2017/08/09
KABUTO ONE アトリウム開発
- 平和不動産株式会社
- August / 24 / 2021
- KABUTO ONE 〒103-0026東京都中央区日本橋兜町7-1
日本経済の現況をリアルタイムで映し出す巨大デジタルサイネージ「The HEART」
日本橋兜町に新設された複合施設「KABUTO ONE」1Fアトリウムの空間プロデュースを弊社が担当。
日本経済の循環する血流の源として、心臓を象徴するデジタルサイネージ「The HEART」を制作。アイコニックなデザインのキューブ型LEDディスプレイ(幅6m、高さ5.5m、奥行き3m)、かつローテーションする分割されたLED機構は世界最大規模。さらに、サイネージに放映するコンテンツのプロデュースも担当。中でも、株価データをリアルタイム処理し、心臓をイメージした抽象表現に落とし込んだデータビジュアライゼーション「The HEART」は、株や経済に詳しくない人も、日本経済の循環・脈動・熱量を直感的に感じることができるコンテンツとなっている。
また、兜町と関わりの深い渋沢栄一翁が生涯大切にしたと言われる「赤石」の展示台や、noiz豊田氏デザインのカウンター什器の制作・設置も担当。
KABUTO ONE アトリウム開発
平和不動産株式会社
2021年8月24日~
KABUTO ONE 〒103-0026東京都中央区日本橋兜町7-1
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(前編)
- July / 31 / 2017
コンピューテーショナル・デザインって?
西牟田:豊田さんの、建築からデジタルデザインまで領域を広げていく手法が、僕らの考え方とシンクロする部分があって、今日はいろいろ深掘りできればということで、お時間を頂きました。
豊田:ありがとうございます。個人でもよくインタビューは受けているんですが、僕はできるだけ「noiz」という名前で発信するようにしています。「コレクティブである」ということが大事だと思っているので。目黒のこのオフィスも、固定したメンバーもいるのですが、プラットフォーム的な場として維持することを意識していて、ここに新しい知識や知見、感性が集まるようにしたい。
noizは東京と台湾をベースにしている建築事務所で、海外の仕事が多いです。特徴としては、言葉の定義がなくていつも困るのですが、コンピューテーショナル・デザイン、簡単に言うとデジタルデザインの新しい可能性を、実験的にかつ実践的にやっています。
一応軸足は建築だけど、情報科学みたいなものを前提としたときに、建築がどう変わっていくのか。アウトプットはインスタレーションや展示、プログラミングだけやることもあるし、コンサルティングという立場で関わることもある。そんな立ち位置だと、僕らの常識そのものが変わっていくので、それが面白くて日々実験をやっています。
デジタル技術は、生態系を変えるメディア(間を埋めるもの)
西牟田:前に、「建築の未来は、建築の領域の外にある」という話をされていましたね。ピクサーのような会社が建築の領域に入ってくると、建築界が変わっていくとも話されていた。建築の領域を広げていって、どんな未来を描いているのでしょうか。
豊田:技術がどんどん変わっているので、僕自身の考えも毎年変わっているというのが事実です。デジタル技術のことをみんな「ツール」と言うんですけれど、僕はちょっと違和感があって、英語で言うと「メディア」、媒体というか間を埋めてくれる充填物みたいにデジタル技術を捉えています。
これまで空気の中に埋まっていた生きものはこういう進化をしていたけど、突然エタノールの中につけてみましたと。そうすると、生態系自体が変わるわけじゃないですか。栄養のとり方、動き方、筋肉のつき方、骨格全て。そうなったときに生物はどう進化するか。それと同じくらい、周りの媒体(デジタル環境)が変わってきて、僕らのつかり方も生態的に変わっていくんだと思うのです。
