2022/12/20
新たな表現を追求し、可能性を切り開く。『spotlight』が目指すエンターテインメントの未来
DENTSU LIVE | 電通ライブ
中東で初めて開催された登録博、2020ドバイ国際博覧会において、弊社が日本館を総合プロデュースしました。
コンセプトの策定から、建築、展示の設計、現地運営や実施イベントの基本計画、広報業務の立案・実施に至るまで、弊社をハブとして各事業者と連携しながらプロジェクトを推進していきました。
「Where ideas meet」をテーマに、日本のトップクリエーターや若き才能を結集し、日本の歴史、文化、テクノロジーを新しい視点から見つめなおしました。最新の演出テクノロジーを活用し、世界中からの来場者の興味や関心をデータでビジュアライズすることで、アイディアが出会うことで拓く未来の可能性を伝えています。
コロナ禍での開催をふまえ、実際にドバイまで足を運ばなくても日本館のメッセージに触れられる施策や、2025大阪・関西万博につながる施策も含めて、現地でのパビリオンの運用にとどまらず、オンライン・オフラインを掛け合わせ、万博を起点として、生活者とのコミュニケーションを築いていくことに取り組んでいます。
<映像>https://vimeo.com/650963539/d82cfe6bda
写真提供 2020年ドバイ国際博覧会日本館
経済産業省/JETRO
2021年10月1日~2022年3月31日
UAE DUBAI
2021年10月1日にアラブ首長国連邦ドバイにて開幕した「2020年ドバイ国際博覧会」(以下、ドバイ万博)。
191カ国が参加するドバイ万博で、日本が出展する「日本館」の展示は「Where ideas meet アイディアの出会い」をテーマに、6つのシーンを通して日本が紡いできた「アイディアの出会い」を表現し、そこから新しい未来をつくる体験を創出しています。
今回の演出の背景にはどのようなアイディアの源流があり、どのようなアプローチで体験を設計していったのでしょうか?
演出を手がけたモンタージュのクリエイティブディレクター/ステージディレクター・落合正夫氏、総合プロデューサーの電通ライブ副社長執行役員・内藤純に、電通ライブの村山海優がインタビューを行いました。
村山:今回、日本館の演出をプロデュースするにあたって、どのような観点でテーマや表現を設定していったのでしょうか?
内藤:前回のミラノ万博のテーマは“食”。ある意味、日本らしさや日本の魅力を分かりやすく伝えられるコンテンツでしたよね。一方、ドバイ万博のテーマ「Connecting Minds, Creating the Future(心をつなぎ、未来を創る)」は、誰もが共感できる言葉ですが、テーマとしては非常に範囲が広く、抽象的です。これを日本館の展示として具体的にどう表現すべきかに悩みました。ただ、直感的に日本独自の季節感や自然観に「Connecting」のヒントがあるのではないかと感じ、そこから「アイディアの出会い」という切り口で落合さんをはじめとするクリエーターの皆さんと徐々にコンセプトを固めていきました。
落合:ヨーロッパの平原の国とも、中東の見渡す限り砂漠の国とも異なる、多様な自然環境が日本にはあります。それらの自然には八百万の神が宿ると考えられ、古来より多種多様な感性を受け入れる土壌が培われていたのだと思います。加えて、地理的には大陸の端にある島国で、外部から様々な文化が日本に流れ着き、それらをカスタマイズすることでユニークな文化を形成しました。まさしく、日本は「出会いの物語」と共に歩んでいった国。日本の「出会いの物語」を語ることで、「アイディアの出会い」の可能性を伝えられるのではないかと考えました。
落合 正夫氏(モンタージュ)
村山:なるほど。ストーリーを伝える展示はもちろん、ひんやりとしたミストの霧や幻想的な映像もあいまって、日本の幽玄な世界に入り込んでいく感覚がありました。
内藤:来場者を物語の世界に誘うためには、いかに没入感を演出できるかが重要で、その没入感の鍵を握るのが「五感」です。そういった意味で、今回は映像表現に加えて、ミストに包み込まれる肌感覚や、音声ARで個別に聴覚に訴えるなど、重層的に五感が刺激し合うような、体験設計がマストであると考えました。
落合:音声ARは画期的なアイディアでしたよね。従来の国際的な展示はパネルを置いて英語のテキストで解説するか、非言語コミュニケーションで感覚に訴える手法がほとんどでしたが、今回は来場者一人ひとりの耳元で、その人が慣れ親しんだ言語を使って、こちらの意図するメッセージを働きかけることができた。その結果、体験の深度がより深まったのではないかと思います。
村山:今回、「アイディアの出会い」を表現する上で苦労したことは何でしょうか?
