやってください」と言って堂々と勧めています。日本の酒を、日本の文化を、日本の言葉と文脈で語る機会も持って欲しいのです。
エキセントリックな江戸独自の文化を、自分の酒造りにも取り込む
堀:お話を聞いていると、佐藤さんの酒造りは、確かに大改革ですね。
佐藤:僕は絵とか陶芸も好きですけれど、結局、江戸の物が一番世界で受けているような気がする。絵だってそうだし、和食、すしも完全に江戸文化が中心だからね。僕は日本酒のいろいろな製法をやるわけで、この間は生米こうじ(中国の紹興酒のこうじ)を作ったり、「菩提もと」という室町時代の製法に基づく酒をつくってみたりしてる。いろいろな時代の酒を試作してみたけど、結局、江戸より前の時代の日本酒って、中国や朝鮮の影響が非常に強い。言い方はきついけど、紹興酒の亜流のようなものを1000年遅れでやっているような感じなんです。ところが、江戸に入って鎖国してから、日本酒の製法は突然オリジナルになってゆくんです。日本人の創造性が爆発した感じです。生酛の手法なんかもそのひとつです。江戸はすごく良いです、真の「ザ・日本」なんですよ。ところがもったいないことに、明治になると途端に、鹿鳴館みたいな和洋折衷文化になってくる。ああゆうものは、あまり魅力的に感じません。見たければ、ヨーロッパに行けばもっとすごいホンモノが見られるわけですからね。
堀:面白いなあ(笑)。
佐藤:江戸は世界中の各国の文化の中でも、飛び抜けてエキセントリック。人類の多様性を思わせて素晴らしい。そういう優れた日本の文化を、自分のプロダクトにも取り入れていきたい。先祖がやっていたことなのですから、そんなに難しくもないはずです。
堀:製法を全部生酛に切りかえるというビジョンは、初めから描いていましたか。
佐藤:全部切りかえられたのは、厳密に言うと去年です。2012年から速醸はやめている。でも、江戸時代の方式の生酛にするにはものすごく人手もかかるから。利益があまり出ていなかったので、二人も三人もその部署につけることができなかったけれど、だんだん利益も出るようになったので、酒母のパートに人員をグッと集めて実現しました。
日本酒のファンと共に、世界に尊敬される酒文化をつくっていく
堀:こういう新しいお酒に対して、新しい飲み手たちがちゃんと育ち、選べる舌を持っているというのは、佐藤さんにとって励まされる材料ですね。
佐藤:そういうこと。僕は、才能あるいいファンが、日本酒文化をこれから支えていくと思って、そういう人のためにお酒を造って、そういう人たちに真っ先に届けるように工夫しています。
堀:ファンの才能か。僕も一人のファンとしてプレッシャーを感じますね。
佐藤:お客さんの能力が、きっとこのジャンル自体の実力になるんだと思う。
堀:今年、アーティストの村上隆さんとも、コラボレートされましたね。

Takashi Murakami×NEXT5
佐藤:村上隆さんがたいへん日本酒に理解が深くて、奇跡的にコラボレーションが実現しました。製法に生酛を採用したり、酒の内容面についても、村上さんとはよく相談させていただきましたね。あと、村上隆さんのファンの方や、日本酒に詳しくない方でも比較的楽に入手できるようにと配慮して、一般発売の機会を設けたんです。中野ブロードウェイ内にある「Bar Zingaro」という、村上隆さんが経営されているカフェで行いました。
堀:1店舗でしか売らなかったので、僕は朝から並んで買いに行きました。その瞬間から、前のほう100人ぐらい転売の人たちだらけで(笑)。外に止めてある、開けっ放しにしたバンに、どんどん積み込んでいっているわけです。その後10~20倍の値段が付きネット上で売られているのを見ると、なんだか心配になりました。
佐藤:そうなんだよね。結局、日本酒は全体に値付けが安いから、市場にゆがみが生じている。ワインは適正な値段で売っているから、そこまではならないでしょう。
堀:自由に値付けがされていけば、健全な価格で落ち着くわけですよね。
佐藤:うちは、ほぼすべて四合瓶しか造っていないんです。地元向きの常温対応の酒がちょっとありますが、それ以外一升瓶はない。その理由ですが、飲食店ですぐ飲み切られるようにです。昔から気になってたことがあって、それは日本酒よりも劣化しにくいワインのほうがよっぽど酸化を気にして扱われていることです。ワインバーではすぐ飲み切られるようにボトルサイズが基本。マグナムなんか買わない。温度管理以上に、常に瓶の中の空気を抜いたりと酸化への配慮をしている。一方、日本酒の世界はというと一升瓶ばかり。最近は冷蔵管理も浸透しましたが、何週間も瓶に飲み残しのままの酒が放置してある例もよく見ます。フレッシュで繊細な吟醸酒を扱う場合、開栓後のケアが重要。飲食店では四合瓶で回転率をあげたほうが客のためなんですが。しかしそうはなりにくい。なぜかというと一升瓶のほうが安いからです。メーカーが量の多い一升瓶をお得価格に設定しているんです。それでは市場は変わらない。そこで我々は一升瓶をやめることにしました。
堀:お客さんの手元に届くまでを厳しく管理しようとしたら、全てを直販するという手もありますよね。
佐藤:そうだね。ただ、酒販店も歴史がある産業だから。たとえば、ワインの業界でソムリエみたいなのは要らんと切ってしまったら、確かにソムリエが取っていた取り分はなくなるかもしれないけど、文化的には大ダメージになるじゃないですか。ソムリエでも酒販店でも、文化を伝えて第三者的に価値を高めてくれる機能はやっぱり要ると思うんです。
堀:だからこそ、酒販店は、ある程度選んでお付き合いをされていると。
佐藤:そういうこと。酒販店は、酒への知識、能力が高くて、そこに行けば僕のとこの酒がもっと良くお客さんに分かる、伝わる、そういう機能がないといけないよね。そうでないと、なんのために、店が蔵と客の間にいて、利益を得ることができるのか意味が通らなくなってしまう。酒販店を経由することで、より日本酒の魅力が増す、そういう相乗効果にならないといけません。そういう意味では、より若くて元気のある特約店の店主を私は常に応援しています。彼らを育成することは、日本酒業界の未来にとっても大切なことだと思っています。
堀:今日は改めて佐藤さんの酒造りの哲学を聞いて、大の日本酒ファンの僕も、目からウロコのことばかりでした。今後も注目し、どんどん飲んでいきますし応援しています。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。
日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(前編)
- August / 22 / 2017
社会人になるまで、実家「新政」の日本酒は飲んだことさえなかった
堀:佐藤さんは伝統産業である日本の酒蔵において次々と改革を実行され、「異端児」とも「革命児」とも形容されています。ただ私たちのようなコミュニケーション産業の側から見ると、佐藤さんの行ってきたことというのは非常に現代的に感じられます。
佐藤さんには、酒質を独自のセンスでコントロールする「エンジニア」、業界における「新政」のリポジショニングを改革後数年で確立した「マーケター/戦略家」、商品のコンセプトメークからネーミングやラベルデザインまでを手掛ける「クリエーティブディレクター」、そして見事に赤字の大規模酒造を、生産量は大幅に減らしながらも黒字にV字回復させた「経営者」とさまざまな側面がありますね。
今日は、他のメディアではあまり突っ込んで聞いてこなかったことも掘り起こしたいと思っています。まずいきなりですが、東京で編集者をしていた佐藤さんが、実家の「新政」を継いだきっかけは何だったんですか?
佐藤:僕は東京では、編集者とフリーライターで最終的には食っていたんです。ある日、伊豆でジャーナリストが集まる会があって、先輩のジャーナリストに「おまえ、酒屋の息子なんだってな、これ飲んでみろ」と言われて、静岡の銘酒「磯自慢」を飲んだ。あまりにうまくて、すごくたくさん飲んでしまったんです(笑)。翌日ちょっと冷静になって、日本酒も捨てたものじゃないなといきなり思って。
堀:そのときに初めて、自分のご実家の酒の価値も客観的に知ったんですね。
佐藤:いや、実家の酒を飲んだことがなかったから(笑)。普段は居酒屋チェーンで安い甲類焼酎をウーロン茶で割って飲んでいた。日本酒の原体験という意味では、それ以前には記憶がない。実家ではペロッとなめて、お神酒みたいな感じで飲んだことがあるくらい。
堀:そのころ、日本酒のマーケットの中で、ご実家の「新政」はどうだったんですか。
佐藤:僕は全く興味もないし知らなかった。その1年後ぐらいからだんだん、経営もやばいし、業界内のポジショニングもせっかく伝統的な蔵なのに、うまく生かされていないと分かってきました。
最初は日本酒をテーマにして本を書こうと思って、日本酒を勉強した
佐藤:日本酒は造るのも面白いけど、ファンでいろんな飲み会をやっているときが一番面白いんです。僕は書き物の仕事をしていたから、日本酒をテーマに何か書けたら、ライターとして武器が1個増えるからラッキーだと思った。実家の蔵ならインサイダーだから、いろんな情報を取ってこられるじゃないですか。
堀:そもそも最初、編集者やライターになったのは、どういう動機だったんですか。
佐藤:東京大学文学部を卒業したんですが、僕はロックや文学が好きで、卒論がボブ・ディランとその周辺のビートニク(ビート・ジェネレーションの略であり、1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称)についてでした。なんか、一人で生きていきたいタイプだったんです。つまり、会社に入りたくなかった。わがままなんですね、基本的に。卒業後、時間はかかりましたが、本を書いてジャーナリストのかけだしになって、書き物の仕事もすごく面白かったから。
好きなのはアメリカ文学だったので、ヘミングウェーにしろ、カート・ヴォネガットにしろ、みんな出自は新聞記者でしょ。アメリカ文学ってノンフィクションとフィクションの境が曖昧なので、僕もそんな感じを目指して両方書いていました。
それで、酒について原稿を書くには、ちゃんと酒の教育も受けなきゃいけないと思って、親父に頼んで酒類総合研究所で1カ月半、研修を受けさせてもらった。初めに酒造の教科書を買わなきゃいけないのですが、本で一番初めに出てくるのがうちの蔵の名前だったんです。うちは6号酵母発祥の蔵だから。そういえば、おふくろが何か昔そんなこと言っていたなとか、だんだん思い出しながら本を読んでいった。
6号酵母…通称「K6号酵母」「新政酵母」。10℃から12℃でも強い発酵力維持し穏やかな香りで、淡麗にしてソフトな酒質に適し、K7号酵母より酸が弱いが味は深みが出るとされる。
堀:初めは、そんな状態なんですね。
佐藤:そんなレベルですよ。それで1号~5号の酵母の遺伝子と、6号以降の酵母の遺伝子は全然違うことが分かって、どうも6号酵母以降は1号~5号とは全く違う種の酵母で、この酵母から日本の酒造りは現代のスタイルになったんだと分かって、初めて「あ、なんか、うちの蔵すごくないか?」と驚いたのです。
日本酒の製法を、江戸時代に戻す
堀:「新政」の酒には醸造方針がラベルに書いてあって、全部を「秋田県産米」で、「純米造り」で、「6号酵母で醸す」とありますね。さらに「自然な醸造を心がけ、ラベル記載義務のない添加物(醸造用酸類、ミネラル、酵素など)についても一切使用いたしません」と書いてあります。要するに一般的には、酒質を矯正するためにいろいろなものを入れていいことが法律で認められているのですが、佐藤さんは「新政」の酒をあえてそういう形に改革した。
僕が佐藤さんをすごいと思うのは、一人で全部やっているように見えるんですね。酒類総合研究所に行って技術について一から学び、今はエンジニアとして蔵の酒質を管理されていますし、「新政」がマーケットの中でどういうポジションにいて、「新政」をどう見せていくかのクリエーティブディレクションもやっている。もちろん東京での編集者経験が生かされているのだと思いますが、経営者としても実家に戻った時の利益率マイナス20%の世界から、何年かで利益を出させている。すごい豪腕だなと思うんです。
佐藤:器用貧乏なんじゃないかな(笑)。問題は「何で日本酒は売れなくなったのか」だよね。昔はハレの日の酒で人々に愛された日本酒が、何で罰ゲームみたいな酒になっちゃったかというところが疑問で、ちゃんと昔みたいに尊敬されるお酒に戻そうということが僕の第一目標でした。いくつか理由がありますが、製法面で画一化されてしまって、多様性が失われたのは大きな問題と思いました。日本酒の製法は江戸時代と明治時代では大きな断絶があります。これに一因があると思いました。
本来の日本酒というのは、それぞれの現場で試行錯誤しながら、体験的に造ってきたものですが、明治時代にはそういう造り方を古いとして一掃してしまった。明治時代は、日本人が西洋コンプレックスに陥っちゃった時代。そのコンプレックスはそれ以降もずっと続いている。今も全部の産業において共通していると思うのは、日本人は本質的に「自信」がないように見えます。明治時代は「文明開化」と言っていたぐらいです。当時の人たちは江戸時代以前のものは「文明」ではないと思っていたわけです。
酒の製法に関しても、ドイツのビールのほうがよっぽど格好よく見えた。機械があって、造り方も完璧だし、密閉空間の中できれいな酒を造って、酵母も培養してみたいなものが。だから、明治時代の日本人は、簡単にいうと日本酒の上にビールを置いたんです。ビールのほうが「文明」的だと思ったんでしょうね。要するに、それまでは添加物も入れずに、天然乳酸菌と天然酵母だけで酒造りしていたのだけれど、それでは安定性がなくて酒ができないときもあるし、蔵ごとに出来がバラバラになってしまうと。それよりは、ビールのように常に単一の酵母だけで酒造りしたり、微生物の仕事は添加物などで肩代わりしたほうがいい。どこでも同じような一定の品質ができるから、ということです。とにかく、明治以降、日本は西洋でやっていることは疑いもせずにあらゆる産業に取り入れてきた。たしかにその当時は、世界大戦を間近に控えており、酒税の調達の面からも必要なことだった。だから、私は明治の人たちに問題があるとは思っていません。どちらかというと、いまだに自らの固有の文化を再評価できない多くの同世代の日本人の感覚に対して危機感を感じています。
話は戻りますが、明治時代、西洋では細菌学が確立されたころ、パスツールやコッホが現れ、様々な病原菌を発見したり、その性質を調べて、ワクチンを開発したりしました。日本はドイツとすごく仲良かったから、コッホに師事した北里柴三郎みたいな偉人も出てきた。彼はペスト菌を発見し、ノーベル賞の候補にまでになりました。こうした影響から日本酒造りにおいても、いい菌だけを分離して増やそうとか、特殊な能力を持った菌を生み出そうとか、人間に都合の良いよう生命を操作する、そういう科学的な造り方になってきた。
そういう流れで日本酒も、江戸時代の生酛(きもと)みたいな造り方から、いい菌だけを分離して増やそうとか、自然を改変してコントロールする、そういう造り方になってきた。
酒母の造り方は二つあって、江戸期に確立した生酛系というものと、明治以降に出てきた速醸系がある。生酛系酒母では、初めにお米のヨーグルトみたいなものを造ります。ヨーグルトですから乳酸菌が発酵するわけです。道具とか職人の手なんかについている乳酸菌が、乳酸発酵を起こす。すると酸っぱくなって、その酸の力で、いろいろな雑菌が淘汰されてゆくんです。一方、速醸という手法があります。これは乳酸発酵させない。乳酸菌を育てる期間が長くて手間だし、乳酸菌の育成は難しくて安定しないので、それをまるごと省いちゃう。とにかく酸っぱくしちゃえばいいという発想で、酸味料を入れていきなり酸度を上げてしまう。
堀:人為的に乳酸菌みたいなものを入れているんですね。
佐藤:菌じゃなくて、精製された液体です。化学式でいうとC3H6O3、乳酸液です。日本薬局方で売ってますから、ドラッグストアなんかでも買えますよ。ただ90%近くと純度が高く、触るとやけどしますから気をつけてください。乳酸菌のような生き物ではないです。こうした酸味料はあらゆる加工食品に添加物として用いられているけど、およそ南米・東南アジア・中国などで作られたものを輸入している。現代では、ほとんどすべての酒はこうした醸造用の酸味料を用いる速醸酒母から造られています。生酛はあまりにも手間がかかりすぎるし、あと失敗する確率も高いから、はやらなくなった理由もわかります。ただ、生酛は江戸時代以前では当たり前の製法です。そういう観点からすれば、単に現代の酒造りが手抜きと言えなくもない。
難しい手法にもチャレンジし、お客さんの人生のロマンを満たす
佐藤:科学技術というのは基本的に汎用技術だから、科学技術は世界中の他のところでも応用可能でしょ。そういう汎用技術でプロダクトをつくるのは、伝統産業にはそぐわないんです。僕は汎用的なものから離れよう、離れようとしている。もっとカオスな手法とか、その地方やその蔵でなければ手に入らないマテリアルを組み合わせて、訳の分からないものをつくって、とにかくみんなと違う次元に行きたい。
堀:今おっしゃっていただいたような話はテクニカル的にはすごく難しい話ですが、それでも「新政」の改革にマーケットは非常に反応して、日本酒への評価が変わるきっかけになりました。そういうふうにマーケットがついてきてくれたのはなぜだと思いますか。
佐藤:僕は、お客さんのロマンを満たすような酒を造れば、客はつくだろうと単純に思った。例えば当蔵は現在、秋田県産の米しか使っていない。評価が高くても他県の米は使いたくないんです。不利であっても、自前主義にこだわりたい。あと使っている酵母も古い。約90年前に当蔵で見つかった「6号酵母」、つまり市販最古の酵母のみで酒造りしています。将来的には、こうした培養酵母そのものを使用しないで、江戸時代のころのように、蔵の中に漂っている雑多な天然酵母だけで酒造りをしたいと技術を磨いています。あと酒母は全部、前述した生酛造りでやっている。生酛だけの蔵って全国に数軒しかないんです。とても大変で酒を何本もダメにしたし、5年以上かかってようやくこぎつけた。そういう酒が結局、お客さんのライフスタイルを豊かにすると思う。お客さんが僕たち、新政酒造の酒を飲んで、勇気を持ってまた人生に挑むとか、そういうロマンのある酒を造りたい。