デジタル環境が一気に実効性の分水嶺を超えたときに、人間がどう進化するのかという予想をしたいのと、そのためには促成栽培で進化の最先端を自分たちで体験してみたい。建築ってどうしても重厚長大産業なので、変化がむちゃくちゃ遅い。それが僕らのジレンマで、リサーチのレクチャーとかやっていると、「もっと変わろうぜ!」というアジテーションばかりになってしまう(笑)。
例えば音楽の世界では、デジタル技術が10~20年ぐらい先行して動いている感じがあって、ミュージシャンがひとりでコンピューターの中で技術を習得して、どんどん新しいものを生み出して、それがどうマーケットに影響して、ミュージシャンがそれをベースにどう変わっていったか。生態系の変化が先に起きている領域を参考にすることは多いですね。音楽業界ともコラボレーションしてみたいです。
「感覚」や「傾向」をデザインして、常識を変えていく
西牟田:われわれも空間や体験をデザインしていく仕事をしていますが、単純なハードだけのデザインでは終わらないことが多いです。むしろソフトの力で空間や体験をつくる仕事が、最近は多いと思っています。アプローチとしては、情報のデザインを一番コアにしているような気がします。
建築って「動かないもの」という常識が僕の中にはあったのですが、noizの「Flipmata」を見たときに変わった。単純にデザイン性で「面白いでしょ」ということではなくて、ちゃんと街の動きや人の空気、ある種の街の呼吸みたいなものをちゃんと建築にフィードバックしている感じがしていて。街の情報自体を捉えてデザインしています。
西牟田:僕らの仕事として考えたときに、例えばお店をデザインしてくださいというとき、単純に目に見えるデザインだけじゃなくて、新しいサービスをデザインしましょうとか、中で動くアプリケーションをデザインしましょうとか、従業員の体験をデザインしていくことで新しいお店をつくるみたいなことも、お店のデザインの中に入るかなと。定義を曖昧に拡張していくと、デザインの可能性も広がっていく。
豊田:僕ら建築家は、3次元の固定した形をデザインする職能だと思われている。でもそのへんの常識も、社会がどんどん変わるとずれてきて、そのずれが面白い。デジタル技術を通すことで、これまで感覚的だったずれの部分がビビッドに見えてくるとか、客観的に見えてくるところにすごく興味があるのです。
経験のデザインも建築の一部だと思う。物をつくって、それが誘発する経験は、これまでの建築家は何となくあやふやにデザインを通して扱っていた。でもIoT環境でだんだん、連鎖のネットワークみたいなシステムが、より広く強くできるようになっていく。ここを動かすとこっちが動くとか、技術の動かし方で何か面白いこと、新しいチャンネルができるじゃないですか。
これまで1対1の機械論的な価値観で、1の入力に対して1の出力がなきゃ形ができなかったのが、コントロールできないというのも許容した途端に、これまでと全然違う操作ができるといったような、新しい関係性ができてくる。「何となくこういう傾向をつくれるよね」というような環境やシステムを僕らが立地的につくってあげると、実際にそういう傾向になっていく。感覚をデザインする、傾向をデザインする、間接的にデザインする技術というか。
常識を、いろんなレイヤーで変えてくれる、あるいは、例えばデジタルはふわふわしたのと相性が悪いところが面白いのでは、というふうになってくる。そんなことを僕らがまず先行して認識して、形とか実効性で社会に対して見せていって、それを皆さんと共有していくという流れができることが理想です。先鋭的なことを実践できる機会はまだまだそんなになくて、過渡期なんですが。
西牟田:いろいろな分野のプレーヤーの領域も、結構曖昧になっていきますね。
他分野のデータを共有できて、自分たちが得意なアプローチの仕方で他の領域のデザインもできるというふうになっていくと、今までその分野の人たちだけが持っていたある種のイニシアチブだったり、優位性みたいなものがフラットになっていき、匿名性が強くなっていく。誰がデザインしたかというよりは、何をデザインするのかというのが大事になってくるのかなと。