内藤:演出のゴール設定です。要するに、「その場で来場者がアイディアを出すのか、出さないのか?」ということ。実際に来場者がアイディアを出し合ってディスカッションする方向性も検討したのですが、それをやるなら展示よりもシンポジウムやセミナーなどの形式で実施したほうが建設的です。試行錯誤した結果、最終的に日本館の展示では「アイディアが出会うことの素晴らしさ」、「アイディアを出すことの大切さ」を伝えることにフォーカスしました。
村山:日本の「アイディアの出会い」を振り返るシーン1とシーン2の体験を通して、「アイディアが出会うって良いな」というマインドセットができるからこそ、その後のシーン6までの体験を自分ごととして捉えやすくなっているように感じました。
内藤:そこは落合さんの手腕ですよね。シーン2の構成を落合さんから頂いた時、いにしえから近代に至るまでの日本の歴史、そのすべてが“出会い”の文脈で緻密にプロットされていて驚きました。一個一個ファクトを用意して、時代考証的なことも含めて丁寧に紐解いていただいたので、非常に説得力のあるメッセージになりましたよね。
村山:個人的に好きな演出は、シーン5のクライマックスで空間全体がミストに包まれて真っ白になる場面です。あのアイディアはどのようにして生まれたのでしょうか?
落合:一人ひとりが多様性を保ちながらも調和していくことが世界の目指すべき方向性だと思うので、その調和を体験してもらいたいと考えていました。あのミストは端的に言うと、来場者同士を溶かして、空間と一体化させるようなイメージを描いたものです。
内藤:真っ白なミスト空間に包まれると、ゆっくりと視覚が消えていき、最後は自分以外全てがなくなってしまいます。すると不思議なことに、自分の中からみずみずしい活力が生まれるような感覚に包まれるんです。邪念がなくなるというか(笑)。
村山:分かります。だからこそ、耳元で囁かれるメッセージも心にストンと落ちるというか。とても心地良い体験だと思いました。
村山 海優(電通ライブ)
村山:今回の展示を通して、来場者に届けたいことを改めて教えていただけますか?
内藤:今回は日本ならではの季節感や自然観、文化性を細部まで突き詰めて表現していますが、そこまで押し付けがましくない演出にしていること自体が、ある意味日本らしさの一要素だと思っています。実は非常に情報量の多い展示なのですが、来場者一人ひとりの感性に委ねる“余白”があるので、それぞれ心が動いた場面や強く感じたことを持ち帰っていただけたら嬉しいですね。
内藤 純(電通ライブ)
落合:万博には、自国の最新テクノロジーを披露したり、未来に向けた活動をアピールする側面があると思います。ただ、今回は日本のことを紹介するだけでなく、日本が紡いできた物語から「アイディアの出会い」という普遍的な価値を導き出し、「あなたの国にもアイディアの出会いはありますよね。それを未来につなげていきませんか?」という謙虚な問いを発信しています。この問いかけが、少しでも視点を切り替えるきっかけになったり、次のアクションにつなげてもらえたら良いなって思います。
村山:今回の万博は、世界や日本にとってどんな意味を持っていたと思いますか?
内藤:コロナ禍で人と会うことが当たり前ではなくなった今こそ、「Connecting」とは何かをみんなで考えるドバイ万博は、非常に意義の大きなイベントですよね。今回は入場制限を設けて開催しているので、来場者数という単純な指標ではなく、より“質”が問われるようになっていると感じています。博覧会の“質”とは、やはりその場にいることでしか得られない価値であり、感性が磨かれるような体験だと思うんです。日本館は感性が研ぎ澄まされる演出をとことん追求しているので、それが多方面から非常に有り難い評価を頂けている理由なのかもしれません。
落合:世界的なパンデミックでいろいろなことが問い直されていますが、万博を開催する意義も改めて問われていると思いました。万博が、今後も人類が発展していくための叡智を集める場であるならば、大事なのは自国のアピールではなく、これからの未来に向けて私たちがアップデートすべきことや、なんのためにテクノロジーが存在するのかを問うことです。その意味において、日本館は今の時代にふさわしい展示になったのではないでしょうか。
内藤:次の「大阪・関西万博」につながる一つのメッセージが打ち出せたと思います。今回の「アイディアの出会い」が2025年にどのような体験を生み出すのか、また落合さんたちと一緒に考えていけたら光栄です。
株式会社モンタージュ
クリエイティブディレクター / ステージディレクター