佐藤 祐輔
新政酒造 代表取締役社長
1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。 2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(後編)
- August / 08 / 2017
マスとソーシャルは、分けて考える
西牟田:ある種マスとソーシャルを行き来する形がスタイルだけど、マスはマスで分けて考えていますか。
かっぴー:目的が全然違うから、やっぱり分けていますね。今後はとにかく映像化したいんですよ、何かしら。アニメでも、ドラマでも、映画でもいいけど。メジャーなものに対して無視しちゃいけないと思っていて、最近メジャーなマンガばっか買って読んでいる。じゃあメジャーって何かというと、映像化は欠かせないんですよね。
ウェブ有名人の「あるある」ですけど、全然有名じゃないんですよ。特に、僕のことなんか、世の中の人は誰も知らない。だから、チヤホヤして来ない人達となるべく会うようにしていて、例えば美容院のお兄さんに「マンガ、何を読んでいますか?」と聞くんです。ウェブマンガで、これは知っているかなと思う上位10位を言っても、唯一知っていたのが「ワンパンマン」だったり。それが普通なんです。「かっぴー」なんて知るわけない(笑)。アニメ化されたり、ドラマ化されて、やっとギリ知っている人がいるぐらいだと思う。
西牟田:アウトプットとしてマンガを描くというところに落ちなくても、僕はかっぴーの物事のとらえ方の視点に面白さを感じているので、そこにプラス広告的なものとかをうまく使って、何か一緒に仕事をやれるといいなと思っています。
人から頼まれることが、向いている仕事
かっぴー:最近は、ちょっとだけマンガからはみ出た仕事がぽろぽろ増え始めました。ネーミング開発の仕事や、マンガじゃなくデザインとして絵を描いてほしいという話が来たり。臨機応変にやろうと思ってます。
学生時代に東北新社の中島信也さんに、「僕は普通の人間なのでぶっ飛んだものがつくれない、とがってないから向いている仕事がわからない」と相談して、「人から頼まれることが向いている仕事だよ」と言われた。飲み会の幹事をよく頼まれる人はそういうことに向いているし、飲み会で会計を集める係はそういうのが向いている、ふだん何を求められているかというのが向いている仕事だよとおっしゃっていたのが心に残っていて。
どれだけ人に知ってもらえるメジャーなものをつくるか。ネットで一番有名なマンガは、「ジャンプ」で一番無名なマンガより負けていると思っている。だから、たくさん見てもらえる方法は引き続きチャレンジしていきたいです。広告マンガを描いてくださいというオーダーは絶えずあるので、それは結構世の中にハマったのかなとは思っています。
西牟田:僕がやっているイベントやスペース開発領域でも、展示会の説明のグラフィックって、普通にやると実は誰も見ないものになってしまうおそれがあって。
情報を、どう分かりやすく、伝わりやすくするか、そこがデザインだと思うんですけど、そこに漫画家の知見とかを入れていくと、結構面白いなとか思っています。
絵と展開で、お話をつくっていくように、「これを説明してください」という話を、どう伝わりやすくまとめていくか。そんな風に、漫画家に情報のデザインの構成を考えてもらうのもありかな、なんて思ったりもしています。
説明が読み物プラス、イラストも含めた魅力的なコンテンツになる。ライトコンテンツみたいなものを手法として使っていくと、空間開発も結構いろんな広がりが出たりするなと。
かっぴー:そうですね、本当に。
西牟田:グラフとかも普通にエクセルっぽいのよりは、インフォグラフィックス的なの含めて、ちょっとマンガっぽくなるとか。空間って、表現がマジになりがちじゃない?
かっぴー:マジになりがちですよね。
西牟田:ちょっと違った角度で情報をとらえる視点が入ると、すごく引きつけられるものになる可能性があると思う。あと、僕らはリアルの体験価値について言うときに、ソーシャル含め世の中に拡散する手前の、深い実体験をつくっていくんだと言っているけど、リアルだからこそライトになれる部分とかもあったりする。
気軽に買えなかったり、試す機会自体がないものを、リアルの場で気軽にタッチ&トライできるみたいな捉え方をする、ライトコンテンツとしてのリアルなあり方も結構あるかなと思っています。
受け手の心の状態を、どうデザインするか
かっぴー:そういう意味だと、最初に言ったように、心の状態をどうデザインするかの話ですよね、見ている人の。ライト、軽い気持ちのほうが広告とか情報を受け入れやすいんじゃないかということ。僕が描いている広告マンガって、納品物はあくまで「企画」だと思っています。
僕が描かずに作画を立てるとか、僕が絵コンテを考えてCMにしましょうとか、「企画」は料理の仕方によって全然違うものを提供できる可能性がある。どうしたって、あの絵が合わないというクライアントもいると思うから。だったら絵を変えればいいし、「今回は動画が欲しいんだよね」と言われたら動画にすればいいし、応用は利かせますよ。
西牟田:ちゃんと戦略を持って、いろいろ考えながらやっているんだね。
かっぴー:東急エージェンシーに入った頃は、いつか広告プランナーとして独立しようと思っていた。でも、プランナーとして独立するのはめちゃくちゃハードル高いなと思い知った。僕が「漫画家」って名乗り始めたのは最近だけど、照れと謙遜といろんな感情がまじって、最初は漫画家って言いづらかった。でも、「漫画家」ってちゃんと言わないとだめだなと思ったのは、納品物が想像できない肩書って仕事を出しにくいんだなと気づいたから。
プランナーって何してくれるの?どこから金払えばいいの?、ちょっと話聞いただけでも金取るの?みたいな感じがあるでしょ、何か正体がよくわからないというか。「漫画家」と名乗ったら、じゃあマンガという形で企画を納品してくれるんだな、と分かりやすいですよね。「いや、CMも実はできるんですよ」とか、「作画つければ、原作者としてもできるんですよ」とか、可能性を残したいがために肩書を変に凝るんだったら、もう「漫画家」と言い切ったほうがいいかなと。
西牟田:立ち位置をはっきり決めたほうが、頼みやすいよね。
かっぴー:一回ちゃんと名乗らなきゃだめだなと思って。
西牟田:今後「なつやすみ」として挑戦したいことを教えてください。今更ですが、会社名は、なぜ「なつやすみ」なんですか。
かっぴー:東急エージェンシーのときも、カヤックのときも、本当はこうしたほうがいいと思うんだけど、クライアントが直せと言うから直さなきゃとか、これ提案したいけど多分通らないとか、「仕事だから」と過剰に意識しているうちに、何にもつくれなくなっていたんです。だから、もう仕事をしないというのをコンセプトに、あくまで本当に楽しんで物をつくるだけに集中したいというので、「なつやすみ」という名前にしました。
だから、「仕事だからしようがねえな」ってちょっとでも思ったら、なつやすみじゃないから、やめようと思っています。
西牟田:最初に聞いたときに、「めっちゃいい名前だな」って思いました! 社訓は何でしたっけ?
かっぴー:社訓は、「忙しく、遊ぶ。」です(笑)。
西牟田:すばらしいです! 今までも飲みに行ったり会話はしてたけど、こんなに深く話をしたのは初めてだったね。広告の場合は、受け手の心の状態が違うという話は、本当にそうだと思ったし、そういうものにうまくハマるマンガって確かになかった。すごく可能性を感じました。
ありがとうございました。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
ホラーで、世界の感情を揺さぶる:頓花聖太郎(後編)
- August / 15 / 2017
新しい「ホラーの概念」を、テクノロジーで拡張していく
笠井:ホラーってある種ワンパターンになりがちで、お化け屋敷もですけど、マンネリをどう打破していくか、気をつけていることはありますか。
頓花:それ、悩むんですよ。もちろんいろんな工夫がありますが、ホラーの文脈だけじゃなくて、できるだけホラー以外のエンターテインメントで、「これは見方を変えたらホラーになるよね」とかそういうところで、別の分野の概念から発想を輸入してこようとはしているつもりです。次にやりたいなと思うのは、漫画表現でホラーっぽいコンテンツをつくれないかなとか、ちょっとずつ表現を外側に広げています。
笠井:テクノロジーの変化、たとえばVRなどによって、ホラーは今後どう変わっていくと思いますか。
頓花:僕が基本的に思うホラーの楽しさって、一人で体験して終わるパターンより、みんなでギャーギャー言いながらというのが原体験になっています。スマホとか今のVRはどうしても一人の体験になりがちだと思うんですが、テクノロジーの進化で今まで共有できなかったものがぐんと広がっていくと思う。わざわざお化け屋敷へ行かないと体験できなかったものが、気軽に家で友達と一緒に、全国どこでも体験ができるようになると面白いですね。
笠井:楽しみ方が広がりますね。
頓花:ええ。僕はひとりでお化け屋敷へ行ったり、ホラー映画を見に行ったりもするんですが、やっぱりあまり面白くないんですよ。誰か隣の人にギャーギャー言いたい。あまり周りにホラー友達がいない人でも、テクノロジーがそこを解決していってくれるといいですね。それがこれからのテクノロジーの使いどころですね。
笠井:ホラーというと夏ですが、冬の仕事はどんな感じですか。
頓花:もちろん冬ホラーの分野を開拓したいなと思っていますよ! もしくは、季節を問わないホラー体験をつくっていかないと、今年来年は生き延びても、いつか会社が死ぬ(笑)。新しくホラーの概念を拡張していくようにしていかないといけないと常に思っています。
最近ニコニコ超会議で「町VRホラーカー」をつくって、それもすごい楽しかった。