豊田:僕はどんどん違う可能性としての建築家像というのが出てくるのに興味がある。専門性をひたすら1カ所突き詰める人もこれまで以上に価値が出てくると思うんですが、それ以上に多焦点になっていくというか。建築家だけどデータ構造が理解できて、音楽の人とコミュニケーションできるとか、経済とコミュニケーションできる専門性を持っているとか、発生遺伝学の知見が建築に役立つみたいな話が、これからどんどん出てくると思います。
専門性の焦点が二つか三つあって、経済の数学が分かって、それをつなぐのがプログラミングでありデジタル技術ですという社会構造になっていくと思います。その人のアイデンティティーが、建築ですごい形がつくれるというよりは、建築なのに遺伝子工学が分かって、さらに経済の概念で何か形がアウトプットできるというようなことが、その人のデザイン力であり価値であるというような、そんな職能の在り方にすごく興味があります。
豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。
西牟田 悠
株式会社電通
電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
新しい生態系や常識を、建築でデザインする:豊田啓介(後編)
- July / 31 / 2017
クロスジャンルに共創すべきなのに、企業や大学教育が領域横断型ではない
豊田:僕らもクロスジャンルに、いろんな専門家を入れたい。小さい事務所だと限界があるのですが、カリフォルニアへ仕事で月一ぐらいで行くと、あっちの仕事仲間はクロスジャンルなのです。特にデジタル系で建築もやっていてという人は最先端のやつが多い。そういう感覚をもっと社会実験的に、個人じゃないレベルでやれたらなと思っています。
大学の教育も、せっかく総合大学なら、建築の学生が経済学の単位を取ってこいとか、生化学の単位を取ってこいぐらいの話にしないと絶対面白くならないと思う。そういうところに、企業とか大学が投資をしていないのはすごく不安に思うし、僕らで何とか少しでもイニシエートしたいなと思います。
西牟田:さっき音楽の話があったのですが、ほかにコラボレーションしてみたい分野の人、産業はありますか。
豊田:ありとあらゆる分野の人とコラボレーションができたらやってみたい。直近の話でいくと、例えば僕らが3Dモデリングみたいなことをアルゴリズムでやると、出てきた形の最適な用途が必ずしも建築とは限らなくて。スケールとしてでかく出せば超高層ビルのある目的を満たした形なのかもしれないけど、小さく出せばシューズのソールの分子構造じゃないか、みたいな話がどんどん出てくる。そういうアウトプットの活用は、建築よりはプロダクトの方が早く実現できるのかなと思います。僕らが例えばナイキと、シューズの分子構造の開発でコラボレーションするというのが普通に仕事になっている状況になりたいとすごく思いますね。
西牟田:車の内装の一部をデザインしたり、畳をデザインしたり、建築のアプローチを使ってプロダクツに落としていくのは、すごく面白いです。プロダクツ領域のつくり方の可能性も広がりますよね!
豊田:最近ループみたいのが何となく見えてきていて。今ニッティングもやっているんですけれど、ニッティングをアルゴリズム分析していくと、普通ではできないようなジオメトリーがたくさんできる。それをどうコントロールすると、どういうプロダクトができるかというのを先にやっていると、建築と全然関係ないアウトプットが見えてきて、それを突き詰めると畳のように、部屋のレイアウトを自動で制御して、アルゴリズムで探させるみたいな実験派生物が生まれる。それが一周回って、これまでではアプローチしようがなかった建築の考え方にも、スパイラルを変えて戻ってくると感じるようになりました。
例えば同じ3Dプリンターがうちの台北事務所にもあって、どっちでプリントアウトしても変わらないというので、いつもスカイプがつながりっぱなしで、常に顔を見ながら「これがさぁ」みたいな実験をやっている。それがいつの間にか普通になっています。