1980年東京都生まれ。2000年株式会社モンタージュ入社。CGデザイナー、VFXディレクターを経て、映像作家、インスタレーションの演出家として活動。ミラノサローネ、CES、モーターショウ、ゲームショウなど、国内外の空間演出プロジェクトに参加。2016年〜2018年までミラノデザインウィークにおいてパナソニック株式会社のインスタレーションを演出、3年連続でミラノデザインアワード入賞を果たした。「空間に物語を」を心得に体験型の映像演出に取り組んでいる。
株式会社電通ライブ
副社長執行役員/2020年ドバイ国際博覧会 日本館総合プロデューサー
1985年電通入社。展示会、ショールーム、店舗開発、都市開発など、多くの実績を誇る。 愛・地球博トヨタグループ館総合プロデューサー、ミラノ万博日本館展示プロデューサーをはじめ、国際博覧会において数多くのパビリオンをプロデュース。スペース、映像、グラフィック、プロダクトなど幅広い領域でのクリエーター人脈とプロダクションネットワークを有する。 2017年1月にイベント・スペース領域の専門会社「電通ライブ」を創設。「リアルな体験価値の創造」を目的に、イベント・スペース領域の高度化、次世代化をはかる。
株式会社電通ライブ プロモーションプランナー/プロデューサー
1994年生まれ。2017年4月株式会社電通ライブ入社。演出企画から実施運営までのプロデュース業務を担当。大型スポーツイベント案件、外資・海外クライアント案件を経て、2019年より2020年ドバイ国際博覧会日本館の展示・広報ディレクターとして従事。「変化の起点となる体験づくり」を指針に、イベントやスペースをはじめとする体験デザインに取り組む。
2021年10月1日、アラブ首長国連邦ドバイで「2020年ドバイ国際博覧会」(以下、ドバイ万博)が開幕しました。192カ国が参加するドバイ万博で、日本が出展する「日本館」は、「Where ideas meet アイディアの出会い」をテーマに、建築では日本と中東とのつながりを表現しています。
今回は日本館建築設計チームの永山祐子建築設計(デザインアーキテクト)の永山祐子氏、NTTファシリティーズ(マスターアーキテクト・意匠設計)の小清水一馬氏、Arup(構造・設備・ファサードエンジニアリング)の菅健太郎氏、電通ライブ(総合プロデュース)の關本丹青を迎え、日本館に込めた想いや完成までのエピソードを語り合ってもらいました。
―2020年ドバイ万博のメインテーマ「Connecting Minds, Creating the Future(心をつなぎ、未来を創る)」を受けて、日本館の建築で表現したことを教えてください。
永山:日本と中東の「Connecting=つながり」を、文化、環境、技術の3つの側面から表現することを考えました。
まず文化に関しては、中東の伝統的な文様である「アラベスク」と日本の「麻の葉文様」の類似性と、「シルクロードを介して両者の文化はつながっていたのではないか」というストーリーから発想を広げ、二つを掛け合わせた立体格子を考案しました。格子に約2,000枚の膜を張ることで、正面から見ると麻の葉文様なのですが、見る角度によって複雑なアラベスク文様が浮かび上がります。
環境と技術に関しては、「水」から着想しました。日本は水資源に恵まれた国で、中東では水=オアシスとして憧れの対象とされてきました。同時に、日本の水技術がドバイの生活や経済活動に不可欠な淡水の生成を支えてきたという背景もあります。そこで、建物の前面に水盤を設置し、水盤を通る風が気化熱で冷やされ、自然の涼しい風を建物に取り込めるようにしました。
永山祐子氏(永山祐子建築設計)
菅:改めてコンセプトを聞いてみると、最初に決めたコンセプトが完成まで一貫して変わっていないですよね。
永山:コンセプトは最初に提出した資料から変わっていません。徹夜してA4用紙に書き起こしたコンセプトがそのまま現実のものになりました(笑)。
關本:それって実は、奇跡的なことなんです。建築はコストや法律、工法など、さまざまな要因でコンセプトが変更されることは珍しくありません。最初のコンセプトがそのまま形になるのは稀なこと。クライアントやチームの皆さんのご理解とご協力があってこそ実現できたことだと思います。
小清水:はじめの打ち合わせで、永山さんからコンセプトをお聞きした時の衝撃は今でもよく覚えています。ファサードや水盤に込められた意図はもちろん、敷地を俯瞰で見ると建物や水盤の配置が日本古来の白銀比=二等辺三角形で構成されていることも含めて、細部にわたってストーリーがある。ぜひこのコンセプトを実現したいと思えたことが、プロジェクトの拠り所になった気がします。
關本:めざす北極星が最初に決まったことは大きかったですよね。
日本館の外観。アラベスクと麻の葉文様の類似性から着想を得た外装デザイン (2020年ドバイ国際博覧会日本館 提供)
―今回は中東でのプロジェクトということで、現地の商習慣やカルチャーの違いを感じることはありましたか?