町VRホラーカー
頓花:車の中でヘッドセットをつけて体験するVRなんですけれど、背中にSubPacという振動を感じるウーハーをつけているので、本当に車が走っていて、どんどん襲われてくるような感じの演出が味わえます。しかも体験を終わった人が次に体験する人を、車を揺らしたりして脅かせるアナログな仕組みもあるんです。お客さん自身が次の客を脅かすなんて、ちょっとばかばかしいけど、そのことが「一緒に盛り上げている感覚」をつくれて面白かったですね。
笠井:それはどこで体験できるんですか?
頓花:ニコニコ町会議のイベントの一環としてですね。今年の夏は、日本中を回りますよ。お化け屋敷文化には新しい進化、イノベーションがしばらく起きていないような気がしている。ホラーの見せ方にテクノロジーを使った発明が加われば、従来型の「ザ・お化け屋敷」というフォーマットじゃない形のイベントをいろいろつくれるはずです。
「怖い」という感情を楽しむ文化、ホラーの楽しみ方の普及
頓花:怖いということの、楽しみ方を普及させなきゃいけないと思っているんです。怖さって、敷居は確かにあるんですけれど、ちょっとしたお作法を覚えると誰でも楽しめる。
映画を見て、めっちゃ泣くとか、めっちゃ笑うとか感情を揺さぶられるじゃないですか。めっちゃ怖がるという一手においても、怖さほど心が動く体験ってそうそうないと思うんです。でも恐怖という感情だけは我慢しようとしちゃう、耐えることをが目標になってる。そこを楽しめるマインドにスイッチを切りかえたら、すごく感動できるはず。
怖さを乗り越えられた自分であったり、それが終わったときの安心感との感情の落差だったりを見いだせるようになってきたら、絶対誰でも楽しめる。その楽しみ方まで提供できたらいいなと思っている。例えば、楽しみ方のコツのひとつは、我慢せずに声を出すことなんですよ。
笠井:大きな声で叫ぶ。
頓花:そう、怖かったら素直にギャーッと言うと、めっちゃ楽しいんですよ。
笠井:確かに。楽しんでやろうという気持ちで参加することが大事ということですね。
頓花:嫌々行ったらひとつも楽しくない。少しでも前のめりで、どんどん声出していこうというつもりで行くと、めっちゃ楽しいです。だから僕、一人で行ってもギャーギャー叫びながらお化け屋敷を巡るんですよ(笑)。ホラーに関しては泣き叫ぶのが恥ずかしくないという、感情をぶつける文化をつくりたい。
笠井:それ、大事かもしれない。いかに叫ぶの我慢するかで、その我慢がすごいストレスなんですよね。とくに私も含めた女子には。叫んだらストレス発散にもなりますよね。
頓花:日本人って、肝試しとかもそうですけど、ビビらないというのが目的になっていたりするじゃないですか。逆ですよ。ビビるのを楽しもうよ(笑)。
笠井:「何怖がってんだよ~、おまえ」みたいなことを言われますよね、悔しい(笑)。
頓花:いま大阪でNTT西日本さんと毎日放送さんがやってる梅田お化け屋敷「ふたご霊」で協力させてもらってますが、その中の施策の一つで、どれだけビビったか、という数字が出てくるんです。実際に計測しているのは、どれだけ楽しんだかということで、NTT西日本さんがつくった複雑な計算のもとで数字として出している。ギャーギャー言って楽しんだ人ほど高得点が出る。そういう指標を持って楽しめるようになってもいいのかなと思ったりします。

ふたご霊
ホラーの世界観のバリエーションを、多彩にアートディレクションする
笠井:ホテルでやられた企画もありましたね。
頓花:USJに隣接している公式ホテル「ホテルユニバーサルポート」でハロウィーンシーズンに行いました。ホテルの一室だけ、期間はそんなに長くなくて、ウェブプロモーション的なことは一切しなかったのですが、昨年結構予約が埋まったと聞いています。

ホテルユニバーサルポート企画
笠井:鏡に血がバーッとか、そういうことですよね。
頓花:あまり詳細を言うと面白くないけど、映像で人がガーンと出てきたりするんです(笑)。宿泊客は夜中2時ぐらいまで脅されます。壁にディスプレーを仕込んだ鏡を埋め込んでいるんですけれど、そこにさまざまな演出が起きるのですね。
笠井:お客さんは、若いカップルなどですか。
頓花:基本的にR15にしていたので、15歳未満は泊まれない部屋です。苦情が出ても困るので。そこらへんに血やら手首やら、散らばっているので(笑)。結構オールジャンル層でアンケートの評価もよかったみたいです。
笠井:寝れないでんすね、2時まで(笑)。
頓花:そう、夜中2時まで映像が出ますから(笑)。寝たら損ですよ。最大4人まで泊まれる部屋です。
笠井:じゃ結構ワイワイみんなで行けますね。
頓花:ええ。USJでハロウィーンを楽しんで、夜はホテルで謎解きを楽しみつつ泊まれるみたいな感じですね。
笠井:ちなみに、ホラー以外に好きなものはなんですか。
頓花:ホラーの仕事と隣接するんですけれど、テーマパークが好きですね、ジェットコースターとか。遊園地自体のアートディレクションに興味があって、ディズニーシーとか、岩の苔までこだわっていたりするじゃないですか。そんなのを眺めるのが好きで、岩だけを見てずっといられる(笑)。
今はホラーを扱うデメリットとして、皆さんご予算があまりないケースが多く、どこで妥協するのか、どこまでこだわるのかという戦いには毎度なってしまう。あと、スケジュールもタイトで、夏までにリリースしないといけないとか。予算が増えれば、もっともっとこだわり抜きたいですね。
笠井:家族みんなでホラーを楽しんでもらうブランディングが必要ですね。
いつかホラー×テクノロジーの大展覧会をつくりたい
頓花:ホラーイベントとなると、すぐお化け屋敷に集約しようとするんですが、そうじゃない形がいろいろある。普段の生活の延長線にホラーを注ぎ込んだら、すごく面白くなると思う。
笠井:新幹線で北海道から九州までホラートレインが走るとか、「はとバス」などでホラーツアーがあってもいいですし。面白そうですよね。みんなで叫べるし(笑)。
頓花:ちゃんとしたイベントとして成立できるところまでテクノロジーを使うと、繰り返し性やインタラクティブ性が強いこともできる。実はお化け屋敷も、入場者は女性の方が多いんですよ。USJのホラーイベントに行ったらびっくりします、女子ばっかりなので。女性は本気で叫べるというのが、楽しさや満足度につながっていると思う。
面白いテクノロジーもいっぱいあるんですよ。最近気に入っているのは先ほども挙げたSubPac。背中で感じる触感性のあるウーハーなんですけれど。重低音が体にズンズン響くのをうまく利用して、背中をそれこそ人がドーンと押しているみたいに感じるとか。
笠井:衝撃を受ける感じですか。
頓花:そうです。超でかい重低音のスピーカーを、背中に背負っているみたいなものです。それをうまく利用すると、車に乗って走りだす感じとか、心臓のドキドキ音を感じるとか、そういう感覚をつくれたりします。その他にも僕は、使えるガジェットを結構たくさん集めています。
笠井:ホラーに向くいろんな仕掛けを、アナログからデジタルまで。そういうの、ノウハウ知りたいです。やはりすごく努力しているんですね。
頓花:好きで集めてる。あと、指向性スピーカーはいいですよ。なかなか他では体験できない音の出し方ができます。
笠井:指向性スピーカーって、例えば私が歩くと音がついてくるとかですよね。
頓花:はい。超ピンポイントで狙えるようにつくれるので、耳元から誰もいないのに声がするとか。壁を狙ったら、その壁から反射で誰かがしゃべりかけてくるとか。キネクトみたいなセンサーを入れておいたら、自動的に顔を追尾するとかも可能です。
笠井:ホラープロポーズとか、ホラー結婚式の司会も面白そうですね。
頓花:いいですね、それ(笑)。ポピュラーに、そういう文化ができてほしいんです。
笠井:すごく楽しいですね!「ホラー×ラブ」みたいな。
頓花:「ホラー×○○」にすると、いろいろ放り込めるはずなんです。怖いという感情をどう使うかというメニューを広げたい。僕から言うと、エンターテインメントの中でホラーという席が「あれっ、空いてる」みたいな感じだったんです。「ここ、俺のもの!」という気持ち。
もちろん、ホラー界の先人の素晴らしさを否定することは全くないんですが、テクノロジーを掛け合わせるというところでいうと、僕らにもアドバンテージはあるかなと思ってます。
笠井:ぜひ、何か一緒にイベントをつくらせてください! 今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。