西牟田:3Dモデリングやニッティング、そういう技術開発から入っていくケース、そういうものに投資していく配分はどうなっているんですか。
豊田:意識しているのは、仕事の3割は遊びにするということ。クライアントワークじゃない実験が常に3割は、みんなの仕事のバランスにあるようにしていて、何か来たときに「あ、これ、応用できるんじゃない?」となるように引き出しにたまっていく。チームとしての経験知が上がらないと、チームとしてのバリューを出せないので、常に臨戦態勢をとっておく。実戦していない軍隊は、どう装備があったって弱いじゃないですか。
EaR(イアー)、エクスペリメンタル・アンド・リサーチの略なんですけれど、そういう名前のリサーチ部をつくって、さまざまな分野のリサーチをコンスタントにやっています。感性を常に研ぎ澄ましておいて、僕らではとてもカバーできないような、いろんな分野の最先端の面白そうな事例が、常に僕らの中を通るようにしておきたいから。そうしていると何か面白い情報が共有できるので、「これじゃない?」というのがより精度高く拾える。限られた時間の中で選択の精度を上げるためのシステムの一環です。
noizというプラットフォームの境界は、明確につくらない
西牟田:いろんな異分子的な人を取り込みたいというときに、どうしていますか。
豊田:noizは日本人が3分の1ぐらいで、とにかくできるだけいろんなバックグラウンドなり、多国籍の人を入れるようにしています。そうすると、技術環境から常識から、全然違います。雇用形態も、完全なフルタイムから、3日だけとか、原則インディペンデントだけど週1~2回は来ているとか。その周りにフリーランスや、企業にいる専門性の強い多様な人がいっぱい、ゆるいチームとしている。人を周りに集めておくためにも、リサーチの共有をやっていないと彼らが興味を持ってくれない。そういう人たちとプロジェクトごとにコラボレーションしています。才能あるフリーの人たちの取り合いもありますね(笑)。
事務所というプラットフォームの境界を明確につくりたくない。いろんなレイヤーでやる、細胞膜はできるだけルーズに。身体の中の器官みたいだけど、外の独立した細胞っぽいとか、それがグラデーションになっていて、明快に外か中かというのが言いづらいような環境がある方が面白いじゃん、みたいな感覚はありますね。経営的にはなかなか難しいですけど。
西牟田:そういうやり方をとるときに、大学も企業も、まだコラボレーティブな考え方の組織がつくられていないし、難しい。建築界で言うと、何が一番障壁になっていますか。膜をどんどん薄くしたいけど、なかなかできないんだよという壁は。
豊田:根本は教育システム論になっちゃうんですけれど、建築学部というのは明治以来の教育制度の中にあって、建築学科という中に意匠(デザイン)、構造、設備、環境、歴史、計画とかそういう分野があって、それぞれが学会になっていて交流しない。これまでの技術的な話とか施工の現実を考えると、意匠のデザインができたらそれを構造に持っていって、構造が検討して今度は設備に持っていってという、受け渡しバケツリレーみたいだったのです。意匠と構造が別組織で、感覚から言語から何から違う。そこがシームレスにつながらない。
コンピューターの中でつくって、デジタルファブリケーションみたいな技術でアウトプットして、センサー技術のフィードバックがデザイン中のデータに入れられるみたいな、時間を超えたフィードループができるのが新しいデジタル技術の圧倒的な力。デザインと構造と施工と法規みたいに分かれちゃうと、せっかくのデジタル環境が全然意味ないので、それがすごくもったいないなと思います。アートインスタレーションみたいなレベルでは、うちはプチゼネコン的にデザイン・設計・施工の全てをやれるので、モデルケースができますけれど。
西牟田:電通とのコラボレートの可能性としては、どんなことをやりたいですか。