小清水:水盤上を通過した心地よい風が建物を通り抜けるように、共用空間を半屋外化したのですが、日本では縁側など半屋外空間が文化として定着していますが、ドバイでは空間を閉め切って空調をかけるケースも多かったので、そこは現地のエンジニアともかなり時間をかけて議論しました。
小清水一馬氏(NTTファシリティーズ)
菅:振り返ってみると、お互いのカルチャーをすり合わせる作業の連続で、そこが一番苦労した部分かもしれません。ただ、最初に強度の高いコンセプトが固まっていたおかげで、「このコンセプトを実現するためにはどんな方法があるのか?」という視点から議論がスタートできましたね。
關本:Arupは世界33カ国にオフィスを構え、ドバイにもオフィスがあります。今回、Arupドバイチームとも連携することで、両国間のすり合わせを円滑に進めることができました。
半屋外の空間。約2,000枚のテント膜が強い日差しを遮るとともに、柔らかな光と風を取り込む (2020年ドバイ国際博覧会日本館 提供)
―他にもドバイ側と調整をした部分はありますか?
菅:例えば、万博の展示物は最終的に取り壊される運命にあるので、リサイクルできる鉄を使いたいと考えていました。しかし、ドバイの建築は鉄筋コンクリート造が基本で鉄骨造の経験がほとんどなく、鉄のメリットや設計方法を理解してもらう必要がありました。
菅健太郎氏(Arup)
關本:現地の職人の方々の技術を生かしながら、日本人ならではの技術や繊細さを伝えていく作業は大変でしたね。まさに「Connecting Minds, Creating the Future」を日々、体感しながら生きていました(笑)。
小清水:美意識の違いもありました。ドバイの建築物は重厚で装飾も派手、水盤にも立派な噴水を設置するような美意識がありますが、日本はどちらかというと穏やかで自然との調和に美しさを見出す文化です。風が吹けば、揺らげばいい、という感じです。
永山:例えば、ファサードの膜の留め方も、風で揺れる程度に軽く留めて欲しいとオーダーしたのですが、「それは考え方が全く逆です!」と驚かれました(笑)。認識の違いが生まれるたびに、コンセプトと照らし合わせながら、一つひとつのすり合わせをていねいに積み重ねていきましたよね。
ファサードの膜はスプリングを使って柔らかに固定しており、 風が吹くと静かにたなびく (2020年ドバイ国際博覧会日本館 提供)
菅:私はドバイと日本をつなぐ立場でしたので、日本チームとドバイチーム、双方の考えや意図をどう紡ぐかという点に一番注力していました。文化的背景が異なれば阿吽の呼吸は通用しません。お互いに歩み寄る姿勢を持ち続けること、諦めずに対話し続けることの大切さを、今回のプロジェクトを通して改めて実感したと思います。
―技術面で特に工夫したことはありますか?
菅:例えば、最初の考案ではファサードは二重の骨子を想定していたのですが、素材の数が多いことがボトルネックになっていました。そこで、ファサードエンジニアリングのチームで研究しながら試行錯誤を重ね、本数やコストを減らしながらも強度や意匠を保てるような組み方を考案しました。
小清水:コンセプトを維持しつつ、いかに現実の建築物として成立させていくかがポイントでしたよね。3Dソフトを用いてプログラミング的に設計を行い、このパラメータを変えると、このように見え方が変わる、と打ち合わせの場でライブ感のある検証・議論ができたことも良かったです。
フレーム形状や膜の配置を3Dで検証。3Dデータを施工者にも提供することで、複雑な情報伝達を正確に行うことができ、イメージ通りの空間を実現できた
永山:素材に関しても、消防上の規定で使える素材は日本よりも選択肢が少なかったので、試行錯誤した部分かもしれません。
關本:設計を進めている最中に現地の法律が変わり、急きょ設計を練り直すこともありましたよね。
小清水:逆にドバイがグローバルスタンダードで、日本のほうが特殊だったと気づかされることもありました。
關本:日本は災害大国なので建築に関する法律も災害を想定しています。一方、ドバイの法律はイギリスやアメリカから影響を受けているので、法律の成り立つ背景から違うんですよね。
菅:ドバイは色々な文化的背景を持つ方々が集う国でもあるので、ドバイからグローバルスタンダードの技術やアイデアを学ぶこともありました。