頓花 聖太郎
株式会社闇 アートディレクター
1981年 兵庫県生まれ。元々はグラフィックデザイナー。 2011年 関西の制作会社 STARRYWORKSにアートディレクターとして入社。 大好きなホラーを仕事にすべく2015年、株式会社闇を設立。

笠井 真里子
株式会社電通 電通ライブ
2004年4月 電通入社。メディア局、プロモーション局を経て、現在のイベント&スペース・デザイン局に配属。リアル/バーチャルどちらの世界でも、共感を生み出す空間づくりを目指している。
感覚を工学する。「体験」は拡張できる!:前田太郎(後編)
- August / 22 / 2017
人間とは、コンパスの入っていないスマホ?
日塔:次のトピックスは、前庭器官と前庭電気刺激についてなんですが、そもそも前庭器官というのはどういう器官なのですか。
前田:前庭器官というのは平衡器官のことで、平衡器官とはどこにあるかというと、内耳、音を聞いている耳の奥の、音を捉えている渦巻管の上にひっついているものです。解剖図では、前庭器官と渦巻管をセットにして内耳と言いますね。実は、その装置の下の半分の渦巻状になっているものだけ音を聞いていて、それと似通った器官だけど、全然形だけは違う器官が上に乗っていて、それが平衡感覚。いわゆる重力と回転加速度を捉えている。
http://hiel.ist.osaka-u.ac.jp/cms/index.php/services
日塔:下は音を聞いているんだけど、上は平衡感覚をつかさどっている。三半規管というのも、前庭器官の一部ですか。
前田:前庭器官は、三半規管と耳石器官になります。三半規管の方は、人間の回転を捉えていて、耳石は重力加速度を捉えている。重力だけじゃなくて、人間が動いたときの加速度も一緒に入ってくる。それはいわゆるスマホでいうと、皆さんが使っているジャイロと加速度センサーの二つです。スマホに入っていて人間には入っていないのが、コンパスですね。地磁気の方向を捉えるセンサー。
日塔:ああ、面白いですね。スマホは、そこはセンサーとして人間より優れているということですね。人間には地磁気センサーがない。なるほど、だから人間は方向音痴になっちゃうんですね。
前田:伝書鳩の研究で、ハトにはあるんじゃないかという説があるけれど、いまだに生物学の中でも結論が出ていないです。鳥が何で夜間飛行ができるのか。鳥目なのに何で方向が分かるんだろう、地磁気が分かっているんじゃないかという説があります。
日塔:先生が前庭器官に注目されたきっかけは何ですか。
前田:人間の感覚を捉えて、なおかつそれを入力する手段を探していた。五感全部そろえてやろうと思った中で、平衡感覚は普通では手出しのしようがないなと思った。
日塔:五感の中に、平衡感覚は通常は含まれない。
前田:五感という言い方自体、人間の感覚を捉える言葉としてはふさわしくない。内耳というのは、頭蓋骨の中に埋もれているのです。頭蓋骨の中は脳で、外は皮膚です。その間の骨の中に穴があいていて、その中に内耳が詰まっているんですよ。
日塔:脳と耳ってつながっているという感じですね。
前田:そう。だって、頭蓋骨は耳の穴から脳の部屋まで穴が全部一つでつながっていますから。その中間に骨の中に埋もれているのが内耳で、それがある場所が乳様突起です。
前庭電気刺激に関しては、われわれが研究する5年前くらい(2000年前後)にはすでに発見されていました。真っ先に使われたのは耳鼻科ですが、あまり流行らせずすたれ始めていました。というのも、あまりに強烈に利くので医学的な検査目的には使えなかったのですが、私たちはそこに注目しました。
日塔:耳の後ろにシールみたいな小型装置を貼り付けるだけで体験できると聞いてすごいなと思っていて、どれだけ軽量な装置にできるのでしょうか。
前田:われわれは研究者なので製品化を狙っているわけではなく、どこまで小型化できるかを究極で目指していないですけれど、可能性としては電池と回路は既存の技術を使えば、ほぼどこまででも小さくできる。電力としての十分な電池さえ手に入ったら。
日塔:電池のサイズ?
前田:恐らく、電極のサイズまで小さくなるでしょうと。でも結局、電極をどれだけ小さくしていくかの方は、ある種の限度があって…。なぜかというと、痛いんですよ。
日塔:小さくすると大きな刺激を与えなければいけないから。
前田:そうです。そういう意味においては、あくまで小型化の究極を言われたら電極のサイズ、人が痛がらない電極のサイズまでということになります。
臨場感とは、マルチモーダルにおける違和感のない状態
日塔:視覚を中心としたVRは今すごく注目を浴びていますけれど、その他の感覚、例えば聴覚含む耳周りのVRみたいなことに関して、今のブームとはちょっと違った可能性を感じています。
前田:恐らくおっしゃっている感覚は、実は平衡感覚だけ、視覚だけに限ったことではなくて、バーチャルリアリティーの本質というのは、マルチモーダルといわれる複数の感覚が全部一つの現実を指していること。すなわち見えているものと聞こえているものが、例えばここで何かが鳴っているならば、音がここだと示している、見ているものがここだと示している。「あっ、今、音が同時に変化した。見えているものが変化した。だからこれはここにあるものなんだ!」という、複数の感覚の一致なんです。
日塔:いろんなセンサーを使っていますよ、ということですね。
前田:人間が感じる臨場感というものは何かというのを、ずっとバーチャルリアリティ学会でも語られてきていて、マルチモーダルにおける違和感のない状態、すなわち全ての感覚が同じ事実を指し示している状態を指して、われわれは臨場感と呼んでいる。恐らく今流行しているVRは、ようやく自分の体の動きと視覚の動きが一致しただけの、二つだけのマルチモーダルなんです。そこに三つ目が入ってくると、臨場感のレベルがポーンと上がる。それが多分、今の分野では物足りない最たるものです。
まさにそこから音が聞こえたよ、そこに触れたよ、さらに言うと、今その動きをした平衡感覚が来たよ、というところまで来ると、本当のリアルに近づいてくる。バーチャルリアリティーに求められていることはそれなのでしょうね。
バーチャルリアリティーというのは、リアルな方が酔わないんですよ。今のVRはリアルが崩れるから酔っている。例えばゲーム酔いというのは、大きなテレビの前では、映像は自分が揺られているかのように動いているのに、自分自身が揺れていないから酔うんです。見ながら同時に自分も揺れていれば、実は酔わないでちゃんとリアルに感じる。
日塔:今のお話でいうと、アクションが激しくなればなるほどそれに合わせて前庭電気刺激で揺れと平衡感覚を同調させれば、逆に酔わなくなるということですね。
人工知能で、感情はつくれるか?
日塔:今はヘッドマウントディスプレーが、イコールVRみたいになっていると思うんですが、先生の考える触覚とか平衡感覚とか、嗅覚、味覚、そういったものまで踏み込んだウエアラブルデバイスというのは、実装や量産の例がありますか。
前田:それぞれ要素技術はやっています。例えば味覚や嗅覚は、実際に味覚物質を準備して、鼻や口に入れるというのは既にある。でも物質は刺激を与えるのは得意ですが、消したり入れかえるのが苦手。要は一度においを嗅がしちゃうと、そのにおいを消すのが難しい。電気刺激のいいところは、現物がほとんど存在しないので、すぐに消せることですね。出したり消えたり、すぐできる。だから味覚も、ほとんど味がしないアメか何かをなめておいてもらって、その状態で電気刺激をすると、その味が突然現れたり消えたりするというのができるんです。
日塔:今まで「感覚」について伺いましたが、もう一つ、センサーで「感情」にアプローチできないかと考えています。前田先生は「感覚」を工学的につくり出すという研究をされていますが、「感情」を工学的につくり出すことも可能だと思いますか。
前田:うちが取り扱っている研究テーマの本道ではないですね。今のところ、感情の定義に科学自体が失敗しているに近い。やはりホルモンや何かの応答、すなわち人間の感情って、一番影響を受けるのは薬物なんです。薬物というと聞こえは悪いですけども、人間自身がホルモンやフェロモンを持っているので、それに簡単に誘導されてしまう。
日塔:なるほど。自分自身で怒っているとか喜んでいるとかと思っているつもりが、かなりホルモンに影響されている。
前田:人間の誘導で一番怖いのは、化学物質を使うことですよ。それをやると大半の感情は誘導できてしまう。それを避ければかなり安全性は高まりますが,今度はだんだん儀式めいた感情の誘導になってきてしまう。例えば、前庭電気刺激のデモでどうしても体験者が長時間やりたがるので、現在はやめているのが音楽との連動です。最初は、音楽と連動させたら評判が良かったのです。リズムに合わせて人間の体が震える状態をつくると、まるで踊っているかのような感覚が出るから。ところが逆に、踊る習慣がない人たちが酔って気持ち悪いと言いだして。研究としてはストップした。
日塔:その一方で小学生の時を思い出すと、キャンプファイアや運動会でみんなで同じ動きで踊ると、言葉にできない不思議な高揚感や連帯感が生まれますよね。きちんと事前に理解して、倫理的な問題をクリアできれば、体験の拡張、感情の拡張として興味深い現象だと思います。
生物としての人間はいつかAIに世代交代する、心の準備はできていますか?
日塔:最後になりますが、人工知能全体について伺います。今後AIはどのように進化していくと思いますか?
前田:アルファ碁が出た時点でわれわれが考えるべきは、今まで人間が判断して正しいと思っていたことを、もう一度疑ってみるべき段階に来たと。過去に人間が判断して、明らかだよね、でも数学的証明じゃないよねと言っていたことは、もう一遍AIに見せてみるべきところに来たと思います。AI技術といわれているディープラーニングを含むパターン認識技術が、これから大きく実用の世界に入り込んでくる。それによって起こるパラダイムシフト。人間の機能の一部はAIに置き換えられていく。結局、いつまでも人間が文明のトップじゃないよねというのはあります。
私は、どちらかというとシンギュラリティーは怖くないと思っていて。生物としての人類が永遠に続くということを私は期待しているわけではなく、もし人類が人間の枠組みに限界を感じて、自分たちが生み出したAIにその座を譲る気ができたならば、いよいよ楽隠居を決め込んで次世代に任せるという、生物として霊長としての世代交代をする時期が来るかもしれません。それを不幸と思うかどうかは別の問題ですけれど。
日塔:人間は、むしろ安心できるかもしれない。
前田:そう、要はいい後継ぎを育てることに成功すれば、ある意味社会を安心して後継ぎのAIに任せられる。シンギュラリティーが怖いって大騒ぎしているけど、それはそれでただの世代交代以外の何物でもないと思いませんか?
日塔:おっしゃっているシンギュラリティーはカーツワイルの言う、ナノボットが一人一人の人間の体の中に入って機械と融合する、みたいな話とは別ですか?
前田:ナノボットというよりは、世間ではロボットが人間の世界に出てきて、人間に取って代わるのが怖いというイメージですね。本当に怖いことですか、個人レベルでは普通に起こっていることですよという話です。例えば自分が子どもを育てて、やがて子どもに凌駕されるという、シェークスピア以来の恐怖と全く同じ不安で騒いでいませんかと。結局のところ自分の老後も見てくれる、いい子にAIを育てるしかないじゃないですか。科学技術は人間が生み出すものなので、自分の子どもをいい子に育てられるかどうかだけ心配していればいいんです。それが科学者としての私の見解です。
日塔:明快ですね。ぜひ今後も研究の行方をキャッチアップさせていただきたいです。今日はとても勉強になりました、ありがとうございました。