豊田:僕らは、犬みたいな雑食性の事務所なので、何でも食べますよ(笑)。どんな形でも実験にはなるし。でも、せっかく電通と何かするのであれば、ただインテリアをやってくださいというのではない、リサーチ的なことを含めて、社会実験的なことを真面目に実装するという前提でやれたらいいですね。
西牟田:僕としては、空間をデザインしてくださいというよりは、情報そのものや、環境をデザインしてください、といった仕事ができると面白いと思います。
データ化されたコンテンツみたいな、情報をデジタルデータ化して、それをもう一度3次元に戻すとどういうものができるのかとか。
豊田:そういうのはすごく興味あります! 普通にセンスがいいデザイン事務所は世の中にいっぱいあると思うので。もちろん僕らもそれができないわけじゃないですよ!(笑)でも、単なるセンスを超えたところに僕らは興味があるので、情報をどう可視化するかとか、物をどう情報化するかみたいなことを、建築の専門家として関われる機会があると、すごくうれしいし楽しみです。
西牟田:今一番、一緒に仕事をしていきたい豊田さんとじっくり話せて、今日は本当に充実した時間でした。必ず何かの仕事を、形にしていきたいですね! 引き続き、よろしくお願いします。
豊田 啓介
建築家
千葉市出身。東京大学工学部建築学科卒業。1996~2000年安藤忠雄建築研究所。01年コロンビア大学建築学部修士課程修了。02~06年SHoP Architects(New York)。07年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学非常勤講師、東京大学デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。
西牟田 悠
株式会社電通
電通ライブ プランナー
2009年4月電通入社。入社以来、イベント・スペースデザイン領域で、プランニング・プロデュース業務に携わる。 大規模展示会やプライベートショー、プロモーションイベント、施設・ショップのプロデュースなど、国内外の実績多数。 イベント・スペース領域を核としながらも、さまざまな領域のパートナーとコラボレーションし、新しい表現に挑戦中。
デジタルコミュニケーションで、人類を前進させる:杉山知之(前編)
- August / 08 / 2017
人類がデジタルでつながっているという、情報の「総量」が大事
金子:僕はデジタルハリウッド大学院を2期生として10年以上前に修了しました。通っていたころはプロダクションでプランナーをやっていましたが、修了してすぐ電通の社員になりました。デジタルハリウッドの教育は、10年前と何が大きく変わりましたか?
杉山:結局、人類がどのぐらいデジタルでつながっているかという総量が大事で、10年前はスマホもなかったでしょ。iPhoneが出たのが2007年なんです。
僕の感覚ではスマホは、パソコンで電話もできるという感じ。電話でメールもできるというのと、パソコンに電話機能がつくという感覚とでは、ビジネスの文脈が完全に変わった。だからこそスマホは、値段が高いにもかかわらず、先進国だけじゃなくて世界中に爆発的に広がっていったわけですね。全人類がネットにつながるという状況がとても加速しました。
若い人は、基本的に人類みんなつながっているという前提でビジネスを考えられる。アプリでも何でも、ネットの市場に出した瞬間に、世界中で売れる可能性がある。
僕が今相手にしている18歳くらいの学生は、物心ついたときにはスマホがあった。そうなるとSNSみたいなものが日常というか、ない世界は考えられないですよね。いつでも友達とつながっているし、つながり合っているぞというのをお互いに確認していないと関係が危ういという問題が起きるわけです。LINEで送ったのに返ってこないと「嫌なやつだ」とすぐなってしまったり。
金子:ネット内での生活のルールというか、お作法が変わってしまっている。むしろ、ネットのルールそのものが、リアルな友達関係の、リアルなお作法になってきたという感じがしますね。
「デジタルコンテンツづくりは全産業の発展に波及する」ことをたたき込む!