小清水:Arupのドバイチームも専門性が高く、みんなが誇りを持って仕事に取り組んでいるので、学ぶことは多かったです。また、ファサードはドイツのファブリケータが製作をしましたが、彼らに設計時の3Dデータを渡すことで、複雑な情報伝達を正確に行うことができ、イメージ通りの空間を実現できました。実は先述の風に揺らぐ膜の固定方法も、彼らからの提案を採用しました。技術力の高い海外のファブリケータに出会えたことも「つなぐ建築」を感じた出来事でした。
關本:日本館は、2025年の大阪・関西万博に向けて未来をつなぐこともテーマの一つですが、大阪・関西万博でも諸外国と日本との文化的・法律的なすり合わせは必ず必要になるので、今回そのナレッジやノウハウを蓄積できたことは日本にとって大きな意義があると思います。
關本丹青(電通ライブ)
後編では、コロナ禍での建築や日本館建築設計チームとして得られた学びについて語り合います。
永山祐子建築設計 代表
1975年生まれ。昭和女子大学生活美術科卒業後、青木淳建築計画事務所に入社。2002年、永山祐子建築設計設立。
永山祐子建設設計:https://www.yukonagayama.co.jp/
NTTファシリティーズ カスタマーソリューション本部 コンサルティング室 主査
1987年生まれ。首都大学東京大学院 都市環境科学研究科 建築学域 修士課程修了後、NTTファシリティーズに入社。
NTTファシリティーズ:https://www.ntt-f.co.jp/https://www.ntt-f.co.jp/
アラブ首長国連邦ドバイで2021年10月1日〜2022年3月31日にかけて開催される「2020年ドバイ国際博覧会」(以下、ドバイ万博)。
「日本館」の建築設計チームに建築に込めた想いをお聞きした前編に引き続き、永山祐子建築設計(デザインアーキテクト)の永山祐子氏、NTTファシリティーズ(マスターアーキテクト・意匠設計)の小清水一馬氏、Arup(構造・設備・ファサードエンジニアリング)の菅健太郎氏、電通ライブ(総合プロデュース)の關本丹青が、コロナ禍での建築や今回のプロジェクトで得られた学び、今後に向けた意気込みを語り合いました。
―今回は複数の組織が協働するプロジェクトでしたが、建築設計チームの日々のコミュニケーションはどのように行っていたのでしょうか?
關本:毎週定例会を開催していたのですが、ドバイをはじめとする関係各所との調整事項は多岐にわたるため、毎日メールや電話、時には個別の打ち合わせをセッティングして、かなり濃密にやりとりを重ねました。この数年間ずっと合宿していたような気分です(笑)。
小清水:日々、目まぐるしく状況が変わるからこそ、リアルタイムで情報共有と調整を行うこと、そのスピード感が求められる仕事だったと思います。
菅:大きな調整事項が発生するたびに、NTTファシリティーズがプランニングやスケジュールを立て直して、調整できるところを検討してくれましたよね。組織力や機動力に助けられたことが何度もありました。
小清水:乗り越えなければならない課題はたくさんありましたが、それぞれ皆さんが前向きに議論し課題解決に向けて取り組むことで、チームの結束やパワーも高まったように思います。
永山:大きなプロジェクトでスケジュールもタイト、調整しなければならないことも大量に発生するからこそ、それぞれ役割分担がありながらも、あまり立場にとらわれず知恵を持ち寄り、ワンチームで問題解決に取り組むことが大切だと思いました。
關本:やはり、全方位的な信頼関係を構築しないと成立しない仕事だと改めて感じます。信頼関係があるからこそ、お互いの立場が違う中でもフラットに意見を言い合えて、建設的な議論を重ねることができたと思います。
―今回は新型コロナウイルス感染症の影響で、約1年間の延期を経ての開催となりました。コロナ禍での作業はいかがでしたか?
關本:それまでは毎月ドバイに足を運んでいたのですが、コロナ禍で現地に行くことができなくなりました。それでも施工は続くので、オンラインチャットツールや3Dデータを介してドバイ側とやりとりを続けました。すでに現地のメンバーとは頻繁に顔を合わせて信頼関係が構築できていたので、オンラインのコミュニケーションにもスムーズに移行できました。
小清水:私も現場に行けない状況でプロジェクトを進めることは初めての経験でした。その中でも、WEB上での情報管理システムの導入や、完了検査のリモート実施など、デジタルツールをうまく活用しながら進めることができたと思います。
360度カメラを用いたリモート検査システム等を活用し、フルリモートでの竣工検査を実施
―完成を迎えた時は、どのような心境でしたか?