前田 太郎
工学博士
1987 年東京大学工学部卒業。同年通産省工業技術院機械技術研究所。 92 年東京大学先端科学技術研究センター助手。94 年同大学大学院工学系研究科助手。 97年同研究科講師。2000年同大学大学院情報学環講師。02 年NTT コミュニ ケーション科学基礎研究所主幹研究員。07 年大阪大学大学院情報科学研究科教授を務め、現在に至る。 人間の知覚特性・神経回路のモデル化、テレイグジスタンスの研究に従事。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。

佐藤 祐輔
新政酒造 代表取締役社長
1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。 2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(前編)
- August / 22 / 2017
社会人になるまで、実家「新政」の日本酒は飲んだことさえなかった
堀:佐藤さんは伝統産業である日本の酒蔵において次々と改革を実行され、「異端児」とも「革命児」とも形容されています。ただ私たちのようなコミュニケーション産業の側から見ると、佐藤さんの行ってきたことというのは非常に現代的に感じられます。
佐藤さんには、酒質を独自のセンスでコントロールする「エンジニア」、業界における「新政」のリポジショニングを改革後数年で確立した「マーケター/戦略家」、商品のコンセプトメークからネーミングやラベルデザインまでを手掛ける「クリエーティブディレクター」、そして見事に赤字の大規模酒造を、生産量は大幅に減らしながらも黒字にV字回復させた「経営者」とさまざまな側面がありますね。
今日は、他のメディアではあまり突っ込んで聞いてこなかったことも掘り起こしたいと思っています。まずいきなりですが、東京で編集者をしていた佐藤さんが、実家の「新政」を継いだきっかけは何だったんですか?
佐藤:僕は東京では、編集者とフリーライターで最終的には食っていたんです。ある日、伊豆でジャーナリストが集まる会があって、先輩のジャーナリストに「おまえ、酒屋の息子なんだってな、これ飲んでみろ」と言われて、静岡の銘酒「磯自慢」を飲んだ。あまりにうまくて、すごくたくさん飲んでしまったんです(笑)。翌日ちょっと冷静になって、日本酒も捨てたものじゃないなといきなり思って。
堀:そのときに初めて、自分のご実家の酒の価値も客観的に知ったんですね。
佐藤:いや、実家の酒を飲んだことがなかったから(笑)。普段は居酒屋チェーンで安い甲類焼酎をウーロン茶で割って飲んでいた。日本酒の原体験という意味では、それ以前には記憶がない。実家ではペロッとなめて、お神酒みたいな感じで飲んだことがあるくらい。
堀:そのころ、日本酒のマーケットの中で、ご実家の「新政」はどうだったんですか。
佐藤:僕は全く興味もないし知らなかった。その1年後ぐらいからだんだん、経営もやばいし、業界内のポジショニングもせっかく伝統的な蔵なのに、うまく生かされていないと分かってきました。
最初は日本酒をテーマにして本を書こうと思って、日本酒を勉強した
佐藤:日本酒は造るのも面白いけど、ファンでいろんな飲み会をやっているときが一番面白いんです。僕は書き物の仕事をしていたから、日本酒をテーマに何か書けたら、ライターとして武器が1個増えるからラッキーだと思った。実家の蔵ならインサイダーだから、いろんな情報を取ってこられるじゃないですか。
堀:そもそも最初、編集者やライターになったのは、どういう動機だったんですか。
佐藤:東京大学文学部を卒業したんですが、僕はロックや文学が好きで、卒論がボブ・ディランとその周辺のビートニク(ビート・ジェネレーションの略であり、1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称)についてでした。なんか、一人で生きていきたいタイプだったんです。つまり、会社に入りたくなかった。わがままなんですね、基本的に。卒業後、時間はかかりましたが、本を書いてジャーナリストのかけだしになって、書き物の仕事もすごく面白かったから。
好きなのはアメリカ文学だったので、ヘミングウェーにしろ、カート・ヴォネガットにしろ、みんな出自は新聞記者でしょ。アメリカ文学ってノンフィクションとフィクションの境が曖昧なので、僕もそんな感じを目指して両方書いていました。
それで、酒について原稿を書くには、ちゃんと酒の教育も受けなきゃいけないと思って、親父に頼んで酒類総合研究所で1カ月半、研修を受けさせてもらった。初めに酒造の教科書を買わなきゃいけないのですが、本で一番初めに出てくるのがうちの蔵の名前だったんです。うちは6号酵母発祥の蔵だから。そういえば、おふくろが何か昔そんなこと言っていたなとか、だんだん思い出しながら本を読んでいった。
6号酵母…通称「K6号酵母」「新政酵母」。10℃から12℃でも強い発酵力維持し穏やかな香りで、淡麗にしてソフトな酒質に適し、K7号酵母より酸が弱いが味は深みが出るとされる。
堀:初めは、そんな状態なんですね。
佐藤:そんなレベルですよ。それで1号~5号の酵母の遺伝子と、6号以降の酵母の遺伝子は全然違うことが分かって、どうも6号酵母以降は1号~5号とは全く違う種の酵母で、この酵母から日本の酒造りは現代のスタイルになったんだと分かって、初めて「あ、なんか、うちの蔵すごくないか?」と驚いたのです。
日本酒の製法を、江戸時代に戻す
堀:「新政」の酒には醸造方針がラベルに書いてあって、全部を「秋田県産米」で、「純米造り」で、「6号酵母で醸す」とありますね。さらに「自然な醸造を心がけ、ラベル記載義務のない添加物(醸造用酸類、ミネラル、酵素など)についても一切使用いたしません」と書いてあります。要するに一般的には、酒質を矯正するためにいろいろなものを入れていいことが法律で認められているのですが、佐藤さんは「新政」の酒をあえてそういう形に改革した。
僕が佐藤さんをすごいと思うのは、一人で全部やっているように見えるんですね。酒類総合研究所に行って技術について一から学び、今はエンジニアとして蔵の酒質を管理されていますし、「新政」がマーケットの中でどういうポジションにいて、「新政」をどう見せていくかのクリエーティブディレクションもやっている。もちろん東京での編集者経験が生かされているのだと思いますが、経営者としても実家に戻った時の利益率マイナス20%の世界から、何年かで利益を出させている。すごい豪腕だなと思うんです。
佐藤:器用貧乏なんじゃないかな(笑)。問題は「何で日本酒は売れなくなったのか」だよね。昔はハレの日の酒で人々に愛された日本酒が、何で罰ゲームみたいな酒になっちゃったかというところが疑問で、ちゃんと昔みたいに尊敬されるお酒に戻そうということが僕の第一目標でした。いくつか理由がありますが、製法面で画一化されてしまって、多様性が失われたのは大きな問題と思いました。日本酒の製法は江戸時代と明治時代では大きな断絶があります。これに一因があると思いました。
本来の日本酒というのは、それぞれの現場で試行錯誤しながら、体験的に造ってきたものですが、明治時代にはそういう造り方を古いとして一掃してしまった。明治時代は、日本人が西洋コンプレックスに陥っちゃった時代。そのコンプレックスはそれ以降もずっと続いている。今も全部の産業において共通していると思うのは、日本人は本質的に「自信」がないように見えます。明治時代は「文明開化」と言っていたぐらいです。当時の人たちは江戸時代以前のものは「文明」ではないと思っていたわけです。
酒の製法に関しても、ドイツのビールのほうがよっぽど格好よく見えた。機械があって、造り方も完璧だし、密閉空間の中できれいな酒を造って、酵母も培養してみたいなものが。だから、明治時代の日本人は、簡単にいうと日本酒の上にビールを置いたんです。ビールのほうが「文明」的だと思ったんでしょうね。要するに、それまでは添加物も入れずに、天然乳酸菌と天然酵母だけで酒造りしていたのだけれど、それでは安定性がなくて酒ができないときもあるし、蔵ごとに出来がバラバラになってしまうと。それよりは、ビールのように常に単一の酵母だけで酒造りしたり、微生物の仕事は添加物などで肩代わりしたほうがいい。どこでも同じような一定の品質ができるから、ということです。とにかく、明治以降、日本は西洋でやっていることは疑いもせずにあらゆる産業に取り入れてきた。たしかにその当時は、世界大戦を間近に控えており、酒税の調達の面からも必要なことだった。だから、私は明治の人たちに問題があるとは思っていません。どちらかというと、いまだに自らの固有の文化を再評価できない多くの同世代の日本人の感覚に対して危機感を感じています。
話は戻りますが、明治時代、西洋では細菌学が確立されたころ、パスツールやコッホが現れ、様々な病原菌を発見したり、その性質を調べて、ワクチンを開発したりしました。日本はドイツとすごく仲良かったから、コッホに師事した北里柴三郎みたいな偉人も出てきた。彼はペスト菌を発見し、ノーベル賞の候補にまでになりました。こうした影響から日本酒造りにおいても、いい菌だけを分離して増やそうとか、特殊な能力を持った菌を生み出そうとか、人間に都合の良いよう生命を操作する、そういう科学的な造り方になってきた。
そういう流れで日本酒も、江戸時代の生酛(きもと)みたいな造り方から、いい菌だけを分離して増やそうとか、自然を改変してコントロールする、そういう造り方になってきた。
酒母の造り方は二つあって、江戸期に確立した生酛系というものと、明治以降に出てきた速醸系がある。生酛系酒母では、初めにお米のヨーグルトみたいなものを造ります。ヨーグルトですから乳酸菌が発酵するわけです。道具とか職人の手なんかについている乳酸菌が、乳酸発酵を起こす。すると酸っぱくなって、その酸の力で、いろいろな雑菌が淘汰されてゆくんです。一方、速醸という手法があります。これは乳酸発酵させない。乳酸菌を育てる期間が長くて手間だし、乳酸菌の育成は難しくて安定しないので、それをまるごと省いちゃう。とにかく酸っぱくしちゃえばいいという発想で、酸味料を入れていきなり酸度を上げてしまう。
堀:人為的に乳酸菌みたいなものを入れているんですね。
佐藤:菌じゃなくて、精製された液体です。化学式でいうとC3H6O3、乳酸液です。日本薬局方で売ってますから、ドラッグストアなんかでも買えますよ。ただ90%近くと純度が高く、触るとやけどしますから気をつけてください。乳酸菌のような生き物ではないです。こうした酸味料はあらゆる加工食品に添加物として用いられているけど、およそ南米・東南アジア・中国などで作られたものを輸入している。現代では、ほとんどすべての酒はこうした醸造用の酸味料を用いる速醸酒母から造られています。生酛はあまりにも手間がかかりすぎるし、あと失敗する確率も高いから、はやらなくなった理由もわかります。ただ、生酛は江戸時代以前では当たり前の製法です。そういう観点からすれば、単に現代の酒造りが手抜きと言えなくもない。
難しい手法にもチャレンジし、お客さんの人生のロマンを満たす
佐藤:科学技術というのは基本的に汎用技術だから、科学技術は世界中の他のところでも応用可能でしょ。そういう汎用技術でプロダクトをつくるのは、伝統産業にはそぐわないんです。僕は汎用的なものから離れよう、離れようとしている。もっとカオスな手法とか、その地方やその蔵でなければ手に入らないマテリアルを組み合わせて、訳の分からないものをつくって、とにかくみんなと違う次元に行きたい。
堀:今おっしゃっていただいたような話はテクニカル的にはすごく難しい話ですが、それでも「新政」の改革にマーケットは非常に反応して、日本酒への評価が変わるきっかけになりました。そういうふうにマーケットがついてきてくれたのはなぜだと思いますか。
佐藤:僕は、お客さんのロマンを満たすような酒を造れば、客はつくだろうと単純に思った。例えば当蔵は現在、秋田県産の米しか使っていない。評価が高くても他県の米は使いたくないんです。不利であっても、自前主義にこだわりたい。あと使っている酵母も古い。約90年前に当蔵で見つかった「6号酵母」、つまり市販最古の酵母のみで酒造りしています。将来的には、こうした培養酵母そのものを使用しないで、江戸時代のころのように、蔵の中に漂っている雑多な天然酵母だけで酒造りをしたいと技術を磨いています。あと酒母は全部、前述した生酛造りでやっている。生酛だけの蔵って全国に数軒しかないんです。とても大変で酒を何本もダメにしたし、5年以上かかってようやくこぎつけた。そういう酒が結局、お客さんのライフスタイルを豊かにすると思う。お客さんが僕たち、新政酒造の酒を飲んで、勇気を持ってまた人生に挑むとか、そういうロマンのある酒を造りたい。