金子:学校に入ってきて最初に教えることに変化はありますか。
杉山:10年前はまだ、コンテンツ産業そのものを僕自身でプロモーションしているところがあって、まず「コンテンツ産業とは何ですか?」というところから始めました。放送、新聞、出版、音楽、ゲーム、モバイルと、みんな縦割りの業界になっていた。それがデジタルによって横につながってしまうので、昔の言葉ですけれどもワンソースマルチユースですね、一個原作があったら全てに展開できる。コンテンツ産業ではIP(知的財産)をいかに上手に使っていくか、映画化権もあれば、ゲーム化権、小説化権もあるわけですから。そんな始まりでした。
電通がやっている仕事でもありますけれど、コンテンツ産業はそういうダイナミックな産業なんだなということをまず世間にも学生にも、分かってもらう必要がありました。その中で、自分の得意をどこにつくるんだという教育が重要だと。
コンテンツ産業の持つ、要するに人の心を動かす技術というか、その総合プロデュースは、今や全産業界で必要。大学院生たちは次々と、ファッションテクノロジー分野、デジタルヘルス分野、または金融へ行ってフィンテックの分野とか、学んだ後の応用範囲をどんどん広げている現実があります。どの業界もビジュアライゼーションの知識や技術は核になっているわけです。そういうことを最初に徹底的にたたき込みます。
金子:本当に、新分野も含めて、全産業への影響になってきちゃいましたね。
杉山:18歳なので、ゲームが好きで来たとか、アニメが好きで来たという感じの学生も多いわけです。高校の先生や保護者から、「ゲームづくりをやりたいというけど、そんなことで食っていけるのか」とか言われながら入学して、でもここに来たら僕が、「なんなら全部の産業、どこにも行けるぜ」という話を最初するわけです。
最近、中央教育審議会から、専門職大学をつくりなさいという答申が出ましたが、日本の大学のカリキュラムが、ビジネス界に役に立たないようなことばかり教えているという判断が背景にあるように感じます。大学生でも職業観みたいなものを持てないまま卒業してフリーターになっちゃう子も実際多いので、専門職大学という形で、職業に通じる学士号を出そうということですよね。
デジタルハリウッド大学は、すでに専門職大学のようだと言われます。たしかにCGアニメーターやウェブデザイナーとして巣立つ学生も多いですが、僕の感覚でいえば普通の4年制大学の基礎教養科目みたいなものだと思っているのです。デジタルで自分が言いたいことを表現するのは、日本語の論文がきちんと書けるのと似たようなもの。22世紀に向けた教養学部と言ってしまってもいいぐらいの感覚です。たまたま強くそういう人材を求めているのが、現状ではゲーム産業であったり、ICTを基盤としている産業だというだけの話です。
杉山:入学して最初に、実習でデジタルツールの使い方をバババッと覚えて、何かつくろうというときに初めて、「物語を語らなきゃいけない」という問題にぶつかる。そのときに18歳の子の頭の中に、どれほどの数の物語があるかというと引き出しがない。この引き出しって何だろう、それが教養というものだよ、ということを理解してもらって、2年生以降には宗教、哲学、歴史などの教養科目をたくさん置いています。
例えば日本の近代史に詳しい先生であれば、一番面白いところだけ8回やってくださいと。それで面白いと思えば、今はネットに行けばいくらでも学べるし、自分で吸収できる。
金子:アクティブラーニング手法で、さらに火をつけるんですね。
杉山:デジタルハリウッドはデジタルツールのオンライン教育を10年以上やっているので、教材がかなり充実しているんですよ。例えばフォトショップを習いますとか、イラストレーターを習います的なやつですね。それは全部オンラインの教材として基礎から応用までそろえているので、それを院生と大学生には全て無料で開放しました。
金子:僕のころはなかった!