永山:このメンバーで完成後に現地に赴いたのはまだ私だけなのですが、日本で思い描いていた姿がディティールに至るまでそのまま再現されていることに、シンプルに感動しました。しかも海外で、現地に行けない環境の中で実現できたのは本当に奇跡的なことだなと。
菅:写真を見て、その完成度の高さに「本当にパースの通りにできたんだ」と驚きました。ドバイのメンバーからも「アメージング!」という感想が続々と届いています(笑)。そういった反響があると、頑張って良かったなと思いますね。バーチャルが浸透しつつある世の中ですが、物理空間を作ることの価値を実現することができた気がします。
關本:素敵な写真でしたよね。台形の敷地に二等辺三角形の建物を建てたことで、引きで写真が撮れます。SNSの時代に、日本館が世の中にどう発信されていくのか、PRも意識した建築を実現できたことは大きなポイントだと思います。
ライトアップされた日本館。ファサードの陰影が水盤に映り込む(2020年ドバイ国際博覧会日本館 提供)
日本館 ファサード(2020年ドバイ国際博覧会日本館 提供)
小清水:スマホがあれば何でも情報が手に入る世の中ですが、菅さんが「物理空間を作ることの価値」とおっしゃるように、やはり実空間での体験や感動は、いつまでも心に深く刻まれると思います。それが万博の醍醐味、ひいては建築空間そのものの価値だと思うので、ぜひ来場される皆さんに、実空間でしか得られない体験をしていただけると嬉しいです。
關本:コロナ禍でオンラインやデジタルシフトが加速していますが、その場にいるからこそ得られる感動はいつの時代も残り続けると思います。そのような感動を体感できる建物になったと自負しているので、現地に行ける方はぜひ足を運んでいただきたいです。
―今回のプロジェクトを通して得られた学びを、今後どのようなことに生かしていきたいでしょうか?
菅:今回は日本の技術をドバイに持ち込む形でしたが、次回の大阪・関西万博は世界中の技術が日本に入ってきます。当然ながら、文化や慣習のすり合わせが必要になりますし、建築なら工法や役割分担の考え方、法律面の違いも出てきます。この機会に日本の建築業界全体が世界中のナレッジやノウハウを吸収して、グローバルマーケットにも対応できるように変わっていくといいなと思います。
小清水:万博は実空間でのイベントですが、今後はデジタルなバーチャル空間との掛け合わせが大きなポイントになることは間違いありません。デジタルツインの世界においても、今回の日本館のように日本らしい価値観に基づき、新たな出会いや感動が生まれる空間を紡いでいきたいと思います。
永山:今回、プロジェクトに携わりながら「万博って何だろう?」と何度も議論を重ねました。新しい技術や文化を共有することは大切ですが、同時にテーマ性も問われる時代です。世の中の大きな変革を経て、きっと次の大阪・関西万博は新しいカタチが問われるのかなと思っています。
關本:確かに今後、万博の意義は変わってくるかもしれません。それでも、文化的背景が異なる人たちが交わり、時には試行錯誤しながら、感動する場を作ることになるのは変わらないので、それを2025年に体感できる日本は恵まれていると思います。私たちも今回の経験を紡いで、その場に携われたら嬉しいですね。
永山祐子建築設計 代表
1975年生まれ。昭和女子大学生活美術科卒業後、青木淳建築計画事務所に入社。2002年、永山祐子建築設計設立。
永山祐子建設設計:https://www.yukonagayama.co.jp/
NTTファシリティーズ カスタマーソリューション本部 コンサルティング室 主査
1987年生まれ。首都大学東京大学院 都市環境科学研究科 建築学域 修士課程修了後、NTTファシリティーズに入社。
NTTファシリティーズ:https://www.ntt-f.co.jp/
Arup 東京オフィス 環境設備リーダー
1977年生まれ。東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 修士課程修了後、久米設計に入社。2009年からArupに勤務。
Arup: https://www.arup.com/ja-jp/offices/japan
電通ライブ クリエーティブユニット 2025大阪・関西EXPO部
1977年生まれ。東京工業大学大学院 理工学研究科 建築学専攻 修士課程修了後、アトリエ・ワンに入社。2013年から電通、2017年から電通ライブに勤務。
電通ライブ: https://www.dentsulive.co.jp/wordpress/
2021年10月1日にアラブ首長国連邦ドバイにて開幕した「2020年ドバイ国際博覧会」(以下、ドバイ万博)。