佐藤 祐輔
新政酒造 代表取締役社長
1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。 2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

堀 雄飛
株式会社電通 電通ライブ
1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。 国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。
マンガを広告で生かす!:かっぴー(後編)
- August / 08 / 2017
マスとソーシャルは、分けて考える
西牟田:ある種マスとソーシャルを行き来する形がスタイルだけど、マスはマスで分けて考えていますか。
かっぴー:目的が全然違うから、やっぱり分けていますね。今後はとにかく映像化したいんですよ、何かしら。アニメでも、ドラマでも、映画でもいいけど。メジャーなものに対して無視しちゃいけないと思っていて、最近メジャーなマンガばっか買って読んでいる。じゃあメジャーって何かというと、映像化は欠かせないんですよね。
ウェブ有名人の「あるある」ですけど、全然有名じゃないんですよ。特に、僕のことなんか、世の中の人は誰も知らない。だから、チヤホヤして来ない人達となるべく会うようにしていて、例えば美容院のお兄さんに「マンガ、何を読んでいますか?」と聞くんです。ウェブマンガで、これは知っているかなと思う上位10位を言っても、唯一知っていたのが「ワンパンマン」だったり。それが普通なんです。「かっぴー」なんて知るわけない(笑)。アニメ化されたり、ドラマ化されて、やっとギリ知っている人がいるぐらいだと思う。
西牟田:アウトプットとしてマンガを描くというところに落ちなくても、僕はかっぴーの物事のとらえ方の視点に面白さを感じているので、そこにプラス広告的なものとかをうまく使って、何か一緒に仕事をやれるといいなと思っています。
人から頼まれることが、向いている仕事
かっぴー:最近は、ちょっとだけマンガからはみ出た仕事がぽろぽろ増え始めました。ネーミング開発の仕事や、マンガじゃなくデザインとして絵を描いてほしいという話が来たり。臨機応変にやろうと思ってます。
学生時代に東北新社の中島信也さんに、「僕は普通の人間なのでぶっ飛んだものがつくれない、とがってないから向いている仕事がわからない」と相談して、「人から頼まれることが向いている仕事だよ」と言われた。飲み会の幹事をよく頼まれる人はそういうことに向いているし、飲み会で会計を集める係はそういうのが向いている、ふだん何を求められているかというのが向いている仕事だよとおっしゃっていたのが心に残っていて。
どれだけ人に知ってもらえるメジャーなものをつくるか。ネットで一番有名なマンガは、「ジャンプ」で一番無名なマンガより負けていると思っている。だから、たくさん見てもらえる方法は引き続きチャレンジしていきたいです。広告マンガを描いてくださいというオーダーは絶えずあるので、それは結構世の中にハマったのかなとは思っています。
西牟田:僕がやっているイベントやスペース開発領域でも、展示会の説明のグラフィックって、普通にやると実は誰も見ないものになってしまうおそれがあって。
情報を、どう分かりやすく、伝わりやすくするか、そこがデザインだと思うんですけど、そこに漫画家の知見とかを入れていくと、結構面白いなとか思っています。
絵と展開で、お話をつくっていくように、「これを説明してください」という話を、どう伝わりやすくまとめていくか。そんな風に、漫画家に情報のデザインの構成を考えてもらうのもありかな、なんて思ったりもしています。
説明が読み物プラス、イラストも含めた魅力的なコンテンツになる。ライトコンテンツみたいなものを手法として使っていくと、空間開発も結構いろんな広がりが出たりするなと。
かっぴー:そうですね、本当に。
西牟田:グラフとかも普通にエクセルっぽいのよりは、インフォグラフィックス的なの含めて、ちょっとマンガっぽくなるとか。空間って、表現がマジになりがちじゃない?
かっぴー:マジになりがちですよね。
西牟田:ちょっと違った角度で情報をとらえる視点が入ると、すごく引きつけられるものになる可能性があると思う。あと、僕らはリアルの体験価値について言うときに、ソーシャル含め世の中に拡散する手前の、深い実体験をつくっていくんだと言っているけど、リアルだからこそライトになれる部分とかもあったりする。
気軽に買えなかったり、試す機会自体がないものを、リアルの場で気軽にタッチ&トライできるみたいな捉え方をする、ライトコンテンツとしてのリアルなあり方も結構あるかなと思っています。
受け手の心の状態を、どうデザインするか
かっぴー:そういう意味だと、最初に言ったように、心の状態をどうデザインするかの話ですよね、見ている人の。ライト、軽い気持ちのほうが広告とか情報を受け入れやすいんじゃないかということ。僕が描いている広告マンガって、納品物はあくまで「企画」だと思っています。
僕が描かずに作画を立てるとか、僕が絵コンテを考えてCMにしましょうとか、「企画」は料理の仕方によって全然違うものを提供できる可能性がある。どうしたって、あの絵が合わないというクライアントもいると思うから。だったら絵を変えればいいし、「今回は動画が欲しいんだよね」と言われたら動画にすればいいし、応用は利かせますよ。
西牟田:ちゃんと戦略を持って、いろいろ考えながらやっているんだね。
かっぴー:東急エージェンシーに入った頃は、いつか広告プランナーとして独立しようと思っていた。でも、プランナーとして独立するのはめちゃくちゃハードル高いなと思い知った。僕が「漫画家」って名乗り始めたのは最近だけど、照れと謙遜といろんな感情がまじって、最初は漫画家って言いづらかった。でも、「漫画家」ってちゃんと言わないとだめだなと思ったのは、納品物が想像できない肩書って仕事を出しにくいんだなと気づいたから。
プランナーって何してくれるの?どこから金払えばいいの?、ちょっと話聞いただけでも金取るの?みたいな感じがあるでしょ、何か正体がよくわからないというか。「漫画家」と名乗ったら、じゃあマンガという形で企画を納品してくれるんだな、と分かりやすいですよね。「いや、CMも実はできるんですよ」とか、「作画つければ、原作者としてもできるんですよ」とか、可能性を残したいがために肩書を変に凝るんだったら、もう「漫画家」と言い切ったほうがいいかなと。
西牟田:立ち位置をはっきり決めたほうが、頼みやすいよね。
かっぴー:一回ちゃんと名乗らなきゃだめだなと思って。
西牟田:今後「なつやすみ」として挑戦したいことを教えてください。今更ですが、会社名は、なぜ「なつやすみ」なんですか。
かっぴー:東急エージェンシーのときも、カヤックのときも、本当はこうしたほうがいいと思うんだけど、クライアントが直せと言うから直さなきゃとか、これ提案したいけど多分通らないとか、「仕事だから」と過剰に意識しているうちに、何にもつくれなくなっていたんです。だから、もう仕事をしないというのをコンセプトに、あくまで本当に楽しんで物をつくるだけに集中したいというので、「なつやすみ」という名前にしました。
だから、「仕事だからしようがねえな」ってちょっとでも思ったら、なつやすみじゃないから、やめようと思っています。
西牟田:最初に聞いたときに、「めっちゃいい名前だな」って思いました! 社訓は何でしたっけ?
かっぴー:社訓は、「忙しく、遊ぶ。」です(笑)。
西牟田:すばらしいです! 今までも飲みに行ったり会話はしてたけど、こんなに深く話をしたのは初めてだったね。広告の場合は、受け手の心の状態が違うという話は、本当にそうだと思ったし、そういうものにうまくハマるマンガって確かになかった。すごく可能性を感じました。
ありがとうございました。

かっぴー
株式会社なつやすみ 代表取締役社長/漫画家
本名は伊藤大輔 。1985年、神奈川の横浜じゃない田舎生まれ。 映画の脚本家やテレビ番組の構成作家に憧れるも、自分が天才ではないことに高校生で気がつきデザイナーを志す。武蔵野美術大学でデザインを学び、2009年卒業後は東急エージェンシーのクリエーティブ職に。 アートディレクター・コピーライター・CMプランナーなど天職が見つからぬままアイデアを書き留めた絵コンテを量産する。2014年に面白法人カヤックへ転職。 2015年9月、マンガを見た同僚に背中を押され、描いたマンガ『フェイスブックポリス』をウェブサイトへ公開し、大きな反響を呼んでネットデビューを果たした。以降、『フェイスブックポリス』の続編『SNSポリス』をはじめ『おしゃ家ソムリエ!おしゃ子!』『おしゃれキングビート!』『裸の王様vsアパレル店員』などウェブメディアでの多数の連載が始まる。マンガの広告起用にサントリー、ヤフオク!、パナソニック、UHA味覚糖など。2016年2月に株式会社なつやすみを設立した。