杉山:すみません(笑)。だから、先生が言ったことが分からなければ、家へ戻って、全部それを見直すとか、やる気がある子は2週間で全部やっちゃうとか。「フリップラーニング」(反転学習)ですね。家で勉強して、学校は議論の場にしたい。学校は、リアルな場所に通う意味を持たせなければならないのです。
論理的思考を構築できれば、起業家は目指せる
金子:最近は「G’s ACADEMY」(※)でプログラミング教育を始めてみたり、デジタルハリウッドの変化のキャッチアップへの源泉は何なんでしょうか。
※G’s ACADEMY:「セカイを変えるGEEKになろう。」をコンセプトに、デジタルハリウッドが2015年に創設した、エンジニアを育成するためのプログラミング専門のスクール。
杉山:僕たちの学校というのは、卒業したんだけど関係が切れない。むしろその境をうやむやにしているんです。卒業しても関わりたければ、何にでも関われる。
金子:確かに僕も、関係がうやむやです(笑)。
杉山:この人は何の立場でここに出入りしているのかなとあまり問わない。何年か前に修了した人らしいよ、ぐらいで大丈夫(笑)。そうすると入りやすいから、「今こんなことをやっています」と教えてくれたり「こんなことを一緒にやりませんか」と言ってくれる。「僕、アイデアがあるけど場所がないので、場所を貸してくれませんか」と言ってくる人もいます(笑)。
とにかく出入りしやすくしておくというのが、秘訣のような気がしますね。トレンディーな話題の研究会、外のいろんな企業の方が普通に出入りする場です。そういうワイガヤの状態から、いろんな人が知り合って、スタートアップのヒントにどんどんなっていく。
金子:その関係で出資を受けたり、資金調達が成り立っちゃうような事業化を考えている学生もいるわけですね。
杉山:そうですね。いわゆるインキュベーションとか、ファンドの事業をやっていらっしゃる会社がたくさんありますよね。そういう方がここに来てくれるので、教わるだけじゃなくて会社をつくるのも手伝ってくれるし、何なら資本金を入れてくれる人まで現れると思ったら、当然ながら活気づきますよね。シードアクセラレーションというのかな。
金子:ベースとして在校生や卒業生の多くが「起業しよう」という目標を持つように、教育として何をたたき込んでいるんですか。今、企業で人を育てる立場の人は、ぜひともアントレプレナーシップを持っていてほしいと願いながら人を育てていると思います。
杉山:そこを分かってもらいたいので、半年しかうちで学ばない人にも、僕が必ず直接授業をやっているんです。「デジタルコミュニケーション概論」という4時間の授業があって、いかにデジタルコミュニケーションによって全産業が革新するかという話をしているんですね。もちろん事例も見せながら。出席できなかった人も、必ずビデオで見なきゃいけないことになっています。
金子:僕も杉山学長のお話を聞きました。また必修科目の事業家の先生方が、各分野で濃いんですよね。「やばいぞ、これは」と何か電気のようなものが走って(笑)、あとは必死で勉強するみたいな(笑)。
杉山:僕は少しは研究者なので、単純な未来予測は結構できるわけです。いつかはこうなるだろう的な話ですが。でも学校は、「いつそれを教えるべきか」という問題もあるんですよ。あまり先過ぎると、教える人もいなければ、教えたところでどこにも理解されなくて就職できない。ちょうどいい頃合いというのがあると思ってます。
杉山 知之
デジタルハリウッド大学 学長/工学博士
1954年東京都生まれ。87年からMITメディアラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、学長を務めている。 2011年9月、上海音楽学院(中国)との合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。福岡コンテンツ産業振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員を務め、また「新日本様式」協議会、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。 著書に「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」(ちくまプリマー新書)他。
金子 正明
株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局(2016年当時)
デジタルハリウッド大学大学院修了。2006年6月電通入社。新聞局で新領域案件に従事。 プロモーション事業局で人材育成を経験。イベント&スペース・デザイン局でエクスペリエンス・テクノロジー部のソリューション検討メンバー。
FINAL FANTASY 30TH ANNIVERSARY EXHIBITION
–別れの物語展-
- 「FINAL FANTASY 30周年記念展」製作委員会
- February / 28 / 2018
- 森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
ファイナルファンタジー30周年の歴史を別れで括る回顧展
長年にわたり、世界中を魅了しているファイナルファンタジーシリーズ。その30周年という節目に記念展を開催。
作品ごとに異なる世界観を、「別れ」という切り口で、1つのエモーショナルな体験を提供。
■世界で初めて「音声ARシステム」を採用
電通ライブも製作委員会として事業出資。「別れ」をより感情的に表現するために、株式会社バスキュールとともに共同開発した「音声ARシステム(特許出願中)」を世界で初めて採用。パーソナライズされた音声体験によって、個人の感情や記憶に語りかける深い没入体験を実現。
FINAL FANTASY 30TH ANNIVERSARY EXHIBITION
–別れの物語展-
「FINAL FANTASY 30周年記念展」製作委員会
2018年1月22日~2018年2月28日
森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)