192カ国が参加するドバイ万博で、日本が出展する「日本館」の展示は「Where ideas meet アイディアの出会い」をテーマに、6つのシーンを通して日本が紡いできた「アイディアの出会い」を表現し、そこから新しい未来をつくる体験を創出しています。
今回はシーン3「現代日本のテクノロジー」で、日本の伝統文化「見立て」によるミニチュア展示作品を担当した株式会社MINIATURE LIFE 田中達也氏にインタビュー。展示の狙いや「見立て」という手法の魅力、そして田中氏自身のアイディア発想法について、日本館展示プロデューサーの電通ライブ永友貴之がお話を伺いました。
永友:日本館の企画が始まった頃、たまたまテレビで田中さんのことを知り、「見立て」という言葉に感銘を受けたことを覚えています。みんなが知っているものを別の風景に変換する「見立て」は、ものごとを異なる視点から見ることで新しい発見や気づきが生まれる「アイディアの出会い」と、とても近い考え方だなと。田中さんにこのテーマを表現していただいたら、すごく良い「アイディアの出会い」が生まれる予感がして、お声がけさせていただいたんです。
田中:最初にお話を頂いた時、まさに僕の作品にぴったりなテーマだと思いました。「見立て」は、既成のもの同士を組み合わせることで生まれるので、そういう意味では僕の作品自体が「アイディアの出会い」ですよね。さらに、僕の作品に出会った方々が新しい発見やアイディアを生み出してくれることを目指しているので、このテーマは本当にしっくりくるなと感じました。
永友:そうですよね。田中さんの「見立て」というアプローチを、ぜひ海外の皆さんに体感していただきたいと思いました。
田中:海外で「見立て」を翻訳しようとすると、「similar to〜」のように少しニュアンスの異なる表現になるんですよね。例えば日本のお弁当がヨーロッパでも「BENTO」として認知されつつあるように、「MITATE」という概念が海外に広まるきっかけにできると良いなと思っていました。
(左から) 永友貴之(電通ライブ)、田中達也氏(MINIATURE LIFE)
永友:ふと思ったのですが、どうして日本は「見立て」という独特の考え方が成立するのでしょうか?
田中:さまざまな要因があると思いますが、古くから島国ならではの苦労を乗り越えてきた歴史が関係しているのではないでしょうか。「見立て」は補う力でもあるわけです。ただ見た目を変えるだけでなく、何かに行き詰まった時に代わりのものを持ってくることで課題を解決することも「見立て」の役割だと思っていて。
永友:なるほど。確かに日本ならではの文化である「侘び寂び」も、足りないものや余白を想像力で補うところから美意識が生まれていると聞いたことがあります。
田中:そうです。お寺の枯山水も、水が引けない場所に岩や砂などを用いて山水に見立てることで新しい価値を生み出しています。土地が狭い、地震が多いなど、それなりの制約がある中で工夫をしてきた国だからこそ、日常に「見立て」が根付いているのではないでしょうか。
永友:シーン3で紹介している日本のテクノロジーも、厳しい自然環境に抗うのではなく、共生していくという発想から生まれたものがたくさんあります。その意味では、日本は「見立て」を通じて発展してきた国であると考えることもできそうですね。
永友:田中さんご自身の「見立て」のルーツはどこにあるのでしょうか?
田中:思い返してみると、双子だったことが影響しているのかもしれません。僕らの場合は同じおもちゃを一人に一つずつ買ってもらわないと気が済まない双子だったので、2人いるにも関わらず遊びのレパートリーはその半分になってしまうんです。常におもちゃが足りないわけですから、自然にティッシュ箱をビルに見立てて遊んでいたりしたんですよね。その経験が今につながっているのかは分かりませんが、小さい頃から工夫して補ってきたのかなって思います。
永友:面白いですね。うちにも3歳の子どもがいるのですが、電車の窓から見える電信柱を「アスパラ!」って言うんです。それを聞いた時、まるで田中さんのおっしゃる見立ての考え方みたいだなって思ったことがあって。だから、子どもの率直な感性のようなものが作品制作のルーツにあると聞いて納得しました。他のアーティストや写真家との違いを感じることはありますか?
田中:多くの作品が、そのアーティストだけに見えている世界や、その人ならではの個や感性を表現していると思うのですが、僕の場合はみんなが共有できることから新しい発見や気づきを表現しようとしています。そこがアプローチの方法として大きく違うところかもしれません。
永友:みんなが知っているものを題材にしながら、新しいものを生み出すのってかなり難しいと思うのですが、そのあたりの葛藤はあるのでしょうか?