西牟田 悠
株式会社電通 電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
ホラーで、世界の感情を揺さぶる:頓花聖太郎(後編)
- August / 15 / 2017
新しい「ホラーの概念」を、テクノロジーで拡張していく
笠井:ホラーってある種ワンパターンになりがちで、お化け屋敷もですけど、マンネリをどう打破していくか、気をつけていることはありますか。
頓花:それ、悩むんですよ。もちろんいろんな工夫がありますが、ホラーの文脈だけじゃなくて、できるだけホラー以外のエンターテインメントで、「これは見方を変えたらホラーになるよね」とかそういうところで、別の分野の概念から発想を輸入してこようとはしているつもりです。次にやりたいなと思うのは、漫画表現でホラーっぽいコンテンツをつくれないかなとか、ちょっとずつ表現を外側に広げています。
笠井:テクノロジーの変化、たとえばVRなどによって、ホラーは今後どう変わっていくと思いますか。
頓花:僕が基本的に思うホラーの楽しさって、一人で体験して終わるパターンより、みんなでギャーギャー言いながらというのが原体験になっています。スマホとか今のVRはどうしても一人の体験になりがちだと思うんですが、テクノロジーの進化で今まで共有できなかったものがぐんと広がっていくと思う。わざわざお化け屋敷へ行かないと体験できなかったものが、気軽に家で友達と一緒に、全国どこでも体験ができるようになると面白いですね。
笠井:楽しみ方が広がりますね。
頓花:ええ。僕はひとりでお化け屋敷へ行ったり、ホラー映画を見に行ったりもするんですが、やっぱりあまり面白くないんですよ。誰か隣の人にギャーギャー言いたい。あまり周りにホラー友達がいない人でも、テクノロジーがそこを解決していってくれるといいですね。それがこれからのテクノロジーの使いどころですね。
笠井:ホラーというと夏ですが、冬の仕事はどんな感じですか。
頓花:もちろん冬ホラーの分野を開拓したいなと思っていますよ! もしくは、季節を問わないホラー体験をつくっていかないと、今年来年は生き延びても、いつか会社が死ぬ(笑)。新しくホラーの概念を拡張していくようにしていかないといけないと常に思っています。
最近ニコニコ超会議で「町VRホラーカー」をつくって、それもすごい楽しかった。

町VRホラーカー
頓花:車の中でヘッドセットをつけて体験するVRなんですけれど、背中にSubPacという振動を感じるウーハーをつけているので、本当に車が走っていて、どんどん襲われてくるような感じの演出が味わえます。しかも体験を終わった人が次に体験する人を、車を揺らしたりして脅かせるアナログな仕組みもあるんです。お客さん自身が次の客を脅かすなんて、ちょっとばかばかしいけど、そのことが「一緒に盛り上げている感覚」をつくれて面白かったですね。
笠井:それはどこで体験できるんですか?
頓花:ニコニコ町会議のイベントの一環としてですね。今年の夏は、日本中を回りますよ。お化け屋敷文化には新しい進化、イノベーションがしばらく起きていないような気がしている。ホラーの見せ方にテクノロジーを使った発明が加われば、従来型の「ザ・お化け屋敷」というフォーマットじゃない形のイベントをいろいろつくれるはずです。
「怖い」という感情を楽しむ文化、ホラーの楽しみ方の普及
頓花:怖いということの、楽しみ方を普及させなきゃいけないと思っているんです。怖さって、敷居は確かにあるんですけれど、ちょっとしたお作法を覚えると誰でも楽しめる。
映画を見て、めっちゃ泣くとか、めっちゃ笑うとか感情を揺さぶられるじゃないですか。めっちゃ怖がるという一手においても、怖さほど心が動く体験ってそうそうないと思うんです。でも恐怖という感情だけは我慢しようとしちゃう、耐えることをが目標になってる。そこを楽しめるマインドにスイッチを切りかえたら、すごく感動できるはず。
怖さを乗り越えられた自分であったり、それが終わったときの安心感との感情の落差だったりを見いだせるようになってきたら、絶対誰でも楽しめる。その楽しみ方まで提供できたらいいなと思っている。例えば、楽しみ方のコツのひとつは、我慢せずに声を出すことなんですよ。
笠井:大きな声で叫ぶ。
頓花:そう、怖かったら素直にギャーッと言うと、めっちゃ楽しいんですよ。
笠井:確かに。楽しんでやろうという気持ちで参加することが大事ということですね。
頓花:嫌々行ったらひとつも楽しくない。少しでも前のめりで、どんどん声出していこうというつもりで行くと、めっちゃ楽しいです。だから僕、一人で行ってもギャーギャー叫びながらお化け屋敷を巡るんですよ(笑)。ホラーに関しては泣き叫ぶのが恥ずかしくないという、感情をぶつける文化をつくりたい。
笠井:それ、大事かもしれない。いかに叫ぶの我慢するかで、その我慢がすごいストレスなんですよね。とくに私も含めた女子には。叫んだらストレス発散にもなりますよね。
頓花:日本人って、肝試しとかもそうですけど、ビビらないというのが目的になっていたりするじゃないですか。逆ですよ。ビビるのを楽しもうよ(笑)。
笠井:「何怖がってんだよ~、おまえ」みたいなことを言われますよね、悔しい(笑)。
頓花:いま大阪でNTT西日本さんと毎日放送さんがやってる梅田お化け屋敷「ふたご霊」で協力させてもらってますが、その中の施策の一つで、どれだけビビったか、という数字が出てくるんです。実際に計測しているのは、どれだけ楽しんだかということで、NTT西日本さんがつくった複雑な計算のもとで数字として出している。ギャーギャー言って楽しんだ人ほど高得点が出る。そういう指標を持って楽しめるようになってもいいのかなと思ったりします。

ふたご霊
ホラーの世界観のバリエーションを、多彩にアートディレクションする
笠井:ホテルでやられた企画もありましたね。
頓花:USJに隣接している公式ホテル「ホテルユニバーサルポート」でハロウィーンシーズンに行いました。ホテルの一室だけ、期間はそんなに長くなくて、ウェブプロモーション的なことは一切しなかったのですが、昨年結構予約が埋まったと聞いています。

ホテルユニバーサルポート企画
笠井:鏡に血がバーッとか、そういうことですよね。
頓花:あまり詳細を言うと面白くないけど、映像で人がガーンと出てきたりするんです(笑)。宿泊客は夜中2時ぐらいまで脅されます。壁にディスプレーを仕込んだ鏡を埋め込んでいるんですけれど、そこにさまざまな演出が起きるのですね。
笠井:お客さんは、若いカップルなどですか。
頓花:基本的にR15にしていたので、15歳未満は泊まれない部屋です。苦情が出ても困るので。そこらへんに血やら手首やら、散らばっているので(笑)。結構オールジャンル層でアンケートの評価もよかったみたいです。
笠井:寝れないでんすね、2時まで(笑)。
頓花:そう、夜中2時まで映像が出ますから(笑)。寝たら損ですよ。最大4人まで泊まれる部屋です。
笠井:じゃ結構ワイワイみんなで行けますね。
頓花:ええ。USJでハロウィーンを楽しんで、夜はホテルで謎解きを楽しみつつ泊まれるみたいな感じですね。
笠井:ちなみに、ホラー以外に好きなものはなんですか。
頓花:ホラーの仕事と隣接するんですけれど、テーマパークが好きですね、ジェットコースターとか。遊園地自体のアートディレクションに興味があって、ディズニーシーとか、岩の苔までこだわっていたりするじゃないですか。そんなのを眺めるのが好きで、岩だけを見てずっといられる(笑)。
今はホラーを扱うデメリットとして、皆さんご予算があまりないケースが多く、どこで妥協するのか、どこまでこだわるのかという戦いには毎度なってしまう。あと、スケジュールもタイトで、夏までにリリースしないといけないとか。予算が増えれば、もっともっとこだわり抜きたいですね。
笠井:家族みんなでホラーを楽しんでもらうブランディングが必要ですね。
いつかホラー×テクノロジーの大展覧会をつくりたい
頓花:ホラーイベントとなると、すぐお化け屋敷に集約しようとするんですが、そうじゃない形がいろいろある。普段の生活の延長線にホラーを注ぎ込んだら、すごく面白くなると思う。
笠井:新幹線で北海道から九州までホラートレインが走るとか、「はとバス」などでホラーツアーがあってもいいですし。面白そうですよね。みんなで叫べるし(笑)。
頓花:ちゃんとしたイベントとして成立できるところまでテクノロジーを使うと、繰り返し性やインタラクティブ性が強いこともできる。実はお化け屋敷も、入場者は女性の方が多いんですよ。USJのホラーイベントに行ったらびっくりします、女子ばっかりなので。女性は本気で叫べるというのが、楽しさや満足度につながっていると思う。
面白いテクノロジーもいっぱいあるんですよ。最近気に入っているのは先ほども挙げたSubPac。背中で感じる触感性のあるウーハーなんですけれど。重低音が体にズンズン響くのをうまく利用して、背中をそれこそ人がドーンと押しているみたいに感じるとか。
笠井:衝撃を受ける感じですか。
頓花:そうです。超でかい重低音のスピーカーを、背中に背負っているみたいなものです。それをうまく利用すると、車に乗って走りだす感じとか、心臓のドキドキ音を感じるとか、そういう感覚をつくれたりします。その他にも僕は、使えるガジェットを結構たくさん集めています。
笠井:ホラーに向くいろんな仕掛けを、アナログからデジタルまで。そういうの、ノウハウ知りたいです。やはりすごく努力しているんですね。
頓花:好きで集めてる。あと、指向性スピーカーはいいですよ。なかなか他では体験できない音の出し方ができます。
笠井:指向性スピーカーって、例えば私が歩くと音がついてくるとかですよね。
頓花:はい。超ピンポイントで狙えるようにつくれるので、耳元から誰もいないのに声がするとか。壁を狙ったら、その壁から反射で誰かがしゃべりかけてくるとか。キネクトみたいなセンサーを入れておいたら、自動的に顔を追尾するとかも可能です。
笠井:ホラープロポーズとか、ホラー結婚式の司会も面白そうですね。
頓花:いいですね、それ(笑)。ポピュラーに、そういう文化ができてほしいんです。
笠井:すごく楽しいですね!「ホラー×ラブ」みたいな。
頓花:「ホラー×○○」にすると、いろいろ放り込めるはずなんです。怖いという感情をどう使うかというメニューを広げたい。僕から言うと、エンターテインメントの中でホラーという席が「あれっ、空いてる」みたいな感じだったんです。「ここ、俺のもの!」という気持ち。
もちろん、ホラー界の先人の素晴らしさを否定することは全くないんですが、テクノロジーを掛け合わせるというところでいうと、僕らにもアドバンテージはあるかなと思ってます。
笠井:ぜひ、何か一緒にイベントをつくらせてください! 今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。

頓花 聖太郎
株式会社闇 アートディレクター
1981年 兵庫県生まれ。元々はグラフィックデザイナー。 2011年 関西の制作会社 STARRYWORKSにアートディレクターとして入社。 大好きなホラーを仕事にすべく2015年、株式会社闇を設立。

笠井 真里子
株式会社電通 電通ライブ
2004年4月 電通入社。メディア局、プロモーション局を経て、現在のイベント&スペース・デザイン局に配属。リアル/バーチャルどちらの世界でも、共感を生み出す空間づくりを目指している。
感覚を工学する。「体験」は拡張できる!:前田太郎(後編)
- August / 22 / 2017
人間とは、コンパスの入っていないスマホ?
日塔:次のトピックスは、前庭器官と前庭電気刺激についてなんですが、そもそも前庭器官というのはどういう器官なのですか。
前田:前庭器官というのは平衡器官のことで、平衡器官とはどこにあるかというと、内耳、音を聞いている耳の奥の、音を捉えている渦巻管の上にひっついているものです。解剖図では、前庭器官と渦巻管をセットにして内耳と言いますね。実は、その装置の下の半分の渦巻状になっているものだけ音を聞いていて、それと似通った器官だけど、全然形だけは違う器官が上に乗っていて、それが平衡感覚。いわゆる重力と回転加速度を捉えている。
http://hiel.ist.osaka-u.ac.jp/cms/index.php/services
日塔:下は音を聞いているんだけど、上は平衡感覚をつかさどっている。三半規管というのも、前庭器官の一部ですか。
前田:前庭器官は、三半規管と耳石器官になります。三半規管の方は、人間の回転を捉えていて、耳石は重力加速度を捉えている。重力だけじゃなくて、人間が動いたときの加速度も一緒に入ってくる。それはいわゆるスマホでいうと、皆さんが使っているジャイロと加速度センサーの二つです。スマホに入っていて人間には入っていないのが、コンパスですね。地磁気の方向を捉えるセンサー。
日塔:ああ、面白いですね。スマホは、そこはセンサーとして人間より優れているということですね。人間には地磁気センサーがない。なるほど、だから人間は方向音痴になっちゃうんですね。
前田:伝書鳩の研究で、ハトにはあるんじゃないかという説があるけれど、いまだに生物学の中でも結論が出ていないです。鳥が何で夜間飛行ができるのか。鳥目なのに何で方向が分かるんだろう、地磁気が分かっているんじゃないかという説があります。
日塔:先生が前庭器官に注目されたきっかけは何ですか。
前田:人間の感覚を捉えて、なおかつそれを入力する手段を探していた。五感全部そろえてやろうと思った中で、平衡感覚は普通では手出しのしようがないなと思った。
日塔:五感の中に、平衡感覚は通常は含まれない。
前田:五感という言い方自体、人間の感覚を捉える言葉としてはふさわしくない。内耳というのは、頭蓋骨の中に埋もれているのです。頭蓋骨の中は脳で、外は皮膚です。その間の骨の中に穴があいていて、その中に内耳が詰まっているんですよ。
日塔:脳と耳ってつながっているという感じですね。
前田:そう。だって、頭蓋骨は耳の穴から脳の部屋まで穴が全部一つでつながっていますから。その中間に骨の中に埋もれているのが内耳で、それがある場所が乳様突起です。
前庭電気刺激に関しては、われわれが研究する5年前くらい(2000年前後)にはすでに発見されていました。真っ先に使われたのは耳鼻科ですが、あまり流行らせずすたれ始めていました。というのも、あまりに強烈に利くので医学的な検査目的には使えなかったのですが、私たちはそこに注目しました。
日塔:耳の後ろにシールみたいな小型装置を貼り付けるだけで体験できると聞いてすごいなと思っていて、どれだけ軽量な装置にできるのでしょうか。
前田:われわれは研究者なので製品化を狙っているわけではなく、どこまで小型化できるかを究極で目指していないですけれど、可能性としては電池と回路は既存の技術を使えば、ほぼどこまででも小さくできる。電力としての十分な電池さえ手に入ったら。
日塔:電池のサイズ?
前田:恐らく、電極のサイズまで小さくなるでしょうと。でも結局、電極をどれだけ小さくしていくかの方は、ある種の限度があって…。なぜかというと、痛いんですよ。
日塔:小さくすると大きな刺激を与えなければいけないから。
前田:そうです。そういう意味においては、あくまで小型化の究極を言われたら電極のサイズ、人が痛がらない電極のサイズまでということになります。
臨場感とは、マルチモーダルにおける違和感のない状態
日塔:視覚を中心としたVRは今すごく注目を浴びていますけれど、その他の感覚、例えば聴覚含む耳周りのVRみたいなことに関して、今のブームとはちょっと違った可能性を感じています。
前田:恐らくおっしゃっている感覚は、実は平衡感覚だけ、視覚だけに限ったことではなくて、バーチャルリアリティーの本質というのは、マルチモーダルといわれる複数の感覚が全部一つの現実を指していること。すなわち見えているものと聞こえているものが、例えばここで何かが鳴っているならば、音がここだと示している、見ているものがここだと示している。「あっ、今、音が同時に変化した。見えているものが変化した。だからこれはここにあるものなんだ!」という、複数の感覚の一致なんです。
日塔:いろんなセンサーを使っていますよ、ということですね。
前田:人間が感じる臨場感というものは何かというのを、ずっとバーチャルリアリティ学会でも語られてきていて、マルチモーダルにおける違和感のない状態、すなわち全ての感覚が同じ事実を指し示している状態を指して、われわれは臨場感と呼んでいる。恐らく今流行しているVRは、ようやく自分の体の動きと視覚の動きが一致しただけの、二つだけのマルチモーダルなんです。そこに三つ目が入ってくると、臨場感のレベルがポーンと上がる。それが多分、今の分野では物足りない最たるものです。
まさにそこから音が聞こえたよ、そこに触れたよ、さらに言うと、今その動きをした平衡感覚が来たよ、というところまで来ると、本当のリアルに近づいてくる。バーチャルリアリティーに求められていることはそれなのでしょうね。
バーチャルリアリティーというのは、リアルな方が酔わないんですよ。今のVRはリアルが崩れるから酔っている。例えばゲーム酔いというのは、大きなテレビの前では、映像は自分が揺られているかのように動いているのに、自分自身が揺れていないから酔うんです。見ながら同時に自分も揺れていれば、実は酔わないでちゃんとリアルに感じる。
日塔:今のお話でいうと、アクションが激しくなればなるほどそれに合わせて前庭電気刺激で揺れと平衡感覚を同調させれば、逆に酔わなくなるということですね。
人工知能で、感情はつくれるか?
日塔:今はヘッドマウントディスプレーが、イコールVRみたいになっていると思うんですが、先生の考える触覚とか平衡感覚とか、嗅覚、味覚、そういったものまで踏み込んだウエアラブルデバイスというのは、実装や量産の例がありますか。
前田:それぞれ要素技術はやっています。例えば味覚や嗅覚は、実際に味覚物質を準備して、鼻や口に入れるというのは既にある。でも物質は刺激を与えるのは得意ですが、消したり入れかえるのが苦手。要は一度においを嗅がしちゃうと、そのにおいを消すのが難しい。電気刺激のいいところは、現物がほとんど存在しないので、すぐに消せることですね。出したり消えたり、すぐできる。だから味覚も、ほとんど味がしないアメか何かをなめておいてもらって、その状態で電気刺激をすると、その味が突然現れたり消えたりするというのができるんです。
日塔:今まで「感覚」について伺いましたが、もう一つ、センサーで「感情」にアプローチできないかと考えています。前田先生は「感覚」を工学的につくり出すという研究をされていますが、「感情」を工学的につくり出すことも可能だと思いますか。
前田:うちが取り扱っている研究テーマの本道ではないですね。今のところ、感情の定義に科学自体が失敗しているに近い。やはりホルモンや何かの応答、すなわち人間の感情って、一番影響を受けるのは薬物なんです。薬物というと聞こえは悪いですけども、人間自身がホルモンやフェロモンを持っているので、それに簡単に誘導されてしまう。
日塔:なるほど。自分自身で怒っているとか喜んでいるとかと思っているつもりが、かなりホルモンに影響されている。
前田:人間の誘導で一番怖いのは、化学物質を使うことですよ。それをやると大半の感情は誘導できてしまう。それを避ければかなり安全性は高まりますが,今度はだんだん儀式めいた感情の誘導になってきてしまう。例えば、前庭電気刺激のデモでどうしても体験者が長時間やりたがるので、現在はやめているのが音楽との連動です。最初は、音楽と連動させたら評判が良かったのです。リズムに合わせて人間の体が震える状態をつくると、まるで踊っているかのような感覚が出るから。ところが逆に、踊る習慣がない人たちが酔って気持ち悪いと言いだして。研究としてはストップした。
日塔:その一方で小学生の時を思い出すと、キャンプファイアや運動会でみんなで同じ動きで踊ると、言葉にできない不思議な高揚感や連帯感が生まれますよね。きちんと事前に理解して、倫理的な問題をクリアできれば、体験の拡張、感情の拡張として興味深い現象だと思います。
生物としての人間はいつかAIに世代交代する、心の準備はできていますか?
日塔:最後になりますが、人工知能全体について伺います。今後AIはどのように進化していくと思いますか?
前田:アルファ碁が出た時点でわれわれが考えるべきは、今まで人間が判断して正しいと思っていたことを、もう一度疑ってみるべき段階に来たと。過去に人間が判断して、明らかだよね、でも数学的証明じゃないよねと言っていたことは、もう一遍AIに見せてみるべきところに来たと思います。AI技術といわれているディープラーニングを含むパターン認識技術が、これから大きく実用の世界に入り込んでくる。それによって起こるパラダイムシフト。人間の機能の一部はAIに置き換えられていく。結局、いつまでも人間が文明のトップじゃないよねというのはあります。
私は、どちらかというとシンギュラリティーは怖くないと思っていて。生物としての人類が永遠に続くということを私は期待しているわけではなく、もし人類が人間の枠組みに限界を感じて、自分たちが生み出したAIにその座を譲る気ができたならば、いよいよ楽隠居を決め込んで次世代に任せるという、生物として霊長としての世代交代をする時期が来るかもしれません。それを不幸と思うかどうかは別の問題ですけれど。
日塔:人間は、むしろ安心できるかもしれない。
前田:そう、要はいい後継ぎを育てることに成功すれば、ある意味社会を安心して後継ぎのAIに任せられる。シンギュラリティーが怖いって大騒ぎしているけど、それはそれでただの世代交代以外の何物でもないと思いませんか?
日塔:おっしゃっているシンギュラリティーはカーツワイルの言う、ナノボットが一人一人の人間の体の中に入って機械と融合する、みたいな話とは別ですか?
前田:ナノボットというよりは、世間ではロボットが人間の世界に出てきて、人間に取って代わるのが怖いというイメージですね。本当に怖いことですか、個人レベルでは普通に起こっていることですよという話です。例えば自分が子どもを育てて、やがて子どもに凌駕されるという、シェークスピア以来の恐怖と全く同じ不安で騒いでいませんかと。結局のところ自分の老後も見てくれる、いい子にAIを育てるしかないじゃないですか。科学技術は人間が生み出すものなので、自分の子どもをいい子に育てられるかどうかだけ心配していればいいんです。それが科学者としての私の見解です。
日塔:明快ですね。ぜひ今後も研究の行方をキャッチアップさせていただきたいです。今日はとても勉強になりました、ありがとうございました。

前田 太郎
工学博士
1987 年東京大学工学部卒業。同年通産省工業技術院機械技術研究所。 92 年東京大学先端科学技術研究センター助手。94 年同大学大学院工学系研究科助手。 97年同研究科講師。2000年同大学大学院情報学環講師。02 年NTT コミュニ ケーション科学基礎研究所主幹研究員。07 年大阪大学大学院情報科学研究科教授を務め、現在に至る。 人間の知覚特性・神経回路のモデル化、テレイグジスタンスの研究に従事。

日塔 史
株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通ライブ 第1クリエーティブルーム
「体験価値マーケティング」をテーマにしたソリューション開発を行う。 日本広告業協会懸賞論文「論文の部」金賞連続受賞(2014年度、2015年度)。
#Column
2017/06/27
2017/08/08
2017/11/01
2017/08/22