田中:難しいからこそ、見つけ出せた時が気持ち良いんです。シーン3の「はやぶさ2」を紹介する作品も、小惑星に着陸する際の目印になる「ターゲットマーカー」がお手玉から着想を得ているという話にたどり着き、お手玉を小惑星に見立てるというアプローチを行いました。だから、すでに題材となるモノ自体はまわりにあるんですよね、自分が気づいていないだけで。例えばドバイにいても、「トイレはこうなっているのか」「ホチキスは日本と同じような形だな」のように、ふだんの暮らしの中からヒントを探しています。
ドバイ万博日本館 シーン3展示 はやぶさ2紹介作品「宇宙を手玉に取る」
永友:なるほど。あの作品を見た時は、「どのような思考プロセスを踏んだら、お手玉を小惑星に見立てようというアイディアが生まれるのだろう?」と驚きました。
田中:テーマを考える時は、お手玉とか、小惑星とか、とにかく思いつく単語を書き出します。そこから全く異なる2つのグループを作り、似たものや関係性があるものを探すのです。「あ、お手玉と小惑星は、どちらも丸いから見立てられそうだな」という感じですね。ただ、あまり深掘りし過ぎると伝わりにくくなってしまうので、初見であまり興味がない人にも立ち止まってもらえるような見立てを意識しています。
永友:「はやぶさ2」の作品の「宇宙を手玉に取る」というタイトルなど、田中さんの作品はタイトルもユニークで大きな要素を占めていると思うんです。ネーミングにはどのようなこだわりがあるのでしょうか?
田中:もともと鹿児島でデザイナーをしていたので、キャッチコピーを考える機会も多かったんです。なので、少し広告的なアプローチもしつつ、言葉遊びや韻を踏んで「見立て」を表現することを意識しています。
永友:他の言語に翻訳するとニュアンスが伝わらないのがもどかしいぐらい、本当に秀逸なタイトルばかりでした。
ドバイ万博日本館 シーン3展示 バイオ燃料紹介作品「環境破壊は“ムシ”できない」
永友:今後チャレンジしてみたいことはありますか?
田中:今はミニチュアのスケールで「見立て」を表現しているのですが、逆もアリだと思うんです。例えば、ブロッコリーを大きくすると人間がミニチュアになる。ということは、公園にある大木の横にスプーンを置いたり、マヨネーズをかけたりすると、大木をブロッコリーとして見立てることもできるかもしれません。今やっている表現をひっくり返してみると、また新しい発見や気づきが得られるのかなと思っています。やっぱり人は実寸でモノを見ている時は、なかなか見立てるのが難しいんです。その視点を強制的に変える手段として、モノのスケールを変えるのが一番分かりやすいですよね。
永友:確かに、スケールの大きな「見立て」は、また一味違った刺激がありそうです。田中さんのアプローチはとても分かりやすく、SNSでの拡散性も非常に高いので、作品を入口として新しいアイディアの出会いや課題解決のヒントをたくさん生み出していけると良いですよね。
田中:日本館の展示は、より良い未来社会を作るための第一歩となる「アイデアの出会い」を体感していただくことが大きなテーマでしたが、大きな課題を自分ごと化するためには、その課題を身近に感じてもらう必要があります。ともすると「自分には関係ない」と思ってしまいそうな課題を、いかに身近な生活に関わっていると感じてもらえるか。その手段の一つとして、「見立て」が果たすべき役割は大きいと信じています。
永友:今回の展示を通して、個人の身近な生活の中にもみんなの大きな課題解決へのヒントがあることに気づくきっかけになればよいなと思っています。ここで生まれたアイディアを絶やさずに、2025年の大阪・関西万博の「いのち輝く未来社会のデザイン」につなげていきたいですね。本日はありがとうございました!
ドバイ万博日本館 シーン3展示 「ジューSEA」
株式会社MINIATURE LIFE ミニチュア写真家・見立て作家
1981年熊本生まれ。2011年、ミニチュアの視点で日常にある物を別の物に見立てたアート「MINIATURE CALENDAR」を開始。以後毎日作品をインターネットで発表し続けている。「MINIATURE LIFE展 田中達也 見立ての世界」が国内外で開催中。Instagramのフォロワーは340万人を超える(2022年月1月現在)。著書に「MINIATURE LIFE」、「MINIATURE TRIP IN JAPAN」など、他多数。
株式会社電通ライブ プロデューサー
2012年4月電通入社。入社以来、現在に至るまで、イベント・スペース関連部署に配属。国内大手自動車メーカーの大型展示会やその他国内外大型イベントにおいて、企画から現場制作までのプロデュース業務を担当。また、店舗開発や企業のショールーム・ミュージアムなども多数手掛け、企画設計、コンテンツディレクションから、建築施工現場管理、運営業務ディレクションまで幅広い知見と実績を有する。2020年ドバイ国際博覧会の日本館の各展示企画、運営業務に携わる。
2022/12/20
新たな表現を追求し、可能性を切り開く。『spotlight』が目指すエンターテインメントの未来
2017/08/08
デジタルコミュニケーションで、人類を前進させる:杉山知之(前編)
2019/02/06
イヤホンをしているあなたは、もうサイボーグなのかも知れない(後編)
2017/08/15
2021/10/06
「ドバイ万博日本館」建築設計チームが語る、「つなぐ建築」に込めた想い(前編)